10.気になる女性(2)
「送っていこう」
「え?」
「……いや」
アーネストも、自分がなぜそのようなことを言ってしまったのかがわからなかった。
「こんな時間だからだ。まだ、この辺りも治安がいいとはけして言えない。何かあってからでは遅い」
「ですが、クワイン将軍にそのような……恐れ多いです……」
「むしろ、この町に住む者が安心して生活を送れるようにするのが、俺たちの仕事だ。外の広場で待っている」
彼女は何か言いたげだったが、アーネストはベルをカランコロンと鳴らして外に出た。
左へ行けばいつもの回廊へ続き、その先は軍所有の建物につながっている。右へ行けば噴水のある広場に出る。
天気の良い日は、広場に道化師がやってきて人々を楽しませているし、噴水の水で遊ぶ子どもたちもいる。広場に人が集まるようになったのも、ごく最近の話だ。
とっぷりと闇に覆われた外を、アーネストは広場に向かって歩く。噴水の吹き出る音が、異様に大きく聞こえた。
広場の周囲にはぽつぽつとガス灯があるものの、そこから離れれば一気に暗くなる。彼女がどこまで帰るのかわからないが、やはりこんなに暗い場所を、若い女性一人で歩かせるのは危険だ。
それに、ジョアンも言っていたように、客観的に見ても彼女はかわいい。
「あの」
声をかけられ振り向くと、ランタンを手にしたリリーだった。
「お待たせして申し訳ありません」
「いや、待っていない。家はどの辺りだ?」
「あ、はい。三区です」
「三区? 失礼だが、リリー殿は結婚を?」
「しています」
ガイロの街では居住区が一区、二区、三区と区分けされており、区分けされた地区で納税額が異なる。三区は主に、既婚者、子どもがいる世帯が住んでいる地区であるため、アーネストも彼女が既婚者であると推測したのだ。
「ならば、このように遅くなるときには、配偶者に迎えに来てもらうようにしなさい」
「……せん」
「なんだ?」
「夫は、おりません」
「どういうことだ?」
アーネストは眉間に力を込めた。最近、こうやって顔に力をいれてしわを作ると、痕が残る。そうならないように心がけているつもりだが、彼女の今の話を聞いたら、無意識のうちにそうしていた。
結婚しているというのに夫はいないと言われても、意味がわからない。いや、もしかしたら夫に先立たれたのだろうか。となれば、税金の安い、一区に住むことだって可能だ。
「とりあえず、それは俺が持とう。三区だな?」
アーネストは彼女が手にしていたランタンを奪い取った。
広場から離れると、周囲はぐっと暗くなり、噴水の音も聞こえなくなる。カツカツと二人分の足音が周囲に響く。
「あまり人の家庭に口を出すものでもないが。一区に住める条件であるならば、一区のほうが納める税金は安くなる。それに、まだ向こうのほうが見回りの兵も多い」
「……はい。ですが、夫と死別したわけではないので、一区には住めないのです」
「そうか」
これ以上、深入りしてはならない。
アーネストは軍人として彼女の護衛についているだけ。こんな夜遅くに、若い女性を一人歩きさせるのは危険だからだ。
「わたし、結婚して……二年経つのですが。夫は仕事で別の土地にいるので、離れて暮らしているのです」
そうであるなら、相手の仕事先についていけばいいものを――
と思ったが、その言葉はぐっと呑み込んだ。事情があって、家族を仕事先に連れていけないのは多々ある。
アーネストだってそうだ。
「そうか」
「手紙は定期的に書いてはいるのですが。返事はまったくこなくて。死んでしまったのかも、と思ったときもありますが。それは大丈夫だったみたいで……だけど、仕事先で他に好きな人がいて、それでこっちに戻ってこないのかなって……」
そのような話を突然されても、アーネストとしては答えようがない。
「あ、ごめんなさい。変な話をしました」
「いや……」
「……あ、ここです。今日は送ってくださってありがとうございます」
彼女がぺこっと頭を下げると、おさげがふわりと動いた。ランタンの光でぼんやり橙色にとうつる彼女の姿に、なぜか心が揺さぶられる。
「クワイン将軍も、お気をつけて」
家の中に消える彼女の姿を見送ってから、アーネストは来た道を戻る。ランタンを借りたままだったことに気づいた。これは明日、食堂に行ったときに返せばいいだろう。
ただそれよりも、足音はしないのに近くに誰かがいる気配がした。それは、広場で彼女と会ったときから感じた気配。




