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名探偵殺し  作者: 天上いこい
3/4

3・殺人鬼の殺人

 一人、二人、三人、四人。

 殺人鬼の境界線はどこなのだろう。

 人数なのか、殺し方なのか、心持ちなのか。

 それとも殺した相手の内容なのか。

 名探偵と、名探偵に成り代わろうとした女子高校生。

 大怪盗と、大怪盗に成り代わろうとした男子高校生。

 実に四人もの人間を葬り去った。

 さて、次なる人物は……。



 捜査一課の棚瀬爽は、捜査二課所属の日下部理緒にとって良い先輩だ。

 目の前で弟が車に撥ねられた現場を一緒に目撃したというのに、理緒は慰められてばかりだった。

 呆然とする姉に代わってすべてを処理してくれたのは棚瀬だった。何がどうなっているのか理解するよりも先に、すべて片付けられた。

 そして残ったものは、何もない。


「大人の事情……としか言いようがないんだよ」


 棚瀬はそう言うけれど、組織のしがらみに従うしかない警察官としての日下部理緒なら理解もするのだけれど、姉としての日下部理緒はまったく理解できない。

 弟の存在がなかったことになっていたなんて、理解とかそういうのを抜きにしてもあり得ない。


「彼の友人――恋人とか好きな人ではないと聞いたんだけど――である女子高生も、存在ごとなかったことにされているんだ。俺たちにはどうしようもない」


 大人の事情と濁されてはいるが、状況を整理するに、どちらも近い場所に警察官がいながら死なせてしまったことを隠したいがための処理でしかないと理緒は考えている。

 仕事が手に付かない理緒を呼び止め、コーヒーを奢ってくれる棚瀬はまだ大怪盗らしき人物の捜査で忙しいはずなのに、こうして時間を作ってくれている。上司からの命令かもしれないが、二課では慰めの言葉を出し尽くしてしまったとばかりに誰も理緒に声をかけようとはしなかった。上司は面倒な部下になったと呆れているかもしれない。

 一応大怪盗から得物を守り抜いたとしてしばらくは何かしらの捜査から外してくれるらしい。そこは身内に不幸があったという名目でもよかったのではないかと訴えたいところではあるのだが、棚瀬も言った通り、身内に何もなかったどころか、何かあったはずの身内なんていなかったことになっている。


「弟……なんですよ。弟をなかったことになんてできないです」

「ご家族には、どう?」

「家族はすでに、学校の教育の一環で外泊することになってました」


 どこからそんな連絡が入ったのかと思うほど抗議したくなったが、両親の悲しむ顔を見るくらいなら黙っていた方がいいと耐えた経緯がある。


「今回の全部、伏倉さんにも何度も聞いているんだけど、どうにも不審な点が多いんだよね」

「今回の全部、とは?」

「名探偵が殺された一件。あの辺からなんとなくおかしなことが始まったと思っている」


 理緒に買ったものとは別の種類のコーヒー缶を手に持つ棚瀬はようやくプルタブを開けて一口流し込む。これでやっと後輩の理緒も缶を開けられる。


「捜査一課が意図的に認知度を下げていた名探偵に事件解決の依頼を回していたことはとやかく言える立場にはないし、使えるものは使うスタンスにはむしろ同調するんだけど、名探偵が調査していた直前の二件を含めて、なんとなく違和感が強くてさ」


 刑事事件の状況を耳にする機会のなかった理緒は、このまま棚瀬の愚痴とも思える捜査情報の話を聞いていいものか悩んでいた。

 短期間に複数の殺人事件を担当することになった心境は察するに余りあるものの、他部署だし経験のない後輩に話す内容とは思えない。弟の貴一郎の一件に関しては同じ場に居合わせた者同士として傷の舐め合いではないが、気を遣い合うのならまだ分かる。

 現在の状況から察するに、単純に先輩刑事の愚痴の捌け口にされているだけの気が強い。

 それでも、気が紛れるだけまだよかった。

 貴一郎の話をする場所を制限された今、棚瀬がこうして話してくれることだけが唯一の心の拠り所と言えるのだ。


「名探偵がいない以上、早期解決は難しいのかもしれない」

「……あの、もしかして」

「日下部さんの弟くんが亡くなったこと、それから彼のお友達である女の子のことは公に捜査できないけど、彼らが関わった事件なら堂々と捜査できる。もしかしたら、そこから何か繋がりが見つかるかもしれない」

