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可変性夢物語  作者: しゅんぎく
第一部
1/4

人魚と魔物(前編)

わたしはきょうも ゆめみている

うんめいのひとが わたしをみつけてくれること

わたしだけのおうじさまが あらわれること

なにをいっているのって? いいじゃない ゆめなんだもの

わたしをしあわせにしてくれる だれか

そんなひとをまって わたしはきょうも くりかえす


 月は隠れ、真っ暗な夜。吹きすさぶ風は木々を軋ませる。重みのある雨粒が地面で弾け、ザーザーと大きな音を立てていた。

 大きな水たまりに今一つの足が飛び込んだ。その足の主はぬかるんだ道をものともせず勢いよく走っていく。その足跡は雨で流されそうになったが、すぐに別の足跡がついた。馬だ。馬に乗った人々が駆け抜けていく。

「こっちだ!こっちにいるぞ!逃がすな!」

 馬に乗った男たちは怒号を上げて、林の中を突き進む。先ほどの人影は追われていた。

 林を抜けると、崖の上に人影が立っていた。断崖絶壁。もう逃げ道はない。

「殺せ!」

 男たちは物騒なことを言いながら、じりじりと人影に迫っていく。

 ふと雲が途切れて月が姿を現した。月明かりに照らされて、人影の姿があらわになった。

 人影は男だった。しかし、人間の男ではなかった。眼は白目も黒目もなく赤一色。青白い肌にはところどころに鱗が生えている。

「気色の悪い魔物め!死ね!」

 追手の一人が叫んで、男に切りかかった。追手の剣が男の腹に刺さり、男はうめき声をあげて痛がっている。

「よし!よくやった!これでとどめだ!」

 もう一人の追手が男に切りかかったその時、男はふらつきながら崖から身を投げた。

「くそっ。逃げやがったか」

「見ろよ。ここから飛び降りて生きてる奴はいねぇさ」

 男たちは崖から下を見下ろした。真っ黒い海。激しい波が岩場に当たって飛沫を上げた。

「腹にもグッサリ刺してやったしな。あの腹の傷じゃ長くは持たないだろうさ」

「ふん。それもそうだな」

 追手たちはしばらく崖下を覗いたあと、馬に乗って意気揚々と帰っていった。


  〇


 ピチョン。ピチョン。岩の天井から水滴が落ちて音が反響している。真っ暗な洞窟。湿った砂の上に男は寝そべっていた。足元が水に浸かっていて、波のように水は寄せては引いていく。

「う、うぅ」

 男はうめき声をあげて目を覚ました。

「うっ!」

 起き上がろうとして、腹に痛みが刺さり手で押さえる。

――剣が抜けている…?

