三十八話:魔法使いとの対話
扉を開いた女性は、俺を睨みながら音をたてずにこちらに向かって来た。一歩進むごとに鳶色の長い髪と豊満な胸が揺れる。
睨んできているが、俺は彼女を怒らせるような事をした覚えはないし、彼女から怒気は感じられない。俺に対し怒っているというより観察しているというのが正しいか。
「ナナ様、一体どうしたのですか?」
俺に抱きついていたメイドさんが慌てて離れる。そして立ち上がって女性に向き直り、背筋を伸ばして声をかけた。
ナナ様と呼ばれた女性はじっと俺を見つめ、俺が気恥ずかしさから目を伏せると同時にメイドさんに視線を移す。
「ちょっとこの娘と二人で話したい事があるから、席を外してくれる」
「ですが、陛下がこちらに来るそうなのでルーク様の衣装を決めませんと」
「いいから。大丈夫、そんな時間はかからないから」
「……かしこまりました。では、失礼します」
メイドさんは扉の前まで歩き、俺達におじぎをしてから部屋を出ていった。俺と女性の二人だけになり、メイドさんの魔の手から逃れられほっと一息つけたものの、気まずい無言が続く。
そもそも話がしたいと言ってきたのは彼女の方だというのに、何故何も言わないのか。俺の事をなめ回すように全身を見つめている。俺は彼女を伺うように、顔は伏せたまま視線だけ上げて口を開いた。
「……あの、私に何か御用でしょうか?」
「チッ」
ええ!?思いきって声をかけてみたら舌打ちされた……。一体何が気に入らなかったのだろう。
彼女は少し空いていた距離を詰め、中腰になって右手で強引に俺の顔を上げさせてきた。それにより至近距離で見つめあう事になる。
近くで見るとよく分かるが、切れ長で鳶色の目、みずみずしく柔らかそうな唇、スッと通っており高い鼻……率直に、ありていに言って美人だ。この世界に来る前の俺ならこんな美人の顔がこんな近くにあったら真っ赤になって狼狽えるどころ騒ぎじゃなかったと思うが、今はノーヴェさんやエイミィみたいな綺麗所を見慣れている為かこんな風に観察する余裕がある。
「……こういう感じの娘がウェルディの好みなのかな」
「え?」
顔を上げさせられたまま見つめあうという状況の意味がよく分からず、思わず小さく首をかしげると、彼女は手を離し呟くように何かを言った。だが俺に聞かせる気がなかったのか、あまりにも小さなそれは聞き取れず、俺はまた、今度は逆方向に首をかしげる。
「えっと、それで、私に何か用あるんですよね?」
とりあえず、彼女が何を言ったのかは分からないが、今はそれより重要な事がある。何の用だ、と再び問いかけた。
「ああ、そうね。でも、話をする前に自己紹介しておきましょうか。
私の名前はナナ。個人的な事情でウェルディを手伝っている、一魔術師よ。貴女と同じ元プレーヤーでもあるわ」
「私は……」
「貴女の事は名前からスリーサイズまで知っているからいいわ」
「えぇ!?」
彼女は驚く俺を無視して続ける。
「まず前提として確認しておくけど、貴女は何故ここに連れてこられたか分かってる?」
「……ザッカニアに私が居ると面倒で、でもただ殺すのはもったいないから、と聞いていますけど」
「うん、私もウェルディからそう聞いてる」
昨日あの人に言われた事を思いだしながら答える。女性もそれを肯定するが、すぐに「でも」と逆接の言葉を付け加えた。
「それが本当なのか、ちょっと疑わしくってね。ウェルディが居ない間に確かめておきたいんだ」
「……どういう事です?」
その問いは、彼女の言った内容の前半部分と後半部分の両方に投げ掛けたものだ。あの説明が嘘なら、何故わざわざ連れ去るという面倒な事をしたのかという疑問が再び生じる。そして今ウェルディがこの館に居ないというのなら、一体何をしているのか。
選択を迫られるまで猶予があるのはいいのだが、あんな非道な事をしている彼の事だ。俺がノーベラルにつかないのはノーヴェさん達と戦いたくないから、だったらその原因を消してしまえばいいと考えてもなんらおかしくない。嫌な事に思い至った為顔がサーッと青くなる。
「私の知っているウェルディって人は、とても合理的なの。そんな彼が、貴女一人に時間をかけて進行を止めているなんておかしいのよ」