「でも、弟は車に撥ねられて」


 はっきりと口にしたことであの夜の光景がフラッシュバックする。

 道路に一歩足を踏み出した貴一郎は何かに反応して足を止めた。その隙に猛スピードで車が突っ込んで来て、理緒はすぐ後ろにいた棚瀬に手を引かれて難を逃れたが、貴一郎はそのままその大きな体を吹っ飛ばされた。

 高く、遠く。


「うっ」

「日下部さん、しっかりするんだ。あのタイミングで車が偶然人を轢いたなんて考えられない。絶対、事件に関係があるはずなんだ。ただの轢き逃げなんかじゃない。君の弟くんは、狙われたんだ」


 何もできなかった悔しさと、目の前が車に撥ねられた弟を思い出して慌てて口元を手で覆う。頭の先から胃の底までがぐるぐると内臓がかき混ぜられたかのように気持ち悪い。


「今の君に言うのは酷だと分かっている。けれど、何か思い出せないかな? あの日、弟くんは何を考えていて、何をしようとしていたのか」


 何を考え、何をしようとしていた?

 理緒は気持ち悪さの中であの日の姉弟の会話を思い出す。結構な量の会話をした気がする。気落ちしている弟の気晴らしにでもなればと大怪盗が現れる博物館にそれらしい理由を付けて連れ出した。

 死体を発見して以降の貴一郎は生き生きとしていた。


「死体で発見された女性を殺した人物による同一犯だと考えている」


 大怪盗が狙っていた絵筆の真上で亡くなっていた女性。貴一郎は「大怪盗の正体」と言っていた。まだそんな証拠は出ていない。けれど、予告の時間になっても大怪盗は現れなかった。

 あれから一週間が過ぎたけれど、追加の予告状も来ていない。

 予告状。

 追告状。


 ――まぁでも、大怪盗としてはどさくさに紛れて盗むよりも、きちんとフェアな状態で盗み出したいよね。


「成り代わる……」

「え?」

「弟は、大怪盗に成り代わると言っていました。結局本人の欲が大怪盗に合わなくて中途半端な決意になってましたけど」


 何を言っているのかと棚瀬は目を丸くして驚いている。理緒も初めて聞いた時はそんな感じだった。


「確かお嬢と呼んでいた女の子も、名探偵に成り代わりたがっていたとかなんとか……」


 なりたいのではなく、成り代わりたかった。

 いまだに言葉の意味を理解しきれていないが、貴一郎は強く「成り代わる」と主張していた。


「名探偵と大怪盗に成り代わりたかった二人……? 成り代わって何がしたかったんだ?」

「そこに深い意味はなかったようですけど」


 目の前でその席が空いたから、では座らせてもらおうか。といった雰囲気だったと言えば、棚瀬はやはり理解できないとばかりに目を閉じて首を横に振った。

 理緒も口にしていて意味が分からなかった。


「彼はどうやって大怪盗と成り代わろうとしてた?」


 あの日を思い出して話せば話すほど、記憶が遠のく感覚に襲われる。

 確かな記憶のはずなのに、段々と「日下部貴一郎」という存在が、「弟」がいた事実が、嘘のように思えてならない。

 棚瀬はただ、刑事として社会的に存在を消された弟の事件も解決しようとしてくれているだけなのに。

 配電盤や、木の上や、あの日あの夜に貴一郎と歩いた場所を説明する間、理緒は泣いてしまわないように喉の奥に力を入れていた。


「彼は大怪盗に成り代わろうとしていたが、絵筆自体には興味がなかったと……」

「絵筆に、というよりも、芸術そのものに興味を持っていませんでした。昔からうちがそういう雰囲気だったので、無理もないかと」

「つまり、お姉さんであるあなたも?」

「……お恥ずかしながら」


 何が悲しくて二十代後半の社会人女性が美術に興味がないと年上の異性に暴露されなければならないのだろう。

 宝石やブランドに興味がなく、入った給料は美味しいと評判のお店だったり、同僚と行く居酒屋だったりと色気の不足した金の使い方しかしていない。

 恋人がいないのも、こういった職業だからなのかもと両親も諦めている。


「いいんじゃないか? 万人が芸術に興味を持つとは限らないし、俺だってよく分からないし」

「棚瀬さんはでも、恋人さんとかとこういった場所には……」

「あはは、恋人なんて大昔の話ですよ。あはは」


 明らかに乾いた笑い声。

 触れてはならないのだろうと理緒は口を閉ざした。

 ふむ、と下唇に指を添えた棚瀬は考える。


「名探偵が殺され、成り代わろうとした人間も殺された。大怪盗が殺され、成り代わろうとした人間も殺された。……ちょっと待ってくれ。それじゃ、その二つの事件も同一犯ってことになるんじゃ……?」

