抜塞
抜塞
知花長英は、潤の前で抜塞を演じた。
その動きは切れ目がなく、最初から最後まで流れるような滑らかさで曲線的な軌跡を描く美しい『型』だった。
「やってみよ」
潤は師の動きを脳裏に描きながらゆっくりと抜塞を演じた。
「ゆっくりやっても流れが切れておる、挙動と挙動の間の繋ぎにこそこの『型』の妙味がある」
「はい」
「お前は一年間、この『型』のみを稽古せよ」
「他の事はやるなと仰るのですか?」
「そうじゃ」
「組手も?」
「無論じゃ、先を急ぐと後で後悔する事になる」
「でも、それでは強くなれません」
「小賢しいことを・・・空手の奥義も極めずに、ただ強くなったところで何とする、そんなものは真の強さでは無い」
潤は納得出来ぬまま師の前を辞した。思い切り誰かに技をぶつけたい衝動に駆られる。
足が自然と花街の方に向く、掛け試しがしたい。
*******
そろそろ、辻の灯篭にも火が灯る。ここで待てば腕自慢の漢達が必ず現れる。
人通りが繁くなった、一人で行く者、また数人で連れ立って歩く者、様々な男衆が通り過ぎた。
「来た!」
見るからに強そうな壮漢が北の辻からやって来る。潤は灯篭の陰から出て道を塞いだ。
「何だお前は!」漢は目を細めて潤を見た。
「興那覇潤、掛け試しを所望する」
「小癪な若造だ、俺を誰だと思っている!」
「強ければ誰でもいい」
「ふん、この勝負受けた。俺は金城・・・」
潤は金城の言葉の終わらぬうちに右半身に構えた。
「行くぞ!」
金城に向かって真っ直ぐに突進する。金城の対処が一瞬遅れた。
チェーィ!
潤の突きが金城の顳顬を掠めた。
その後の金城は防戦一方だった。大きな躰を縮めて後退する。
金城の背が辻の一本松にぶつかった時、潤の横蹴りが金城の腹にめり込んだ。
金城が前のめりにドウ!と倒れた。
「どうだ、必殺!」
潤は、自分の強さを確信した。
パチパチパチパチ、拍手が聞こえた。
「見事だ!」
振り返ると、小柄な男が灯篭の縁石に座ってこっちを見ていた。
「見事なものだなぁ!」
その男は感心したように、もう一度言った。
「あなたは?」
「比嘉幸長、島袋将克の弟子」
「島袋先生の・・・」
沖縄空手界で島袋将克を知らぬ者は居ない。
「私は興那覇潤、知花長英の弟子です」
「ほ、あの泊手の名手と謳われた・・・道理で」
「何かご用でしょうか?」
「俺も掛け試しの相手を探しておった、疲れておらなんだら是非お相手願いたいものだが?」
「疲れてなどおりません、ご覧になっていたのでしょう?」
見物人の数が、さっきよりずっと増えている。
「では、承知ということで良いのだな?」
「望むところです」
比嘉幸長はゆっくりと立って潤の前にきた。
「いつでもいいぞ」
「ごめん!」
いきなり潤の拳が幸長の顔面に飛んだ。幸長は潤の拳の伸びきるところまで後退した。
それからの潤の攻撃はその間合いで全て躱された。後少しで届かない。
潤の呼吸が荒くなった。
幸長の動きは空手舞踊『舞方』の動きに似ていた。動きに切れ目がなく何処からでも攻撃出来る。
柔らかい動きなのに、その中から繰り出される技の瞬発力は半端では無い。
潤の動きが切れた時、必ず幸長の反撃を喰らった。
意識が朦朧となった、瀕死の金魚のような気分だ。
「もう、終わりか?」
「ま、まだだ・・・」
「しかし、立っているのがやっとでは無いか?」
「うぬ・・」
潤は最後の力を振り絞って地を蹴った。
キェー!。起死回生の飛び蹴りを繰り出す。
ガン!と衝撃があって躰が落下して行く。
幸長が潤の跳躍より高く飛んで、踵で潤を蹴り落としたのだ。
「うう・・・」
地面に激突して呻いた。
薄れて行く意識の中で、潤は幸長の声を聞いた。
「君は、抜塞をやるといい」
*******
「『型』はいかなる状態にあっても、あらゆる変化に対応できる起点の連続したものじゃ。そのための正しい姿勢と、事の起こりを必要としない柔らかさと、ブレのない芯を作り上げる事が重要なのじゃ」
潤が師の前に手をついて、己の考え違いを詫びた時、知花長英が言った。
「はい・・・」
「お前は良い経験をした。もし比嘉がお前を殺す気であれば、今頃お前はここにおるまい」
「私は自分の未熟さを嫌という程知らされました」
「島袋先生の弟子に感謝をせねばのぉ」
「私は今日から一年間、何があっても抜塞以外稽古を致しません」
「儂は、お前の将来に期待しておる、必ずや沖縄空手発展の礎になるであろう」
「心して稽古致します」
潤は再び師の前に手をついて頭を下げた。
与那覇潤、十八歳の秋の事であった。