今岡
今岡
「どうしてあんなに腕を振って走らなければならないのだ?」平助が今岡に訊いた。
あれ以来、平助は時折運動場に出て、籠球を見学した。
「その方が早く走れるし、敏捷に動けるからだ」今岡が答える。
「しかし、あれでは走りながら刀が抜けないじゃないか?」
「だから、籠球は戦いを想定してなどいないのだ、純粋なスポーツだ」今岡が呆れ顔で言った。
「勝ったり負けたりするのは、戦いではないのか?」
「う〜む・・・」今岡が言葉に詰まる。
「実際に、俺を止められる奴はいなかった」
「うん、そうだな、なぜだと思う?」
「気配が消えているからだろう」
「気配?」
「動く気配だ。あいつらを見ろ、気配がまる見えだ」そう言って平助はコートを指した。
「俺にはわからんが?」今岡が不思議そうな顔をしている。
「よく見ろ!足を踏ん張っているから、動き始めるまでに時間がかかる、しかも躰を捻っているから動きにうねりが生じている。そのうねりが躰の向きを変える動作を邪魔しているのだ」
「お前にはそれが無かったから止められなかったのか?」
「そうだ」
「では、どうすれば良い?」
「順体で動くんだ」
「順体?」今岡が首を捻る。
「右手が前に出る時、右足が出る。左手が前に出る時、左足が出る」
「なに!それは軍隊では矯正されるべき動きだぞ。現に行進の訓練では厳しく戒められている」
「だろうな、軍隊の運動理論は西洋式だから」
「それではダメなのか?」
「一般人を手っ取り早く戦場に送り込むには良いだろうな。躰を捻ればとりあえず大きな力は出る」
「しかし・・・」言いかけて今岡が口を噤む。思い当たることがあるのだろう。
「いいか。例えば腕力で十の力を出すより、躰の十ヶ所から一の力を集めて来た方が負担は少ない」
「うむ・・・」今岡が頷く。
「長期的に見れば、その方が多くの仕事ができるんだ。ただしその動きを身につけるにはそれ相応の時間がかかるがな」
「では、軍隊でやっている訓練は即物的なものだというのか?」
「ああ、兵隊は消耗品だからな」
「なんという事だ・・・」
「今岡・・・」
「なんだ?」
「今、俺が言った事は忘れろ」
「なぜだ?」
「非国民と言われたく無かったらな」
「うう・・・」今岡は絶句した。
翌日は日曜日。同じ生徒舎の生徒は、実家に帰ったり生徒監の家に遊びに出かけたりして誰も居なかった。
平助は一人寝台でごろ寝をしていた。
「無門、居るか?」ドアが開いて今岡が顔を出した。
「おう、居るぞ!」平助が寝台から上体をおこし返事をした。
今岡は平助の側まで来て立ち止まる。
「話があるのだが、いいか?」
「なんだ?」平助が怪訝な顔で今岡を見た。
「第二学班の連中に順体を教えて欲しい」今岡は真っ直ぐに平助を見ていった。
「・・・」
「駄目か?」
「なぜだ?」
「俺は級友を無駄死にさせたくは無い」
「それと順体とどういう関係がある?」
「お前の言ったように、少しでも躰に負担の少ない動きを身につければ、それだけ死ぬ確率は減るだろう?」
「まあな」
「だから、籠球の練習に託けてその練習をする。教練の時間には絶対に出来ないからな」
「第二学班の奴らは承知なのか?」
「ああ、まだみんな半信半疑だがな。お前が来てくれれば納得させられるだろう」
「まあな」
「みんな、運動場に集まって居る。一緒にきてくれないか?」
平助はゆっくりと寝台から降りて、靴を履き始めた。
「来てくれるのか?」
「うむ、役に立つ保証は無いがな」
「ありがたい!」
二人は、運動場に向かって歩き出した。
*******
「おい、みんな。無門を連れて来た!」運動場の入り口で今岡が叫ぶ。
第二学班の面々は、複雑な表情で平助を見ている。
「この中で、一番守りのうまい奴は誰だ?」コートに入るなり平助が尋ねた。
「俺だ!」ガッチリした体格の生徒が応えた。
「そうか。俺の横に立て!」
「何をするんだ?」
「今からお前を躱す」
「ふん、この前のようには行かないぞ!」
そう言って、その男は平助の横に立った。
「肩と肩を合わせろ」
「こうか!」
「そうだ、今からお前の反対側に行く。お前はそれを阻止しろ」
「この体勢からか?馬鹿にするな、俺を抜けると思って居るのか?」
「やってみれば分かる」
「よし、こい!」
平助は、わざと気配を出したまま、肩でその男を押した。
男は平助の動きを完全に封じている。二度三度押して見る。
「どうした、口ほどにも無い!」男が笑った。
その瞬間平助の気配が消えた。あっという間に平助は男の反対側に立つ。
「なんだ、今のは!」男が狼狽した。「もう一度だ!」
今度は、肩が触れると同時に平助が消えた。平助を押し返そうとした男は勢い余って転倒した。「も、もう一度だ!」男が立ち上がって言った。
「何度やっても同じことだ」平助が男を見て笑う。
「ウオー!凄いぞ!これが順体というやつか?」他の生徒達が声を上げた。
「そうだ、順体で動けば、こんなことは造作も無い」平助が答える。
「これは、中野中学との対抗戦に使えるぞ!」
「今まで一度も勝てなかったからな!」
生徒達は、大いに盛りがった。いっぺんに平助を見る目が変わる。
「頼む、教えてくれ!」
「どんな練習でもするぞ!」
平助は生徒達を見回して言った。
「日本人は、元々順体で動いていたのだ、その動きを思い出すだけでいい。今ならまだ間に合う」
「そうだ、日本人の身体感覚を取り戻そう!」生徒の一人が言った。
「これは立派な愛国的行為だ、断じて非国民などでは無い!」今岡が叫ぶ。
「オウ!」全員が応じた。
第二運動班の生徒達はこうして知らぬ間に、武術の動きにのめり込んで行った。