「棚瀬さん、まさか、そんなことって……」

「名探偵と大怪盗を殺せる人間なんているのか? 日下部さん、ごめん。一度本部に戻るよ。よかったらまた話を聞かせてほしい」


 手を振って素早く移動を始める棚瀬を見送り、理緒はようやく缶コーヒーに口を付けた。

 甘味の強いコーヒーは棚瀬の優しさの味だと感じた。

 棚瀬がいなかったら、今頃捜査一課の本部に乗り込んで貴一郎の捜査をしないのはなぜだと当たり散らしていたに違いない。

 ほどよく発散できた理緒は、まだ仕事に手が付けられなくても棚瀬から寄せられるであろう続報を待つことにした。



□□■□□


 部下が変なことを言い出した。

 最初に抱いた感想はそれだった。

 名探偵の星井正司が殺され、大怪盗らしき死体の発見と忙しいこの時期に。


「星井さんの件とこの間の博物館の件、もしかしたら同じ犯人かもしれません」


 そんなわけあるか。棚瀬爽の先輩刑事である伏倉泰寛は部下の発言を一蹴しようとした。

 片や毒殺、もう一方で射殺と、殺害方法がまるで違う。さらに言えば後者の方は天井から吊り下げるなんて手間をかけている。

 なぜそんな二つの件が繋がっていると言い出したのか。

 戯言を漏らすくらいなら鑑識に行って新たな事実がないか聞いてこいと言おうとしたところで、棚瀬が声を潜める。


「名探偵の推理を続行したあの女子高生と一緒にいた男子高校生ですが、大怪盗に成り代わろうとしていたという証言がありました」

「……何?」


 その二人のことは鮮明に思い出せる。

 一度カフェ・アリノベールで追い返した次の日にまた顔を合わせた。印象の強い不思議な二人組だった。

 花筐綾芽と日下部貴一郎。

 二人はもう、この世にいない――最初からいなかったことにされている。


「もしかして、星井さんと大怪盗と思われる死体を殺したのは、同じ人物なのではないかと……」

「…………」

「証拠も何もありませんが……」


 憶測だけで話しているという自覚があるのか、強く意見を通そうとはしない。棚瀬はいつも根拠があれば強く意見するタイプの部下だが、今回ばかりはそうではなかった。

 名探偵・星井正司が毒殺された件も進展がないに等しい。そこで博物館の事件と犯人が同じかもしれないというのは、解決への糸口のように思えた。


「いや、そういう観点を持って調べるのもいいだろう。毒殺と射殺とバラバラな殺し方でも、名探偵と大怪盗の二人の被害者には地位の大きい人物という共通点がある。何か目的があったと考えられる」


 伏倉が肯定したからなのか、棚瀬は嬉しそうに顔を輝かせて捜査に戻って行った。

 もう三十代半ばになっていたはずだが、今の顔は二十代のようにも見える。関わりができた高校生たちに触発されて気分が若返ったりしたのだろうか。

 伏倉は配られた捜査資料に再度目を通しながら、新しい発見がないかどうかを探し始めた。

 その中に先ほどまでなかったはずのものを見つけて、伏倉は慌てて棚瀬を呼び戻した。



□□■□□


 鑑識や検視官曰く、星井正司は紅茶アレルギーで亡くなったわけではない。

 体内から毒の成分がしっかり検出されたという。

 問題は、いつその毒を摂取したのかだ。

 星井は警戒心の強い男だった。

 名探偵であることに誇りを持ち、己の命が常に危険に晒されていると強く自覚していた。

 他人から与えられた飲食物は絶対に口にしないし、その身に触れようとする者を注意深く観察していた。

 取材の類も断っていたから一般人は名探偵の名前以前に、名探偵の存在すらも意識したことはないはずだ。

 なのに、いとも容易く名探偵は絶命した。

 謎解きの推理の最中に。

 刑事の目の前で。

 棚瀬はあの瞬間のことをとても奇妙な光景だったと記憶していた。

「さて」と古い推理小説の探偵よろしく、場の空気を支配した名探偵が淡々と推理を披露していた最中――その後、花筐綾芽が一言一句同じ台詞で推理を踏襲していたが――突然苦しみ出したかと思えばそのまま意識を失くし、命を落とした。

