紀州の追跡者 介護の御守り
おお、物好きもいる。またおれのつまらぬ戯言につきあう、物好きもいたもんだ。
さて本題にはいろう。記憶の容量は限られている。
つまらぬものは、捨てられる。
「紀州、御守り落ちてんぞ。」
同期の梅男。いわゆる大学からの腐れ縁だ。
「めっちゃ汚いですね。捨てないんですか。」
かいこちゃん、20代、未婚。怖いものを知らない。
御守りを手に取る。薄汚れというよりも、ボロボロだ。昔は赤い布だったのが茶色くなっている。
手にした時から茶色かったな
記憶が飛ぶ。
あれは新人時代担当した、話もできない、口から自分でごはんもたべられない、話しかけても返事もできない。瞬きすら自分では行えない。
「担当の紀州です。」
初めて反応の薄い人を担当した。昔は綺麗だっただろうと思われるくりくりの目も痩せこけて可愛いとは思えなかった。
「ひどい服、こんな子にうちのお母さんをたんとうさせるんですか。」
きつい家族の言葉。
着ていた服は、紀州らしく、おれらしく梅干しのプリントされたシャツ。
赤は元気が出る。
俺は、むかつきながらも
毎日、毎日挨拶をした。
返ってくることのない挨拶。
時折ピクッと動く手。
「いつもうるさいわね」
家族の汚いものを見る目も、諦めに変わる頃
突然、別れはやってきた。
介護の現場で避けては通れない
死
もともと返事はなかった、けれど本当に返事がなくなった。
「お世話になりました。」
きつい家族が上司に挨拶する。
いつも怒られていた。汚いものをみる目からあきらめに、ダメだと言われていた言葉はいつしか消えた。
「紀州さん。」
どんな言葉をかけられるか怖かった。
「知ってます、お母さん、あなたのうるさい声で声をかけられた時だけ手がピクッと動いてたって。きっとあなたのことわかってたんですよ。」
そして、汚い御守りを手渡された。
中に入っているのは
ありがとう
と書かれた言葉。
「お母さん、病気になった時、ありがとうって伝えられなくなったら、ありがとうって伝えたい人に渡して欲しいって」
出会った時には、もう話せない人だった。
病気になった時、そんなことを言える強い人だと知った。
いなくなって知った。
「娘さんに言いたかったんですよ」
きつい家族だったのに、諦めではなく、認めてもらえていたことに気がついた。
「わたしはお母さんの思い出いっぱいありますから。紀州さんにもっていてほしいんです。」
「ありがとうございます。」
「紀州先輩、ぼーっとして、またエロいこと考えてるんですか。」
相変わらずきついかいこちゃん。
「捨てないよ」
大きな声が出た。
梅男がニヤつく。ふーんとかいこちゃん。
今日も俺の介護テイシャツは梅干し
いや、つまらぬことを言った。
忘れてくれ、俺の戯言を。
俺は介護に生きる紀州の追跡者