「たける」
親友の川田灯が死んだ。死因は踏切を通過していた電車に飛び込んだことによる、自殺だった。
警察側はこれを事故と判断し、早々に捜査は終わった。けれど灯の親友である友美は警察の主張をいっさい信じていなかった。
警察もテレビも自殺と片付け、週刊誌では「両親が共働きをしているがゆえに、寂しさに耐えられず自殺してしまったのではないか」と、あることないこと出鱈目に書き綴られていた。何も知らないくせに、勝手なことばかり。友美は怒りを覚えた。
灯の家はたしかに両親が共働きをしている。でも休みの日になると家族で出かけるくらいに仲が良いことも友美は知っていた。それを聞くたびに、友美も他の友だちもみんなして、灯をうらやましがったほどだ。夏休みには北海道へ行くと言っていた。そこでカニを食べるんだと言っていた。灯は食いしん坊だった。
成績も優秀で運動もできて、家庭環境にも恵まれている。そんな灯が自殺なんてあり得ない。きっと警察は捜査が面倒くさくなって、途中で投げ出したのだ。そうでなかったら、いつまでも見つからない灯の頭部を不審に思うはずなのだ。
ウワサによると、灯が事故にあったその踏切は自殺者が多発しているらしい。心霊スポットの名所にもなっていて、そこでは男の子の幽霊がでたり、自殺者は毎度頭がなくなっていたりと、あまり良い話は聞かない。
いったい、灯の身に何が起きたのだろうか。真相を探るため友美は、灯の葬式を終えたその日、会場から一時間ほど電車を乗り継いで事故現場を訪れた。
周囲は田んぼや草原ばかりが一面に広がっていて、人も車もなかなか道を通らない場所だった。踏切は車も歩行者も通れるほどの幅だった。
踏切の前には、花束と、水の入ったペットボトルがあった。おそらく、地元の人たちが亡くなった灯を弔っているのだろうと気付く。友美はその花束に向けて手を合わせた。
しばらく、踏切のあいだを行ったり来たりし、それから電車が通りすぎたり、時折横断する車や人をぼんやりと眺めてみたが、特に何も起こらなかった。
こんな辺鄙な場所に、灯は何をしに来たのだろう。
ふと気が付くと、近くに設置されてあるスピーカーから「夕焼け小焼け」が流れてきた。思わず友美はスマホを取り出して時間を確認する。一七時三〇分。どうやら帰宅を促す市内放送らしい。こういうのを律儀に守るのは小学生くらいだ。高校生の自分には、今さらこんなものを守ったって、しょうがない――。
そういえば灯が事故に遭ったのは、これから一時間後くらいのことだ。午後六時半。夏の六時半はまだ太陽が西にいるはず。けれどそろそろ暗くなりつつある、といった具合だ。やっぱり、どうして灯がこんなところにいたのだろう。おかしい、どう考えても。
灯は部活をしていなかった。だからいつも真っすぐ家に帰っていた。門限が厳しいらしく、父親からは「遅くとも七時までには帰ってこい」と言われていたらしい。それを聞かされたとき、友美はもちろん、他の友だちも「厳しすぎない?」とあきれたものだ。灯は「そうかな?」とたいして気にしている風もなかったようだけど。
そんな、親の言いつけをきちんと守るくらいに真面目な子が、その言いつけを破ってまでしたかったこととは、なんだろう。
空がますます暗くなっていく。行き来する車は皆、ヘッドライトを点し始め、遠くでカラスとひぐらしの、それぞれ鳴く声がした。
ここにいても、やっぱり何も見つからないかもしれない。葬式から衝動的にこちらへ来てしまったけれど、何もこんな時間に訪れることはなかった。また日を改めて出直そうと、駅に向かって歩きだそうとしたそのとき、制服の裾を引っ張られた。見ると、そこにはいつの間にか幼稚園生くらいの男の子が立っていた。こんな時間に外を出歩いているのは不自然である。迷子だろうか。