 刑事の前ですら何も経口摂取はしていなかった。だからいつ毒を体内に入れたのかが不明のままなのだ。

 自ら入れたのか、それとも誰かに入れられていたのか、それすらも分かっていない。

 先に喫茶店で何か口にしていたのかとカフェ・アリノベールの店長や店員に聞いたが、誰も姿すら見ていなかったと証言した。

 せめて、名探偵の助手のような人がいてくれたなら難航はしなかったはずだ。

 博物館で見つかった死体の正体についても大怪盗であると決めつけていいらしい。

 細すぎる肢体には体を身軽にする最低限の肉しかなかったとは言え、筋肉量は少なくなかった。関節も外れやすくなっていたと検視官は嘆息の溜息を吐き出して感心していた。

 人の目を盗んで動くに適した体であると。

 身元がどうやっても判明しないのも怪盗として暗躍するためだと考えれば十分あり得る話だった。

 では、名探偵と大怪盗に成り代わろうとしていた高校生の二人が狙われた理由は?

 毒殺された名探偵に対して突き落とされた女子高校生。

 射殺された大怪盗に対して轢き逃げされた男子高校生。

 因果関係はあるのか?

 四人の人間がまったく別の殺害方法を受けた。犯人のこだわりなのだろうか。

 そして二人の高校生の件が公にならない理由。

 大人の事情であると日下部姉弟には説明したが、言ってしまえば綾芽と貴一郎の二人が在籍している学校からの圧力だった。

 真っ黒の中に真っ白なリボンとネクタイ。まるで喪服を連想させる色合いとデザインの学校は情報がほとんど外に漏れない特殊な学校。

 自分が中学三年受験当時ならば絶対に候補に入れなかったであろう学校の噂さえも聞こえない。

 噂話が聞こえないことに不気味さを感じるより、存在自体に気味悪さを覚えている。

 理由は判然としないけれど、事件には関係ないことだと割り切った。


「日下部さん」

「棚瀬さん」


 二課に赴いた棚瀬は理緒を呼び出す。一応書類作成などの打ち込み作業をしていた理緒は棚瀬の姿を認めるとわずかばかり目を輝かせて立ち上がった。もうすぐ帰宅の時間ではあるが、帰りを共にするために声をかけたのではない。それは理緒も重々理解している。その証拠に「何か分かりましたか」と目が問いかけている。

