籠球
籠球
ある日の随意運動の時間に、平助は笹川と一緒に剣道場に向かいながら何気無く運動場を見ていた。
運動場では平助の同級生達が、一つのボールを取り合って籠に入れるゲームをしている。
「あれはなんだ?」平助が笹川に訊いた。
「籠球だ、最近流行りの西洋のスポーツだよ」佐川が運動場を見遣って答える。
「ふ〜ん」何事か考えながら平助が呟いた。「大勢の敵を相手に戦う訓練にはちょうど良いな」
「ん、今なんと言った?」
「いや。ちょっと俺もやってみたい」言うが早いか平助は運動場に出て行った。
「俺も混ぜてくれ!」平助は、そこにいる生徒達に向かって言った。
「それはいいが、ルールは知っているのか?」背の高い男が言った。
「今見とったから分かる。球をあの籠に入れればいいのだな?」
「ああ、そうだそれで・・・あっ!待て」
いきなり平助が走り出した。ボールを、生徒からひったくるとゴールに向けてまっしぐらに駆けてゆく。
「誰かそいつを止めろ!」男が叫ぶ。十人の生徒達が一斉に平助めがけて殺到した。
平助はヒラリヒラリと生徒達を躱しあっという間にゴール下に達した、まるで無人の野を行くようだ。
平助はゆっくりと狙いを定め、籠に向かってボールを投げた。ボールは見事に籠に収まって下から落ちて来た。
「どうだ!」平助が得意げに振り向いた。
十人の生徒達は呆れた顔で平助を見ていた。
「馬鹿野郎、ボールを持ったまま二歩以上走る奴があるか!」男が怒鳴った。
「何、二歩以上進めんのか?」間の抜けた声で平助が訊いた。
「そうだ!」
「じゃあ、どうやって走るんだ?」
「ドリブルをするんだ」男が言った。
「ドリブル?」
「ボールを突きながら走るんだ。手毬を突くみたいにな」
平助は唸った、「不便なもんだな・・・」
その時、後ろから大音声が轟いた。「こら、何をしておる!いやしくも大日本帝国の士官になる身が、スポーツなどと軟弱なものをやっている暇があるか、恥をしれ恥を!」
「いけね、鬼教官が来た」誰かが小声で呟いた。
教官は進歩的な人物ばかりでは無い。昔風の頭の固い教官も半数は居た。
「全員整列!そこに並べ!」教官は全員を横一列に並べて、懇々(こんこん)と説教を始めた。
「こんな物があるから悪いのだ!」教官はいきなりサーベルを抜いて、ボールをズタズタに切り裂いてしまった。
「無門!」教官は、平助を睨みつけた。
「はっ!」
「お前は、術科の成績が抜群だと評判だそうじゃないか!」
「いえ、そのようなことはありません!」
「なに、口答えする気か!」
「いえ!」
「こんな球遊びをやっているようでは、先が思いやられる、自重せよ!」
「はっ!」
普段はここまで喧しいことを言う教官ではない、今日はよほど腹の虫の居所が悪かったのであろう。言うだけの事を言うと、教官はさっさと校舎の方に歩いて行ってしまった。
その日平助は、生徒舎に帰ってふて寝をした。「まるで俺が首謀者みたいじゃないか・・・」
「そう言うな、運が悪かったんだよ」佐川が慰めるように言った。
その時、同じ宿舎の生徒が平助のそばにやって来た。
「無門、お客さんだ。宿舎の外で待っている」その生徒はそれだけ言うとそそくさと自分の寝台に戻った。まるで関わりを避けるように。
平助が外に出てみると、待っていたのは籠球をやっていた背の高い男だった。
「やあ、さっきは気の毒な事をしたな。あの教官はスポーツを目の敵にしているんだ」そう言って男は笑った。
「何の用だ?」平助が訝って訊いた。
「籠球をやらんか?お前には才能がある」
「俺にそんなものは無い。ルールも知らなかった」
「ルールなんて直ぐに覚えるさ。それよりも全員を躱した躰の動きが素晴らしい、誰もお前の体に触れられなかった」
「当たり前だ、触れられたら斬られておしまいじゃ無いか!」平助は、さも当然だという顔をして言った。
「斬られるって、刀でか?」今岡は呆れている。
「そうだ、他に何がある?」
「そんな目で、籠球を見ていたのか?」
「ああ、多敵の訓練にはもってこいだ」
「スポーツは、もっと楽しくやるものだよ」
「俺は、楽しみで体を動かした事は無い」
「そんな・・・」男は絶句した。
「他に用は?」
「いや、無い・・・俺は第二学班の今岡だ。気が変わったらいつでも訪ねて来てくれ」
「おそらく、そんな日は来ない」平助は冷たく言い放った。
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その夜、平助は夢を見た。母方のじっちゃんとばっちゃんの家で、思う存分走り回っていた時の夢だ。あの頃は楽しかった。躰を動かすことが嬉しくて仕方なかった。
「俺は、今岡に嘘をついてしまった。今度会ったら謝らねば・・・」