夜襲
夜襲
その事件は、残暑が厳しい九月の蒸し熱い夜に起こった。
昼間の教練の疲れで平助たちがぐっすり寝静まった頃、第一学班の宿舎の外に人の気配が湧いた。ざっと数えて十人ほども居るだろうか。
「おい、どうだ中の様子は?」一人の男が訊いた。
「今、山田が斥候に行っちょる。もう少し待て」
暫くして小柄な男が戻って来た。この男が山田であろう。
「よう寝ちょる。今なら誰も気付かんじゃろ」
「よし作戦じゃ、まず四人が宿舎に忍び込み部屋の四隅に待機」リーダーらしき男が言った。
「俺の合図で、一斉に蚊帳の吊り手を落とせ」
「分かった、それからどうする?」別の男が訊いた。
「鬨の声を上げて一斉に寝室へ突入する。後は滅茶苦茶に殴ってサッと引き揚げだ、いいか迅速にやれ」
「応!」小声で答えて全員が小走りに駆け出した。
そっと扉をあけて四人が宿舎の中に身を滑り込ませる。
配置に付くと吊り手に手をかけて合図を待った。
「落とせ!」
蚊帳はばさりと落ちて、寝台ごと寝ていた生徒たちの体に覆い被さった。
「ウワッ!なな・なんだ、何が起こった!」
突然の襲撃に、何が起こったのか訳が分からず生徒達は叫び、もがいた。
しかし、もがけばもがく程蚊帳が魚網のように絡みつき、一層動きを不自由にした。
「うおーぉぉぉ!」鬨の声を上げて、襲撃者がなだれ込んだ。
「しまった、油断した!」平助が悔しがったが後の祭りである。
襲撃者達は思う様、寝ていた生徒達を殴って一斉に引き揚げて行った。見事な引き際だった。
平助は抵抗の術もなく散々に殴られて、暫くは動けなかった。
敵が引き揚げて行く時、窓から入る微かな月明かりでそのシルエットを見た。振り向いて笑ったような気がした。
「石塚・・・だ」平助が呟いた。
皆、寝台の上で呻いていた。平助はやっとの思いで側にあった剣帯から剣を抜き、蚊帳を切って脱出した。
「みんな、大丈夫か!」声を掛けながら一人一人救出する。
十分後、全員が寝台の上で呆然としていた。鼻血を出している者、たんこぶを作っている者、青痣の者、皆どこかしら怪我をしている。
「誰だったんだ、一体?」寝台の上で胡座をかいて佐川が言った。佐川の目の周りにも青痣ができていた。
「二年だ、石塚がいた・・・」平助が答えた。
「石塚って、入校初日にお前を殴った奴か?」
「そうだ」
「くそっ、二年の奴らめ!」
「こりゃ、復讐するしかないな!」
「そうだ、復讐だ!」方々から声が上がる。
「応!復讐するぞぉー!」全員が立ち上がった。
「よし、そうと決まったら作戦会議だ!」佐川が言った。
「うむ、だが奴らも復讐は予期しているだろう。簡単にはいかんぞ」
「そうだな、慎重にやらんと返り討ちに合う」
それから十人は頭を寄せ合って侃侃諤諤、夜明け近くまで話し合った。
だが、復讐はすぐには行われなかった。相手に警戒の色が見えていたからである。
夜は必ず見張りが立っていた。慌てて襲撃しても失敗は目に見えている。
それよりも、敵が気疲れするのを待つのが良いという事になった。
平助達は辛抱強く待った、その間毎日斥候を出した。
『ここ二三日、見張りが居眠りをしている』という報告が平助の元に入ったのは、一ヶ月の後だった。
「明日、決行する」平助がポツリと呟いた。
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襲撃決行当日、消灯の後、平助達は一人ずつ宿舎を出て、二年の宿舎から百メートルの位置に集合した。そこは大きな楠木の影になって目立たない場所である。
「計画通り、厠に来た奴を一人捕虜にする」平助が言った。「そいつが戻って来なければ、見張りが様子を見にくるだろう。そこで見張りも拘束し、俺が厠に来た奴に成り済まして二年の宿舎に潜り込む。二年が全員眠っていることを確認したら四人を引き入れて吊り手の位置に待機、俺の合図で蚊帳を落として突撃だ」
「了解!」全員が配置についた。
平助以下、佐川を含む四人の生徒は厠の陰から宿舎の入り口を窺った。
見張りが一人所在なく立っている。
長い時間待って、やっと一人の男が寝ぼけ顔で宿舎から出て来た。見張りと何事か話している。それから一人でこちらに向かって歩いて来た。
男が厠に入り、用を足し始めた。
「奴が雫を振り落としたら拘束するぞ」平助が佐川に言った。
男が腰を振り始めた。
音もなく平助が飛び出し、背後から男を絞め落とす。男は声も出せずに白目を剥いた。
男を縛り猿轡を噛ませて、見張りを待つ。更に三十分ほど待った。
大便にしても長すぎると思ったのだろう、流石に訝しんで見張りがこちらにやって来た。
見張りが厠を覗き込んだ時、平助がまた飛び掛かった。
「行ってくる。貴様達は扉の外に待機していてくれ」見張りを縛って平助が言った。
「分かった気をつけろよ」
平助は男に成り済まし、宿舎に入り空いていた寝台に潜り込んだ。
暫くジッとして周りの寝息を伺った。全員寝りこけているようだ。
それから更に十分ほど待った。平助は寝台を抜け出し四人を引き入れる。
四人がサッと四隅に散り準備は整った。
「落せっ!」平助の大音声が響き渡った。
外に待機していた残りの者達が、ドッと宿舎に雪崩込む。
「何事だっ!」
「うわっ!夜襲だ!」
「見張りは何してるんだ!」舎内が騒然となった。
混乱の中で平助は石塚を探した。
「やめろ!やめんかっ!」窓際の寝台から聞き覚えのある声がした。
平助は寝台の横に立ち、蚊帳に絡まって動けなくなった石塚を見下ろした。
無言で鉄拳を振り上げ所構わず打ち下ろす。
やがて石塚は一声唸って動かなくなった。
「退却!」平助が命じた。
一年はあっという間に退却を完了、意気揚々と宿舎へと引き上げ、寝台に潜り込んで何事も無かったように朝を迎えた。
翌日の朝礼で校長の訓示があった。「幼年学校の生徒は、睡眠を十分に取らなければならない」
暗に夜襲を禁止するという意味である。
それくらいの訓示で済んだのは、夜襲が陸幼の隠れた伝統行事だからである。
そうやって生徒達は実戦の感を養っていった。