 期待のこもった目を向けられても返せるものはないのだけれど、仕方ない。そのまま二課の部屋の奥へと進み、理緒の上司たちに理緒を連れ出して捜査に行くことを伝える。

 捜査一課の手伝いというより、大怪盗の件についての参考に欲しいのだと言えば戸惑いも躊躇いもなく、二つ返事で理緒を連れ出すことができた。

 車のロックを解除し、助手席の扉を開ける。


「あ、あの……?」

「乗って。博物館に行くから」

「博物館?」


 棚瀬は自信のない表情を隠そうとしない。理緒を助手席に押し込むと運転席に棚瀬が乗り込んだ。

 車が走り出してすぐ、ハンドルを握る棚瀬は理緒に一枚のカードを渡した。

 名刺サイズの白いカード。

 理緒はそれをよく知っていた。

 大怪盗から送られてきた予告状と同一のサイズ。


「これ……」

「ちゃんと読んで」


 言われるままに文章に目を通す。理緒の所属する二課が提出したものだと思っていたが、どうやら違うらしい。


 ――本日、午後六時に名探偵をいただきに上がります。


 この文字列で想起されるのは、大怪盗からの予告状。

 しかし、標的が名探偵というのはどういうことなのだろう。


「それから、これも」


 疑問に襲われる理緒を横目に見たわけではないだろうが、追加のカードが差し出される。


 ――博物館にてすべての謎解きを行います。日下部理緒刑事も同席願います。


 一枚目のカードは理緒の知る大怪盗の字面そのままなのに対し、二枚目に渡されたカードは可愛らしい手書きの文字で書かれている。

 カードに書かれた自分の名前に一瞬にして全身を恐怖が巡った。

 なぜ名指しされているのか。棚瀬はどうして指示に従うように博物館に向かうのか。理緒は促されるままに車に乗り込んだのは間違っていたのではないかと後悔した。


「うちの捜査本部の資料の中に、いつの間にか紛れ込んでいたらしい。奇妙だけど、これに縋るしか今のところできそうになくてね」


 博物館の駐車場に車を停めて先に棚瀬が外に出る。理緒は渋々外に出て博物館を見上げた。

 ここにはあまり前向きな気持ちで来たいとは思えない。

 いない存在と扱われている弟の貴一郎との思い出があるからだ。

 博物館周囲を調べに歩き、予告の時間間際には絵筆を守るためにケースにかじりついた。

 大怪盗を捕まえるために配備された警察官としても、貴一郎の姉としてもあまりにも不甲斐ない行動しかできなかった。

 それらを鮮明に思い出してしまうから、博物館という場所がいっそ嫌いになっていた。


「博物館側に問い合わせたところ、現在「名探偵」と名が付く展示品はないそうだ。それなのに名探偵をいただくと予告したカードが届いたことと、謎解きをするというカードが同時に届いたことは絶対に無関係じゃない」


 理緒の横に並んで博物館を見上げる棚瀬の横顔は、不安を隠してはいなかった。理緒を落ち着かせるためなのか、違うのか、どちらにしても棚瀬の本心であることは間違いなさそうだった。


「ということは、我々を呼び出すためだけの予告状……でしょうか?」

「だろうね。問題は「誰が」呼び出したのか」


 前を向いたまま考え込む棚瀬。理緒も再び二枚のカードの文字を目で追った。

 一枚は大怪盗の予告状に見えるカード。

 名探偵を盗もうとする内容。

 一枚は謎解きをすると書いてある以上、先に殺害されたという名探偵からの呼び出しに見えなくもない。

 両方とも、死者からのメッセージと受け取れなくもない。

 気味の悪さもさることながら、だったら弟とその友人の件も解決してみせろと言いたくなった。

 すべての謎解きというのなら、なかったことにされている二件も一緒に――


「……すべての謎解き?」


 二件の――名探偵殺害と大怪盗殺害の件がメインだったとして、それで「すべて」と表現するだろうか?

 カードの差出人は、二人の高校生が殺害されていることを知っている人物だ。

 内容の異なるカードの差出人が一人なのか一人ではないのか。その結論も出せないまま、博物館に足を踏み入れた。

 例の二階の部屋は現在、空き部屋となっている。人が殺された部屋とあって、別の理由で訪れる客が増えてしまったために博物館側が絵筆を別の部屋に移動させた。絵筆はひっそりと展示されている。

