第3話 莉子の家
霧野川市は、霧野川駅を中心に四方に広がっている典型的な田舎街だ。
街の中心を電車の路線が東西に走り、街の北側には高速道路が並行している。
駅の南側に霧野川高校と商店街があり、その周囲から住宅街が広がっており、その向こうには霧野川という大きな河川があり、橋を渡って行けば、また別の街へと続いていく。
駅を中心に街の再開発が進んだおかげで、住宅街の途中までは、区画整理された真っ直な道路が多く、割と新しい住宅が多い。
地元の人達は新しい街並みに住む人達を「振興地の人」、霧野川付近に住む人達のことを「元霧原村の人」と呼ぶ。
新しく移り住んだ者達と、古くから地元に住んでいる者を区別している言葉で、俺はあまりその言葉が好きではない。
俺、雄二、凪沙、莉子の家は振興地のにあり、葵の家だけは古い地区、元霧原村にある。
小学校の頃に莉子とも一緒に遊んだことはあるが、彼女の家に遊びにいった記憶はない。
凪沙に聞いてみると、莉子の家は振興地の南端の近くにあるそうだ。
俺達は商店街に立ち寄って、クッキーの詰め合わせを買っていくことにした。
雄二がいうには「親しい仲にも礼儀あり」なのだそうだ。
時間はまだ夕方になる前なので、住宅街の道を歩く人影は少なく、車もたまにしか通らない。
そんな静かな道を、俺達は二人づつの列になって歩いていく。
先頭を雄二と凪沙が歩き、その後ろに葵と渉が続く。
そして俺が最後尾だ。
時々、渉が俺と並んで軽口を言ってきて、皆の笑いを誘う。
すると葵が顔を振り向け、ポツポツと俺に話しかけてきた。
「カズ君と一緒に歩くなんて小学校の時以来だね」
「そうだな。俺は中学ぐらいから変わったからな。俺と話しにくいのもわかってるから、葵は気にするな」
「そんなんじゃないの……カズ君、急に大人っぽくなったから……」
葵は話しながら、徐々に顔を下に向けて、声が小さくなる。
そういえば、小さい頃、近くの公園で遊びに行くと、いつも葵は子供達から離れて一人でいたよな。
葵は体も小さくて、声も小さくて、物静かで、だから子供達の輪に入れなくて、なぜか俺を見つけると、嬉しそうに走ってきたのを覚えてる。
そして少し間を置いて、葵が俺の顔を覗き込んできた。
「またカズ君と仲よくなれたらって……思うんだけど」
「別に葵から距離を取ってるつもりはない。話したくなったら、話しかけてくればいいさ」
俺が投げやりに応えると、葵は寂しそうに俯いて黙ってしまった。
すると、俺達二人の様子を見ていた渉が俺を指差す。
「そういうところが和也の悪い癖だ。仲よくしてもいいなら優しく言わないとね。そんな言い方、女子が萎縮しちゃうよ。女子と親しくなるのは良いことだし、それなら僕も許してもいいよ」
「どうして俺が女子と仲よくなるのに渉の許可が必要なんだよ。俺は渉の所有物じゃないぞ」
渉の言葉に反応して、葵は両手を口に当てて目を見開く。
そして話を聞いていたらしい、先頭を歩く雄二と凪沙がケラケラを大笑いをする。
渉が絡んでくると、奴のペースに乗せられて俺の調子が狂う。
それからしばらく黙って歩いていると、渉がまた最後尾まで下がってきて、無表情で道路を指差す。
「この道を南へ行くと霧野川があるんだよな? 昔から川の周辺に村があったのか?」
「俺は小さい頃に引っ越してきたからな。あまり霧野川市の昔については詳しくない。霧野川付近を元霧原村と地元の人達は呼んでいるけどな。もっと知りたければ川まで行ってみるといい。真っ直ぐ進んでいくと、道が、細かい路地に変わった辺りから昔の村らしいぞ」
「霧原村にある神社があるのかい?」
「元村だから神社ぐらいはあるだろ。俺達は知らないけどな」
俺の言葉を聞いて、渉は何かを考えるように何度も頷く。
最近ではパワースポットや神社巡りも流行りだから、渉もその手の類に興味があるのだろう。
今は俺達みたいな学生も、神社に行くらしいからな。
元霧原村の地域は路が細く、迷路のようになっているから、俺達のような振興地で育った子供は、親から「霧原村に行かない」と約束させられていた。
何度か探検しようと元霧原村へ行ったことはあるが、方向感覚が麻痺して迷子になり、早々に退散した記憶がある。
小、中、高と年齢を重ねていくうちに、村への興味も薄れて、霧野川に行く時には別の道を通ったので、今となっては全く気にしたことはなかった。
どうして元霧原村のことを聞いてくるんだ?
渉の様子に違和感を感じるが、すぐに忘れて俺は黙ったまま皆の後ろに歩いていく。
すると真っ直ぐに舗装された道の向こうに、細い路地が見てきた。
そして先頭を歩いていた雄二と凪沙が立ち止まる。
どうやら莉子の家に到着したようだ。
壁の向こうに小さな庭があって、その奥に三階建ての家があって、この辺りでよく見かける一般的な家屋だ。
家は二十年近く前に建てられた感じで、古いが壁は白くひび割れもない。
それに門の奥に見る庭の芝生はキレイに刈られていて、キレイな花壇もある。
それなのに家全体を包み込んでいる雰囲気が暗く、どこか冷たくて寂しく感じる。
その変な感じに、なぜか首筋がチリチリと怖気がした。
どうして気味悪く感じるんだ?
他の連中は平気なのか?
皆へ視線を向けると、雄二、凪沙、葵の三人は仲よく会話している。
しかし、渉だけは無表情に、暗い瞳で家を凝視していた。
雄二が門を開けて皆に声をかける。
「行こうぜ。もし莉子が寝ていたら、手土産だけお袋さんに渡して帰ればいいだろ」
「そうよね。莉子は体調を壊しているから、長居もできないし」
凪沙も葵の背中を押して、門の中へと入っていく。
その後に続き、俺と渉も細い石畳を歩いて家の玄関へと向かった。
チャイムを押して少し待つ。
しかし家の中からは物音がしない。
そのことに凪沙が首を傾げる。
「変ね? 莉子は家で休んでいるはずだから誰かいると思うけど」
「何度かチャイムを押してみて、誰も玄関に来なかったら、諦めようぜ」
雄二と凪沙は話し合い、その後に何度かチャイムを鳴らす。
すると玄関の扉が軋む音を立てながら静かに開き、隙間から誰かが顔を覗かせた。
たぶん莉子の母親なのだろうが、その顔には疲れ滲みでている。
髪もバサバサで整えられた様子もなく、目の下には黒い隈が染みついていて、瞳は暗く沈んでいる。
いったい莉子の家で何が起こっているんだ?
家の暗い印象と母親の異様な姿に、平穏な日常が急に異質に変化したように感じられ、俺は皆の後ろで立ち尽くすのだった。