女性は俺の質問の前者の意味だけを受け取り、答えた。俺の顔色の変化には気づいているとは思うけど、その原因は分からないから触れないのか。
こっちから聞いてみようかとも思ったものの、止めておく。知ったところで俺に出来る事はないし、代わりに彼の行動の理由だと思われるものを言ってみる。
「それは、私が味方につけば戦力になると考えたからでは……」
「でも、これだけの好条件をのまず、あまつさえ脱走しようとする相手がこっちにつくとは思えないわ。私はさっさと殺すか地球に送り返すかした方が、時間の無駄にならないと思うのだけど」
反論する彼女の俺を見る目は、ゾッとする程に冷たい。彼女もまた、ウェルディと同じく敵を殺す事に躊躇いや容赦はないようだ。平和な日本に暮らしていたというのに、一体何故彼等はそこまで出来るのだろう。それほどまでにこの世界に大切なものがあるのだろうか。
「……それで、彼が居ない間に私を殺そうという事ですか?」
「いいえ。彼らしくないから気になっているだけよ。彼の意に反する事をして怒らせたくないわ」
念の為確認をしてみるが、予想通りの返答が返ってくる。殺す気だったらこんなのんびり……と言えば語弊があるが、会話をする必要がないだろう。
そして、意識の大半は女性に向けつつ、ウェルディの行動の合理性について思考を割く。するとわりとすぐにあの話は筋は通っているもののおかしいところが結構な数ある事に気づいた。
あの時はあっさりと納得してしまったが、よくよく考えてみれば俺一人が味方になったところでどうだと言うのか。確かにこの世界の戦いは個人の質、特に多くの敵に攻撃する事が出来る『魔法』が使えるかどうかが重要で、俺はその魔法の力が高い。けど、それは彼も同じハズだ。俺にかまけて戦線を外れるより、そのまま残って暴れまわる方が遥かに効率は良いだろう。
それに数は力であるのもまた真実であり、彼が言っていた『聖女様プロデュース』にかける人手もまた大きな戦力だ。ナハトの兵を退かせるのも、戦争が長引く要因になる愚行にあたるだろうし。それについては兵の疲れや兵糧の問題とかがあるから、一概には言えないけども。
では、何故俺に労力をかけているのだろうか。俺には、まったく見当がつかない。
殺さないでおくのは人体実験の為とか性奴隷にする為とかが考えられるけど、それは今俺がここに居る事がそのまま否定の要因になる。他に可能性があるのは人質だろうけど、王族どころか貴族ですらないどこぞの馬の骨でしかない俺の命なんか、ザッカニアの軍部との交渉材料にはなりえないからこれもない。いくら俺の存在をザッカニア中にアピールしたところでそれは変わらないだろう。
「……一応、貴女を見て予想がついたわ。違う可能性も高いし、そうであってほしいけど」
うーん、と、考え込みながら唸っていると、女性が小さく呟いた。それは何だと問う気持ちを視線に込めると、彼女は認めたくないとでも言うように、憎々しげに口を開いた。
「もしかしたら、ウェルディは貴女の事が好きなのかもしれない」
「…………え?」
本日三回目の驚愕により一瞬固まり、それから回復してすぐに「それはないです」と否定した。
あの人が俺に惚れているなんてあり得ない。確かにそれなら俺が生きていてこんな優遇されているのも説明がつく。けどだったら実験室を見せて脅しをかけるという、俺に嫌われるような事をするハズがない。
「でも、ウェルディがこんな事するのって初めてだし、私と違って貴女は可愛いし……」
まあ、俺が脅された事を知らない彼女が勘違いするのも仕方ない事かな。
それはそうと、これまでの彼女の感じだと……。
「あの、もしかして貴女はウェルディさんの事が好きなのですか?」
ふと気になってしまい、ストレートに聞いてみた。
すると彼女は顔を熟れ過ぎた林檎のように染め上げ、目を見開き口をキュッと閉じる。
あ、これはクロですわ。
「ななな、何でそれを……」
「いや、結構分かりやすいと思いますよ」
彼女の発言からは自分が好きな相手がなにやら気にかけている美少女への嫉妬の感情も感じられたし。真顔で答えると彼女は羞恥からか俯き、小さく、何かをこらえるかのように肩を震わせる。