 中にいたのは、棚瀬の先輩刑事の伏倉一人だけ。


「遅くなりました」

「特に何かが仕掛けられているというわけではないらしい」


 頭を下げる棚瀬と理緒に手を上げるだけで返した伏倉はぐるりと部屋を見渡して、二人が来るまでに調べた結果を報告した。

 何もない部屋だけあってケースさえなく、あるのは壁際に積まれたパイプ椅子と案内表示板。物置と化している部屋に来る人間など、博物館の関係者だけのはずだ。


「呼び出した人物に心当たりは?」


 伏倉に目を向けられた理緒は驚いて体を硬直させたものの、すぐに首を横に振った。

 大怪盗の捜査は理緒にとって初めて主軸となって動いた事件だ。それまでは先輩刑事たちの後ろをひたすら追いかけていくだけの新米の動きしかしていない。

 関わった事件が伏倉や棚瀬に比べて圧倒的に少なすぎる。心当たりがあればすぐに浮かぶはずだった。


「名探偵の星井さんは目の前で亡くなったのを確認している。ここで発見された死体もおおよそ大怪盗とされている人物で決定されそうだ。残るは……」


 渋い顔で腕を組んだ伏倉の語尾が弱くなる。

 続く言葉は棚瀬が引き継いだ。


「名探偵と大怪盗を殺害した、犯人……」

「え、待ってください! そうだとしたら、ここにいるのは危ないのでは?」


 二人を殺害した殺人犯からの呼び出しなのであれば、謎解きなんて簡単だ。いや、そもそも謎解きではなくただの自白だ。

二つの事件に関わった刑事が呼び出されたとあれば、自分たちの命を奪うために集めたと考えるのは自然な流れではないか。


「それに、名探偵をいただきに上がります、のカードはどうなるんです?」


 理緒の疑問に二人の捜査一課の刑事は答えない。

 返答に迷っているのか、それとも捜査かく乱のためだと言いたいのを堪えているのか。


「名探偵ならいますよ。ここにね」


 三人のいる部屋に高い声が響いた。

 扉は開放したままなのでその姿は三人の目にすぐ飛び込んだ。

 真っ黒なワンピースに真っ白なリボン。まるで制服のような衣装は、理緒が見慣れた制服に似ている。

 片や男子用ではあるのだが。


「き、君は……」


 棚瀬が驚いた顔で現れた人間――少女を見ている。


「お久しぶりですね。お集まりいただけたようで何よりです」

「その格好……」


 理緒が耐え切れずに少女の黒い衣装を指差す。見れば見るほど、タイプ違いの制服にしか見えない。


「制服は我々にとって一張羅ですから、着てくるのは当然も当然。敬意の最たる姿です。……ああ、そう言えば初めましてでしたね。話は聞かされていましたよ」


 誰に、と尋ねるよりも早く名乗られる。


「私は花筐綾芽。この度名探偵に成り代わりました、花筐綾芽です」


 胸元に手を添えて恭しく一礼するその様は、どこかの貴族めいていた。

 名乗りを終えた綾芽に、理緒は今度こそ言葉を失った。

 顔を合わせるのは確かに始めてではあるが、名前だけはよく知っている。

 貴一郎が「お嬢」と呼んで親しくしていた女の子だ。

 そして、棚瀬から綾芽は名探偵の毒殺の捜査を始めた矢先に亡くなったと聞いている。

 目の前にいる彼女は――どう見たって生きている。

 伏倉も棚瀬もいまだに声を発せない理由がようやく分かった。

 状況が理解できないのも当然だった。

 死んだはずの人間が、生きている。


「どうして、生きているの……?」


 やはり理緒だけは沸いた疑問を口にできた。言葉を失っても、疑問を解消したい気持ちは伏倉と棚瀬よりも強い。

 それも、無理はない。


「どうして、と言われても、死んでいないから生きているとしか答えようがありませんね」


 うーんと唸りながら腕を組んだ綾芽の返答は、本人ならそう答えるしかないのだろうけれど、聞いている身としては理解したとは言えない。

 理緒よりも伏倉と棚瀬の方が信じられないといった目で綾芽を見ている。例えるなら、そのまま死んだはずの人間を見る目で。


「お、弟は……貴一郎はでも、私の目の前で……車に……」


 理緒は綾芽がどうやって死んだかは聞かされていない。貴一郎の気落ちが酷かったことと、棚瀬の反応がまざまざと死んだ事実を伝えていただけで。

 あの瞬間の光景を鮮明に呼び起こしてしまい、理緒の体がふらついた。勢いに乗って倒れそうになるのを棚瀬が支えた。


「……そろそろ、時間ですね」


 綾芽が呟くと伏倉は反射的に腕時計を確認した。

 午後五時五十八分。

 名探偵をいただきに上がります、と書かれていたカードにあった時刻まであと二分だった。


「君も呼ばれてここに?」

「いえ、むしろお呼びしたのは私です。謎解きをしないといけないので」

「謎解き……」


 伏倉はハッとした。

 つい先ほどまで博物館のどこにも「名探偵」に関係する何かはなかった。だがしかし、「名探偵に成り代わったと言い張る少女」が現れたことで事態は変化した。

 名探偵が、ここにいる。

 盗まれる対象が、目の前にいる。

 先に動いたのは理緒だった。

 ふらついていたはずなのに捜査二課としてのプライドなのか、守らなければならない対象だと把握するや否や、綾芽に向かって走りだしていた。

 午後五時五十九分を時計が示す。

