四十話:確信
パラリと、本のページをめくる。部屋の本棚に入れられていた一冊、ザッカニア王国の初代王に仕えた偉大なる魔導師の伝記。
軟禁状態の俺は特にする事はなく。寝るか、ぼーっとするか、今のように本を読むか。稀に来るメイドさんと話をする事はあるが、それ以外の時間はだらだらと潰していた。
俺の脱走未遂の後、窓の前に木の板が貼り付けられた。だから外の景色は見えず、時計もない為時間の経過が分からない。メイドさんが食事を持ってくる時間からある程度は推測出来るのかもしれないけど、本来の時間からずらされている可能性もある。自分の体内時計も信用出来ない。
頭がおかしくなりそうな環境だ。部屋を出るのは入浴の時だけで、それ以外は時間が分からない一室に閉じ込められる。俺に出来る唯一の抵抗は、本を読んで気をまぎらわす事だけだ。
もしかしたら、それが彼の目的かもしれない。
「彼の魔導師の扱う魔法は他の人間が使う魔法とはまったくの別物であり、その実力は歴史上で比肩しうる者は居ないとされている。
彼の生涯にて敗走は一度たりともなく、一の魔法で万の兵をほふり一の魔法で万の病に倒れる民を癒す。
その隔絶した才故に誰にも理解される事はなく、それは彼が仕えた王も同じだった……」
何の気なしに、本に書かれている内容を音読する。この本に記されている事が果たしてどれだけ正しいのか。俺にとって知るよしもない事だけど、率直に言って非常に胡散臭い。
条件にもよるけど、密集したところに俺が全魔力をつぎ込んだ魔法を撃ち込んで四桁の人間を行動不能に出来る位だ。火が草に燃え移ったみたいな二次被害を考慮しても万には届かない。
この人は俺よりも数段凄い魔法使い──この本によると魔導師だけど──だったのだろうけど、いくらなんでも有り得なすぎだ。俺ですらノーヴェさんに『異常』と評される程なのに、それが子供みたいだ。
まあこういう歴史の書物は誇張が付き物だから、その類いなのかもしれない。けど気になるのが、この記述がこの本だけでなく、他の本……例えばザッカニアの建国記や、これとは異なるこの魔導師の伝記にもある事。結構な数の本を読んだけど、その全てで似たような事が書かれている。一見まったく別の内容なのだが、全てにこのビスマルクなる人物の記述があった。
そしてこれがウェルディが俺に本を読ませたいんじゃないかと疑念を抱いた理由の一つだ。本の種類や内容に、明らかな偏りがある。それにこの世界で本なんてかなりの高級品だろう。何十冊もの本を好意で置いておいたとは考えがたい。
彼はこの魔導師について、俺に知って欲しいのか。
ウェルディに誘導されているかもしれないのは悔しいけれど、知識は持っていて損はない。とりあえず、読み進める。
『今から五百年程前の戦乱記に活躍した希代の天才魔導師ビスマルク。彼はザッカニアを建国した初代王、ヴィルヘルム一世がザッカニアの前の国の男爵であった時から彼の王に支えていた。正確な年代や支えた理由はこの時代の文献の少なさから判明していない。
戦乱期は彼の圧倒的な魔法の力と卓越した頭脳による戦術で、辺境の地の貧乏貴族であったヴィルヘルム一世の軍を敗け無しの軍とし、天下をとらせた。愚かではないが、けして有能ではなく凡俗であったヴィルヘルム一世が天下をとれたのは、ビスマルクの力があっての事だろう。恐らく、彼が他の貴族に仕え、力を十全に生かせたのならば、ザッカニアではなくその貴族の国が出来ていたであろう。
ザッカニアが建国された後は宰相として優れた政治を行い、十年で国を安定させ、更に二十年で世界でも有数の強国にまで押し上げた。ヴィルヘルム一世が没してからはその息子であるヴィルヘルム二世に、ヴィルヘルム二世が没してからはその息子のヴィルヘルム三世の下でその手腕を奮った。
しかし、彼の活躍はヴィルヘルム三世の時代で終わりを告げる。
祖父の代から支えており権力のある優秀過ぎる老宰相。それは、若き王にとって、自らの立場を脅かす存在としか思えなかったのだ。
しかし高い地位があり、強大な魔法の力を持つビスマルクはそうやすやすと排斥できない。そこで考えられたのが暗殺だが……結果は失敗に終わる。しかし自分が煙たがられている事を悟ったビスマルクは自ら宰相の座を降り、その後彼を見た者はいない。
種族は人間だと言われているが、彼が歴史の表舞台に登場していた年月は九十年にも及び、普通の人間とは考えがたい。
