真夜中のダンス
終わりは見えるのに、始まりが見つからない。
始まりがあれば、走り出せるのに誰も知らない。
夢を見ることも忘れてしまった。
何も考えずに毎日を過ごしている。繰り返し、繰り返し、同じ作業でその時間が過ぎてゆけばよい。
そうすれば、何かしらの収入になっていた。
何も考えなくていい。いや、何も考えてはいけなかった。
何も知らなかったから、誰も教えてくれなかったから…
知らずにいたら… 君の事を知らずにいたならば、今の僕はどうなっていたのだろう?
君に出会えたことを、大切に思う…
あの終わりがこなければ、今でも君と一緒にいられたのだろうか?
ある日の仕事帰り道。僕はいつものコースを歩いていた。時間は深夜で日付が変わりかけている。
ぎりぎり終電に間に合い、とりあえず家へ向かう道を歩くことができている。ここのところ毎日だ。意味もなく残業が続き、けれどそれは収入には反映されない。いわゆるサービス残業ってやつだ。
「いい加減にしてほしいよな。いくら業績不振って言って、残業させて…」
いつもの帰り道、公園の横を通ったとき
キィーと音が聞こえた。
キィー… キィー…
誰かが、公園でブランコをこいでいるようだ。僕はイライラを、そいつにぶつけてやろうと、公園の中に入った。
誰もいない公園。昼間は多分子供達でにぎわっているのだろう。いや、少子化の今、外で遊ぶ子供も少なくなっているから…
かく言う僕は独身だ。当然、子供はいない。と言うより先に、彼女も好きな人もいない。今の仕事の状態で、出会いなどある訳がない。
キィー… キィー… キィー…
揺れるブランコの音だけが聞こえる。
僕は、自分勝手の怒りを増幅させながら、ブランコのほうへ向かった。
突然、目の前に真っ白いワンピースを着た少女が映った。空を見上げながら一人でブランコをこいでいる。
他には誰もいないし、どう見ても未成年だ。
かなりの勢いで僕はブランコに近づいていったらしく、僕が少女をみつけ止まったときには、ブランコの音も止まっていた。
「どうしたの? おじさん」
少女はそう言った。顔は空を見ている。今日は新月だから、月は見えない。ここは都会と田舎のちょうど中間地点。星はある程度見える…
「お、おじさんって、なんだよ。お前こそ、こんな時間に何をやっているんだ」
僕の言葉は、ありきたりな大人の言葉だった。
「やだ、見ればわかるでしょ。ブランコをこいでいたの。おじさんもここに座ったら? 気持ちいいよ」
少女はやっと僕の顔を見て、自分の横のブランコを指差した。
「き、君は未成年だろう? こんな時間に何をやっているんだ? いったい家はどこあるんだ?」
と言ったが結局、僕の体は少女の横のブランコに納まっていた。
「私の家〜 どこだっただろう?」
少女は少し笑いながらゆっくりとブランコを漕ぎ出した。
「家出とは違うよな?」
「家出じゃないよ。今住んでいるのは、あ・そ・こ」
少女は暗闇を指差した。ポツン、ポツンと星のような明かりは見えるが、その建物が何であるかは、よく見えなかった。
「こんな時間に外出して、両親は怒らないのか?」
「両親? 別に怒らないよ。私の事なんて…他の人が怒るけど…」
少女は笑いながら言った。ブランコに乗って揺れるスカートの裾が、まるで天使の羽のように見えた。
「おじさん、なにか嫌な事でもあったの?」
「お、おじさん言うな! 僕はまだ三十歳だ!」
「もう、おじさんじゃない」
「そう言う君は、いくつなんだ?」
「私?」
少女はそう言ってブランコを止めた。そして僕を見た。
「十五歳」
「えっ?」
「十五歳。高校一年生…かな?」
少女の言葉、最後の『かな? 』は、よく聞き取れなかった。高校生じゃないのか? …だったら、どうだって言うんだ?
