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散文

サブカル人間

作者: 永井晴

「サブカル」と自称して、お洒落して、同じ趣味の彼女を自慢する友達に少し距離を覚えた。彼は前まで「同じ趣味の彼女」を探して乱舞するかのようだった。それを手に入れた幸せをいま皆に見せつけている。二人はサブカルカップルの典型といった感じだった。断っておくと、嫉妬はない。むしろ喜ばしく思えていたほどであった。しかし彼は同じ趣味を持たぬ人を排除してしまったような気がする。謂わば住む世界を決めて、門を閉ざした。何ともサブカル的な匂いがする状況だろう。彼の姿は孤独であった時よりもより滑稽に見えた。

所謂サブカルの人間はいつも斜に構えた目をして、妙な自信と妙な不安の中にいる。僕も彼らと同じような趣味を持っていた。でも彼らの作りたがるコミュニティには嫌悪を覚えることがしばしばある。クラスではあんなに群れる人たちを睨んでいたのに、同じ趣味の人がいればほら。趣味の解像度が似ている人とは特に。そして自分たちのことには気づかない。むしろ群れから出ようとはしないで、私の生きていい世界があったんだと心の底から歓喜する。斜に構えていた目はそのままに。その時ブーメランは完成する。滑稽の出来上がりだ。

僕も彼らと同じような趣味を持っている。しかし僕は運命とかを信じたいし、それは別に同じ趣味を持つ人たちには限定されない。彼らの目の敵にする人たちも、僕にはありのまま、または純粋ということでひとつ魅力的に映る。憎むべき幼稚さを裏返したら、素敵なものがあったわけだ。サブカルという言葉は革新的のようでありながら、ある種保守的なものである。別に他の革新的な概念にも言えるけれど、それらはずっと「クリティカル」という視点に留まっている。

でも、僕が世界の全てを見渡せるわけでない。僕のやっていることは人間を選り好む行為で、それは彼らと何ら変わらない。あれ、僕もまた滑稽な人。どうせ人は狭い範囲しか見れないんだから。そうしてまた、輝くのはありのままの人たち。あの人たちが彼らを憎むのは、もしかするとそういう嫉妬からかしら。そんなふうにすら思える。まあ結局、僕もサブカル人間の一種だろう。しかし自己を限定しきらぬように、そのためにいつも懸命になりたいと思う。ありのままであろうと思う。


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