二十六話:ハルメラ襲撃事件・下
多くの冒険者達がミノタウロスに突っ込んでいくが、振り回される折れた大斧によって思うように進めない。ミノタウロスを押し返し、移動させない為に後衛から放たれている魔法や矢を警戒しなくてはいけないというのも大きな要因だ。
だがそれでも彼等も歴戦の戦士。数人が上手く潜り抜けてそれぞれが持つ獲物を目標に向けある者は振り下ろし、ある者は突き出す。その中に獣人の少女も混ざっているが、力不足なのか他の冒険者よりも攻撃が浅い。
軽く見てそれと理解出来る程隆起したミノタウロスの筋肉は堅く、なかなか刃が通らない。しかし鋭い攻撃は着実にダメージを与えていく。
それでも致命傷にはなり得ない。異常な程の生命力に加えその巨体によって攻撃が下半身にしか届かず、急所に当たらないからだ。
「脚の健を狙いな!立てなくするんだよ!」
それを見たノーヴェの指示の声が飛ぶ。そのまま自身は弓を引き絞り先程ヴェルディに貫かれたのとは逆であるミノタウロスの左目に狙いを定める。
巨体で急所に剣や槍が届かないのなら弓や魔法で狙うしかない。ほとんどの矢はむき出しの首や胸に当たっても刺さらずに弾かれるが、比較的柔らかそうな瞳なら、という考えだ。それに視界を奪えればやり易くなる。
終始動き回る小さな標的に的中させるのは困難だが、最もダメージを与えられる可能性が高いのがこのやり方だ。
「あんた、さっきあいつの斧と角を折った魔法、もう一回使える?」
意識はミノタウロスの左目に集中しチクチク脚を攻撃してくる冒険者達を煩わしく思ったのか脚をせわしなく動かす光景を見ながら、ノーヴェは傍らに居るヴェルディに問いを投げ掛ける。
問われた本人は苦笑を浮かべながら答えた。
「使える事は使えます。が……詠唱に二分近く時間がかかりますし魔力をかなり持っていきます。それに奴も警戒しているでしょうから詠唱で魔力が流れた瞬間妨害してきますよ」
まあ妨害を掻い潜る自信はありますがね。と付け足してヴェルディは肩をすくめる。
確かに彼の動きを見るに避けきるであろう事は想像に難くない。だが彼の周囲は危険極まりないし、二分もの時間彼程の実力者を遊ばせておくのも勿体ない。だったら彼には接近戦をしてもらった方が良いだろう。
一瞬がっかりするが、普通はあれほどの魔法には長い詠唱が必須なのであり、ポンポン無詠唱や短い詠唱で高レベルの魔法を使うルークが異常なのだ。ノーヴェの中で彼女が基準となっていた事に思わず苦笑する。
ヴェルディだって決して魔法の腕が悪い訳ではない。そもそも魔法を使える人間の方が圧倒的に少ないのだし、その中でも彼が使った魔法の威力は十二分に一流と言える。しかも彼の口振りからしてあと数回は撃てるだろう。魔力量も多い。
それに彼の身体能力やあの奇妙な形の剣を扱う技量などを考えたら、総合ではルークを上回る実力を持っている。
「それじゃあ、あんたも行ってきてくれないかいっ!」
「ヴモオオオォォォォ!?」
ノーヴェはそう言うと同時に引き絞っていた矢を放つ。矢は空気を切りながら進み狙い通りミノタウロスの左目に深々と突き刺さる。矢羽だけを残して埋没した。
ミノタウロスが痛みに悶え暴れるたびに赤い鮮血が飛び散る。大きく仰け反った時、その隙を狙って飛び掛かる影が二つ。
エイミィとヴェルディだ。
エイミィはノーヴェの指示そのままにミノタウロスの脚の健を切るべく暴れまわるそれと魔法と矢の雨を危なげ無く避けミノタウロスの背後へと回る。