「充分、未成年じゃないか! こんな時間に何をやっているんだ。早く家へ帰りなさい!」
「さっきと同じこと言うのね?」
「当たり前じゃないか! こんな夜中に、一人でこんなところにいて、なにかあったらどうするんだ!」
「なにかって、なに?」
少女の無邪気な笑顔。僕の忘れていた笑顔だ。
「なっ、なにかって… 色々だ! とにかく帰りなさい!」
僕の声は少し大きくなっていた。
「あ〜 そんな大声出さないでよ。近所の人が起きちゃうでしょ?」
「そう思うのなら、帰りなさい!」
「はい、はい、わかりました。帰ります。帰りますよ」
少女は、ウサギのようにピョンとブランコから飛び降りて僕のほうへ振り返った。
「それじゃ、またね」
少女は、僕にアッカンベーをして、くるりと向きを変えて、さっき指差していた暗闇のほうへ走っていった。
少女の出した、赤い舌の色。少女の着ていた白いワンピースが、揺れながら暗闇に消えていった。僕は一人、ブランコに取り残された。
次の日も、その次の日も、いつもと同じ退屈な忙しい日々だった。僕は少女のことを忘れかけていた。
その日も夜中近くまで残業だった。また、終電ぎりぎりに会社を出た。その時なぜか社長の車を見た。
新しくなっていた。最近まで、古い十五年は乗っているだろう車だったはずなのに、新車らしきものがある。しかも、外車の高級車だ。
…業績不振で、給料カットの話も出ているのに? と思ったが終電に間に合いそうになくなるので、それ以上は考えずに駅へ向かった。
またいつもの帰り道、あの公園の横を通ったとき、僕は呼び止められた。
「おっじっさ〜ん!」
あの少女の声だった。少しは明るくなってきたが、まだ公園の中はよく見えない。
「こっち! こっち!」
少女の声に導かれるままに、僕は公園の中に入った。少女はまた、ブランコのところにいた。今日も白いワンピースを着ている。
「なんだ、またお前か…」
「なんだって、ないでしょ。こんな若い子から声をかけてもらえるなんて、ありがたいと思わないと!」
少女の無邪気な笑顔は変わっていない。
「…このあいだも言ったけどな、こんな夜中に…」
「はい、はい… はい!」
少女は僕に小さな花束を差し出して、僕の言葉を止めた。
「なんだよ、それ?」
「あれ? お花キライ?」
少し拗ねたような少女の声…
「あ、いや、キライじゃないけど…」
「じゃ、これあげる」
少女は、もう一度、花束を僕のほうへ差し出した。ゆっくりと僕はその花束を受けとった。その時、少女の手に触れた。なぜかすごく冷たかった。かなりの時間、僕を待っていてくれていたのだろうか?
「お礼は?」
「あ、ありがとう…」
「よかった! あ、けど一本だけ私にちょうだい」
少女は、そう言って色とりどりの花の中から、白いバラを一本抜いた。
「なんで、白いバラを?」
僕が聞くと、少女は少しだけ笑って何も答えなかった。
「今日、おじさん、なにかあった?」
少女が聞いた。
「えっ?」
僕は一瞬、社長の車のことを思い出したが
「別に、同じ退屈な毎日だよ」
少女に会社のグチなど言ってもしかたがない。
「へぇ、そうなんだ。おじさんも同じなんだね」
「なにが?」
「いつも同じ退屈な毎日ってところ」
「君も、同じ退屈な毎日…」
僕の時代、十五歳と言えば、勉強と友人、恋と部活の間に揺れていたはずなのに…
けれど、少女にはそれが同じ退屈な毎日と感じる。あの時は毎日の一瞬、一瞬が取り返しのつかない貴重な時間に感じに思えていた。
今になって考えてしまう。あの時、別の選択をしていたならば、今の自分はどうなっていたのだろう?
