第72話 敵と味方、それぞれの思い
ハングリル軍最高司令官は困惑していた。
数日前までは小競り合い程度の戦闘しか行わなかった。
つまりは様子見である。
ブルトニア軍の戦力はどの程度なのか。
彼我の戦力を見極め、作戦を立てるのだ。
結論は『ブルトニア軍、恐るるに足らず』だった。
中規模の国vs小規模の国。
明らかにハングリル側に分があった。
ブルトニア王国は友好国である中規模の国に援軍を頼んだ様だが、とても間に合うとは思えなかった。
ブルトニア王国の王都から早馬で援軍要請を出したとしても、イルモア王国の王都に伝わるのに半月は掛かる。
そこから援軍を編成する時間、駆け付ける時間を考えると、早くてもイルモア王国からの援軍が到着するのに2ヶ月は掛かる筈だった。
先行する部隊が居たとしても、物の数では無い。
イルモア王国軍本隊が到着するより前に、ハングリル王国の勝利は確定している。
確定していなくても、逆転は不可能な状態の筈だった。
事実、総攻撃の前哨戦として送り込んだルーデンス伯爵の軍からの報告では、戦闘開始と同時に敵軍を壊滅させる勢いだとの報告が来ていた。
ところが、次の報告で自軍の全滅が報告されたのである。
定義としての全滅──3割の損失──ではない。
文字通りの全滅だと言うのだ。
信じられる話ではない。
更に信じられなかったのが、その状況を作り出したのが僅か3人の女剣士だと言うのだ。
「いったい… 何が起こったらそんな事になる!? ルーデンス伯爵の軍は、数百人は居た筈だろう! それが1人残さず殺されたと言うのか!? しかも、たった3人に!?」
ハングリル軍最高司令官は、報告に来た伝令兵に問う。
「間違いありません。私がこの目で見たのです。敵軍から3人の女剣士が突っ込んで来たかと思うと、あっと言う間に軍の中央まで斬り込みました。その後、完全に包囲した筈なのですが… 次々と味方兵士は斬り伏せられ、文字通りの全滅。唯一残ったルーデンス伯爵は捕われてしまいました」
淡々と語る伝令兵。
いや、彼には淡々と語るだけの気力しか残っていなかった。
未だに信じられないのだ。
ほんの少し前までは有利に… いや、完勝ムードで戦闘は行われていた。
自身の報告も、1時間ほど前に戦況報告に行った伝令兵と同じく、楽観的な報告になると思っていた。
まさか自軍の全滅を報告する事になるとは…
報告を受けた最高司令官も、報告を行った伝令兵も、夢であって欲しいと願っていた。
しかし、現実として自軍の1つが全滅。
それも主力として期待していた軍が、である。
その衝撃は計り知れない。
本部に報告しないワケにはいかない。
だが、どう伝える?
敵を侮っていた?
敵の戦力を見誤っていた?
言えるワケがない。
最高司令官としての資質を疑われ、下手をすれば責任を問われて死罪。
良くても更迭されて、辺境の地で死ぬまで日陰者だ。
最高司令官は悟った。
もはやハングリル軍に勝ち目は無い。
確証は無いが、突っ込んで来た女剣士の1人はイルモア王国第1王女のミラーナで間違い無いだろう。
彼女の噂は聞いている。
とても王女とは思えない破天荒で傍若無人。
奇行が目立つ変わり者だが、戦闘能力だけは他の追随を許さない。
そんな怪物が参戦したのだ。
ハングリル軍最高司令官は全てを諦め、終戦後の保身のみを考え始めた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
完全に心を折られたハングリル王国のルーデンス伯爵は、こちらの質問に対して実に素直に答えてくれた。
ミラーナさんの拷問に加え、私が5回焼き殺した──実際には死んでない──のが効いたかな?
「なるほどね。なら、そのシュルンマック侯爵ってのを攻略すれば、ブルトニア王国側の勝ちは決まると言っても過言では無いって事か」
「はい。彼は最高司令官としての地位を与えられております故、彼を捕えるなりすれば我が軍… ハングリル軍の指揮系統は乱れ、立て直しは難しいでしょう。いや、不可能と言っても過言では無いでしょうな。すぐに別の者が最高司令官に任命されるでしょうが、シュルンマック侯爵以上の指揮能力を持つ者は居らんでしょうからな」
気持ち悪い程、ベラベラとハングリル軍の内情を話してくれる。
こちらとしては大助かりだが、後で裏切り者呼ばわりされても知らんぞ?
