三十二話:誘拐の理由
不敵な笑みを浮かべるウェルディさんを睨み続ける。ノーベラルの敵を排除する為なら殺せばいい。わざわざ回りくどい事をして俺を誘拐する必要が、俺にはまったく見当がつかない。
おそらくウェルディさんは俺にこの質問をさせるのが目的だったのだろう。その証拠に「計画通り」とでも言いたげに口角をつり上げ、既に話す内容が決まっていたかのように、聞かれてすぐに口を開いた。
「簡単な事です。我がノーベラルの勝つ確率を上げる為ですよ」
「それは質問の答えになっていません。僕が邪魔なら殺せば良かったじゃないですか。貴方にはそれが出来た。なのに何故ここに連れてきたのかを聞きた、っ!」
はぐらかすような答えをするウェルディさんを問い詰めようとして、唇に人差し指を当てられ遮られる。そして彼の口は笑っているのだが、目が一切笑っていない事に気づいた。
「まあ話は最後まで聞いてください。いくつかの理由が重なってこうする事を選んだので、途中で止めると余計分からなくなりますよ」
ウェルディさんの気迫に圧され、更にその言葉に納得する事も出来た為黙りこんで頷く。大声で怒られるよりも、笑顔でプレッシャーをかけられる方が恐ろしいという事が理解出来た気がする。
「まあ簡単に結論を言えば、貴女をこちら側に引き込みたいんです」
ウェルディさんは朗らかにそう言う。……この人は何を言っているのか。いや、言いたい事は分かるから何を考えているのか、という方が正しいか。
確かに俺がノーベラル側につけばかなりの戦力になるだろう。自信過剰ではなく、純然たる事実だ。だが、俺がザッカニアを……というかノーヴェさん達を裏切るとでも思っているのか。それは俺が尻軽だと言っているのと同じだ。
話は最後まで聞けと言われた通り口は挟まないが、こんな侮辱を受けて軽く頭に血がのぼる。その感情を隠す事なく、ウェルディさんをきつく睨み付けた。だが彼がそれを気にする素振りは微塵も無く、飄々とした態度で続ける。
「貴女が我が国につく事のこちらのメリットは、一つは単純に貴女の力が手に入り、脅威が減る事。貴女の戦力は大きいですから。
それに加え貴女が目立つ事によりザッカニアの士気は堕ち、こちらの士気は上がる。貴女にはそれほどの影響力があるのですよ。『ナハトの聖女様』、ルークさん」
「聖女、様?」
ナハトの聖女様。それは俺の事だろうか。確かに俺は士気を上げる偶像足らんとした時もあったが、その時間はかなり短いし実質的な行動はほとんどおこしていない。そこまで言われる程ではないと思うのだが。
それに仮にナハトで聖女様と呼ばれていたとして、あの戦場でだけ言われている聖女様などご当地アイドルみたいなもので、ザッカニアの全体的にはたいして士気が下がらないだろうに。彼は何がしたいのか。
「ええ。基本的に男とは馬鹿な生き物です。貴女はあの戦場にて、一部だけにですが聖女様と呼ばれ崇められていました。そこで、僭越ながら私達が少々『聖女様・ルーク』をプロデュースさせていただきました」
「!?」
「まず手始めに、あの陣の中で聖女様という呼称を広めて不動の物にしました。そして噂として、また吟遊詩人が吟う一つの物語として国中に広めました。今やザッカニア中が貴女の話題で持ちきりですよ。麗しい美少女の物語という事で盛り上がりやすいのもここまで広まった原因でしょう」
あまりの驚愕に言葉を失う。それが本当なら、『聖女様に裏切られた』『最初から騙していた』というショックを受けさせる土台が完成している。
でも、そんな大規模な工作を行う為には多くの人手と時間が必要になるハズで、真実味が無いとは言わないがかなり少ない。
そういえば、そもそもノーベラルの人間であるウェルディさんはどうやってザッカニアに侵入していたんだ?