正直、迷子の相手をしているほどの余裕はない。けれど無視するには、年端もいかない子どもに対して酷な気もして。仕方なく友美は男の子と目線を合わせるようにその場にしゃがむと、「どうしたの?」と問いかけた。
男の子はじっと友美を見つめて、「かくれんぼ」と言った。男の子の首まわりは継ぎ目のような痕がうっすら見えた。
「かくれんぼ? もしかして迷子? お父さんか、お母さんは?」
「……いない」
いない、というのは「この場に居ない」という意味なのか、あるいは「存在しない」という意味として捉えるべきなのか。
「じゃあ、おまわりさんのところに行く?」
友美は立ち上がる。たしか駅の近くに交番があったはずだ。そこまで行こうと歩きだそうとしたとき、またも制服の裾を引っ張られる。男の子はまた「かくれんぼ」と言った。
友美は密かにため息をつく。まったく、脈絡のない会話だ。最も、それが子どもなら仕方ないとは思う。でも今自分は、こんな迷子にかまっていられるほど暇ではないのだ。刻々と西へ傾いていく夕陽。反対に東から見える月明かり。夏だというのに、冷たい風までも吹いているような気がして、つい身ぶるいしてしまう。なんだか薄気味悪い子どもだと思った。何の前触れもなく突然現れた、この子ども。気味が悪い。
「かくれんぼ」
「かくれんぼがしたいの?」
問いかけると、男の子は首を横に振った。
「かくれんぼ、してたら。どっかいっちゃったの」
「誰が?」
「たける」
「たける? もしかして、かくれんぼしてたら、その『たけるくん』がどこかへいっちゃったの?」
男の子はうなずいた。
太陽はほぼ沈んでいる。あたりは田んぼばかりが広がる田舎ゆえなのか、街頭もそんなにない。もし「たける」が見つからなければ一大事になるだろう。今は灯のことよりも、目の前の迷子を優先するべきだと思った。
「わかった。私も探すから」
すると男の子は突然、ニィッと歯を見せて不気味に笑った。子どもとは思えない笑い方に、背筋にゾッとした寒気が走る。けれど次の瞬間には何事もなかったかのように、男の子は丸い瞳で友美を見上げていた。
気のせいだったのかなと、友美は背筋に寒いものを感じながら、男の子をまじまじと観察する。しかし、男の子には本当に特別な変化はなかった。
「じゃ、じゃあ。まずは大人の人を呼ぼう――」
「あっち」
友美が歩き出そうとしたとき、男の子はぐいっとまた制服の裾を引っ張ってきた。思わず友美はよろめきそうになる。男の子は友美の制服の裾を手につかんだまま、歩きだす。子どもとは思えないくらいの強い力に友美は戸惑う。
きっと一刻も早く「たける」を探したいのだろう。仕方ない。道の途中で大人に会ったら、そのとき助けを求めればいいやと思って、友美は黙ってあとに続いた。
男の子は歩道を反れ、あたりに広がる草に分け入るようにして線路沿いを歩きだした。聞けば、「たける」と分かれたのはこのあたりらしい。まさか線路沿いでかくれんぼをしているなんて危ないじゃないか。きっと地元の子どもたちにはこの場所こそがかくれんぼに最適なのだろう。周囲には目立つ建物もない。隠れるにはうってつけだ。でもこの場所は下手したら電車に接触することだってあり得る。あとついでに、さっきから腕や足がかゆい。きっと蚊に刺されたのだ。地獄のようなかゆみをこらえながら、友美は男の子のあとをひたすらついていった。
「ねえ、こんな場所でかくれんぼするの。やめなさいよ。電車も通って危ないから」
「…………」
「ねえ、聞いてる?」
「…………」
前を歩く男の子は返事をしない。聞こえていないのだろうか。
友美は肩をすくめる。きっとこの子は「たける」のことが心配なあまり、周りの音に耳を傾ける余裕がないのだろうと、無理やり自分を納得させた。