その為、実はエルフだったという説や延命する魔法を造り上げたという説、優れた魔法使いグループをビスマルクと呼んだという説など、色々と言われている。だが私が思うに──』
そこまで読んだところで、扉をノックする音が室内に響いた。まだけっこうな量の続きはあるものの、本を閉じる。
その音が聞きなれたメイドさんのノックとは異なる事から、やや警戒しつつ「どうぞ」と入室を促した。
そして、重い扉を開いて入ってきた人物を見て、嫌な物……例えば黒光りしてたまに飛び回る、通称がGの害虫を見たように、おもいっきり顔をしかめた。
「聖女様、お久しぶりですねぇ」
「……私はどれくらい貴方と会ってないのか分からないので、久しぶりと言われましても」
「おや、読書の邪魔をしてしまったようですね。申し訳ありません」
時間感覚を狂わせる現状に対する嫌味を言うが、ウェルディはそれに気づいていないかのように、心にもないであろう謝罪をする。彼の事だから気づいていないなんて事はないだろうに。その嫌味ったらしい、作られた満面の笑みにラグナロクを叩き込みたいが、忌々しい首輪のせいでそれが出来ない。
「そういえば、貴方がここに居るという事は、貴方の主君──この国の王も居られるのですか?」
心の中では淑女にあるまじき罵詈雑言を並べながら、この間メイドさんが言っていた事を思い出して質問を投げ掛ける。暗に「なぜわざわざ王をここに連れてきたのか」という問いも込めて。
「ええ。来ていますよ。長旅の疲れをとった後、貴女と会談してもらいます」
「……私相手に、会談というのはおかしいでしょう。私が王に謁見する、という方が正しいと思いますよ。それより、私ごときと一国の主が会う必要などないと思いますが?」
ニコニコと、彼の本性を知った今となっては気持ち悪い位の、何を考えているのか分からない笑顔を顔に張り付けている青年。彼に対し、下手に出ながらも自分自身を奮い立たせて、決して物怖じはしない姿勢を見せる。
ウェルディは笑顔を保ったまま、あたかも驚いたという風に驚愕の感情を声に含ませる。
「名高き『ナハトの聖女様』が謙遜を。貴女に会ってみたいという我が主の気持ちに、まったくおかしいところなどありませんよ」
その俺の身の程に合わない二つ名は、あんたが伝え広げた大袈裟過ぎる武勇伝のせいでしょうが。そう声を荒げそうになるのをなんとか耐える。それでも、顔に不快感を浮かべる事を堪える事は出来なかった。
「おや、そんな顔をしては可愛らしい顔がもったいない。一体どうしたのですか?ああ、褒められる事に慣れていないのですね」
ぎゅっと拳を強く握り唇を噛み締める。感情を爆発させては、一々人の神経を逆撫でしてくる言い方をしてくるこの男の思うつぼだ。彼に主導権を握られないように、平静を保ってマイペースに。
一度小さく深呼吸をして頭を冷やして、逸らしたら負けな気がする為、ウェルディの目をしっかりと見据える。
「まあ、それはいいです。ウェルディさん、ここに、私に会いに来た理由を教えていただけませんか」
彼の言葉が本当の事であるならば、という前提が正しいか分からないが、信じるのならノーベラルの王は今休憩しているハズ。そうなると王に会うのはもっと後になるだろうし、準備をする為としてはいささか早すぎる。それに、そういう事をするのはウェルディではなくメイドさんだろう。
つまり、ウェルディは自分自身の用事があり、ここに来たという事になる。その訳を、問いただす。
瞬間、ウェルディの顔がより強い笑みに歪んだように見えた。それは勘違いで、実際には表情の変化は皆無なのだが。
「貴女の為に用意した本の感想を教えてくれませんか?」
何気無い問い掛け。それはつまり、「俺の用意した明らかに作為的な情報をどう受けとるか」という事か。
「……ここに置かれている本、まだ全ては読めていませんが、読んだ中では一つだけ、共通点がありました。建国記では主要人物として、魔術教本では原理をまとめた偉大なる魔導師として、君主論では紹介されている政策を行った宰相として。ビスマルクという名が幾度も出てきています。
貴方は私に、このビスマルクという人物について知ってほしかったのですね」
考えをまとめる時間はほんの数秒。読んだ時点である程度たてていた仮説を、教師にこれが正解かと問うように、しかし断定口調で述べる。
それに対しウェルディの否定はない。俺は続ける。
