第28話 一時避難
しばらく天音を抱きしめたまま立っていると、震えが収まった彼女は、体を離してニコリと微笑む。
「ありがとね。少し落ち着いた。和也に抱きしめられてすっごく嬉しい」
「楓姉の前で変なことは言わないでくれ」
俺の言葉を聞いて、「お姉さん?」と呟いて、天音は急いで楓姉の前に立ち、慌てて深々と頭を下げた。
「私は東條天音と言います。和也君とお付き合いさせていただいています。ご挨拶が遅れて申し訳ありません」
「ちょっと待て、俺はまだ正式に彼氏になるとは言ってないぞ」
「はいはい、和也は黙ってて。こんばんは天音ちゃん。私は和也の姉の楓と言います。不詳の弟だけどよろしくね。私とも仲良くしてくれると嬉しいわ。今度、家に来て。和也の小さい頃からの話をたくさん話してあげるからね」
俺を片手で押しのけ、一歩前に出て楓姉は天音に優しく微笑みかける。
すると恐怖が薄れたのか、天音は嬉しそうに照れて「今からでもお邪魔していいでしょうか」と言い出した。
すると楓姉は唇に人差し指を当てて、顔を斜め上に向けて考え始めた。
それに慌てた俺が思わず声をあげる。
「待て待て待て、年頃の女子が、いきなり男子の家に泊まりに行くとマズいだろ。まずは天音がご両親から許可を貰わないとダメだろ」
「まだ両親は仕事から帰ってきてないの。二人には聖華女学院の女友達の家に泊まりにいくって連絡すればいいわ。それに、ずっと怖くて不安だったのに、また一人で家にいるなんてイヤよ。それとも和也が私とにいてくれるてもいいいけど……」
そう言って天音が体の後ろで両手を組んで、モジモジと体を動かし、上目遣いで俺を見る。
そんな彼女の様子に、楓姉がうんうんと大きく頷いた。
「明日は土曜日だから高校も休みでしょ。それならうちに泊まりに来ればいいわ。ご両親への対応は私がしてあげるから安心して。仕事が忙しくなければ父さんも家に帰ってくるからはずだから、大人二人が一緒にいれば問題ないでしょ」
「僕としても、和也と天音が一緒にいたほうが、何かが起こった時に対処がしやすい。楓お姉さん、僕も一緒に泊まってもいいですか?」
「もちろん大歓迎よ。それなら天音ちゃんが和也の部屋に泊まって、渉君は私の部屋ね」
「勝手に決めてんじゃねーよ」
咄嗟に大声で文句をいうが、楓姉、渉、天音の三人は勝手に話を進め、俺の家に全員が泊まることに決まった。
その後に俺と渉は廊下に追い出され、部屋の中では天音と楓姉が急いで泊まる荷物をまとめている。
準備が整った天音は俺達三人と一緒に家を出て、駐車しているハスラーへと向かった。
それから車は五分ほど走り、大通りで沢山のパトカーと救急車が走り抜けるのを見た以外は、何の異変もなく俺の家へと到着した。
家に戻った楓姉はすぐに浴室へと向かい、風呂の用意を始め、それから「夕飯の準備をするわね」と言ってダイニングへと去っていく。
すると天音が「料理のお手伝いします」と言って、楓姉の後を追っていった。
二人が調理している間に、俺と渉は家中に護符を張り巡らせ、各部屋の四隅に盛り塩を配置していく。
それが終ると、渉は指を二本構えて、「シュッ、シュッ」と特殊な呼吸音を立てて、何かを呟きながら、各部屋を回っていく。
すると家の中の空気が、少し軽く、明るく和らいだように感じられた。
それから二階の私室で休んでいると、下の階から楓姉が「用意できたわよー」と大きな声が聞こえてきた。
渉と二人でダイニングへ急行すると、テーブルの上に焼き飯、野菜サラダ、山菜スープが並んでいた。
俺達四人は、テーブルの席に着いて、それぞれに食事を食べ始め、楓姉が料理を頬張りながら、何かを思い出したような表情をする。
「そういえば、天音ちゃんがLINEで連絡していた子達、心霊現象に遭ってないかしら?」
「そもそも幽霊って人から人へ伝播するもんなのか? 幽霊の分裂なんて聞いたことないぞ」
「幽霊自体は元は人だから、増えたりしないさ。でも心霊が放つ念が、大きく周囲に影響を与える事象は多くある。または怨念などに形はなく、複数の場所に霊障を与える事例も少なくない。怪異は水や電波、音波などを伝うという研究家もいるしね」
俺の問いに、渉が解説をする。
それを聞いた楓姉は納得した様子で大きく頷いた
「LINE通信が心霊が通り道になっていることもあるのね。それだと天音ちゃんも友達のことが心配よね」
「食事が終ったら一度、皆に連絡してみます」
「この家は護符で結界を張っているから霊障は起きにくい。たぶん友人とも連絡が取れると思うよ」
「渉君、ありがとう」
渉の言葉を聞いて、天音はニコリと微笑む。
談笑しながら食事を食べ終え、楓姉の指示で、俺と渉が食器を洗うことになった。
その間に楓姉はお風呂に入ると言って浴室へと向かい、天音はリビングで友人達へ連絡を取っている。
渉と二人でリビングへ行くと、ソファに座ってスマホを操作していた天音が顔をあげる。
「LINEのコメントだけど、何人かの女子には連絡がついたわ。皆、何にも異常がないって、でも悠乃 と美結に連絡が取れないの。あと中学の時の友達の何人かにも。いつもこんなことないのに」
「既読がついてなければ、コメントを読んでないんだろ。今は忙しいのかもしれないし。気長に待ってれば返信がくると思うぞ」
「そうね。私もちょっと不安に思い過ぎかもね」
俺に同意して天音は大きく頷く。
そして俺達三人はソファに座って、雑談をしていると、扉が開いて、バスタオルで髪を拭きながら楓姉が現れた。
「湯船に入ると体も温まるし、心もリラックスするわ。天音ちゃん、お風呂に入ってきて」
「はーい、ありがとうございます」
天音は明るく立ち上がり、カーゴを引いて、廊下へと去っていった。
その後ろ姿を見送って、楓姉が俺に声をかける。
「明るくていい子じゃないの。天音ちゃん、和也のことが好きみたいじゃない。もう告白はされたの」
「うるせーな。楓姉に関係ねーだろ」
「弟に彼女が初めてできるかもしれないんだから、私としても重大よね。優柔不断なことをしてないで、彼女を大事にしてあげなさい」
楓姉にキツク諭され、俺は顔を横へ向けるしかできなかった。