「… どの選択をしたとしても、結果は同じだよ」
不意に少女が言った。
「結果は、同じ?」
「そう、目的地が同じならば、どんな選択をしても、そこへたどり着く。けれど、途中で目的地が変わったら話は別だけどね」
若いのに大人びたことを言う。
「なに、偉そうに僕に説教しているんだよ」
「あれ? 説教に聴こえちゃった? ごめんなさい」
少女は、少し舌を出して笑った。その唇の赤が、少女の白い肌をよりいっそう引き立てている。黒い夜に白い肌赤い唇… 何かが僕の中に湧き上がってくるのを感じていた。
「… おじさん、どうかした?」
少女の顔が、僕に近づいてくる。僕は少しずつ後ずさりをしている。
「… 私が、怖い?」
少女は止まらない。僕も止まれない…
「心の中の不満を溜め込んでいると、いつか不自然な形で外へ出てゆくよ…」
少女はそういい残して、前回と同じように暗闇に消えていった。
僕の中の不満…
何もない。同じ退屈な毎日でかまわない。時間がくれば、機械のように僕は動きだし、言われるがままに働き、そして同じ道を通って家へ帰る。帰っても、やることは同じ。スーツを脱ぎ、風呂に入り、部屋着に着替え、寝る。朝起きて、また会社へ…
少女に会った次の日から、僕の毎日が少しずつ変化していった。会社に行っても、少しだけ仕事が楽しいようにおもえる。
そして、社長や部長達の行動にも目がいくようになった。
社長達は、この頃よく会議室にこもっている。何をやっているのだろう?
業績不振によるリストラ候補の選別か? それとも新商品の開発か? どっちにせよ、会社にとってよいことをしているはず… なんだろう。
また、しばらくして残業時間中に、社長と部長達が会議室へと入るのを見た。その時、僕はなぜか仕事よりもその会議室の中が気になった。
本当は中で何をやっているのだろう? 社員達が必死になって仕事をしてお金を生み出しているその最中に、社長達は何をやっているのだろう?
あの新車だって妙だ。一年前の社長ならば、一円たりとも無駄にせず、社員へ還元することを考えていたはずだ。あれは表面上のことだけだったのか?
僕の中に黒いモノが広がってゆく…
会議室のドアに耳をつけると、中の声がかすかに聞こえてくる。
「… の処理は終わったか?」
社長の声だ。
「はい、順調にいって…」
「なら、もうすぐ… も、消して大丈夫だな」
何を消すんだ? いったい社長は何を消すつもりなんだ?
その後、僕は席に戻り仕事をしたつもりだが何も覚えていない。気がついたら、あの公園のブランコの前に立っていた。
そして、そこにはあの少女がまたブランコを揺らしていた。
白いワンピースを着て、風に揺れている少女… なんの穢れもない… 月夜に浮かぶ白い天使…
「あれ、おじさん、いたんだ」
少女は僕をチラッと見ただけで、ブランコをこぐのをやめない。
「… いつまでそこにいるの?」
いつまでって、僕は必要のない人間なのか?
「さぁ… おじさんってなんのために仕事しているの?」
何のために仕事をしているって…? なんだ?
「今、おじさんが一番欲しいモノって、なに?」
今、僕が一番欲しいモノ… 何だろう? わからない。少女は、ブランコをこぐのを止めた。そして、僕を見た。
「私ね、今欲しいモノがあるの…」
少女はそう言いながら僕に近づいてくる。そして僕の目の前に立ち、スカートの裾を少し上へ上げた。そこには、白い二本の足があった。
「おじさんにも見えるかな? 私の足」
「み、見えるよ」
「ちゃんと二本あるかな?」
「あるよ」
「そう、ならいいんだ」
少女はそう言って、スカートを下ろした。そして片手を僕のほうへ差し出して
「ねぇ、一緒に踊ってくれない?」
僕は戸惑った。こんなところで、音楽もなしで、いやそれ以上に僕はダンスなんか踊ったことがない。迷っている僕の手を少女は、強引にとり
「大丈夫、私に合わせてくれればいいよ」
そう言って、僕に体をよせて、踊り始めた。足を右へ左へ、前へ後ろへ…
僕が少女の手を少し上へ上げると、それにあわせてくるりと回る… まるで白いバラが咲いたようだ。
だんだんと、なにか楽しくなってきた。踊れない僕は、少女に合わせてぎこちなく動いているだけだが、耳には心地よいワルツが聴こえているように思えた。
「あのね、おじさん」
踊りながら少女は僕に言った。
「私の足。動いているよね?」
「ああ、動いているよ」
「… 明日、なくなるんだ」
少女の言葉に、僕の動きが止まった。急に僕が止まってしまったので、少女はステップを踏み外し、倒れそうになった。慌てて僕は、少女を抱き上げた。
「… どういう事?」
「明日、手術なの。両足を切るんだって…」
「そんな事…」
「ありえるんだ。癌らしいよ。けどね、両足を切ったからって命が助かるとも限らない…」
何を言っているんだ、この子は?