「イルモア王国からの援軍って、まだ到着しませんか? 来てくれたら大勢は決したと言っても良いと思うんですけど…」
「う~ん… アタシ達は身軽だったから早く来れたけど、王都からだと距離もあるし… ここに来るまで早くて半月、遅いと1ヶ月は掛かるかなぁ?」
まぁ、4人しか居ないのと軍隊では、準備に掛かる時間も進軍速度も違うからなぁ。
現状、敵が部隊単位で攻めて来るなら対処するのも可能だけど、多方面から攻められると苦戦するのは間違い無いだろう。
援軍の到着までに、敵が多方面作戦に出ない事を祈るしかないか?
「敵の司令部は何処の辺りに布陣してるか判るかい? そこにアタシ達が斬り込めば、少なくとも散開しての多方面作戦は防げるだろう。司令部が壊滅しちまったら、どんなに精強な軍でも機能しなくなるからね。司令部を守る為に、散開出来なくなるよ」
ミラーナさんの立案に、全員が頷く。
「無理する必要はありませんね。むしろ無理しちゃダメです。本隊が到着するまでは敵が多方面作戦に出ない様、牽制する方が良いと思います」
「だとすると、下手に散開すると司令部が危ないって思わせる様な戦い方になるのかな? 難しい様な、難しくない様な…」
ミリアさんが首を傾げる。
まぁ、ハッキリ『殲滅しろ!』と言われる方がラクだろうけどな。
しかし、軍と軍がぶつかり合った末に負けるならまだしも、たった3人に殲滅させられた方は納得出来ないだろう。
勝った方だって、そんな勝ち方は納得出来ない。
自分達の軍は負けておきながら、たった3人の援軍に勝たせて貰うなどプライドが許さない。
したがって、軍と軍とのぶつかり合いは必須なのだ。
「ラクして勝てりゃ良いと思うけど、それだと納得出来ないなんて面倒臭いよね~? だから戦争なんてキライなんだよね~」
モーリィさんが言う。
それは私も同感だ。
まぁ、戦争が大好きなんてヤツは居ないだろうけど。
とにかく、双方が納得出来る様な状況を作り出さなくてはいけない。
頭が痛い問題だなぁ…
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「急げ! 急ぐのだ! 休憩は最小限にし、少しでも早く戦場に辿り着くのだ!」
援軍の第1陣を任されたマインバーグ伯爵は兵達を急がせる。
ブルトニア王国がハングリル王国から宣戦布告を受けたとの報が届いてすぐ、彼は出陣の準備に取り掛かった。
友好国が侵略される前に戦場に着かなくてはならないのは勿論だが、それだけが彼を焦らせているのではなかった。
王都に届いた報せには、ロザミアに居るミラーナ王女にも援軍の要請を出したとあった。
それを知った国王は直ちに援軍を出す事を決め、各将校に命令を発した。
『絶対にミラーナを暴走させるな!』
命令を受けた侯爵、伯爵、子爵、男爵達は青褪め、可能な限り早く戦場に向かう事にしたのだった。
最も早く準備を終えたマインバーグ伯爵が第1陣の命を受け、現在急行中というワケである。
ミラーナ様が冷静な内に戦場へ到着しなくては…
エリカ殿が居れば暴走する前に止めてくれるだろうが、負傷兵の治療で忙しいであろう彼女が戦場でミラーナ様の傍らに常に居るなど不可能。
ならば、せめて暴走が何かの戦術に見える様、我が部隊の中にミラーナ様を取り込まなくては。
これが、マインバーグ伯爵の考えだった。
ミラーナの戦闘能力は絶対的に信用しているマインバーグ伯爵だが、何かでミラーナがキレた場合、確実に暴走するとの確信があった。
ある意味ではミラーナの事を全く信用していないとも言える。
戦闘能力に対する100%の信用と、暴走に対する100%の不信感。
実に複雑な思いである。
また、敵に対する同情もあった。
ミラーナがキレて暴走した場合、敵兵を1人残らず殺してしまう可能性である。
さすがに考え過ぎだと思う。
そうなる前に、エリカが止めるのは確実だ。
しかし、そこには何の保証も無い。
そんな事を考えながら彼は兵を鼓舞し、戦場へと急ぐのだった。