それにしてもあのウェルディの事が好き、ねぇ。彼は敵には容赦も慈悲もないし目的の為なら何でもやる外道だけど、味方には優しいタイプだろうし、金もあって強くてかなりのイケメンだし、分からなくはない。多分彼女は彼の狂気とも言えるものを見ていないだろうし。
彼女がウェルディひいてはノーベラルに協力している理由によってはこっち側に引き込めるかもしれないと思っていたけど、恋心じゃあきついか。彼の行っている事を教えても信じてもらえない可能性が高いし、なにより恋する乙女に理屈は通じない。
そこまで期待はしていなかったものの、残念だ、という気持ちをこめてため息をつく。
「……ずいぶんと余裕そうね。そんなにウェルディに相手にしてもらえない女が惨めかしら?」
「え、そんな事思っていませ、って、きゃあ!」
「ウェルディの目に止まったのはこの顔かしら!? くぅ、柔らかいし肌すべすべ……。いや、それとも」
そのため息をなんと勘違いしたのか、彼女は口元を歪め眉をひそめながら怒りをあらわに何故か俺を押し倒してき、覆いかぶさった。そして忌々しそうに俺の頬を掴んでくる。正直、痛い。
更に涙目になっている俺の胸を凝視したかと思えば、突然両手で揉みしだいてきた。
「ちょ、あ、やめてくだ、ひゃん!」
「もしかして胸!? ウェルディは貧乳好きだったの!?」
「私は、貧乳じゃ、ないですぅ!」
「……。なんか楽しくなってきた……」
「!? もう、許してぇ、くださぁい!」
それから彼女が満足するまで、大体十数分程玩具にされつづけた。当然抵抗はしたのだが、体格の差はいかんともしがたく。結局胸だけでなく、太ももやお尻とか色々なところを撫でまわされ、ようやく開放された時には服のあちらこちらがはだけて体にはまったく力が入らなくなっていた。
……もう、お嫁に行けない。
「えと……ごめんなさいね?」
流石にやりすぎたと思ったのか、彼女は力なくベッドに横たわる俺を見下ろしながら謝ってくる。それに対して反応する気力もない。
そのまま彼女はゆっくりと部屋を出て行き、それと入れ違いになる形でメイドさんが入ってきた。そしてあられもない姿になっている俺を見て目を丸くした後、鼻息を荒くして興奮気味に、軽くよだれを垂らしながら駆け寄ってくる。
「もしかして事後ですか!? 百合の花が咲いてしまわれましたか!? ナナ×ルーですかきゃー!!」
矢継ぎ早に言ってくるメイドさんを横目で見て、今は誰とも話したくない気分の俺は毛布にくるまり無視をする。
「っと、ルーク様、出てきてください。陛下が来られる前にお召し物を決めますよ」
「……嫌です」
「出てこないというなら私が襲いますが。性的に」
「早く決めてしまいましょう」
慌てて跳ね起き、所々捲れている服を整える。もうやだ、ここ。心の中で、この間とは違う理由でノーヴェさん達の助けを求めた。
その後、様々な種類のドレスに着替えてはメイドさんが評価をしていく。ちなみに最初はメイドさんが着替えを手伝っていたが、ドレスを着るのに慣れてからは自分で着ている。……だって手伝う時の手がなんだかいやらしいんだもの。でもいまだに着替える際メイドさんが退出する事はない。いちいちそんな事をしている時間がもったいないと言っていたが、本当の理由はそうではないと思う。本当にいつか襲われそうで怖い。
「そういえば、先ほどナナさんが今ウェルディさんが居ないと言っていましたが、どこに行かれているのですか?」
「バウアー様は陛下を迎えにいっております。おそらく明々後日ぐらいには戻ってこられるでしょう」
「ルーク様に紫は似合いませんね」と言われてもはや何着目か分からないドレスを脱ぎ、じっくり体を見られる恥ずかしさに耐えながら、さりげなく気になっていた事を聞いてみた。その答えに、ノーヴェさん達を襲いに行ったのではないのか、と安堵する。
「陛下もまた美しい御方です。バウアー様は陛下が即位される前からの第一の家臣でして、その忠臣ぶりは有名なのですよ」
「そうなのですか」
そして続けられた話に適当に相槌を打ちつつ、
「個人的にはバウアー様の誘いうけだと思うのですよ」
メイドさんは腐もいけるのか、と戦慄した。