「ではなぜこの人物を知る必要があるのか、正直それは分かりません。ただ気になる事はいくつもあります。異常なまでの実力、そして寿命。地球での歴史では二百年生きた人物とかも居ますがそれは誇張、このビスマルクさんも似たようなものかとも思いましたが、そうなると貴方がこうまでする必要がないと思います。ならば、この人に関する情報はすべて真実で……もしかしたら、今現在も存命しているかもしれません」
そこまで一息に言って、彼の反応を見るべく息を吐いた。そしてウェルディは、今日はじめて表情を変える。興味深そうに、目を細めた。
その反応に、彼の望む答えが出せたと手応えを感じて、自信をもって語気を強めまくし立てる。
「ですが私が知ったこの人物の情報を考慮したら人間とは思えません。ヒントはかなりの実力、まるで未来の知識を持っているかのような政策、長い寿命……。そして考え付いたのは、彼が私達と同じ元プレイヤーだったのではないか、ということです。
貴方の姿が何年も変わってない事はビスマルク氏の異常な寿命と関係があると思いますし、元プレイヤーなら確かな実力もあって知識も地球で得たものだと推測出来──っ!?」
かつて無い程饒舌だったが、ある事に気付き息を飲む。
ウェルディの表情は非常に複雑な物になっており、落胆と感嘆という真逆の感情が織り交ざっていた。どちらかというと、落胆の色が濃い。
初めて見る、おそらく彼の本当の感情の発露に、思わず口をつぐむ。そして、もしや的外れな推理をどや顔で語っていたのかもしれないと考えつき羞恥に頬を赤らめた。
元々は処女雪のごとく真っ白な肌に朱がさし、熟れた桃のようになっている俺を無視して小さく呟かれた「……ギリギリ及第点ですかね」という台詞。どういう事ですか、と言おうとして、唇に人差し指を当てられ黙らせられる。
「あまり時間はありません。質問は選んだ方が良いですよ」
それは質問は一つしか答えないという意思表示と判断し、そのままさっきの台詞の意味を問い詰めようとして、止める。それよりも気になっている事があるのだ。
この間のナナさんとの会話で、彼女は確かに「さっさと殺すか地球に送り返すかした方が良い」と言っていた。殺す、は単純だし分かりやすい。けど、送り返すという発想があるという事は、その手立てがあるという事じゃないか。
「貴方は、地球に帰る方法を知っていますか?」
「ええ。知っていますよ」
あっさりと認めるウェルディ。適当にはぐらかすと思っていた為思わず「えっ」と言ってしまったが、すぐに気を取り直し質問を重ねる。
「本当ですか?ではなぜ貴方は帰らないのですか?」
「帰る必要性を感じませんから。日本で学生生活をしているより、この世界で働いている方が楽しいですし」
「楽、しい……ですって?」
戦争をする事が?とは聞けなかった。
いつも通りの笑顔で臆面なく言い放つウェルディを見て理解する。前々から薄々と感づいてはいたが、彼の言葉と彼を慕う女性の存在から、目の前の青年は大義と自らの正義の為に非情な事をしているだけだと思っていた。いや、彼がそういう人物ならば俺のこの状況にも正当な理由があり、これ以上酷い扱いは受けないだろうから、そうだと思い込みたかっただけだ。
今、確信した。この人とは相容れない。
黙りこくった俺を見ながらウェルディは、俺の唇に当てた指をペロリと舐める。不快感が俺の全身を駆けた。
「貴方は最低です。ナナさんや、メイドさんも騙しているのですか」
「おや、嫌われてしまったようですね。その質問にも答えたいですが……時間のようです」
気配を察していたのだろう、その瞬間コンコンコン、と扉がノックされる。ウェルディが扉を開き、俺にウインクをしてから部屋を出ていった。
入れ替わりで入ってきたメイドさんにされるがままに着替え、髪のセット、化粧などの準備を終える。
そしてそのまま彼女に連れられ、ある一室の前につき、メイドさんに「陛下はこちらです」と押し込まれた。
中で高そうな椅子に腰かけて待っていた、高級感はありながら華美ではない服に身を包む王。伏せていた顔を上げて燃えるような赤毛を揺らし、鋭く紅い双眸で俺を見つめてくる端正な相貌の青年。
彼を見て眼を見開き、驚きから気づけば呟いていた。
「ノーヴェ、さん……?」
ノーベラルの若き王、残虐非道な従者の主は、俺に恩人を連想させるほど、彼女にそっくりだった。