それに対しヴェルディはそんなまどろっこしい事などする必要などないと言わんばかりに跳躍し風魔法の補助を加えて人間の限界を超えて浮かび上がる。直接急所である頭を狙ったのだ。
エイミィの方がミノタウロスに近い場所に居た為ヴェルディより先に剣を振るう。見た目によらない力を備えているとはいえ彼女の細腕では筋肉の鎧を貫けない。故に的確に筋肉のついていない踵の上部を、少しでも威力を増させる為左足に体重を乗せ横向きの剣の刃が左足の後ろ、地面スレスレを通る位置に行くまで体を捻りその力を解放させるように振り上げて皮膚を斬ってその勢いのまま骨を強打する。折る事は出来なかったがヒビを入れた。
そしてそれと同時に地面を蹴って飛び上がり左手の剣を弓のように引き絞り、平突きを膝の裏に突き立てる。その後地面に足をつけた次の瞬間には一気に後退し巨体から距離をとる。
それはまるでダンスのように華麗で美しく、まさしく剣舞と形容される物だった。
足首の骨にヒビが走り、更に膝の関節も傷つけられてはまともに力など入らない。片足の支えを失いミノタウロスはバランスを崩すが、それでも斧を持っていない左手を地面につける事によって耐える。
頭を狙っていたヴェルディは標的が崩れ落ちた事によりこのままでは飛び越える事なるが、慌てる素振りも見せず体を翻し、まるで空中に足場があるかのように──否、事実魔法で足場を造り出し、膝を曲げ再びミノタウロスの頭目掛け跳ぶ。
口元を笑みに歪めながら一瞬で肉薄し、左手の刀で血生臭い空気ごと顔を頭頂部から顎まで線を描くように切り裂く。彼の重さをのせた一閃は骨を貫通し、脳味噌を潰しながら皮膚を開きパックリ開いた赤白い骨を見せさせる。
ヴェルディはその傷口に空いている右手を突っ込んだ。直接骨の下の生暖かい肉に触れ魔力を右手に流し込む。
「爆ぜろ」
小さく、軽く地を出しながら呟いて右手の先からとある魔法を発動させる。火属性魔法に含まれる爆発系魔法の中で最も簡単で基本となる小爆破。
小規模な、だが決して弱いなどとは言えない爆発がミノタウロスの体内で起こり脳味噌を吹き飛ばした。ヴェルディ自身はその爆発の爆風に乗り距離を放す。攻撃と回避を合わせた使い方だ。
ウィンドやプチプロージョンなどは最下級の魔法だが、その分必要な魔力は少ない。彼はそんな魔法を近接戦闘に取り入れ、非常に上手く使っている。こと魔法の使い方ならば彼に敵う者はいないかもしれない。
彼の目の前を圧倒的な質量が通りすぎる。あれほどの猛攻を受けなお動きを止めないミノタウロスの生命力は果たしていかほどの物だろうか。
ミノタウロスは大量の血を流しながらもはや周囲を認識せず、ところ構わず暴れて狂乱の嵐を体現していた。折れた斧を振り回し、左手の手のひらから魔法と思われる青白い炎を辺りに撒き散らし。
死ねばその激痛から解放されるというのにいまだに死ぬ気配は無い。いや、最早痛みという感覚すら無いのか。
数人の冒険者達がそんな嵐の中に突入し、追撃をかけてすぐさま引き返す。まともにくらえば良くて致命傷で即死してもおかしくない為ヒット&アウェイが基本戦術。だからこそエイミィもヴェルディもすぐに離れたのだ。
死を撒き散らす嵐。だがそれは突然終わりを告げる。
凄まじい速度でミノタウロスの頭を貫かんと飛ぶ深紅の槍。目が見えていれば、落ち着いていれば避けれたであろうノーヴェが投げた槍。
それが真っ正面からミノタウロスの顔を貫通し、刃が頭の後ろから現れる。唯一白銀だった刃が血で柄以上に赤く染まった。
