第43話 備え
翌日、俺が目覚めると、既に渉、楓姉、天音の三人の姿はなかった。
時刻は九時、疲れていたのか、眠り過ぎたようだ。
俺は立ち上がると、窓辺に近寄り、窓を開けて外を覗いてみる。
すると横殴りの激しい雨が室内へと入ってきた。
雨の冷たさに慌てて窓を閉め、楓姉の部屋を出て、一階のリビングへと向かう。
扉を開けて室内に入ると、制服姿に着替えた渉と天音がソファに座っていた。
片手を軽く上げて、天音がニッコリと微笑む。
「おはよう。今日はすごい雨んだよ」
「さっき窓から見た。それより天音、体の具合はどうなんだ? 体調はいいのか?」
「うん、大丈夫。二人から聞いたんだけど、昨日の夜、私が心霊に憑りつかれて、すごく暴れて大変だったって。渉君と和也が助けてくれたって楓お姉さんが言ってたわ。和也も私のために頑張ってくれたんだね。すっごく嬉しいわ」
天音の笑みに思わず視線を逸らす。
そしてニヤニヤと笑っている渉に声をかけた。
「それで天音は昨日の記憶はあるのか?」
「どうして僕に聞くんだよ。彼女に質問してみたが、ボンヤリと覚えているらしいが、自分がどうなっていたかは全くわからないそうだよ」
「あのね、なんだかテレビの画面越しに、外をボンヤリ見てる感じ。全く現実感がないみたいな。それで時々、何も覚えてないのよね」
渉と天音の話を聞いて、俺は内心でホッと安堵する。
あれほど酷い怪奇現象も、記憶が朧げならトラウマになることもなさそうだ。
すると楓姉がコップに入れた牛乳と、食パンを乗せた皿を持って、ダイニングから現れた。
「和也はやっと起きたのね。皆揃ったことだし、簡単に朝食を済ませちゃいましょ。和也も運ぶのを手伝って」
「それなら私が運びます」
「うんうん、天音ちゃんは良いお嫁さんになりそうね。天音ちゃんなら和也の寝込みを襲ってもOKよ。既成事実を作ったら女のほうが強いんだから」
ニコニコと微笑んで、楓姉が物騒なことをのたまう。
それに反応して、俺は思わず叫んだ。
「朝から何を言ってんだよ! 天音に変なこと教えるな! 天音が楓姉みたいになったら困るだろ!」
「あら、いいじゃない。和也みたいな奥手には女性のほうがガンガンとリードしないとね」
俺と楓姉が言争っている間、天音は顔を真赤にして、両手で頬を押え、「夜這い……既成事実……リード……」と何やら危ない妄想をしている。
家でも学校でも、俺の周囲の女性連中は、どうして俺のことを弄ってくるんだよ。
最近は渉にまでもからかわれているし、納得がいかない。
楓姉がリビングのテーブルに料理を置いている内に、俺はダイニングへと赴く。
するとパタパタと足音をさせて、天音が急いで追いかけてきた。
その後ろに渉もゆっくりと歩いてくる。
俺達三人は各々で食パンと牛乳をリビングに運び、入れ替わるように楓姉がサラダと目玉焼きなどを
取りに、ダイニングへと向かった。
その後、天音と楓姉が往復を繰り返し、朝食の準備が整ったので、俺達四人は床に座り、食事をいただいた。
後片付けも終わり、楓姉が冷蔵庫から持ってきた飲料水のペットボトルを、皆で飲む。
一息ついたところで、楓姉が首を傾げた。
「今日、葵ちゃんの家に行くのよね。昨日の心霊現象で葵ちゃんが怪異の中心というのはわかったけど、家に行って危なくないの? 門を潜ると土の中からゾンビが這い出てくるとか? 部屋の掛け軸から女性の怨霊が襲い掛かってくるとか?」
「楓姉はYouTubeのホラー番組の観すぎだな。あれは怪談師が実話に基づいて話を盛って、怖いように語っているだけだから。実際にはあり得ないだろ」
「そんなのわかんないじゃない。昨日だって相当怖かったんだから」
俺と楓姉が話していると、渉があごに拳を当てて、俺達を見る。
「楓お姉さんの言っていることはあながち的外れじゃない。怪奇現象に対応するには、想定外のことも考えておく必要がある」
「ほら、渉君も賛成じゃん。昨日の夜にあんなかこがあったんだから、幾ら警戒しても足りないぐらい」
二人にそう言われると言い返す言葉もない。
すると俺の隣にいた天音が、ふと疑問を口にする。
「でも、どうやって用心するの? 凪沙達に、葵の家に行くことを伝えておいたほうがいい?」
「それは止めておけ。俺や渉が、心霊現象について動いてると知ったら、二人に反対されるだけだ。葵が原因かもしれないなんて言ったら、妄想で行動するなと乗り込んでくるぞ」
咲良の死について俺と渉が推測していた時、あの二人は心霊現象に拒絶反応を起していた。
たぶん立て続けに起こっている不気味な事象に心が閉ざされてきている。
そんな二人に今日のことを伝えるのは悪手でしかない。
すると渉が俺達三人を見回し、穏やかに微笑む。
「丁度、兄さんに連絡しようと思っていたんです。僕は兄の代わりに、この街に来ました。なので、兄達も動いてくれると思います」
「渉君のお兄さんって神社の霊媒師の関係者よね」
「はい。僕よりも怪異や心霊現象に詳しく対処できます。僕達に何かあれば、兄達であれば、必ず助けてくれるはずです」
その説明を聞いて、楓姉が「渉君のお兄さんって、やっぱりイケメンなのかな?」と天音に問いかける。すると天音が「期待できますね」と二人で嬉しそうにはしゃぎ始めた。
今まで緊張した話をしていたのに、この二人は……
これぐらい気楽なほうが、怖がられてるよりも心強くはあるけどな。
渉はソファから立ち上がると、「兄さんに連絡してきます」とスマホを片手に、リビングを出て行った。
これで準備は整った、後は怪異に巻き込まれている葵を助け出すだけだ。
俺は片手でシャツを握り締め、心の中で「無事でいてくれよ」と祈るのだった。