第33話 親父の容態
俺、楓姉の二人は備え付けの椅子に座って、ベッドに横になっている親父と雑談をして過ごしていた。
普段通りに話しているが、徐々に顔色が悪くなり、時折親父が辛そうな表情を浮かべる。
その様子を見た楓姉が心配そうに親父に声をかける。
「父さん、どこか苦しいの? 看護婦を呼んでこようか?」
「心配するな、過労で倒れただけ――ゴホッ、ゴホゴホッ――だから……ゴホホホホホホッ」
会話の途中で、親父は咳き込み始め、苦しそうに表情を歪めた。
俺達が病室に来てから、さっきまで楽しそうに会話をしていたのに、なぜ?
もしかすると俺や楓姉に心配させまいと、親父は平静を装っていたのか。
頑固な親父ならやりそうなことだ。
俺は椅子から立ち上がり「看護婦を呼んでくる」と言って、病室を出てナースセンターまで、廊下を走った。
そしてPCの前で事務処理をしている看護婦に声をかける。
「すみません。五百十一号室に入院している月森ですが。急に親父が苦しみだして。至急で対応をお願いします」
「わかりました 、お父さんの体調が急変したんですね。至急で担当医師に伝えます。私達もすぐに病室へ向かいますから。お父さんの傍にいてください」
俺の話を聞いた看護婦は、固定電話の受話器を取り、どこかへ連絡を始めた。
ナースステーションにいた他の看護婦達も慌ただしく動き始める。
その様子を見て、少し安堵した俺は引き返そうと廊下を歩いていると、先ほどの看護婦が俺に追いつき、一緒に病室へと向かう。
ドアを開けて室内に入ると、まだ咳をする親父の声が聞こえてきた。
すると看護婦がベッドの傍まで歩いていき、親父を励ます。
「すぐに担当医が来ますから、それまで耐えてください」
そう言いながら、看護婦は親父の手を取り、脈を測る。
俺は楓姉の肩を抱き、看護婦の邪魔にならないようにそっと窓際に寄り添った。
それから少しして、次々と看護婦達が病室に現れ、担当医も駆け付けた。
担当医が親父の治療をしてくれているが、医学的知識のない俺は、何をしているのか全く分からない。
呆然と見ていると、隣で楓姉が両手で口を覆いながら言葉を漏らす。
「どうしてよ……さっきまで元気だったじゃない……」
それからしばらくして、医者の処置が上手くいったのか、親父の咳は徐々に止まり、呼吸音も安定してきた。
どうやら睡眠薬も使われたらしく、親父は目をつむって眠りに入った。
その寝顔を見て、担当医は大きく頷き、俺達の方へ顔を向けて、手で廊下を指し示す。
看護婦達の後に続いて病室を出ると、担当医が廊下で待っていた。
「この病院に運ばれてきた当初は、私が診察を行い、過労と栄養失調と判断し、点滴を投与して様子をみていました。しかし、先ほどの様子からすると、どうやら精密検査が必要なようです。十日ほど入院することになると思います」
「わかりました。よろしくお願いいたします」
「今は強い睡眠薬で寝ていますから、その間はお二人も気を楽にしてください。もし容体に何かあれば、呼んでいただければすぐに駆け付けますから。お父さんは大丈夫ですから安心してください」
担当医はそういうとニコっと薄い笑みを浮かべ、廊下を去っていった。
ただの過労で、あんな酷い咳をするものなのか?
検査で何も悪い箇所がなければいいが。
病室に戻って椅子に座り、しばらく眠っている親父の様子を眺めていると、楓姉が俺の肩に、静かに手を置く。
「お姉ちゃんは父さんと一緒にいるから、和也は電車で家に帰りなさい。明日、学校があるでしょ。それに悠乃ちゃんのお通夜があるでしょ」
「いや、悠乃の通夜や葬式にも行かないつもりだよ。彼女とは一度しか面識がないし、まだ知り合いでもなかったから。天音のことは凪沙に任せようと思う。たぶん雄二も付き添うはずだし」
「そう……和也がそう決めたなら何も言わないわ。ただし、天音ちゃんから連絡があったら、優しくしてあげなさいよ。好きって言ってくれる女性を大事にしないとダメだからね。天音ちゃんを守ってあげなさいよ」
「……善処するよ」
俺は長く息を吐き、髪をかきながら、話題を変える。
「検査入院になるなら、着替えを持ってきたほうがいいか? それなら学校が終ってから持ってくるけど」
「その心配は要らないわ。私だって一応は女子大生だし、年頃の弟に、下着を持ってきてとは頼めないわ。明日一度家に戻って、父さんの着替えと一緒に荷造りするわ。私が家に当分といないからって、寂しがらないでね」
「何言ってんだか。連絡したくなったら楓姉から通話してきてもいいからな」
二人で軽口を言い合い、それから俺は椅子から立ち上がり、親父の手に、渉からもらった数珠を握らせて、病室を後にした。
病院の玄関先に出たところで、渉にLINE通話をかける。
そして応答にでた彼に、親父が過労のため検査入院になったことを伝える。
次に天音に連絡すると、彼女は少しだけ元気を取り戻していた。
明日の悠乃の通夜に参列しないと伝えると、天音の傍に凪沙が「薄情者」と喚く声が聞こえてきた。
すると天音は彼女に向けて「黙ってて」と告げ、それから三十分ほど他愛もない話を続けた。
駅に向かって大通りを歩いていると、また雨が降り始めた。
体全身が濡れていく中、空を見上げると、暗い雲が空一面に広がっていた。