俺の疑問をよそに、ウェルディさんは更に説明を加えていく。
「そしてナハト周辺に展開させていた兵は既に退かせました。これにより実際に貴女を目にした冒険者達が各地に散らばり、物語を肉付けしていきます。そして、これです」
彼は懐から一枚の紙を取り出した。そこには銀髪碧眼の美少女が戦場に立ち、涙を流しながら右手を掲げている絵が描かれている。見てすぐに分かった。この少女は、俺だ。
ただ、少し違和感がある。微妙なズレというか、ちぐはぐさというか。実際に俺を見た事のある人間しか気づかないだろうが、知っていればまず間違いなく気づく。
これは描いた人物の腕の問題か、それともあえてそう描かれたのか。わざわざここまでする人間が妥協するとは思えない。だから、おそらく後者。
「この絵をザッカニアの各地に配りました。それを人々が見て、聖女様のイメージを固めるでしょう。そして街に戻って来た冒険者がこの絵を見てこう言うんです。『実際にはこんなもんじゃねぇ、もっと綺麗だった』……そして、より聖女様への期待は高まる」
その聖女様が、ザッカニアを攻撃してきたら。実は味方のふりをしていた敵だったら。──士気は、下がる可能性が高い。同じようにノーベラルで俺を持ち上げれば、ノーベラルの士気は上がる。
「貴女の知名度がもっと高ければここまでする必要はなかったのですが、貴女が有名になるまで待っているとこちらの被害も多くなるのでね」
「……どうして、そこまでするんですか」
「どうして?そんなの、よりノーベラルが勝つ可能性を高める為に決まっているじゃないですか」
その答えに、俺は首を振る。違う、聞きたい事はそうじゃないんだ。
「なんで、そこまでして戦争をするんですか。多くの人が死んでしまうのに。戦争というのは、疑いようなく悪なのに」
人が死ぬという事は、誰かの大切な人が居なくなるという事。ロナルドさんを喪って、それがどれだけ辛い事なのか分かった。戦争とは、それを大勢の人に撒き散らす事なのに、何故それをするのか。地球から来ている彼なら、戦争の悲惨さは習っているハズだ。
俺が俯いているからウェルディさんがどんな顔をしているのかは分からない。彼は何も言わず、俺もまた彼が話すまで待つ。
数十秒経ち、ウェルディさんは優しい口調で語り始めた。
「……私がこの世界に来た時、ノーベラルは愚かな暴君の圧政によって国民は苦しみ、餓死の多い非常に貧しい国でした。それを見かねた我が主がクーデターを起こしそれを打倒しましたが、それでも国民は貧しいまま。
元々土壌が豊かな国ではなく、クーデターによって金もなくなり、多くの民が餓死する……それが、ノーベラルという国でした」
それは、ノーベラルの歴史。どこか遠い目で、彼は俺を諭すように、教師のように語りかける。
「では、国民達を餓死させない為にはどうすれば良いか。農業や工業の改革には多額の先行投資が必要で、数少ない食料を輸入に頼っているノーベラルにそんな余裕はない。悩んでいる間に国も民の不満は高まっていく。
……そして、主は、陛下はザッカニアを奪い盗れば全て解決するという結論に至ったのです」
「だ、だったら他の国に助けを求めれば……」
「そんな弱みを見せれば、たちまち他国に侵略されます。そうなったら最後、ノーベラルの民は蹂躙され、奴隷にされてしまうでしょう。そしてそれは、この戦争で負けても同じ。
ですから私はどんな事をしてでも、この戦争に勝たなければいけない」
だんだんと語気が強くなっていったその話の内容に、俺は何も言えなくなってしまう。俺が悪だと決めつけた事は、ノーベラルの民を守る為に選んだ苦渋の決断で。
それを、何も知らなかった、良い人達に囲まれて平和にのうのうと過ごしていた小娘が否定していいものでは、ない。
「結局善悪はその人の主観で決められる物。視点が変われば善悪もまた反転する。勝てば官軍とはよく言ったものです。勝った方の視点なのだからほとんどの場合正義になりますからね。
……貴女の言う戦争は悪だ、というのも否定はしません。結局私達はその戦争で民を傷つけているのですから。ですが衰弱し死んでいく民を見るくらいなら、勝つ可能性にかけて戦争を是とします。そして、勝ってこの戦争を正義にする」
ウェルディさんはそう締めて一息つく。そして、俺の反応を待つかのように俺を見つめてきた。
……俺はここまでの信念を持っていたか?答えはNOだ。安易な動機で暴走し、それを諌められた後は何も決まらないままただ周りに合わせていただけ。
そんな俺が、彼のする事を邪魔していいのか?
