館山
館山
平助が陸幼に入校してから半年が経った頃、随意運動の時間に平助は佐川と共に剣道場に急いでいた。
「無門!今日は籠球はやらんのか?」運動場のコートから今岡が叫んだ。
「ああ、今日は剣道場に行く、悪く思うな!」走りながら平助が大声で返す。
「分かった、また頼む!」今岡が手を挙げた。
『最上級生に館山という剣道の強い男がいる』と佐川が言った。
その館山が今、剣道場にいると言うのだ。
平助はぜひ手合わせしてみたいと思った。
道場に入ってすぐ、その男が判った。剣気が周りを圧倒している。
面で顔はわからないが、背の高いがっしりした体つきの男である。
平助はまっすぐその男の前に向かった。
「一年、第一訓育班、第一学班、無門平助であります。館山先輩、一手稽古をお願いします!」
直立不動の姿勢で声を張り上げる。
「なんじゃ、お主は。稽古中に無礼であろう!」館山の相手をしていたゴリラのような男が平助を睨みつけた。
「まあ待て、三上」館山が男を制して言った。「無門平助・・・聞いたことがある」
「ほう、誰にじゃ?」ゴリラ男が訊いた。
「剣道教官の白井先生にじゃ。一年坊に変わった剣を使う奴がおると」館山が平助を見据えた。「俺と太刀合いたいのか?」
「はい、是非とも!」平助が躊躇なく答える。
「よし、防具をつけて来い」
「はっ、ありがとうございます!」平助は勇んで更衣室に駆け込んだ。
「館山、あんなチビを本当に相手にするのか?」三上が訊いた。
「ああ、生意気な奴は早めに叩いておくに限る」館山が三上に答えてから小さく呟いた。「それに少々興味がある・・・」
平助と館山は、互いに礼をして青眼に構えた。
正面に躰を向けて、背筋をピンと伸ばした所謂”正しい”青眼の構えは、平助にとって窮屈で仕方ないのだが、陸幼に入ってからは教官の教えに従って剣術の構えを封印している。
最上級生の館山はもう立派な大人だった。
それに比べて平助の躰はまだ子供の域を脱しておらず、体格差は如何ともし難い。
「手加減はせんぞ」館山が言った。
「望むところです」平助が答える。
いきなり館山が力任せに平助の竹刀を巻き落とす。
平助は危うく竹刀を飛ばされそうになったが、左手一本でなんとか持ち堪える。
だが、次の瞬間火の出るような面打ちが平助の脳天に炸裂した。
目の前が真っ暗になり頭が痺れた。
膝をついて、頭を振る。
「どうだ?」青眼に構えたまま館山が訊いた。
「思った以上です」
「ほう、まだやるというのか?」
「はい、これからです・・・もし許していただけるなら、構えを変えたいのですが?」
「構わんよ」
「では、遠慮なく・・・」平助が不敵に笑った。
平助は右足を大きく引き、腰を落として入身の構えを取った。
ゆっくりと竹刀を下段に下ろす。
「ほう、剣術か?」
「・・・」
「では・・・」
館山がゆっくりと左上段に構えを変えた。
館山は上から、平助は下から技を発することになる。
平助の構えは固い、力んでいるようにも見える。
反対に館山の構えは柔らかくリラックスしている。
誰が見ても館山に分がある。
しかし、平助は力を抜くために力を入れている。
館山は力を入れるために力を抜いている。
力を抜くためにはその前に、力の入った状態が必要であり、力を入れるためにはその逆が必要なのだ。技を発する方法が全く逆なのである。
どちらにも、次の一刀で勝負を決める、という気概が見て取れた。
次の瞬間、館山が動くと同時に必殺の剣が落て来た。
刹那、平助の竹刀が矢のように館山に向かって走る。
館山の竹刀が平助の脳天を砕くより僅かに早く、平助の突きが館山の喉を貫いた。
館山は後方へと弾き飛ばされ、大きな音を立てて床に落ちた。
「館山っ!」三上が青褪めて仰向けに倒れた館山に駆け寄る。
「おのれチビ助、よくも館山をっ!」
三上が平助を睨み上げ、飛びかからんばかりに詰め寄った。
「待て・・・三上・・・」館山が掠れた声で三上を制す。
「だが館山、このままでは!」
「俺に恥をかかせるのか?」
「むむ・・・そういうわけではないが」
「ならば落ち着け・・・」
ヨロヨロと立ち上がり、館山が言った。
