第11話 細い路地
鈴の音は路地の右手から聞こえ、段々と音が近づいているように感じた。
その音を聞いているうちに、先ほどまでパニックになっていた心が次第に落ち着いていくのがわかる。
まるで、深い闇の中にひと筋の光が差し込むように、鈴の音が心を鎮めてくれる。
そして目の前の漆黒の中にいた不気味な何かの動きがピタリと止まった。
何が起こっているのかわからず、体を硬直させたまま座っていると、鈴の音と共に、樹々の騒めき、微かな風の音が耳に聞こえてきた。
ハッと我に返り、左右を見回すと、朽ちかけた街灯のうす暗い明かりが地面を照らしている。
そして視線を目の前に路に戻すと、遠くに街灯の明かりが見え、漆黒の闇は跡形もなく消え去っていた。
その状況の変化についていけず、俺は思わず言葉を漏らす。
「……どうなってんだよ……」
しばらく、土塀にもたれて座っていると、「リーン、リーン、リーン」と鈴音が間近に聞こえ、右の路地の方へ服向くと、街灯の下に俺と同じ制服のブレザーを着た、見知った男子が立っていた。
どうして渉がここに?
本当に渉なのか?
俺はヨロヨロと立ち上げり、ジッと渉の姿を見据える。
すると渉が鈴を片手に持ち、穏やかな笑みを浮かべ、俺の前まで歩いてきた。
「どうやら何かあったようだな。気になって来てみて良かった」
「いったいどういうことなんだよ!」
俺が片腕を振って大声を出すと、渉は涼しい表情で肩を竦めた。
「僕はただ路地を歩いてきただけさ。だから和也の巻き込まれた状況を知らない。まずは何があったか教えてくれないか」
「……そうだな」
先ほどの暗闇と漆黒の影のことはハッキリと覚えている。
莉子の家を出て葵を彼女の家まで送っていき、その帰り道、背筋が凍るような異様な出来事に遭遇したことを、俺は震える声で渉に説明した。
すると渉は大きく頷くと、無表情のまま静かな声で俺に告げる。
「どうやら和也は怪異と出遭ったようだな」
「それって心霊現象のことか?」
「そうだ……古くからある集落の地区に入ると聞いていたから、すこし気になっていたんだ」
「自分だけで納得するな。俺にもわかるように説明してくれ」
「説明は後だ。振興地までの路は僕が覚えている。早くこの地区から抜けたほうがいい」
「わかった」
こんな場所に留まって、あんな恐怖の異質空間に巻き込まれるのはゴメンだ。
俺と渉は互いに頷いて、その場を離れた。
先頭を行く渉は、正確に角を曲がって、歩調を変えることなく進んでいく。
その後ろ姿を見て、ふと疑問が頭を過った。
「どうやって俺を見つけたんだ? 渉は葵の家を知っていたのか?」
「いや、知らない。ここで説明するのはマズイから、その話も後だ。」
二人で闇に包まれた路地を歩いていると、路の脇に間隔を開けて、幾つお地蔵様が立っている。
葵と通った行き道の時は、全く気づかなかった。
お地蔵様といえば、賽の河原で子供が石を積んでいる時に現れ、霊界に連れていってくれる仏様だよな。
そのお地蔵様が、色々な場所に立っていることに、どんな意味があるんだろう?
俺はお地蔵様を見る度に、妙な不安に駆られ、首を傾げながら通り過ぎていく。
何度目かの角を曲がり、暗い路地を進んでいくと、二車線の道路が姿を現した。
やっと元霧原村の地区を抜けることができる。
歩道に立って、俺は両膝を手で押え、地面を向いて、何度も深呼吸をしていると、頭上から渉の声が聞こえてきた。
「ここから駅方面は振興地だから、たぶん、もう安心していい」
「適当な言い方だな」
「適当に言ったからな」
そう言って渉は薄く笑う。
二人で他愛もないやり取りをしている間に、俺は徐々に普段の調子が戻ってきた。
すると渉が街の中心を親指で指し、歩き出す。
俺もそれに続き、二人並んで、歩道をゆっくりと歩いた。
振興地の区画は、真っ直ぐに伸びる広い道路が続いており、等間隔で設置された街灯が道を明るく照らしている。
なので細い路地のような閉塞感はなく、どこか開放的な雰囲気が漂っていた。
「ふー、振興地に入っただけで、こんなに雰囲気が変わるんだな」
「それはそうさ。新しい街並みは、一度建物が壊されて再開発されているだろ。だから今まで街に密集していた様々な念が分散されるのさ。しかし、古くから続く集落では、昔からの念が集まっているからな」
「俺にもわかるように言ってくれ」
「古い日本家屋にはそれなりに念が籠っているし、昔ながらの路地が入り組んで迷路のようになっている場所なら、広い通り道がないから、尚更に念が留まってしまう。要するに古い街並みは、怪異が起きてもおかしくないってことさ」
渉の言いたいことは何となく理解できる。
古いモノには念が籠るって言われるからな。
すると渉が立ち止まって、曲がり角から横道を指で差す。
「昔は、交差点や曲がり角を『辻』と呼んでいたんだ。辻はこの世と異界、霊界との境界とされていて、人々は『辻』を恐れたんだ。迷路のような辻を曲がっていくうちに人が行方不明になったという心霊現象も多くあるんだ」
「それが俺の体験したことだっていうのか」
「そうとも言えるし、そうでないかもしれない」
俺が不貞腐れた表情をすると、渉は肩を竦める。
それからしばらく歩いていくと、俺の家の近くにある十字路に到着した。
「俺の家があるのはこっちだから、また明日な」
「わかった。学校で会おう」
渉の声に片手を上げ、彼に背を向けたまま、俺は人影のない横道を歩き始めた。
ついつい、いつもの癖で無意識にブレザーのポケットからスマホを取り出して、画面を指でタップする。
すると画面が明るくなり、スマホが起動した。
元霧原村の地区ではスマホは壊れたみたいに全く動かなかったのに変だな。
違和感を感じながら時刻を確認すると、二十時三十二分だった。
ブラック企業の社畜をしている父親は、今日も帰りは終電間際か、または帰れずに泊まりだろう。
大学二年生の楓姉は、家にいる時は、いつも妙に絡んでくるから、うっとうしい時がたまにある。
その口うるさい姉の顔を思い出し、俺は心が温かくなるのを感じた。