言語化の魔王は、世界を定義する
「世間とは、何か。私に説明してみせよ」
私がそうひとつ尋ねただけで、その人間は口篭った。
矮小な人間。
底の浅さは既に知り、後はどんな言い訳で踠くのか、それを観察してみたかった。
「そりゃ、社会のことでしょう! あなたね、こんなことをして世間が許すとでも思っているんですか?!」
人間は立って声を荒げた。
話し合いは、怒りで頭を鈍らせた方の負けだ。
「だから、聞いている。具体的に、その世間は、誰のことなのか。上司か? 社長か? それとも」
私も席を立ち、人間に近づいた。
「お前自身ではないのか?」
「違う!」
「何が違うと言うのだ」
私が面白そうに聞くと、人間はこれ以上何も言わなかった。
「聞いていなかったのか、私は魔王。言語化の魔王。私を譲歩させるには、言葉を使うしかない。連れて行け。その程度では話にならん、期待外れだ。私は作業に戻る」
既に捕虜となっていた人間は、私の部下が引き摺っていった。
その時の言葉は、最早意味を持たず、私の耳には届かなかった。
私は自分の机に向かって、言葉を綴る。
私が作っている書籍、それは所謂『辞書』とも呼べる代物だった。
この世界は、曖昧な認識と空気感で回っている。
だが、この空気感というものは、定義がまるでなく、目に見えるものですらない。
このような社会では、私や私の部下のような者達は、どのように生きていいかすら分からない。
だから、私は筆を執った。
そのような者達のため、ひいては私のために、世界の言葉を一つずつ定義し始めた。
慌てたのは、人間達だ。
自分たちの社会が脅かされると思ったのか、筆を進める私に牙を剥いてきたのだ。
だが、その頃には私は部下にも恵まれており、返り討ちにするばかりであった。
私はその頃から『言語化の魔王』と呼ばれるようになった。
次にやって来たのは、家庭を持つ男だった。
「こんなことはもうやめてくれ!」
男は俺に陳情に来たようだった。
「何故?」
「もう耐えられない! 俺の居場所をこれ以上奪わないでくれ!」
男は私にそう切々と訴えた。
「私は、私達の居場所を作るためにこれを書いている。お前に何を言われる筋合いもない。そもそも、私は強制的な法を敷いている訳でも、認識を改めよと強制している訳でもない。ただ、ただ、言葉の定義を一つずつ見直している。それだけだ」
「それをやめてくれ!」
「それはできない。お前はさっきから、私の行為を否定するばかりだ。まずは事情を話せ。次に私にこれをやめてほしい理由を話せ。そうでなければ、分かり合えるものもない」
私がそう言うと、男は無言で頭を掻きむしった。
いつも思うが、この世界の人間は空気という曖昧さに慣れてしまって、説明を怠る者が多い。
言葉にしなければ伝わらないというのが、何故分からないのだ、我々は別個体であるのだから。
「嫁がお前の本を買った」
「ご購入ありがとう。それで?」
「その日から、嫁が反抗的になった。『ちゃんと私の言っている事を聞いて』などと言い、子どもにすらそんな教育をしている。これでは、俺の家族がバラバラになってしまうじゃないか。これは、認識の侵略だ。お前の本は、じわじわと売れ続けていると聞く。お前がやっていることは、社会の破壊行為そのものだ!」
男は一息にそう言ってのけた。
「だから何だと言う」
「即刻筆を置いて投降しろ!」
「誰に? どこで? 何の罪で私は捕まると言う」
「それはテロ行為だ!」
「答えになっていない」
私は男に筆先を向けた。
男は身じろぎをした。
「この筆先の何が怖いと言うのか。私は、私が生きるために文字を綴る。本を売る。その違法性を述べよ」
「違法かどうかじゃなくて、俺達の社会を壊すな!」
「まず、『社会』の定義を述べよ。話はそれからだ」
男は「話が通じない」と、腰に下げた斧を抜き放った。
すぐさま、私の部下に取り押さえられた。
「連れて行け。話があればまた連れて来い」
そうしてまた一人、私の部屋を去った。
「お前のこれは暴力だ! 俺のやっていることと何が違う?!」
「私は力無き論理は感情にも劣ると考えている。お前の指摘は正しいが、私はできる限り公平さを保つと約束しよう。また考えがまとまったら部下に声をかけるがいい」