高い鼻のように顔から槍が生えている。眼は潰れ、脳は中から焼かれ、唇と舌は切られ。元からそういう色だったのかと思わせる程ミノタウロスの顔は赤黒い。
槍の勢いに押され後ろに倒れ、巨体が地面を揺らす。そしてその後、一向に立ち上がる気配は無い。
一瞬の間の後、戦っていた冒険者達から大きな歓声があがった。あれほどの強敵を倒した事を誇る者、生き残った事に安堵する者、これ以上街が破壊されない事に歓喜する者。皆それぞれ思うところは違うがこの場には喜びだけが満ちていた。
こうして、後の世に「ハルメラ襲撃事件」と呼ばれる戦いは終結した。現地に居た冒険者達の活躍で人的被害はそこまで多くなかったものの、大きな商店など数多くの建造物が破壊され、完璧な復興には数年の月日を必要とされた。
この事件は当時ザッカニアに戦争を仕掛けていた隣国ノーベラルの陰謀ともたまたま起こった天災とも言われているが、確かなところはいまだに判明していない。
◇
皆が喜びに湧く中、エイミィはへたりと腿をつけて爪先を開くいわゆる女の子座りでその場に座り込み、その横にミノタウロスの顔を貫いている槍を抜いたノーヴェがやって来て腰を落としあぐらをかく。
「……今回のコレ、どう思う?」
「少なくとも偶然起こった事じゃないだろうね。ノーベラルなのか第三勢力なのか単純な火事場泥棒の為のテロなのか。まあ規模的に三つ目はなさそうだけど……」
二人とも、この襲撃に何者かの意思が関わっていると半ば確信していた。突然街中に何十人数がかりでないと倒せない程の魔獣が現れるなんて事がたまたま起こったなんてタチの悪い冗談でしかない。
そして二人の脳裏に浮かぶのは、先日彼女らの元を去っていった少女。ロナルドの死に自らの責任を感じ、その償いとして最も彼が望まないであろう事を行いに行った常識知らずの少女。
仮に今回の襲撃がノーベラルが仕組んだものだったとして。ノーベラルには獣を街中に送り込む手段があったという事になる。
ならば、彼女の居るところに送り込む事も可能ではないか?
ノーベラル軍にとって間違いなく彼女は脅威だろう。範囲の広く強力な魔法を何発も撃たれるのだ。近付く事すら出来ないに違いない。
ではどうするか。今回の襲撃のように大量の獣や兵士を彼女の元に送り込んで物量で踏み潰すのが最も手っ取り早い。
「……ルークが危ない」
ボソッと小さく呟かれたエイミィの言葉に、ノーヴェが頷く。喧嘩別れのようになってしまったが、二人がルークを嫌っているという訳ではない。むしろ彼女の身を案ずるが故に引き留め、だがしかし反発されたのであって彼女に危険が迫っている可能性が高いというのにほおっておけるハズがないだろう。
「ノーヴェ、私ルークのところに行く」
「…………まったくあんた達は。しょうがないねぇ。アタシもついて行こうじゃないかい。あの馬鹿の目を覚まさせてやらなきゃいけないしね」
二人は向かい合ってそう言った後、同時に笑みをこぼす。しかしその後すぐにノーヴェは笑みを崩して「ただし」と付け加えた。
「アタシ達の武器をリーリ姉さんに直してもらってからだよ。今のアタシ達が行ったって足手まといになるだけだ。これだけは譲らないよ」
「大丈夫、分かってる。早く行きたいけど、焦り過ぎないようにしないとね」
エイミィの持つ二本の剣は共に刃が潰れ、ボロボロになっており、骨に叩きつけた方はヒビがいくつも入っている。
ノーヴェの剣も似たような物で、槍も所々欠けている。少し硬い物に叩きつければ砕けるだろう。
