さくらサクラ桜櫻‥‥姥桜
暖かさに慣れた身体に今朝の寒さはひびく。でも春は、ストーブを焚くと直ぐに暖まる。ほっとして時計を見上げると針は九時を示していた。集まりに合わせて車で出て、城址公園の堀端通りを過ぎると、両側の枝が桃色に染まり始めている。
えっ、四月一日なのに三分咲きなの。例年より半月も早い。数日前には蕾も堅かったのに。満月に向けて開くというから、三日前か。
ここが寒冷地と重々知りながら、毎年この日に花見とならない不満があつたが、今年はとうとう希望通りとなった。いつか見た絵本の、子どもたちのランドセルに花びらが降りかかる絵や、昔むかしの教科書『さいたさいた』の影響からか、小学校の入学式は満開の下で行われるという思い込みがある。
四時に会合が終わり、家路にと公園坂を上る。堀端では八分というより、もう満開に近い花が揺れている。
「トモさん。散ってしまうわよ。花見っ」
帰宅するなり、友人に電話する。都合が付かなくて葉桜になってしまった昨年の繰り返しは真っ平だ。賑やかな場所を歩くのに、この歳の一人身は連れを必要とする。
「なに寝ぼけているの。十五日過ぎと決まっているでしょう」
ここで生まれ育った彼女には想像の外なのだろう。早春に西瓜を八百屋に並べ、クローン牛まで誕生させた人間も、大自然の摂理に牛耳られている。
翌日の昼前、待ち合わせた二人が歩く公園は休日でもないのに人波が行き交い、綿飴に烏賊焼と屋台の方も万事抜かりなく揃っている。
「ねえ、昨日の新聞にスィート・サクラティっていう名前のシロップが載っていたの、飲んでみたいわね」
と、私は桜餅を手にする。
「葉っぱも食べるのよ」
姉さん気取りのトモさんは、ここぞとばかり私に指図する。昔、秋に落ちた桜の葉を掃除していた寺男がその多さに閉口し、餅を包むことを思いついた。その葉に酸化防止作用のあるクマリン・オイゲノールなどという抗菌が含まれていたのは偶然の所産だ。
そういえば、私が育った東京では、誰も彼も葉は捨てていた。京都出身の男の子に尋ねると「食わん」と答えた。食べるという大人数人は「葉っぱによっては」とのことで、食べるか否には微妙な線引きがあるらしい。出入りしている寄合で訊ねると、イエスが九人で、ノーは十一人という結果だ。イエスには繊維質が摂取できるからという理由もあった。
一般的には、葉まで食すのが関西で、そうでないのが関東という図式らしい。江戸時代の武士は「褪せる。散る。落ちる」といって厭ったとある。交通機関が発達して行き来の時間が短縮し、頻度も増した。人間は食習慣も一緒に連れて来るから垣根がなくなり、関東人もこれは良いと食するようになる。
ところで桜餅の葉は大島桜という品種で伊豆産が多いという。不思議なことに我が家にこれが生えている。植物図鑑と首っ引きで比べたら、若芽の色が緑色であることや、大輪一重の花からみて、染井吉野や山桜ではなく絶対に大島桜である。我が身の倍ほどの背丈に数年前から花を付ける様になった。誰も植えていないから自然発芽なのだろう。さくら鳥の別名を持つ椋鳥が運んできたと考えると嬉しくなる。
「いいとこ、あと三日かな。土曜日まで保つかしら」
私は明日にでも散りそうな花を見上げた。
「呑んで食べて騒ぐのが目的だから、大丈夫。今も昔も変わらない」
と、トモさんは動じない。『散ればこそいとど櫻はめでたけれうき世になにか久しかるべき』と伊勢物語にはあるけれど……。
日本の桜はいつ頃から表舞台に踴り出たのだろう。他の民族はどうなのか。『桜は地球気候の変化に適応して主にユーラシア大陸東端部の日本列島と……』と以前に新聞で読んだ。厳しい寒さが終わったことを告げる、春の陽を浴びて開く花だ。
サクラの結実といえばサクランボ、漢字で書けば桜坊か。我が国の桜桃は、現在の西洋のものとは比較にならない小粒さながら甘味は強い。鳥が喜んで啄む実は、砂糖のなかった太古の昔、人間も好んで口にしたはずで、花よりも珍重したのではと私は思う。知人の父親は戦前にサクランボを栽培していたが、穀類増産の奨励によって切り倒したとのことだった。山桜や彼岸桜は日本人には、食べる対象ではなくて、鑑賞が主目的だつたらしい。
文献を調べると、紫宸殿の梅が桜に替えられたのは仁明天皇だが、それより三百有余年前の第二十六代継体天皇は松尾谷に淡墨桜をお手植えされ『身の代と遺す櫻は薄住よ千代に其名を栄盛へむる』の和歌を添えられたとある。その後さまざまな人々が桜を愛でる文章や詩歌を残している。
『願わくば花の下にて春死なんそのきさらぎの望月のころ』の一首を西行法師は遺した。夜は闇でも動く。一帯を支配するのは静で、寂寥ではない。西行は白昼、裏鬼門の時刻に突如出現する真空の寂でなく、静の寂のなかで仏の御許に逝きたかったのだという。
しかし、百年前に生まれた梶井基次郎は、桜の根元に馬、犬猫に人間の屍死などが埋まっていると心像を吐露した。『櫻の花の下は恐ろしいと思って』、『絶景だなどと』と坂口安吾も想いを巡らした。先人も感じた怪気を立昇らせないため、繊細で情緒豊かな日本人が無意識下にドンチャン騒ぎを現代に賢く継承していると解釈したらどうだろう。
横山大観の『夜櫻』は誰をも魅了する。私はそこから色彩を取り除き黒白の画面を夢想する。風がないのか篝火の炎は天を目指し、花は輝き妖艶な香りが迫る。豊満な肉体の女が花花の間から垣間見える。紅に紺と緑を筆太に交じらせて、金と銀をちりばめた衣装を彼女に着せよう。だが、絵心のない私には肝心の顔が浮かんでこない。
月は遠くから見守ってくれるほうがよい。
さくらよサクラ。お前には『櫻』の文字が いちばん似つかわしい。
「桜も大変なのね」
と、トモさんが不意に呟く。二本の姥桜が同時にブルっと揺れた。
父の母親の文章でした。2002-06-11