私はそう言って、椅子に座り直した。
あの男の言った『暴力』という言葉はこれ以上なく正しい。
しかし、言葉一つで首を刎ね、言論弾圧などの圧政を敷く王国よりは何段も上等ではないか。
失敗も不理解も許し、チャンスを与えているのだから。
次にやって来たのは、一人の少女であった。
「まおうさま、ありがとう」
少女は私の本を抱き、私に野原で摘んだ一輪の花を渡した。
「ありがとう。ただ、この花も生きていたのだ。今度は摘むのではなく、私にその花の在りかを教えてくれればいい」
私は部下に「この花に合わせた花瓶に水を入れて持って来てほしい」と頼んだ。
「まず、私は魔王ではないが、そう呼ばれて久しいからそれは仕方がない。お前は何に感謝しているんだ。私がそれが分からないと、感謝も受け取れない」
「えっと、えっとね」
そう言って少女は私の本を開いた。
「わたしは、友だちに自分の気もちをちゃんと伝えることができてよかったの」
「それは、どんな気持ちだったんだ?」
「わたしが、みんなとはちがうってことだよ。わたしは、お花は好きだけど、らんぼうはきらい。お人形あそびも好きじゃないし、どろあそびはもっときらい。今まで、わたしがおかしいっておもってた」
少女はそこで本を閉じて、自分の言葉で話した。
「ちがくてもいいの。いっしょにいるのが大事なの。ちゃんとおはなしして、それでいいってなればいいの。そう言ったら、いつもお話しない子が『そうだね』って言ってくれたの。それがとってもうれしかった」
「そうか、それは良かったな」
私は少女ににこりと笑いかけた。
「まおうさま、こわいかお……」
少女は私に怯えてしまった。
「お前の感謝は花と共に受け取っておこう。また、困ったことや話したいことがあればここに来るといい。私は誰とでも話す準備はある」
少女は小さく頷いた。
私は花瓶を準備してくれていた部下に、「花瓶に花を挿して私の元に持って来てくれ」と頼んだ。
私は机に向かって筆を進めた。
まずは『世間』。
あの人間は、『世間』という言葉を、自分のために使っていた。
もう少し具体的に言えば、自分の意見を自分が担保して発信する勇気がないからか、世間という目に見えない集合体の力を使って、自分を大きく見せようとしていた。
私は『世間』という言葉の横に、その旨を記載した。
結局のところ、人間一人が認識できる社会などたかが知れている。その、自分を包む何人かの人間の種類が偏っていることは、なかなか認識しづらいのだろう。
世間を観察するには、世間から一歩外に出て俯瞰するしかないのだ。
私はその文言で、言葉の定義を締め括った。
次に、『社会』だ。
これは、世間と似通った使い方をされていた。
ただ、少し範囲が狭まっていたようにも感じる。
二番目の男は、自分の所属するコミュニティのことを『社会』と呼んでいたのかもしれない。
それは決して間違いではない。
ただし、言葉の定義としては、万人に共通する認識でなければならないため、男の理解する言葉の範囲ではそれを包括しきれない。
私は、私の言葉で万人を救いたい。
それは理想であり、私が筆を執る理由でもある。
その後『感謝』とも書いた。
感謝とは、何と温かいものなのか。
私が書いた本は、確かにあの少女に届いていた。
それが何とも誇らしく、しかし、前述の二人のように取りこぼしてしまう人間がいることは、何と残念なことなのだろうか。
私は彼女の差し出した言葉に受け答えができていたのか、それは分からない。
「こんにちは、魔王。小生は司教をやっているしがない聖職者であります」
今度は、白く長い布を贅沢に使った服を着た男がやって来た。
「私に何か用か」
「あなたと問答をしたく存じます。主題は『神の赦し』です」
「残念ながら、私は無神論者だ。貴公の言う『神』は私の中に存在しない」
「そんなことはないでしょう。なぜなら、あなたがここに居ることも、神の思し召しなのでしょうから」
私は内心、話が通じないなと思ったが、私から会話をやめる気はない。
「分かった。まず、その『神の思し召し』とは何か。私は私の意思で筆を執り、本を自費出版した。それのどこに神の意思が介在すると言うのか」