どれも一流の職人が素材から厳選して鍛えた業物なのだが、にも関わらず今や切れ味はそこらのナイフにも劣るだろう。それほどまでに激しい戦いだった。
これから行う事が決まり、二人は立ち上がる。
ノーヴェはミノタウロスを筆頭に大量に転がる獣の死体をどう処理するかで頭を抱えている男に声をかけた。ルークが暴走した原因であるあの日に皆をまとめ、ノーヴェに報告をしに来た冒険者だ。
「ここは任せていいかい?ちょっとアタシ達はしなきゃならない事があって、ナハトの辺りまで行ってくるからさ」
「ん……ああ、分かった。本来お前さんは冒険者じゃないしな」
「ゴメンね」
「おや、貴女方もナハトへ向かうのですか?」
二人の会話に第三者が入ってくる。聞き覚えのある、だが名前の知らない青年の声だ。
ノーヴェが声のする方へ振り返ると予想通りの人物が立っていた。強力な魔法と奇妙な形の剣を操るサミレスの村の秘書。
ちょうど良いじゃないかと心の中で呟く。ノーヴェには彼に聞きたい事があったのだ。
「あんたは確かサミレスの村長の隣に居たよね。何でここにいるんだい?おかげで助かったけどさ……あと貴女方もって、どういう事だい」
「ここに居る理由ですか?それはサミレスが壊滅したからです。突然現れた大量の獣とノーベラル兵に襲われました」
「ッ!」
彼が語った事に思わず息をのむ。最早ノーベラルの魔の手はそんな所まで伸びているのか。
「先日陛下に伝え、その後ナハトへ向かうよう命じられました。向かう途中で今回の襲撃に遭遇したのです」
「……あんたは抵抗しなかったのかい」
「貴女に手紙を届けるよう頼まれたでしょう。その手紙を出して村に戻ったところ既に村は壊滅していました。不思議な事に既に敵兵は居ませんでしたが、おそらく村長が書いたであろう襲撃の概要と応援要請が書かれたサイン入りの書状が残っていたのです」
時既に遅し、ってやつかいとノーヴェは顔を苦虫を噛み潰したかのように歪める。それでも彼が村に戻った時にはもうノーベラル兵が去っていたのならばそれ以上被害が拡大する事はないだろう。もちろん油断は禁物だが陛下に伝えたという事はおそらく既に軍が送られていると考えられる。
一度陛下に報告がてら指示を受けに行くか。一瞬それも検討したがすぐに切り捨てた。
ルークの所に行くという決断に私情が全く無いと断言する事はノーヴェには出来ないが、それ以上に強力な魔法を複数扱う魔法使いを失う事が国にとって大きな損害だ。その可能性が少しでもあるのなら潰しておいた方が良いだろう。
「……そうかい。それで、あんたは今すぐ向かうのかい?」
「ええ、そのつもりですが……貴女方は?」
「アタシ達は武器を直してもらってから向かうよ」
「そうですか。では、私はこれで」
ペコリとお辞儀をしてからヴェルディは高く跳び上がり、ナハトの方角へ向かっていった。
「……それじゃあ早くリーリ姉さんに直してもらいに行こうか。あの人はマイペースだし店もここから離れてるから多分店に居るよ」
「そうね。……ねぇ、何となく嫌な予感がするのは私の気のせい、よね……?」
エイミィのその質問に、ノーヴェは答えられなかった。とにかく「落ち着け、アタシ」と何度も心の中で繰り返し反芻した後急いで彼女の姉の武具屋に向かって早足で歩き始めた。
最近主人公の影が薄い気がしますが、これは多分私が群像劇が好きだからだと思います。
ちなみにおそらく今後本文で語る事が無いので言っておくと、サミレスは本当に壊滅しています。ただし壊滅させたのは転移してきたノーベラル兵ではありません。ヴェルディ一人です。