道路から反れて道なき道を進んでいるせいか、先ほどから人っ子一人見当たらなかった。「たける」はもちろんのこと、大人でさえも。なんなら、線路から電車が通る気配さえない。田舎だからだろうか。でもそういえば、この男の子に会ってから一度も電車を見かけていない気がする。さっきまでは少なくとも三十分ごとに電車を見ていたはずだ。まさか終電とか? いやいや、そんなはずはない。一応終電の時間を調べておいたが、たしか二二時だったはずだ。
どこかで人身事故でも起きて、電車が停まっているとか? そう思ってスマホを取り出したとき、奇妙な数字が目に入った。「44:44」時刻表示のはずである。
不気味なものを覚えて、友美はスマホをポケットにしまった。不具合だろうか。先月買ったばかりなのに。
「たけるはね、かくれんぼがすきなんだ」
前を歩く男の子が不意に口を開いた。あたりはいつの間にか静けさが満ちていて、男の子の声はよく通った。さっきまであんなにじわじわと暑かったはずなのに、吹く風は冷たく感じた。
友美は腕をさすりながら「へえ」と相槌を打った。
「かくれるのもじょうずなんだ。いっつもみんなにみつからない。だれにもみつからないばしょ、しってるから」
男の子は前方を真っすぐ指差した。友美はつられて目を向ける。そこには柵があって、それを通り過ぎた先には線路がある。
どうやら「たける」はいつも線路を隠れ場所に使っているらしい。そりゃ見つからないわけだと、友美は納得する。あんな場所、危なすぎて普通は入らない。
「でもね、あるひ。あのばしょでころんじゃって。そのとき、でんしゃがとおったの。ピカピカッてひかるライトがちかづいて。……いたくて、くるしかった」
線路から、恐る恐る男の子へ視線を移すと、彼の首が若干ずれているように見えた。そのまま、「あ」と思う間もなくボテッと鈍い音をたててサッカーボールくらいの大きさの何かが落ちる。
ころころと、友美の足元に転がってきたのは、子どもの頭だった。
友美はヒッと、声にならない声をあげて、その場に尻餅をつく。頭がとれた。自分の見ているものが信じられなかった。
男の子の頭はころころと友美の足元へと転がってくる。顔がこちらを向いたとき、唇が裂けそうなほどに広げられて、ニタァッと笑った。友美は叫び声をあげて、足をもつれさせながら走り出した。
「おねえちゃーん、まってよぉ」
振り返ると、首から上がない姿のまま。「たける」が歩いてくる。子どもの足にしては異常に速く、走っているはずなのに追いつかれてしまいそうだ。
「おねえちゃーん、まってぇ。たけるの頭、みつけてよぉ」
頭、頭、頭――。そうだ、と友美は思い出す。灯も頭がなかった。他にこの付近で事故に遭った人間たちも頭部が行方不明になっていると聞く。全てあの子だ、あの子のせいだ。
「誰か助けてぇっ!」
必死に大声をあげるも、あたりに人の気配はない。空はすっかり夜の闇に覆われ、虫の鳴き声さえも聞こえない。明かりも見えない。電車も車も通る気配がない。あたりを覆っている草原は、終わりが見えずにどこまでも続いている。
来たときはこんなに長い道のりだったろうか。
「あっ!」
不意に草に足をとられ、友美は激しく地面に倒れる。逃げなきゃ、と足を動かそうとしたそのとき。草をかき分けて「たける」が現れた。
「おねえちゃんの頭、ちょうだい――」
喋る口さえないはずの「たける」はそう言いながら、小さな両手を友美に向かって伸ばしてくる。
「いやあっ!」
友美は男の子の手を思い切り振り払い、必死になって全身で暴れ抵抗する。そのとき、けたたましいクラクションが鳴り響いた。音に驚いて、友美はさらに叫んだ。
「おい、大丈夫か!」
