退学
退学
平助が陸軍幼年学校をやめる日は唐突にやって来た。それは平助が二年生に上る少し前であった。祖父が亡くなったのである。大腸癌が発覚し、入院してから一月程であっけなく逝ってしまった。
平助が実家にいた頃、厠が赤く血に染まっていることが度々あった。祖父は『痔だ心配するな』と言っていた。
それだけなら、平助が幼年学校をやめる事は無かったであろう。厳格な祖母が許すはずが無い。その祖母が、脳溢血で右半身麻痺になったのだ。
祖母は自決しようとして、たまたま訪ねて来た人に救われた。
『私がいれば平助が困るのだ』と不自由な口で言っていたらしい。
平助はその旨を生徒監に伝え、『祖母の看病の為退学する』と言った。
普通、軍学校での中途退学は難しい。しかし平助の特例は認められた。
平助が戻ると祖母は烈火のごとく怒った。『お爺さんとの約束はどうなるのじゃ!』と。
しかし平助は動じなかった。規則尽くめの陸幼は平助の肌には合わなかったのだ。
第一次世界大戦の最中である。軍の特務機関の仕事で欧州に居る父は祖父の葬儀にも帰ってこなかった。
母は、一時帰国したが『お婆さんをよろしく頼みます』と言い残して父のもとへと戻って行った。
平助は献身的に祖母の世話をしながら、一人黙々と道場で稽古をした。
二年後祖母も亡くなった。祖母は最後に聞き取りにくい声で、『ありがとう・・・』と言った。
両親はとうとう帰って来なかった。居場所は愚か生死さえはっきりしない状態だった。
ただ、軍から支給される給与は郵便局に振り込まれ続けた。
平助はその金で武者修行に出た。名人と聞けば出かけて行き、一定期間修行をしてまた実家に戻るという生活を繰り返した。
起倒流柔術の飯沼良民との出会いもその頃の事である。それはまた空手との出会いでもあった。