――ここは、どこだ。

男は周りを見渡した。真っ暗な闇の中、男の息遣いと水の音だけが響いている。

「この暗さじゃ何も見えないな」

 男はあきらめたように寝そべった。少しうめき声をあげた後、目を閉じる。少しして男の寝息が聞こえ始めた。



男を次に目覚めさせたのは人の気配だった。真っ暗で何も見えなかった洞窟に少し光が差して人影が見える。

「誰だっ」

 男は痛みにあえぎながらなんとか起き上がり声を上げた。その声に反応するように男の足元の方向からバシャバシャと音がする。

「誰だ」

 もう一度、今度は音の方向に向きなおって男は言う。

「わ、私は、ノラ。」

――女か。

「何の用だ」

「傷の具合を見に来たの。あなた、おなかにケガをしているでしょ?」

「剣を抜いたのはお前か。…ここはどこだ」

「ここは、洞窟。人間がつけた名前はわからないけど、あなたが身投げした崖からそう遠くない場所にあるの。海からしか入れないからきっと誰も来ないよ。」

 少しずつ近づいてくる女の姿を見て男は息をのんだ。

女は人魚だった。深い青色の豊かな髪は水にぬれてしっとりと艶やかに輝いている。むき出しの白い肌は上半身までだ。腰から下は青味を帯びた緑色の鱗でおおわれている。

 ノラはくすっと笑って、水面から尾びれをのぞかせた。

「そんなに驚かなくてもいいでしょ?あなたも同じようなものじゃない?」

「本当に…人魚なのか…」

 男は食い下がる。

「本当だけど、血肉を食べたら不老不死になるっていうのは嘘だから、襲わないでよ」

「あ、ああ」

「さあ、傷を見せて」言いながらノラは近づく。

「おい!何をする気だ」

「この海藻、傷に巻くと早く治るの。すごいでしょ」

 ノラは自慢げに手に持っている海藻を男に見せた。

 男は逃げるように身をよじったが痛みのせいでうまく動くことができなかった。ノラは男の腹の傷に手際よく海藻を巻いていく。

「お前がここに運んだのか」

「そう!崖から落ちたあなたをここに運んで手当してあげたの。」

「そうなのか」

「そういうときはお礼を言うものじゃないの?あなた、運がよかったのよ?崖から落ちても頭を打たずに済んで、そのあと私に助けてもらえたんだから。」

 ノラは男の体に乗るようにして顔をグイっと寄せて言った。男が驚いて後ろに倒れると、ノラは無邪気に笑った。

「あなた、名前は?」

「バルドだ」

「バルドって赤い目をしてるのね。昨日は気づかなかった」

 ノラはさらに身を乗り出して、バルドの目を覗き込んだ。

「おい、重いぞ。どけろ」

 バルドはノラを自分の上から押しのけた。

「もう用は済んだだろ。俺は寝る」

「…おやすみなさい」

 ノラは素直に返事をして、水の中に帰っていった。バルドは目をつぶって、ノラがたてる水しぶきの音を聞いた。


  〇


 大きな二枚貝。海藻。手のひらサイズの魚。ノラは歌を歌いながら砂の上に置いていく。バルドが目を開けた時、彼は海産物に囲まれていた。

「なんだ。これは。お前がやったのか」

昨日とは変わりバルドはすんなりと起き上がることができた。ノラはバルドの顔を見て、ニコッと笑う。

「バルド。おはよう。よくなっているみたいね」

「これは…?」

「おなかが空いてるでしょう?真水もあるの!陸の人達は海の水は飲まないって聞いたから。少し川を上ってみたの。すごく綺麗なところだった」

 ノラは金属製のスキットルを振って見せた。

「この入れ物、キラキラして綺麗でしょ。拾ったの」

 ノラはバルドにスキットルを手渡すと、今度は貝を石でたたき始める。

「おい!何をしている」

「何って、貝を割っているの。貝、食べるでしょ?ほら、食べられるとこ」

 ノラは貝の身をつまむと、バルドの掌の上に乗せた。

「このまま食べるのか?」

 バルドは貝を指でつまんで、顔をしかめた。

「他にどうやって食べるの?」

「どうって、普通、焼いたり茹でたりするだろ」

「やく?ゆでる?…あ、思い出した。街で見たことある!おいしいの?」

 ノラが首をかしげると、バルドは合点がいったようにうなずいた。

「ああ。そうか。確かにな。海の中では火を使わないか」

「火ってよく陸の民が使っているのをみるけど、あなた使えるの?鱗が生えているし、私と同じ水の民でしょ?」

「俺は人間だ」

 バルドが急に大声を上げた。驚いたノラは水に潜る。大声を出したことで傷が痛み、腹を抑えてバルドが呻いていると、ノラは少しだけ顔を出した。

「…大丈夫?」

「ぅ、ああ。大丈夫だ。悪かったな。」

「人間って本当?」

 ノラがバルトに近づき、尋ねると彼は小さくうなずいた。

「3日前まではな」

「3日前?何があったの?」

「何もない。いつものように森で鹿を狩っていた。急に体からうろこが生えてきて、村に帰ったら大騒ぎだ。バルドの顔をかぶった魔物だとな。誰も俺の話を聞いてはくれなかった」

