伯爵夫人ですが、夫が「派手な女と遊んでいた」とスキャンダルを報じられましたが、すみません、その“派手な女”は私なんです
ルナーレ王国王都に、ある貴族の夫婦が暮らしていた。
夫はルイス・エパール。若くして伯爵位を受け継ぎ、貴族院にて議員を務める。金髪を七三に分け、上品な顔立ちにはグリーンの瞳が備わっている。性格も温厚かつ果断で、周囲の尊敬を集める俊英といえる。
妻はエルザ・エパール。プラチナブロンドの髪を上品に編み上げ、透き通るような白肌を持ち、涼しげな美貌を纏う。寒色のドレスを好み、口数も少ないことから、いつからか“氷の夫人”とも称されるようになった。
絵に描いたような美男美女夫婦であり、庶民の間でもファンが多い。
しかし、この夫婦を巡って、世間を賑わす騒動が巻き起こることとなる。
ルナーレ王国では活版印刷が一般化しており、王都には新聞社が存在する。
週に何度かのタイミングで刷られる新聞は、街で販売されたり、サロンや店に卸されたりして、王都民に愛読され、話題の中心となる。
そして、ある日の新聞にこんな記事が掲載される。
『ルイス伯、派手な女と夜な夜な夜遊び!』
まだ結婚してそう時間も経っていないルイスが、王都の酒場にて、派手な女と酒を飲んでいたという記事が掲載された。
記事には文章だけでなく、写実的な絵も載せられていた。
そこには酒場のテーブルで楽しそうに笑う私服姿のルイスと、もう一人――露出度の高いノースリーブのワンピースを着て、美脚をあらわにし、サングラスをかけた女が描かれていた。
貴族にして現役議員のスキャンダルが報じられたのである。
記事にはルイスとこの派手な女は一度だけでなく、何度か逢瀬を交わしていることも書かれていた。
この報道で、王都では様々な憶測が飛び交う。
「ルイス様に限って、浮気なんかするはずがない」
「エルザ様は美人だけど、淡泊そうだから、ルイス様もつい魔が差したに違いない」
「夫に裏切られたエルザ様がお可哀想だ!」
しかし、ルイスの態度は堂々としたもので、議会に向かう途中、記者の集団に問い詰められても、
「話すことは何もない。彼女とは何もやましいことはしていない。失敬する」
毅然とした態度で応じた。
議会で他の議員から質問を受ける場面もあったが――
「ルイス君、今巷では君のスキャンダルが話題になっている。このことについて、どう思うかね?」
「私はやましいことはしておりませんし、それにここは国の行く末を論じる場。一議員の私生活を暴く場ではないでしょう」
堂々とはねのける。
周囲としてはルイスのスキャンダルがどうしても気になるが、ルイスは鉄壁の構えで一寸の隙も見せない。
ルイスがこうした態度でいる限り、事態はこれ以上燃え広がらないし、かといってなかなか鎮静もしない、という状況になっていた。
貴婦人のサロンでも、このことは当然話題になる。
当事者であるエルザも出席しているというのに、女性たちはあれこれ噂し合う。
「エルザ様は微塵も動揺していないわ。さすがね」
「夫に裏切られたかもしれないのに……」
「ルイス様を信じてるのよ、きっと」
エルザは“氷の夫人”の異名に恥じないたたずまいを見せる。
夫の醜聞などないものとばかりに、優雅な仕草で紅茶を飲む。
しかし、これは見せかけ。内心では非常に動揺していた。
といっても、夫の浮気にショックを受けているわけではない。彼女が動揺している理由。それは――
新聞で報じられた“派手な女”って私なのよね――
***
事の始まりは一ヶ月前にさかのぼる。
夜、エパール家の邸宅で、エルザはソファに座って新聞を読んでいた。そして、そっとため息をつく。
これを夫ルイスは見逃さなかった。
「エルザ、何か悩みでもあるのかい?」
エルザが顔を上げる。
「あなた……」
「君とは10代の頃に知り合い、婚約し、そのまま結婚した仲だ。それ以来、君はなんの不平もこぼさずに、僕を支え続けてくれた。だからもし、何か悩みがあるのなら言って欲しい。君が僕を支えてくれているように、僕だって君を支えたいんだ」
何でもないの、と返すこともできた。