「どうでしょうか。私達の仲間になっていただけますか?」
「…………」
とはいえ、俺はノーベラルにロナルドさんを殺された恨みを忘れていない。それにノーヴェさん達とも敵対したくない。答えが決まらないから、黙る。ウェルディさんと戦いたくないし、ノーヴェさん達も裏切りたくない。だが、既に戦争が始まっている今、何もしないで流されるだけなのもどうかと思う。
「貴女がこちらに来てくださるなら、貴女が快適に暮らせるよう最大限努力します。この部屋も使って良いですし、風呂なども準備します。食事に関しては少し量は少なめになってしまいますが、味は保証します。
そして、地球に戻る方法……その情報も開示しましょう。この世界に迷いこんでから五年、かなりの情報を手にいれましたから」
「……少し、考えさせてください」
贅沢出来るというところはどうでもいいが、地球に戻る方法を教えてくれるという事に揺れてしまう。
すぐにその誘いを断れない自分が、嫌だった。俺は、こんなにも恩知らずだったのか。
「……分かりました。貴女を縛っている人間関係という鎖を引きちぎって、良い答えをしてくれる事を期待しています。どのみち不老の私達と、自然の摂理に添って生きているこの世界の住人では、いずれ遠くない未来に離れる事になるのですから」
ウェルディさんの語る、この間バドラーも言っていた俺達とこの世界の人々を隔てる壁。それを再確認させられて、視界がぼやける。結局のところ、俺はこの世界に居るべきではない異分子なのか。それを否定してくれる物も人も情報も、なにもかも無かった事が更に俺を追いたてる。
ウェルディさんはそんな俺の様子を見て、「これ以上質問が無いのでしたら、私はこれで」と言って背を向ける。俺が何も言わない事を確認し、退室しようと歩きだし──ドアノブに手をかけたところで振り返る。まとめられた長い髪が大きく揺れた。
「一応言っておきますが、こちら側につくのなら絶対契約をかけますので。仲間になったフリをして、情報だけもらって裏切るのは無理ですよ」
ギアスは高レベルの魔法で、効果を発揮するのにお互いの同意が必要なものの、それによって交わされた契約は絶対に破る事が出来ない。強引に破ろうとした者に待っているのは、死。
俺はかなりの高レベルだと自負しているが、それでもギアスは使えない。俺の魔法が攻撃と補助に特化しているのも原因なのだが……。その魔法を、ゲームキャラではないのに使えるこの青年の実力はどれ程の物なのか。背筋が寒くなる。
「それともう一つ。善悪が視点を変えれば反転するように、貴女の事もザッカニアとノーベラルでは扱いも異なります。ザッカニアでは聖女様の貴女は、ノーベラルでは破壊の魔女とされていますね。
……貴女にナハトで家族や友人を殺され、恨んでいる人々に貴女を差し出したら、果たしてどうなるでしょうか?」
「ひっ……」
「では、ごきげんよう聖女様」
悪どい笑みでウェルディさんは俺に脅迫まがいの、いや、脅迫そのものを言って部屋を出ていく。扉が閉まり、無音の室内にカチャリと鍵がかかる音が響いた。
俺はベッドに座り、俯いたまま涙を落とす。軟禁状態の俺は、いったいこれからどうすれば良いのか。いったいどうなるのか。
情けないと思いながら、ダメダメな自分の事が嫌になりながら、女々しく心の中で泣き叫ぶ。
──助けて、ノーヴェさん、エイミィ、バドラー。
ウェルディ「嘘は言っていませんよ、嘘は」(にっこり)