 綾芽は走ってやって来る理緒の手を先に掴むと、ダンスがごとくくるりと回転して、遠心力を使って棚瀬のいる方向へと手を離した。

 理緒の体はそのまま棚瀬の方へ投げ出される形になり、バランスが崩れる前に棚瀬に抱えられた。

 そのまま伏倉の方へ歩いていき、窓の外や天井を気にしながら伏倉を通り過ぎていく。止まったのは当然何もない場所。

 行動の意味が理解できないでいると、綾芽は「来たようです」と笑った。

 午後六時。

 時計を見た者は誰もいないが、時間になったのだろうことは見なくても分かった。

 窓が割れて黒い塊が入ってきたかと思えば、天井が爆発した。どちらも綾芽を狙っているのは明らかだった。

 午後六時、予告された時間に起きた爆発。

 標的となったのは、やはり「名探偵に成り代わった花筐綾芽」だったのか。

 ならば、差出人は大怪盗だったのか。


「大怪盗が爆弾を使ったなんて報告、受けてません!」

「日下部さん、危ないから黙ってて」


 こんなことでみすみす盗まれるのを見逃すなんて、あってはならない。

 理緒が棚瀬を振りほどこうとすればするほど、棚瀬は理緒を抱きしめる両腕に力を入れた。

 窓ガラスが割れたからなのか、爆風はすぐに晴れる。


「お嬢、怪我は?」


 粉塵が舞う視界。棚瀬のおかげでほとんど吸い込むことはなかった。抱えられる腕の中で守られていたからか、理緒の耳にはっきりと届いた。

 聞き間違えるはずもない。


「大丈夫よ。間に合って何より」


 クリアになる視界の中央。

 窓際で、あの日見たままの黒い制服姿で、抱きとめていた綾芽を放していた。

白いネクタイには初めてみるネクタイピン――ではなくヘアピンが留まっているが、見間違えるなんてとんでもない。

 日下部貴一郎が、そこにいた。

 生きている。

 どこも怪我をしているようには見えない。


「貴一郎……」


 よかった、と涙がこぼれる。

 理緒の声に反応した貴一郎が姉の姿を確認すると、慌てて目を逸らした。


「姉ちゃん、弟としては姉ちゃんの恋人はもっと自然な感じで知りたかったかな」

「え? ……えっ!」


 車に撥ねられて死んだはずの貴一郎の無事に安堵したのも束の間、いまだに棚瀬に抱きしめられた状態だったことを思い出した。

 慌てて離れて「違う!」と誤解を正そうとしたものの、棚瀬は理緒が離れたところで距離を取らせてはくれず、背中に庇うようにしている。貴一郎には一度も目を向けていない。

 冷静に場を見渡してみれば、博物館の二階の部屋に現れたのは貴一郎だけではないことが分かった。

 伏倉も棚瀬も、貴一郎ではないもう一人の人物を警戒していた。

 黒い外套に身を包んだ知らない男が、ほんの少し前まで綾芽がいた場所にうずくまっていた。


「現れてくれましたね。本物の星井正司さん」


 綾芽は安心した顔で、名探偵の名前を口にした。




□□■□□


 名探偵・星井正司は、四十二歳であると聞かされていた。

 初めてその事実を聞いた時、伏倉は「それにしてはやけに老けて見える。自分よりも年上なのではないか」と感じた。名探偵である故に、数えきれない修羅場を乗り越えたからこその雰囲気だと思うことにした。

 しかし、綾芽が名探偵と呼んだ知らない男は、伏倉よりも年下に見える。それこそ、四十代前半の成熟さと表現してしっくりくる程度には。


「半信半疑でしたよ。来ていただけるかどうか」

「なぜ分かった?」


 黒い外套の男――本物の名探偵・星井正司は綾芽を睨み上げる。


「そう考えた方が名探偵殺害という謎が解けるからです」


 怯むことなく笑顔で答えた綾芽は一歩星井に近寄る。咄嗟に三人の刑事が綾芽を守ろうと足を踏み出すが、貴一郎の視線によって動きを封じられてしまった。

 一歩も動くなと、鋭い瞳に理緒でさえも息を呑んだ。


「最初から名探偵は成り代わられていたんです。誰もが知る名探偵は、誰も知らない名探偵の偽物――いえ、影武者だったということです」


 例え事実だとしても、真実だと言われても、到底理解できない話。

 言われてみれば、外見の年齢が実年齢よりも高く見えたのは別人だったからなのかと思えば腑にも落ちる。落とそうと思えば。


「名探偵ではなかった人は、誰が殺害したのか? 神出鬼没、無色透明の大怪盗の正体を突き止め殺害したのは? そして、いなくなった名探偵に新たに成り代わろうとした私を殺害したのは――いえ、殺害したと思い込んだのは、誰なのか? 同じように大怪盗に成り代わろうとした日下部くんを殺害したと思い込んだのは? もうお気づきですよね。そうです。名探偵と呼ばれた人間を殺害することが可能だった人物も、大怪盗の動きを推理して先回りして殺害できた人物も――本物の名探偵ならば、すべて説明できます」


 名探偵に毒を与えられたのは唯一、本物の名探偵だけだった。

 知り得た情報から推理をし、その内容を影武者の名探偵に伝える際に何かしらの遅効性の毒物を摂取させた。

 周囲を強く警戒していた影武者がただ一人、本物の名探偵にのみ警戒心を解いていたからこそ起こせた事件である。

 大怪盗の登場パターンから侵入ルートを特定し、待ち伏せして殺害。大怪盗の手法を利用して博物館に侵入、死体を吊り下げた。大怪盗の持ち物を使えば証拠も多く残らない。本物の名探偵だからこそ成し得た事件だった。