「さっき私、欲しいモノがあるって言ったよね」
僕は少女をぎゅっと抱きしめた。
「私ね… 代わりの足が欲しいの… 」
カワリノアシ?
「そう、明日切られてしまう、私の足の代わりになってくれる足が欲しいの… 」
少女は僕の胸の中で、何度もつぶやいている。
「私に、足をちょうだい。新しい足を…」
少女の言葉は、僕の耳から入り、胸へとしみこんでいった。満月のひとつ前の月が、僕らをそっと包み込んでくれている。その影は…
次の日、僕はいつも通り会社へ行った。するとそこには、張り紙が一枚あった。
“会社更生法により・・・・・”
えっ… 会社が潰れた?
昨日まで働いていた会社がなくなっていた。目の前が真っ暗になった。僕の周りには同僚の人間達が、同じように張り紙を見て呆然と立っている。
誰も知らなかったんだ。今日、会社がなくなることを…
昨日の会議室での会話は、社長達が逃げる為に話し合いをしていたんだ。
上の者だけが、無事に逃げられるように前々から計画していたんだ。
僕はここでも必要のない人間になってしまった…
呆然と立っている僕の耳に声が聞こえた。
『欲しいモノがあるの…』
いや、僕を必要としている人が、一人だけいる。
この世の中で、一人だけ…
僕は、決めた。僕を必要としている人の為に、今できること…
一旦、部屋に戻った僕は、服を着替え、また出かけた。
そう、行き先は社長の自宅だ。まだ、きっといるはずだ。
社長の自宅へ行くと、ちょうど外出する所だった。
危ない、もう少しで逃がすところだ…
社長は僕の姿を見つけ。少しビックリしていた。それも、そのはずだ。自分がつぶした会社の社員が目の前に立っているのだから。
「君は… 確か…」
社長が何か言いかけたが、僕はそれを聞き終わる前に手に持っていた、バットを振りおろしていた。何回も、何回も… まるでダンスを踊るように… 右へ左へ、バットを振り回していた。
その夜、僕は少女へのプレゼントを持ってあの公園へ行った。少女に渡すためだ。片手に白いバラの花束を、もう片手には、彼女の欲しがっていた“カワリノアシ” を持って、僕は公園のブランコに座って少女を待った。
もうすぐ、少女が白いワンピースを着てやってくる…
そう思いながら、いつの間にか、僕は眠ってしまっていた。
朝、太陽の光に目が覚めた。そして僕の周りには警官が、多数取り囲んでいた。
「… 社長殺しで、お前を逮捕する」
警官は、僕の言うことなど、なにも聞いてくれない。僕には、会わないといけない人がいるのに… 少女に渡さなければいけないモノがあるのに…
僕の声は虚しく公園の中に響いていった。
少女は、病院の屋上からその様子を見ていた。
「あ〜あ、いままで信じて働いてきた会社だったんだから、最期まで信じてあげればよかったのに… 目的地を変更なんかするから」
少女はそう言って、黒いワンピースの裾を広げ空へと飛び立っていった。
僕は、後から聞いた…
僕の銀行口座には、最期の給与がちゃんと振り込まれていたこと。
家のポストには、社長からの詫び状と新しい就職先が書かれた封書が届いていたのを…