「それであの夜逃げてたんだ」

「ああ」

「ふぅん。人間が魔物になることなんてあるんだね。ね、今でも火は使えるの?」

 ノラはバルドの話を軽く流し、すぐに自分の興味ある話題に移した。

「火は何もない状態から出てくるものじゃない。火を起こすには道具が必要だ。マッチとか、火打石とかな。それに、薪や枝なんかの燃やすものがないと大きくできない」

「人間って火が使えるように生まれてくるんじゃないのね。もやすってよくわからないけど、その道具で誰でも火が使えるの?私も?」

 興味津々といった様子でノラはバルドに詰め寄る。

「使い方さえわかればな。」

「やってみたい!」

「そうはいっても、道具がないだろ」

「少し待ってて!」

 ノラは海に潜っていってしまった。バルドはため息をつく。

――なんなんだ。あの人魚。

 薄暗い洞窟の中。海水でベトベトとする体。腹には深い刺し傷。風変わりな人魚。

――俺はこれからどうすればいいのだろう。

 考えれば考えるほど途方に暮れる状況だと、バルドは思った。

「とりあえず傷を治してここからでなければ…」

 バルドがもう一度深いため息をついたとき、勢いよくノラが飛び出してきた。彼女の手には光る何かか握られている。

「これ、光る海藻なの。これとか光るクラゲとか、海の中で光源として使っているの」

「だから何なんだ」

 バルドが怪訝そうな顔をすると、ノラは陸に這って上がり光る海藻で洞窟を照らした。

 壺や鏡。ナイフ。変な形の流木。他にもノラの照らした先には様々なものが置いてあった。

「これは…」

「ここは私の秘密基地なの。私はね、人間の道具や気に入ったサンゴとか枝とか、拾ってきたものをここに集めて置いてるの。この中に火をおこす道具はない?」

「すごいな…」

「ほら、自分で海藻を持って探してよ。私の手が届かないところにも投げてあるかもしれないから」

「分かった」

 バルドは海藻を持って道具を探す。変わった形の枝。真珠。サンゴ。宝石。小箱。銅貨。銀貨。麻袋。ガラス瓶。変わった形の石。

「ん?これは、火打石だ」

「ほんと?じゃあ火起こせる?」

「いや、火打ち金がないと…いや、ナイフを持ってたな。少し待ってろ」

 バルドは枝を集めて、麻袋をナイフで裂いたものを上に置いた。そして火打石とナイフを持ち、カッカッ、とぶつけ始めた。何度か打ったあと、ついに火花が散って麻に火が付いた。

「わっ!すごい!」

「まだ少し待て」

 バルドは小さな火を消さないように、落ちていた板の端材で風を送ったり枝を足したりした。すると火はだんだんと大きくなっていった。

「綺麗」

 そう言ってノラは火に手を近づける。

「おいっ!やめろ」

 バルドはノラの手を抑えて言った。

「なんで?とてもきれいなのに」

「触ると火傷するぞ。…いや、火傷するといってもわからないか。火はものすごく熱くて触るとケガをして痛いんだ」

「火傷くらいわかるよ。人魚は魚とおんなじで、人間にずっと触られたり日差しが強いときにずっと水から出てたら、火傷するもの」

「そうなのか」

「火は危ないのはわかったから、さっき言ってたように貝を焼いてみてよ。」

「はぁ。わかった」

 バルドは貝を火の上に置いた。ついでに枝をナイフで尖らせて、魚を刺して火で焼いていく。

「殻は割らないの?」

「まあ、待ってろ」

 魚が香ばしく焼けていく様子を見て、バルドは唾を飲みこんだ。

――さすがに腹が減っているな。この人魚には感謝しなければ。

 何分か後、貝が大きく口を開き、海水を吐き出してグツグツと音を立て始めた。魚も両面いい具合に焦げ目がついている。

「さあ、もういいぞ。熱いから気を付けろ」

「うん!わかった」

 バルドは貝を枝でかきだすと、焼けた魚と一緒にノラの前に差し出した。ノラが熱い熱いと食べるのに苦戦しているのを横目に、バルドは三日ぶりの食事にありついた。

「うまい」

 海水のおかげで薄く塩味がついていて、そのままでも十分おいしく食べられる。バルドは魚も貝も次々と平らげて、スキレットの水もぐびぐびと飲みほした。

「はあ」

 一息ついたバルドはノラを見た。ノラは相変わらず苦戦しているようで、上を向いて口を開き湯気を逃がしている。

「そんなに熱いのか」

「熱いよ。バルドこそ何でそんなに早く食べられるの」

――そういえばこいつ。やけに冷たい手をしていたな。人魚は人間より体温が低いのか?