「屋上の通気用パイプの隙間に大怪盗殺害時に付いたような血の跡があったんで、後で案内しますね」


 貴一郎が笑顔で伏倉に告げる。

 すでに死んだと思われている立場なので自由に行動することが可能だった。

 カフェ・アリノベールで空のゴミ箱の蓋を開けておき、綾芽を突き落とすことも。

 博物館前の道路で貴一郎だけを狙って轢き逃げできたのも。

 存在しないはずの人間の犯行だからこそ容易だった。


「さっき、あなたが来てくれるのかどうか半信半疑だと言いましたが、ほぼ確実に来ていただけると思っていました」

「……なんだと?」

「そのために刑事さんたちに来ていただいたんですからね。あなたの次なる標的となるはずだったこの方たちがいる場に来ないなんてありえない」


 綾芽の目が細められ、星井の顔つきが強張った。

 星井の次の標的が、刑事だった。

 そう聞いて伏倉と棚瀬が身構える。理緒は狙われる理由が思い当たらず困惑の表情を浮かべた。

 だから貴一郎は近付かないように動きを止めたのかと納得もする。


「あなたの本当の目的は、殺人鬼の殺人にありました」


 綾芽の推理が続く。星井は口を開く気力もなくなったのか、綾芽を見上げる目が泳いでいる。


「さ、殺人鬼の殺人?」


 棚瀬の疑問に綾芽は嬉しそうに口角を上げた。


「名探偵を殺し、大怪盗を殺し、それに関与した刑事を殺すことで彼は「殺人犯」から「殺人鬼」へと成長を遂げ、その上で殺人鬼を殺すことが目的だったんですよ。まぁ、その前にそれぞれに成り代わろうとした私たちが現れて、殺害したと思ったら公表されるどころか存在自体がなかったことになっていたことに焦って遂行されはしませんでしたけど」


 名探偵と大怪盗。それから警察。それらの人間を殺害したと公表されたなら、「殺人鬼」と評されてもおかしくはない。

 その上で殺人鬼を殺害するつもりだった。

 頭の中が混乱してきた理緒は落ち着こうと頭に手を当てた。


「殺人鬼となって殺人鬼を殺す? それって……つまりは自殺して終わらせるつもりだったってこと?」

「最初からいない存在だったので、その結末が綺麗だとでも思われたんでしょうね。私には理解できませんが」

「お嬢は成り代わりたかったから、名探偵の存在ごと消されるのは我慢ならなかったんですよね?」

「日下部くん。今私はとても名探偵をしているの。茶化さないでくれる?」


 緊張感のない高校生二人の会話に気が抜ける。

 刑事の殺害を目論んでいたと先に暴かれている以上、伏倉は星井を捕らえる機会を伺っているし、棚瀬は背後の理緒を庇うようにして警戒している。綾芽は常に貴一郎の視界の中にいるので、星井に反撃の機会は残されていなかった。


「……僕は間違いなく、お嬢さんを突き落とした時に首の骨が折れる音を聴いたし、彼を車で轢いた感触はまだ鮮明に残っているのだが、どうして君たちは生きているのかな?」

「私たちも甘く見られたものです。きちんと死亡したのを確認されなかったのですから。まぁ、仕方ありませんよね。あまり表に出ては目立ってしまいますから。おかげで我々も、あなた同様に隠れてコソコソあなたの正体に行き着くことができましたし」


 やれやれとこれ見よがしに溜息を吐き出す綾芽と苦笑する貴一郎に、急速に星井の顔色が悪くなった。


「どうします? 今度は確実に刺し殺してみます? ――できるのなら、ですけど」

「まさか、成り代わり」


 声も震え始めた星井に、半ば興味を失くしている綾芽がまた溜息を吐いた。


「残念です。名探偵の名推理というものを一度は目にしたかったものですが、簡単には聞けないものですね」

「お嬢の前髪と一緒ですね」

「日下部くん、喧嘩なら買うけど?」

「はは、やだなぁ。お嬢と喧嘩なんてごめんですよ。……それより、大怪盗に成り代わった僕の仕事も済ませますね」


 そう言って、貴一郎が綾芽より前に出て星井と対峙した。


「名探偵の名前、お嬢にいただきます」


 黒い制服の胸ポケットから白いカードを取り出して星井に手渡した。

 カードには「名探偵はいただきました」の文字。

 大怪盗の、追告状だった。



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