だが、こうまで言ってくれている夫に本心を打ち明けないというのも、夫の愛や能力を侮っているようで嫌だった。
なので、エルザは思い切って打ち明けることにした。
「新聞を読んでいたら、『今時の女は派手に遊び歩いている』なんて記事があって……」
王都の盛り場で、派手に遊ぶ若い女性を揶揄するような記事だった。古い時代の女性はもっとおしとやかで……などの文面から記事を書いた人間が年配だと窺える。
夜の街を遊び歩く女など、気品ある伯爵夫人であるエルザからすれば、侮蔑すべき対象であろう。
だが、エルザには――
「彼女たちがとても輝いて見えたの。なんだか羨ましくなってしまったの」
エルザは幼い頃から貴族令嬢として教育を受け、ルイスと知り合い、そのまま結婚した。彼女の青春に『派手』や『遊び』などという文字はどこにもなかった。
ルイスは良き夫であり、自分が幸せであることに疑いの余地はない。
だが、だからこそ、新聞にあるような女性たちに、ある種の羨望も感じてしまっていた。
これに対し、ルイスは笑みをこぼしてこう言った。
「なら、遊ぼうじゃないか」
「えっ、でも……」
「そんなことぐらいお安い御用さ。でも、君としては他の婦人の目もあるだろうし、大っぴらにやりたくはないだろう。だから、変装するというのはどうだい?」
“変装”というワードに、エルザも胸をときめかせる。
「……面白そう!」
「だろう? さっそく明日にでも、君に“派手な女”になってもらおう」
ルイスはエルザからどういう“派手な女”になりたいか聞き取りをすると、使用人たちになるべく内密に変装用の衣装を購入してくるように命じた。
次の日の夜、エルザは用意された衣装に着替える。
頭には派手な赤いウィッグを被り、赤いワンピースを着て、赤いハイヒールを履く。
さらには顔にはサングラスをかける。
誰がどう見ても全くの別人。“氷の夫人”エルザ・エパールには見えなくなった。
二人きりということで、エルザは胸と腰を強調するようなポーズを取り、
「どう?」
とささやく。
すると、ルイスはぼそりとつぶやいた。
「まずいな……」
「え?」
「改めて、君に惚れてしまいそうだ」
「もう、あなたったら!」
二人は笑い合った。
そのまま二人は王都の酒場まで出向く。
なるべく隅の席に座り、エールを注文し、乾杯する。
エルザは最初、上品にエールを飲んでいたが、
「おいおい、こういう場所ではそんなことしなくていいんだよ。グイッといかないと」
「……そうね!」
夫の言葉でグイッとエールを飲み干す。
「……美味しい!」
「だろう?」
ルイスは慣れた調子で、酒場のウェイトレスにつまみのピーナッツを注文する。
「あなた、ずいぶん酒場に慣れてるのね」
「まあね。貴族の男同士は、付き合いでそれなりにこういうところに通うものさ」
「ふうん、そういうことにしておいてあげるわ」
上目遣いのエルザに、ルイスも「参ったな」と苦笑する。
その後も二人は酒やつまみを注文しつつ、雑談を楽しんだ。
ほんわりと酔いも回り、帰宅しようという時、エルザはすっかり満足していた。
「楽しかったわ……またやりたいかも」
「だったら、たまにはやろう。週に一度ぐらいでさ」
エルザとルイスは「新たな楽しみ」を見つけたことに喜びを覚えていた。
だが、そんな幸せな二人を目撃している一人の男がいた。
ハンチング帽を被った目つきの鋭い男だった。
「ククク、見たぞ見たぞ。若き俊英議員ルイス、謎の女と密会、か。こりゃあ大スクープだ」
男の名はドニー・ジェイス。新聞社の記者であり、日頃から肉食獣のように虎視眈々とスクープを狙っていた。
その後もルイスをマークし、何度かの“派手な女”との逢瀬を目撃。
さらには絵描きまで雇って、「あの二人をなるべく正確にスケッチしろ」と指示を飛ばした。
そして、ついにスクープ記事を掲載させるに至った。
記事は大反響であり、社内での彼の存在感は飛躍的に高まった。
「やったぜぇ! このまま出世すりゃあ、女房に楽させることもできる!」
これが、エルザが“派手な女”に扮し、そのことがスクープされるまでの顛末である。
***
邸宅にて、エルザは落ち込んでいた。