「『人事を尽くして天命を待つ』。つまり、あなたは、あなたが出来る限りの事を成して、結果を待った。その後、あなたの本は売れている。これを神のおかげとせずに何と呼ぶのでしょう」
司教は、歌うように持論を広げた。
「それは運だ。神ではない」
「あなたにはそうかも知れませんね。ただ、私や他の人間はどうでしょうか。あなたとて、自分の言葉の認識が絶対である保証などないのでしょう? もし、そんな全能感に酔っているのであれば、あなたは魔王ではなく、教祖であり、神の代行者となるのですから」
私は司教の言葉に黙った。
司教はそれを見て、言葉を続けた。
「果たして、あなたは魔王と成り果てた。それは運命であり、神の思し召しだったのでしょう。あなたは確信がある。あなたの方法でしか、救えない人はいる。それは正しい」
「貴公に正しさを保証される筋合いはない」
「小生ではありません。神が、あなたの行為の保証をしている」
司教は、自慢げにそう言い放った。
「貴公の言葉には欺瞞がある。少しずつ紐解いていこうか」
私は額に人差し指を当てて、言葉の定義を思い返しながら、言葉を紡いだ。
「一つ。時の運を私は神とは呼ばない。神がもし居るならば、起こり得ないことは多くあるからだ。例えば、神がもし居るならば、我々が感じられるのであれば、教会などは必要なく、司教さえもなくなるだろう。何故なら、神は当たり前のものなのだからな」
「……」
司教は黙って聞いている。
表情がにこやかであるのが、何とも不気味だ。
「二つ。私は魔王と呼ばれ、神の代行者ではない。それを貴公は『全能感に酔っていれば教祖となる』と表現した。つまりは、貴公ですら、遍く人間を見下ろす神の存在を信じてはいないのだろう。そうだな?」
「ええ、その通りです」
司教は私の言葉を肯定した。
「小生は、神に仕える身。しかし、神の言葉とされるものを伝えるだけであります。しかし、神が存在しないとは思いません。神とは、つまり、我々自身ではないのか。小生はそう考えるのです」
「成程。つまりは、自分の自由意志を神と定義して教会は都合の良い教えとして布教を行い信者というコミュニティを作る機構である、こういうことか。そう思っているにも関わらず、私とどうして『神の赦し』なぞ問答に来た」
「小生は今、教会を追われているからです」
司教の口から驚きの言葉が出た。
「だから、誰よりも言葉に真摯なあなたに尋ねたい。『神の赦し』を定義するためには、どのような言葉を使えば良いのか、私に知恵を授けてはくれないでしょうか」
「承知した。まずは『神』を定義しよう。貴公の言う通り、神とは内在するものとしたい。恐らくは民衆がそうは受け取れないために、外在する、そして運などの要素も含めた『神』という認識を作り上げて来た。それで間違いはないか」
「ええ」
司教は頷いた。
私は思考と共に言葉を進める。
「そして、曖昧模糊にどうとでも意味を捉えられる文言で、教会側が信者側に合わせてきた。それは間違いないな?」
「はい。その通りです」
「その方法で問題となるのは、教会であるのにあまりに属人的である点だ。確かに、心ある聖職者は多かろう。だが、人間には相性というものがあり、そもそも一人の言葉では救える人数に限りがある。従って、私が提案するならばこうなる」
私は、私の原稿を指でなぞった。
「厳格に、論理で固めてしまえば良い。私がやっているのと同じ方法だ。感情や曖昧さに依存すると、必ず揺れが生じる」
「それは……」
司教は、私を止める言葉を探しているようだ。
私は司教の言葉を待った。
「それは、感情ベースの理解……例えば共感、同情などを捨てろという意味でしょうか」
「違う。感情理解の上位に論理的思考を置けという意味だ。感情とて、因果があること。人間が生物である以上、飲食や資源の確保は生存のために必要であり、諍いが起こるのは必至。いいか、司教よ。感情は完全に共有できぬ。しかし、論理ならば、共通項を探すことが可能であるのだ」
私はそう言い切って、司教の反応を見た。
司教は恐らく困っているようだ。
「私には、あなたの言っていることが難しいのです。もう少し、分かりやすくお話いただけますか」
