表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

BLもの

背後をひっかいたのはだれ?

作者: みどり風香

 暑い、と那多(なた)は思った。春が過ぎれば次にくる季節は夏である。それを知らぬ那多ではない。しかしこの暑さは異常である。もう連日の猛暑続きだ。作物は大丈夫なのだろうか。今年の秋の収穫に支障をきたしていないだろうか。神主の従者となり、民の模範となるべき権力者側に立ってから、那多は自然とそんな風に農民達を思う心配りができるようになった。太陽は命の恵みと言うが、これは度が過ぎる。伊勢様、お疲れでしょう、少しはお休み下さい。

 毎朝の日課となっている境内の掃除を終え、那多は湯浴みのための浴槽へ迷わず向かう。昨夜の残り湯が、いい感じに覚めていて、手に心地よい。桶に水をくんで、その水を境内にばらまいた。こうすると涼しくなる、と主人の嵐から聞いた。無造作に撒かれた水が、足にかかって冷たい。桶が空になる頃には、那多も少しは涼しさを肌に感じてとることができた。

 蝉の鳴き声に混じって、風を切るような音が、わずかに聞こえる。嵐が、道場で一人素振りをしているのだ。境内の掃除をしている時からずっと、この音が鳴り続けている。早めに起きてさっさと朝餉を済ませ、次は主人の朝餉を用意する。その主人はその間に、神様におそなえする。それが終わって自分の食事である。嵐はそれほど時間をかけずに食べる方だ。食い終わったら、少し一息ついて、その後すぐに道場へ足を運んでいた気がする。朝からずっと、飽きもせずに黙々と竹刀を振り下ろしているんだ。今の時刻は、そろそろ昼の鐘が鳴る頃である。

 はあ、と那多はため息をついて、桶を倉庫にしまう。その後、昼の鐘が鳴る前に、嵐を呼ばなければ。今日は昼下がりに客人が来る。

 道場には、主人の嵐しかいない。いつもの、戦闘において動きやすい装束でもなければ、神主の普段着でもない。武道を習う時の訓練着を着ている。規則的に、竹刀を振り下ろす音が、やけに那多の耳に響いた。けたたましいはずの蝉の声が小さく感じるほどに。あれほどの長い時間、ずっと素振りをしていたというのに、呼吸の乱れがない。姿勢が崩れることもない。いつもの嵐は、気さくで気軽で好戦的で、血を浴びるのが大好きで、民のほとんどから完全に憎まれている雅という神主を親友だと言って譲らない、そんなお人好しな、神主らしからぬ神主だ。今の嵐は、どちらかというと武人に近い。同じく戦いに身を置く人間だからか、那多は彼が戦闘兵でも充分食って行けそうな気がした。

 長年の癖で、那多は呼吸と気配を殺して、足音も立てずに嵐に近づく。嵐は素振りを止め、いつもの嵐の表情で後ろを振り向いた。

「那多か?」

 刃物の届かぬくらいの距離でも、嵐は那多に気づいた。呼吸も気配も足音も消してあった。誰にも気づかれない自信があった。それなのに、この男は見抜いた。背後をとらせたことがない。訓練と称して、何度も嵐と刃をまみえることがあったが、那多が嵐の背後をとったことは一度としてなかった。

 この無邪気な笑顔に、那多は軽く騙された感を抱く。見てくれはただの気さくな長身の男だが、隙を見せることがない。まったく、侮れない神主だ。

「もうじき、昼の鐘が鳴ります。今日はお客様がいらっしゃいますから、そろそろ準備をされた方がいいかと」

「あ? もうそんな時間か。早いなあ」

 時間を忘れるほど、集中していたご様子。それでいて、背後をとらせないくらいの気配りはできている。

「じゃ、いつもの川でちょいと水浴びしてくる。今日の客は、時間と身なりにうるさいからな」

 嵐は陽気に笑う。竹刀を那多に預け、着替えの装束と手ぬぐいを持ってくるよう命じた。那多は無言の首肯で答える。預かった竹刀を道場の道具入れにそっと閉まって、那多も道場を出る。装束は、本来神主が着るべき装束を、手拭いは、綺麗に洗ってあるものを。いつもならどちらも適当なのだが、今日は客人を招く日だ。従者として、主人のだらしないところはきっちり矯正せねばなるまい。


 神社の鳥居をくぐって、神の領域からいったん離れた。那多の両手に、装束と手拭いを包んだ風呂敷が大切そうに置かれている。落として汚しでもしたら、また取りに戻る必要が出て来る。そんな手間はごめんだ。

 嵐が普段から水浴びの場として借りている川には、河童がいる。河童は川や湖など水のある場所に住んで、水に憑く穢れを清めてくれる。嵐の汗や、戦いで大量に浴びた敵の血も、すべてその川に住んでいる河童が引き受けてくれている。頭が上がらぬ思いがした。

