日傘をサス
私は傘をさしていた。そして真夏の道を一人で歩いている。行き先は、彼のところ。
「ねぇ、お姉さん。雨もふっていないのに、どうして傘をさしているの?」
一人の少女が話しかけてきた。
傘の下から、覗き込むように私を見ている。
なんて無神経な子なのだろう……… 私は無視して歩き続けた。
「こんなにお日様がキレイないのに?」
まだ少女は私の横を歩いてついて来る。なんでついて来るのだろう? ついてこられたら、まるで私が不審者に思われる。
私は一旦、足を止めた。
「なんで、私の横をついて来るの?」
「……… 同じ方向だから」
あきれた………
同じ方向へ行く人間には、全員に声をかけているのだろうか?
男も女も見境なく……… それから、自分に興味を持った人間を誘って………
「そんな事、考えていないよ」
少女は言った。
「えっ?」
「私は、お姉さんがこんな良い天気の日に、なぜ傘をさしているのか聞きたかっただけ」
「こ、これは日傘よ。あなたにはまだわからないだろうけど、大人になったら必要なものなのよ」
「へぇ〜 それで………」
私は少女の後の言葉は、聞きたくなかったので、早足で彼のところへ急いだ。
そして、彼の住むマンションに到着した。そして、いつもの場所で彼を待った。
雨の日も、風の日も、いつも同じ時間、同じ場所に私は来ている。
私は、ストーカーなんかじゃない。まだ、何もしていない。彼に声をかけることすらできていないのだから………
駅で初めて彼とすれ違ったとき
『あ! 運命の人だ』と感じた。
その時、私の落としたハンカチを拾ってくれた。爽やかな微笑を浮かべ
「これ、落としましたよ」と、私にハンカチを渡してくれた。
やっぱり、運命の人なのだ。
それから私はいつも彼の事を見ていた。同じ電車に乗り、幸いにも降りる駅も同じだった。
これは、絶対に運命に違いない。そう確信したのだ。
「彼は、私の運命の人」
いつの間にか、少女が私の後ろに立っていた。
「な……… あなた、私について来たの? 気持ち悪い」
少女はニコッと笑った。
「私の事が気持ち悪い?」
そう聞いてきた。
「当たり前でしょう。私の後ろを黙ってついてきて、まるでストーカーじゃない」
「へぇ、こういうのって『ストーカー』って言うんだ」
少女は彼の住んでいるマンションを見上げた。
「で、お姉さんはどうしてここにいるの?」
「どうしてって……… あなたには関係ないことでしょう!」
私は、思わず声を荒げてしまった。
まずい! と思った私は、周りを見回し、そして彼の部屋を見た。
誰も顔を出していない。
よかった、誰にも見られていないんだ。
……… 見られていない?
「お姉さんは、どうしてここへ来たの?」
少女が言う。
「どうしてって………」
私はいつもここへ来ている。なぜだろう。ここから出てくる彼の姿を一度も見たことはないのに。
ただあの日、彼がこのマンションへ入って行くのを見ただけなのに、私はここで彼を待っている。
「本当に、彼はここに住んでいるのかな?」
私がいつも見かけるのは、駅と電車の中だけだ。あっ、彼の勤め先も知っている。けど、彼の名前は………
「彼の名前も知らないんだ」
「し、知っているわよ。彼の名前は………」
答えられない。
私は、彼の姿形は知っているけれど、彼の名前は知らない。私は彼のことを何も知らない。
けどね、いいの。
彼は私の運命の人なのだから………
きっと、ここへ立っていれば彼が私を見つけてくれる。彼は私を見つけて私たちの運命はまわりだす。
絶対に見つけてくれる……… はず。
「道端に咲いている小さな花に声をかけるのは、ほんの一瞬のこと。すぐに忘れられてしまう」
少女はそう言って道に落ちていた、白いバラを手にとった。
「こんな大きなバラだとしても、落ちてしまえば…… 誰の目にも届かない………」
「何の事………」
「あなたは、一生道端の花でいるの? それとも、忘れ去られたバラの花になる?」
少女の黒い髪が、バラの白さをいっそう引き立てている。
「私は、道端の花でもない……… 忘れられたバラでもない………」
私は、傘を閉じた。そして彼のいる部屋を見上げた。
すると、そこには彼と知らない女がベランダに顔を出していた。楽しそうに笑って話をしている。
あの女は、誰?
彼女?
いや、違う。姉か妹だ。絶対にそうだ………
彼の横に立つのは、『運命の女』である、私だけなのだから………
その時、彼が私の方を見た。私は思わず手を振っていた。
なぜか戸惑っている彼の顔が見えた。
なぜ? 横にいる女も、なぜか怖い顔をしている。
二人の姿はベランダから消えた。
「さぁ、運命の人がやってくるよ。お姉さん、良かったわね。やっと運命の人と再会できるのだから………」
少女はそう言った。
すると、マンションから彼が出てきた。
辺りを見回している。
私の姿を探しているのだ。私は嬉しくなった。やっぱり彼は私の『運命の人』なのだ! やっと私を迎えに来てくれたのだ。
彼は、私を見つけどんどん近づいてくる。
けど、何だろう? なにか言っている………
「お前か! いつも、いつも、彼女のマンションの前で………」
何を言っているの?
彼女って誰の事?
私は、目の前にいるじゃない。
彼はなぜか怒鳴り続けている。
わからない………
わからない………
なぜなのだろう?
やっと運命の二人が再会できたのよ?
私に気づいて!
「もう二度と、ここへは来るな! お前の姿を次に見つけたら、ただじゃおかないからな!」
彼はそう言って、私に背中を向けた。
「運命の人が行ってしまうよ……… 彼は間違った運命を選ぼうとしている。さぁ、早く止めに行かないと、もう二度と会えなくなるよ………」
少女の声が私の耳に響いた。
私は彼の後を追った。
そして、その背中めがけて、手に持っていた日傘を突きサシた………
「ギャァ!!」
彼の声が響く………
止めないと、彼を止めないといけない!
私は必死になって彼の背中をサシ続けた。
偶然に日傘が開き、彼の飛び散る真っ赤な血が私の日傘に吸い込まれてゆく………
白い日傘は、彼の血で真っ赤に染まった。
私は道に忘れられた白いバラじゃない。世間の目を引く大輪の真っ赤なバラなのだ!
何十回だろう、私は彼をサシ続けた。白い日傘は、完全に赤く染まった。
やっと、これで彼は間違った運命を選ぶことはない。今世では、ダメだったけれど、来世では………
私は、安心して日傘をさし家へ帰ることにした。大輪の真っ赤なバラに包まれて………
彼は私の運命の人………
私をこんなに輝かせてくれた人………
ほら、みんなの視線が私に集まっている。
私は微笑を絶やさずに歩き続けた。
「そう、そうやって歩き続けなさい。それが、あなたの選んだ運命……… 運命なんて、見つけてもらうものじゃない。自分で切り開いていくもの。ただ、その答えは誰が決めるかなんてわからない… もう、後戻りはできない」
少女の胸には白いバラが一輪あった………