「来ないで――っ!」
伸ばされた手の感触を思い切り振り払うと、「おいっ!」ともう一度。今度は恫喝するように呼ばれ、友美は我に返る。目の前にいたのはスーツを着たサラリーマンだった。同時に、強い光がすぐ真横から感じられて。――そちらを見れば、そこには乗用車が一台止まっていた。
「大丈夫か? キミ」
サラリーマンが気遣うように見降ろしてくるのに、友美は「たけるは?」とつい尋ねてしまう。サラリーマンは「たける?」と首をかしげた。
「……すみません。なんでもないです」
友美は立ち上がろうとしたが、うまく立ち上がれずに地面に座り込んだ。アスファルトの地面だった。立ち上がれないのは、転んでしまったからか、あるいは安心感から来るものだったのか。わからない。ともあれ、自分は助かったのだ。そのことに友美はひどく安堵を覚えた。
周囲を見渡せば、踏切が近くにあって。あたりは田んぼや草原に囲まれた田舎道である。頼りになる明かりは、目の前にいるサラリーマンの物であろう、乗用車のヘッドライトくらいだ。
「大丈夫か?」
「はい。大丈夫です……」
「そうか、よかった。なら、近くの病院まで連れて行こう。足、すりむいているよ」
そう言われて初めて、自分の膝がすりむいていることに気付いた。他にも虫刺されだったり、草で切ったのだろうか、そういった傷まであって。髪も乱れていたし、制服には土がこびりついていた。
「ありがとうございます」
お言葉に甘えて、友美はサラリーマンに付き添われる形で、車の助手席に乗り込む。最後に彼が運転席に座ったところで、車は出発した。
「キミはあんなところで何をしていたんだ?」
「……このあいだ、あそこで事故が遭ったんです。女の子が電車に轢かれて亡くなったって」
「ああ、知っているよ。高校生くらいの子だったね」
「はい。その子、私の友だちで」
「ああ、なるほど」
「自殺、するような子でもなかったはずなのに。どうして死んじゃったんだろうって。それが気になって、来てみたんです」
助かった安心感からか、会ったばかりの人に語る口が軽い。友美はフゥッとため息をついた。
「ここら辺は夜だと特に危ないからね。あまり近づかないほうが良いよ。嫌なウワサも聞くし」
「嫌なウワサ?」
「ああ。昔、この付近でかくれんぼをしていた男の子が電車に轢かれて亡くなった事故があってね。その子も頭がなくなったんだ」
首から上がない男の子――「たける」のことを思い出して、友美は身震いする。そういえば、少し寒い。車内のエアコンが効きすぎているのではないだろうか。
でも勝手にいじっては失礼だし、気晴らしに友美は窓の外を眺める。そして、つい首をかしげた。何か、二つのライトがこちらに近づいてきてやしないだろうか。
じっくりと目をこらすと、近づいてくる二つのライトが何かがわかった。電車だ。電車が近づいてきている。
友美は思わず前方を見る。車はとうに発車したはずだ。なのに、周囲の景色は全く変わっていない!
「電車にひかれテ、イタカッタ。クルシカッタ」
運転席に座るサラリーマンの低い声が、「たける」の高い声に変わる。
「首、モ、ナクナッタ。ダカら、おねえちゃんのくび、」
ちょうだい、と横からガッと首を強くつかまれる。
直後、友美の体を電車が勢いよく跳ね飛ばした。
「――次のニュースです。昨夜8時頃、群馬県××町にある××線××駅近くにある踏切で、女子高校生が電車に轢かれ、死亡が確認されました。亡くなったのは、県内に通う西野友美さん、十七歳。死因は出血性ショックと見られています。なお、電車に引かれた衝撃で、友美さんの頭部がいまだ見つかっていないということです。この付近の踏切では、先週も同じように電車に轢かれ、女子高校生が亡くなる事故がありました」