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砂の国の料理店

砂漠を渡って三日目の夕暮れ、ようやく街にたどり着いた。

低い日差しに照らされる白壁の家々、その奥から香辛料とミルクの匂いが漂ってくる。

喉は渇き、胃袋は空っぽ。だが、心の方がもっと乾いていた。

度重なる戦、劣勢と見限っての退却は間違っていなかった。その証に、今も生きている。しかし---


俺の名はサティシュ。(ヴァータ)の弓使い。その腕を見込まれ、カヴィール領の傭兵になった。

隣国との争いに駆り出され、命からがらこの街に逃げ帰ってきた軟弱者だ。


空腹にふらつきながら裏路地に足を踏み入れると、ひっそりとした一軒の店に行き当たった。

かすかに漂う香りが「ここが食事処だ」と教えてくれる。

木の扉の上には、ちいさな看板がひとつ。

「ghazā va davā 食事と薬」


扉を押すと、からん…と小さな鈴が鳴った。

店内は薄暗く、壁に掛けられた油灯が揺れている。

木の椅子と丸い机がいくつか並び、奥には調理場があるらしい。


そして、そこにいた。


黒髪を布でまとめ、静かな目をした女。

こちらを見つめ、ふっと口元だけで微笑んだ。

「……遠くから来たんだね」


その一言で、砂漠の旅の疲れが急に意識にのぼった。崩れるように椅子に座る。

まだ年若い女はそれ以上何も言わず、鍋に油を垂らし、香草をひとつまみ落とした。

香りがふわりと広がる。まるで自分の心の中を覗かれ、その疲れを癒やすために用意されているかのようだった。


「食べることで人は癒される。メニューは多くないのだけれど…あなた、食べられないものはある?」

私が首を横に振ると、女料理人は静かに頷き、鍋に手をかざした。

火を操るようにゆらりと注ぎ込む、魔力。

淡い光が鍋の表面に揺らめき、香りが空気を波打つように変化する。

光の消えないうちに、根菜と羊肉、いくつかのスパイスが鍋に入れられた。


これは・・・回復魔法の1種だろうが、見たことがない。この女の固有魔法だろうか?

驚く私をよそに、鍋には水が足され、温かい香りが部屋に立ち込めた。


やがて目の前に置かれたのは、深い琥珀色のスープ。

スパイスの香りは甘く、ぴりりとした辛さがほんのり混じる。

スプーンを口に運ぶと、身体の内部で魔力が巡るような感覚があった。

右肘の傷や、鉛のような心の重さが、光に溶けるかのようにゆっくりほどけていく。

香りのよい油をまとった柔らかい羊肉を噛みしめる。血が巡り、気が満ちてゆく。

夢中で食べ、皿が空になるころには、私の周りには風の流れが戻ってきていた。


体質(ドーシャ)に合った薬草の力と魔法が完璧に調和したかのようだった。


「どうだい、少しは落ち着いたかな」

その女---サラは、にこりと笑ってミルク入りのお茶をテーブルに置いた。


温かいお茶が身体に染み渡ると同時に、頭の中がはっきりと、クリアになる。

何重にも重なっていた薄紙が、一枚ずつはがれていくかのように、視界が開けていく。

助かった。俺は、助かったのだ。

空腹を満たした今、より強く感じたのは自身の不甲斐なさ・・・ではなかった。

命を永らえたことの有難さ。そしてこの命を無駄にしないために、どうしたらいいのか?

戦場から逃げ出した俺だが、現場で見聞きしてきた一部始終はまだ仲間たちに伝わっていないはずだ。敵の情報もある。少しは価値があるだろう。無駄にしたくない。

一度なくした命と思えば、処罰も怖くなはい。


もう行くところなどないと思っていたが・・・

お茶を飲みおえ、俺の行く先は決まった。

顔を上げると、サラと目が合った。


「美味かった。・・・生きる気力がわいてきたよ。この恩は忘れない。

 それにしても、珍しい魔法を使うんだな。固有魔法か?」


「うまく効いたようでよかったよ。

 この魔法は、遺伝でね。この国ではちょっと珍しいかもしれないね。


また来ておくれよ。」


提示された金額のほかに、銀貨を数枚多く置いて店のドアを押す。

軽やかな鈴の音に見送られ、往来へ出ると夕闇が迫っていた。

風の力がみなぎり、歩くスピードが自然と上がる。早く、はやく仲間の元へ。そして叶うならばまた戦場へ。

退いた意味を、示したい。最終的な勝利に繋げたい。

俺は、戦う意味を思い出していた。


---


店内にはしばらくの間、心地よい風の気配が充満していた。

やさしく頬を撫でるそよ風に、サラはほっと胸を撫でおろす。

最後に律儀に名乗っていった、精悍な顔つきの風使い。サティシュの幸運を祈りながら店じまいを済ませると

古い絨毯の上で座禅を組み、ゆっくりと身体を伸ばすのだった。


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