8 エミール3
部屋に戻ると、手紙が届いていた。
また、お茶会のお誘いかと警戒したが、前回と違って、薄水色の封筒には美しい花の透かしが入っており、受取人に喜んでもらいたいという意図が窺える。敵意は感じられなかった。
封を開ければ、それはエミールからのお誘いだった。ノアは最後に会った時のエミールの言葉を思い出す。
(結果を報告すると言っていたものね)
時間の指定があったので、ノアはその時間に合わせて、待ち合わせの庭へ向かうことにした。
☆
指定の時間より随分と早く着いたが、エミールは既に椅子に座って待っていた。
待たせてしまっただろうか、と少し不安になったが、その心配は当のエミールによってすぐに打ち消された。
「お姉さん!」
エミールはノアの姿を認めるなり、ぱあっと満面の笑みになり、席を立つ。そして駆け寄って来て、勢い良くノアに抱きついた。
「家庭教師が変わることになったんです!」
エミールの報告は、吉報だった。心から喜んでいることが分かる笑顔に、ノアも嬉しくなって表情が緩む。
「良かった……。おめでとうございます!」
祝福の言葉を告げるとと、エミールはノアから離れ改めて向き合い、こくんと頷いた。
「ちゃんと相談するように言ってくれた、お姉さんのおかげです」
感謝の気持ちを伝えてくれるエミールを嬉しく思う。しかしノアは首を横に振った。
「いいえ。貴方が勇気を持って相談したから、ですよ。本当に良かったです……!」
そしてエミールに向けて微笑んだ。エミールもまた、はにかむように微笑み返す。二人の間に、ほのぼのとした空気が流れた。
テーブルにはお茶が準備されている。このまま、お茶でも飲みながら、ゆっくりと経緯を聞いてみようか、とノアが考えていると、
「それで、今日は、僕の大事な人にも来てもらうことになっているんです」
というエミールの言葉に、思考が停止した。
「……え?」
想定外の事態に、ノアは言葉を失う。
ノアは身代わりの娘であり、なるべく、この王城では人と関わりたくない身の上だ。
しかし、にこにこと邪気のないエミールの顔を見ると、断るのも忍びない。適当に切り抜けよう、と思い直したのも、束の間のことだった。
「ほら、あそこにいます。僕の兄です」
エミールが無邪気に指差す方向。そのアーチの影から姿を現した人物。その人は険しい表情をしており……ノアは息を呑んだ。
エミールの大事な人は、ノアにとっては最も会いたくない人物だったのである。
言葉を失うノアの正面まで歩み寄ったその人は、眉をひそめて、こう言った。
「どうしてお前がここにいる?」
その人ーーラウル王子は、エミールを自分の背に庇い、ノアと対峙した。
「エミールを騙して懐柔でもしようとしていたのか?」
恐らくエミールは、兄と二人でノアに経緯を説明しようと思っていたのだろう。そんな彼にとって、これは予想外の展開だったに違いない。戸惑い顔でノアと兄……ラウル王子を見比べる。しかし彼は「ノアを庇わなければ」と判断したようで、健気にもラウル王子の背後を抜け出し、二人の間に割って入り、訴える。
「お姉さんは、そんなこと、しないよ! 相談に乗ってくれたお友達って言ったでしょ!?」
しかし、エミールはまだほんの子供で、兄であるラウル王子に力で敵うはずもない。簡単に押しのけられてしまった。ラウル王子は疑いの眼差しでノアを射抜く。
「エミールに取り入って、何の悪巧みをしている」
「違うって言ってるでしょ!!」
エミールは、押しのけられながらもラウル王子に訴え続ける。そんな弟の様子に、このままでは埒が明かないと判断したのだろう、
「とにかくエミール。俺と一緒に帰るんだ。こんな女と一緒にいてはいけない」
と、ノアとエミールを引き離すことを優先させたようだ。
ラウル王子はエミールの腕を取る。そのまま、強引に歩みを進めた。エミールは否応なしに、彼に引きずられるようにして歩く形になる。
「待ってってば!」
エミールは抗議の声を上げるが、大人の力に敵うはずもない。そうして二人の姿は、庭の外へと消えて行った。
取り残されたノアは、怒涛の展開にしばらく頭が働かず放心していたが、ふと我に返ると、冷静にこう考えた。
(これで良かったのかもしれない)
ラウル王子の弟ということは、エミールもまた王子ということだ。所詮、身代わりであるノアには過ぎた存在だ。深く関わってはいけない。
(もう、エミール王子とも会うことはないでしょう)
穏やかな時間を与えてくれた少年に後ろ髪を引かれる思いもあるが、ノアはそれを振り切り、自らも庭を後にしたのだった。