「承知した。貴公が理解するまで、言葉を尽くすとしよう」
私は頭の中の理解に、一つずつ言葉というピースを当てはめて近似値を作り出していく。
「私とて、怒りを感じることはある。しかしそれは、私の感情であるが故に、独善的である。私が怒りを感じるのは、自分の言葉を容易く裏切る人間に対してである。それは、私の矜持に関わるから、私は怒りを感じるのであって、それはその人間が引き金になっただけであり、その人間の落ち度ではない……そんなところか」
「……魔王様。あなたは偉大な方だ」
司教は感心し切ったようにそう言った。
「あなたは、自身と対立する人間にさえ、そうして心を砕く。言葉を差し出す。だがしかし、多くの人間はそうではない……そうではないんです」
「何故だ?」
「多くの人間は、そこまでのことを考えません。相手の気まで受け止めていたら、破裂してしまいます。先のことまで見通せません。今が一番大事だからです。だから、あなたは正しい。正し過ぎる。その一点だけで、あなたは異端者足り得るんだ」
司教は私に諭すようにそう言った。
私は彼の言葉を少し考えて、それから口を開いた。
「私とて一人であるからして、全ての人間を救えるとは思っていない。だが、教会は違うのだろう。人間は社会を作るために法を敷く。教会も人間の集まりという意味では『社会』の一つなのだろう。その法を厳格化することで、救える人々はいるとは思わないか?」
「それができれば苦労はしません。あなたの方が、私の理想に近いのかもしれない。しかし、あなたから離れて、私は人々を助けるべきだ。そう思いました」
司教は踵を返して扉の前に立った。
「答えは得たか」
「いいえ。しかし、覚悟は決まりました。これから私は直談判に行って参ります。それは法の厳格化ではなく、属人的システムの改定のためです」
「ほぉ?」
私はその言葉に興味を惹かれた。
「元々、社会の受け皿として発展した教会を法で縛ってどうしますか。厳格な法での社会は、あなたのところがあるじゃないですか。属人的で結構。私は、聖職者の教育システムを構築に行ってきます。一人が合わなければ、違う人と話せばいい。やり方は、多くの人と話せばいい。そんな、自由な教えの場を、私は作りたい。そう思いました」
「それこそ、異端ではないのか?」
私の意地悪な問いに、司教は笑って答えた。
「異端で結構。異端者こそが、次の世界を作るのです」
「分かった。貴公の未来に幸多からんことを。私はいつでも貴公を受け入れる準備がある」
「ははは、ご冗談を」
司教はそう言って、扉を閉めた。
「私は本気であるのにな。言葉とは難しいものだ」
私は独り言ちて、また静かに机へと向かった。
司教との出会いは、私に新たな可能性を教えてくれた。
私は『感情』の項目を見た。
感情は論理に勝ることのない、ある種の駆動体としか考えていなかった。
しかし、私の扱う論理でさえ、言葉という媒体を用いた近似値であるのだ。
「魔王サマー、さっきの司教の言ってること、よく分かんなかったんすけどー」
私の可愛い部下がそんなことを言い出した。
「魔王サマ、あっしでも分かるように説明してくださいよー」
「分かった、分かった。司教はな、平たく言えば感情を論理まで押し上げることをすると言ったのだ」
「はぁ? 意味わかんねー」
部下は頭を抱えている。
「お前は人とは感じ方が異なるからな。気にしなくていい。私は一人で本を書き、言葉の意味を定義している。だが、あの司教は、多くの人間を集め、感情を定義しようとしているのだ。私と司教は人を救おうとしている点では同義だが、選んだ道は別方向であった。そういうことだ」
「なるほど?」
部下は分かっているような、分かっていないような返事をして「仕事行ってきまー」と言って部屋を出て行った。
「あれでよかったのか……?」
私には正解などは分からない。
できるのは、ただ筆を執り、文字で認識を定義するのみだ。
私は今日も椅子に座り、言葉を紡ぐ。
そして来訪者を部屋で待ち構える。
いつか、私の定義を根本から揺るがす者が現れることを信じて。
おわり……?
小説のテーマ、募集中です。
これの続きはまた気が向いたら書くかもしれませんね。