「誰も取らないんだ。ゆっくり食べればいい」

「うん」

 あたたかい火に当たりながら一休みするころには、バルドの中の焦燥感は消えていた。

――村にいたころよりもずっと穏やかかもしれない。

 バルドは少し横になることにした。腹の傷はずいぶんよくなっている。この薄暗い洞窟も風変わりな人魚も今は心地よく感じていた。


  〇


 バルドが起きるとそこにはノラがいなかった。

「海に戻ったのか」

 今は夜なのだろう。昼間は薄暗かった洞窟は今や一寸の光もない闇だった。

「いや、少し明るいな」

 バルドが少し首を動かすと、昼間にノラが持ってきた光る海藻があった。バルドはそれを手に取り、自分の周囲を照らした。すっかり焼けて灰になった焚火の跡、魚の骨と貝の殻。それから、スキレット。

「確か飲み干してしまったはずだ」

 バルドはスキレットを手に取った。重みを感じる。彼はスキレットを開けて少し傾けた。

「水が入ってる」

 少しだけ舐めてみる。

――真水だ。あいつ、汲んでおいてくれたのか。

「だいぶ恩ができちまったな」

 バルドは水を飲んでから海藻が巻かれている腹を見た。少し海藻をとってみる。傷はほとんど塞がっていて、腹を少しよじってみても血はにじまなかった。

――この海藻、すごい効き目だな。

 バルドは海藻を巻きなおして、今後のことを考える。

――とりあえず傷はもうすぐ治りそうだ。あと何日かってとこだろう。傷が治ったら、ここを出て人間に戻る方法を探そう。人間に戻ったらきっとどこででもやり直せる。まずはどこを探せばいいだろうか。人魚なら呪いとかそういうことに俺より詳しいかもしれない。

 バルドはウトウトと船をこぎつつも、日が昇るまで考え事をしていた。

「バルド!おはよう」

 ノラが洞窟に入ってきた。

「今日は早起きだね。」

「まあな」

 ノラはまたたくさんの食べ物を持ってきたようだ。おそらく拾ったであろう麻袋から魚のひれが飛び出している。

「水もあるよ」

 ノラは瓶を袋から取り出した。その中にはたっぷりと水が入っている。バルドは瓶をノラから受け取った。

「助かる」

 ノラはその言葉を聞いて、にこっと笑った。

「昨日の焼いた魚、とってもおいしかった。今日も作ってくれる?」

「ああ。枝も麻布もまだあるからな。それがお前への礼になるなら、作ってやる」

 バルドはまた、火をおこして魚と貝を焼いた。二人はゆっくりと食事をとった。

 食べ終わった後、バルドは改めて人魚を見た。

「人魚は服を着ないものなのか?恥ずかしくないのか」

「私たちは人間みたいに服は着ないわ。恥ずかしいとも、思わないし。人間だってよく裸になってるのを見かけるけど。」

「人間は人前で裸になったりしない」

「え?だって、海で泳いでる人間は裸になってるよ」

「ああ。泳ぐときか。でも、服を脱いで泳ぐのなんて男がほとんどだろ。人間の女は人前で服は脱がない。お前たちも女ばかりではないだろ?男の前でも恥ずかしくないのか?」

「確かに人魚も男がいるけど、みんな最初は女でしょ?」

「どういうことだ?生まれた時から男は男、女は女だろ。」

「そう。人間はそうなのね。」

「人魚は違うのか」

「人魚はね、みんな女として生まれてくるの。生まれてきた人魚は10尾程度の集団に分かれて暮らすのよ。そうしてね、大人になるとその中で一番強い個体が男になるの。そして他の人魚は女らしい体つきになる。男になった人魚は集団のみんなの旦那様になるのよ」

「それは、すごいな。だから、女も男も関係ないのか、お前は」

「ノラ。ちゃんと名前、言ったでしょ」

 バルドはノラをまじまじと見つめた。

――今の話から推測するに、こいつはもう旦那がいるのか。にわかには信じられないが。

「子供は?お前、子供はもういるのか」

「え?いないよ?」

「でも、もう旦那はいるんだろ」

「いるにはいるけど、そんな関係じゃないの。ま、逃げてるだけだけど」

「逃げてる?」

「そう、順番があるの。私は出来損ないの10番目。その順番の日になったら、巣から逃げてくるの。そういう日はね、この洞窟で朝まで待つ」

「そうなのか」

「うん。感謝してよ。私が逃げてないと、今頃あなた海の底よ」

「ああ」

 ノラは満足そうにうなずいて、その場にコロッと横になった。

「ねえ、見て。ここから少し空が見えるの。今日は晴れてるから、とてもきれい」

「俺にはよくわからんな」

「そうかもね」

 バルドとノラは暗くなるまでともに過ごした。特に話が弾むわけではなかったが、沈黙もまた心地よいとバルドは感じた。バルドにとってこんな相手は初めてだった。


 


後編へ続く

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