「俺は手加減などしておらん、尋常の勝負で負けたのだ」
「違う!お前は負けてなどいないじゃないか!」三上が叫ぶ。「一本、一本、五分と五分じゃ!」「いや、奴が初めからあの構えなら俺の一本は無かった」
「・・・」
館山が平助に目を移した。
「今度俺は、模範生徒としてお前の班に配属される予定だ・・・楽しみにしておけ」
まだ掠れたままの声で、意味深な言葉を残して館山は道場の出口に向かう。
平助は真意を計りかね、館山の背を無言で見送った。
「次は俺が相手だ、首を洗って待っておれ!」捨て台詞を残して三上が館山の後を追う。
「大変なことになった!」佐川が震え出した。
「そうか?俺は、楽しみだよ」平助が嘯いた。
*******
翌週、館山は模範生徒として平助たちの班に配属されて来た。
「俺は、この班に配属されることを個人的に楽しみにしていた」就任の挨拶で館山はそう言って平助の方を見た。
「おい無門、大丈夫なのか?私的制裁を加えられたりするんじゃないのか?」隣で佐川が囁く。
「その時はその時だ」平助が呟いた。
ある夜、就寝時間が過ぎ全員が寝静まった頃、忍びやかな足音が平助の寝台の横で止まった。
平助は、『来たな』と思ったが寝たふりをしていた。
「無門、起きろ。分かっているんだろう?」案の定館山の声だ。
「酒保の前で待っている」
平助が酒保の前に着くと、後ろ姿が見えた。
館山は二階を眺めて立っていた。
「おい無門、二階の生徒集会室で月見でもしないか?」
空には見事な満月が浮かんでいる。
酒保に鍵は掛かっていなかった。将校生徒が物を盗むという事など、出入りの業者は考えもしないのだろう。
幼年学校の酒保には、建前として酒はおいていなかったが、教官用に多少のものは用意してある。館山は一升瓶を一本失敬すると、階段を登りながら平助に言った。
「湯呑みを二つ持って来てくれないか?」
平助は店の戸棚から湯呑みを取り出し館山に続いた。
生徒集会室は畳敷きで、酒保で買ったものを持ち込んで飲食できるようになっている。
窓を開けると、月の光が煌々(こうこう)と差し込んできた。
「まあ、飲め」窓際の畳に胡座をかいて、館山は平助に一升瓶を傾けた。
平助は黙って湯呑みを差し出す。
館山は自分の湯呑みにも酒を満たし、目の高さに差し上げ一気に煽る。
「お前も飲め」
「先輩は、俺に制裁を加えるために呼んだのではないのですか?」平助は湯呑みを畳に置いて訊いた。
「何故そう思う?」
「この前の事・・・」平助が言い淀んだ。
「馬鹿だなぁ、そんな事なんとも思っちゃいないよ」そう言って館山は苦笑した。
「俺は好きで剣道をやっているんじゃない、生徒監への当てつけでやっているだけだ」
「当てつけ?」平助が怪訝な顔をした。
「ああ、俺の訓育班の生徒監が言ったのさ。『お前は、もうすぐ恩賜の金時計だ、勉強せよ!』とな。俺は何も金時計が欲しくてここにいるわけでは無い、胸糞悪いから勉強は放り出して剣道をやっているんだよ」そう言って館山は笑った。
平助は館山の気持ちを理解した。
返事の代わりに湯呑みの酒を一気に飲み干すと、躰がカッと熱くなった。
「それよりも、お前はどこで武術を学んだんだ?」それを見て館山が話題を変えた。
「はい、祖父から習いました」
「どのように修行した?」
平助は、祖父との修行の様子を淡々と語った。藁人形を抱いて屋根から転げ落ちた事、庭の木の前に立たされて刀で稽古着を簾のように斬られた事、その時に躰には傷ひとつ付かなかった事等々。
「それは凄いな!それじゃ俺が叶う筈が無い!」館山は素直に驚きの声を上げると、また話を転じた。
「ところで、三上がお前を狙っている、気をつけろよ」
「先輩は、何故俺にそんなことを教えてくれるのですか?」
「う〜ん、どうしてかな?」館山は少し考えてから言った。「三上はいい奴だよ、ただ単純なんだ。俺がやられて悔しいのさ」
「・・・」
「ま、三上は卑怯なことをする奴じゃ無い。その点は安心して良い」そう言って館山は月を見上げた。
「饅頭が食いたくなったな。おい無門、盗んでこんか?」
「はっ!」平助が腰を浮かせると館山が言った。
「今宵は良い月だなぁ」