「ごめんなさい、あなた……」
「何を謝る必要がある。君は何も悪いことをしてないじゃないか」
「でも……私が“遊びたい”なんて言わなきゃ……」
「貴族が遊んで何が悪いのさ。どんな噂だって、時が経てば必ず消える。それを待てばいいのさ」
エルザは顔を上げる。
「でも、このままじゃあなたの立場が……!」
「なあに、僕は全く堪えてないし、君にも少し我慢してもらうことになるけど、君の評判を落とすようなことには絶対させないよ」
「……」
派手な女はエルザだったんですと暴露すれば、事態はおそらく収束する。
だが、それはエルザが長年培ってきた“氷の夫人”イメージの崩壊も意味する。
なのでルイスはこのスキャンダルは全て自分一人で引き受ける決心をしていた。
その代償としてルイスは連日のように記者につきまとわれ、議会でもたびたびこの件の質問を受ける。
この頃になると、邸宅の周辺にも野次馬が詰めかけるようになった。
他に大きなニュースがないこともあり、時間が解決してくれる、というのは甘い展望になりつつあった。
そして、エルザもまた決心を固めるのだった。
***
晴れた昼下がりのある日、王都のエパール家邸宅の周囲には、大勢の記者や野次馬が詰めかけていた。
「今、家には?」
「エルザ様がいるらしいぞ」
「何かコメント欲しいなぁ……」
この騒動が起きてから、エルザが彼らのような集団の前で公にコメントを発表したことは一度もない。
彼女が矢面に立たずに済んでいるのは、ひとえに夫ルイスや、使用人たちの尽力のおかげといえる。
だが――
「扉が開いた! 誰か出てきたぞ!」
てっきりエルザか使用人の誰かだと思った群衆たちは度肝を抜かれる。
「あ、あれは……!?」
邸宅から出てきたのは一人の女性だった。
派手な赤い髪、美脚をあらわにするような赤いワンピース、さらには赤いハイヒールを履いている。
目にはサングラスをつけ、唇には濃いルージュを塗りつけている。
群衆たちはすぐに分かった。
あれは、ルイスと遊んでいたという“派手な女”だと。
まさか、邸宅にいるとは思わなかったので、大騒ぎになる。
「間違いない……新聞に載ってた女だ!」
「なんでここに!?」
「まさか、エルザ様と何か話したのか!?」
“派手な女”はそのまま群衆たちの前に、堂々と立ちはだかる。
スキャンダルの渦中にいる正体不明の人物が目の前に現れたというのに、誰も声をかけることさえできない。
やがて一人の記者がおそるおそる質問を投げかける。
「あなたはルイス伯と遊んでいたという女性ですよね……。失礼ですが、お名前は?」
“派手な女”は一瞬の間の後、ウィッグを取り、サングラスを外し、颯爽と名乗った。
「私、エルザ・エパールと申します」
先ほどから驚いてばかりの群衆だったが、このカミングアウトに対する驚きは、この日一番のものになったことは言うまでもない。
***
エルザは“派手な女”としての格好のまま全てを説明した。
ルイスに「派手に遊ぶことへの憧れがある」と告げたこと。そうしたら、変装して遊びに行くことを提案されたこと。何度か酒場へ行き、とても楽しかったこと。しかし、スキャンダルとして記事になってしまったこと。ルイスはエルザのイメージを守るため、自分をかばってくれたこと、を。
エルザは最後に一言。
「皆様、お騒がせして申し訳ありませんでした」
こうしてしばし世間を騒がせた『ルイス伯浮気騒動』は、「夫と妻が酒場で酒を飲んでいただけ」という真相が明らかになった。
ルイスも当然、妻のカミングアウトを知ることになる。
「驚いたな。まさか、君があんな行動に出るなんて……」
「ごめんなさい、あなた……」
「いや、かまわないさ。“時間が解決する”という僕の見通しが甘かった。君のおかげで僕も助けられたんだ」
これで事態が鎮静化することは間違いない。
しかし、世間を騒がせた、真実を隠蔽していた、などのことは事実であり、二人はバッシングを受けることも覚悟する。
ところが、世間の反応は思いもよらぬものだった。
「“氷の夫人”の意外な一面だったな」
「夫婦でお互いにかばい合ってたってことでしょう? 素敵……」