 那多は川岸に上がってよく冷えたきゅうりを食っていた河童に、嵐の居場所を尋ねた。河童はひょいときゅうりをひと飲みすると、川に飛び込んで川下まで那多を誘導した。

「いつも、主人がお手数おかけします」

「なーに、どってことないさ。俺、あいつがちびっこだった時から知ってるんだ。ここの川の連中は、ほとんどあいつのこと知ってるし、感謝してる」

 あの無駄にひょろっとでかい男にも、小さい頃があったのか、と那多は少しだけしみじみと感じ入った。

「感謝とは?」

「あいつが自ら血に穢れることで、ほかの奴らが穢れずにすむだろ。それに、あいつ、いつも川下使うし、手間が省けて助かるんだよ」

 なるほど、と那多は納得した。戦いを終えて全身に浴びた血を洗い流しに、ここへ来るのは一度や二度ではない。那多も一緒に川を使わせてもらったことがある。その時、いつも嵐は「川下を借りるぜ」と言っていた。

「ほら、いたぜ」

「ありがとうございます」

「何か合ったら呼びな~」

 案内役の河童は、す~いすいと川上まで戻っていった。那多の目と鼻の先に、訓練着を地べたにほっぽり出して水を浴びている主人がいる。

「那多か?」

 また、嵐は背後を振り返る。いつも適当に結っている黒髪は下ろされていて、その先から雫がぽたりぽたりと滴り落ちる。決して華奢ではない、鍛え上げられた肉体にはりつく汗を、水が優しく洗い流した。

「手拭いと装束はその辺に置いといてくれ。あと、神社に戻ったら、客殿を軽く掃除しといてくれ。それと茶な。高級そうなので頼むぜ。菓子は、そうだな……こないだ、土産にもらったまんじゅうがいいな。アレだ、まんじゅうを赤飯で包んだヤツ。じゃ、よろしく」

 一気にまくし立てると、嵐は背を那多に向けた。背中を向けても、背後をとらせることはない。かしこまりました、と那多は風呂敷を草の生えているところにそっと置く。

 礼をして立ち去ろうと、那多は再び嵐に顔を向ける。

(……あれ?)

 那多は、嵐の背中の違和感に気づいた。目のいい那多は、それがはっきり確認できた。

「旦那様、背中をケガしています」

「あ? どこどこ?」

 言われた嵐は背中を見ようと上半身をねじる。

「背中に何か所か」

 那多は失礼します、と一言断って嵐の背中の傷を指でなぞる。子供ほどの小さな手で引っかかれたような跡が、何本も嵐の背中に刻まれていた。

「にしても、いつついたんだぁ?」

「昨日の水浴びの時は、なかったと思いますが……」

「ってことは、昨日の昼下がりから夜頃か」

 嵐は少し思案顔を浮かべる。昨日の昼から夜にかけての限られた時間、自分は誰と接触していただろう。何をしていただろう。

 あ、とふいに声を出す。

「分かりましたか」

「もしかして、あれか」

「あれとは?」

「何でもない。……ほら那多、今日の客人はうるっさいんだから、早く準備してくれ」

 主人に言われてしまえば、これ以上追求はできない。那多は一礼して、すぐに神社へ戻る。

 那多は心底驚いていた。暗殺の専門家であるこの那多でさえ、嵐の背後をとることはできないのに、跡からしてあれは子供がひっかいたものだろう、子供が嵐の背後をとったんだ。

 その子供は、那多をも越える超人的な暗殺者なのか、あるいは、よっぽど嵐が心を許す存在なのか。那多は興味を持ちつつ主人に命じられた仕事を忠実に遂行した。


 このひっかき傷は、昨晩につけられたのだろう。嵐は完全に思い出した。しかし、その最中、引っかかれたという記憶が飛んでいる。あの時は、気持ちに余裕がなかった。ただ、お互いにお互いを求めることに夢中で、背中に感じた痛みに気づいていなかったのだ。自分の下には、いつものあいつらしからぬ表情で嵐を求める者がいた。ひっかいたのは、そいつだ。嵐の背中に爪を立てなければならないほど、人間としての理性を保つのが困難だったんだろう。あいつは、ただ一心に自分を求めた。嵐もあいつを求めた。「嵐、嵐」と必死そうに名を呼ぶあいつが脳裏に蘇る。

 嵐はおかしくなって、ぷっと笑う。体を冷やさないうちに、川から上がって体から滴る水を拭う。

 きちんと神主の装束を着こなし、近くにいた河童に礼を述べ、嵐は吹き出すのをこらえながら、神社へと戻っていった。


露骨だったり直接的な描写より、わざとぼかすとかえってそれっぽく感じてしまうのは何でなんでしょうかね……?

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