「ますますあの二人のファンになっちゃったよ」
模範的貴族夫人でありながら“遊びたい”という一面を持っていたエルザや、そんな妻を徹底的にかばったルイスを好意的に解釈する声が大半を占めたのである。
婦人が集まるサロンにおいても、エルザの一面やカミングアウトをした勇気は称賛される。
「たまには遊びたいというお気持ちは分かるわ。今度遊びに行きましょうよ」
「ええ、是非」
騒動をきっかけに、社交界におけるエルザの交友関係はさらに広がった。
夫ルイスも議会でこんな一幕があった。
議長を務める公爵が、ルイスをこう称えた。
「議会でどんなに問い詰められても、奥方を守り抜いたルイス君はまさに貴族の鑑だ」
「ありがとうございます」
そして、ルイスはこうも返す。
「とはいえ、私の行いが世間に混乱を招いたのは事実。これからはその挽回をする意味も込めて、より一層議員として職務に励みます」
天晴れな貴族ぶりに、議会に拍手喝采が沸いた。
さらに、スキャンダルを報じた記者ドニーが、恰幅のいい妻ウェンディを連れて、邸宅までやってきた。
「申し訳ありませんでしたぁ! 私の記事のせいで、お二人にはとんでもないご迷惑を……」
ハンチング帽を脱いで頭を下げるドニーと、その妻ウェンディ。
しかし、エルザもルイスもさほど気にしてはいなかった。
「いえ、私たちも悪かったんですから。紛らわしいことをして……」
エルザが微笑む。
「それにこの報道で、我々の評判はむしろ上がった。なので、どうか気にしないで欲しい」
ルイスもうなずく。
これにドニーは安堵したような顔を浮かべるが、ウェンディはそれを許さなかった。
「そうだよ、あんた! あんたのガセ記事のせいで、お二人にとんだ迷惑かけて! あたしゃこの二人のファンだってのにさ!」
「ひいいっ! 俺はお前に楽をさせてやりたくて……」
「おだまり!」
鋭いビンタが飛んだ。ドニーは目を白黒させる。
「いいかい、これからあんたはお二人を応援するような記事を書くんだよ! それがヘボ記者として、お二人にできる唯一の償い方法さ!」
「応援するような記事って、例えば……?」
「そんなの自分で考えな!」
再びのビンタ。ドニーは泣きそうな顔になる。
エルザとルイスがなだめたらようやく落ち着いたが、ここに来るまでにもドニーが何発か浴びせられたのは想像に難くない。
ドニーとウェンディの夫婦は、平謝りしつつ、そのまま帰っていった。
ルイスが呆れたような表情で言う。
「……すごい夫婦だったね」
エルザは楽しそうに笑む。
「だけど、仲がよさそうな夫婦だったわ」
ルイスはうなずく。
「ああ、記事を書いた彼には思うところもあったが、彼らを見ていたら綺麗さっぱり水に流そうという気になったよ」
こうして一連のスキャンダル騒動は、どうにか丸く収まり、幕を閉じた。
***
それから一年、エルザとルイスは待望の第一子を授かった。
二人によく似た可愛らしい男の子であり、ベッドの上のエルザも、赤子を抱え上げるルイスも満面の笑みを浮かべた。
「よく頑張ったね、エルザ」
「ありがとう、あなた。この子もきっと、あなたのような立派な貴族に育つわ」
そして、エルザはこう提案する。
「そうだわ。ドニーさんもお呼びしたら?」
「いいね、彼ならいい記事を書いてくれそうだ」
邸宅に呼ばれたドニーは二つ返事で引き受ける。
「お任せ下さい! 最高の記事に仕上げてみせますぜ!」
今やドニーはすっかり心を入れ替え、有名人のスクープを追うよりも、前向きで明るい話題を提供するような記者に変貌している。
余談だが、彼もまた妻ウェンディとの間に、女の子を授かったとのこと。
「母ちゃんに似て怖い女になりそうだ」とつぶやいたら、産後まもない妻からビンタされたそうだ。
程なくして、ベッドで微笑むエルザ、その横で赤子を抱くルイス、という構図の絵と共に、新聞に記事が載った。
『ルイス、エルザ夫妻、ご立派な男子を授かる! エパール家の未来は明るい!』
この記事は大反響を呼び、新聞は飛ぶように売れたという。
おわり
お読み下さいましてありがとうございました。