第26話 異世界への扉を開いてはいけない。これギャルの鉄則
初めに聞こえたのはこの世のものとは思えないおぞましい声だった。
「……い、今の声はなんでしょうか? ハーゲン選手の悲鳴でしょうか? それともシェーラ選手のものでしょうか?」
困惑した様子でロッチが観客の疑問を代わりに口にする。
現在リング上は深い霧に包まれていて、外からは中の様子を窺い知る事ができない。
「一体リングの上で一体何が起こっているのでしょうかー!? 突如出現した謎の霧によってハーゲン選手とシェーラ選手……そして戦いを優位に進めていたハーゲン選手の操るグールの大軍が我々の視界から消失してしまいました! 本来であれば私が目となって観客の皆様に戦況を伝えなければならない所なのですが、いくら物理ダメージ無効の私と言えどこの霧はマジでヤバそうなのでこうして一時リングの外へと避難させて頂いております! どうかご容赦下さい!」
すぐそばでロッチがマイクに向かって叫んでいるため、アキナは耳を押さえながらリングの方を注視している。
霧はアキナ達がいる控えの区画までは下りて来ず、まるで意思を持っているかの様にリングの上に留まっている。
そこにある〝何か〟を覆い隠すように。
「何コレ……霧が渦を巻いてる……?」
その異様さにアキナは息を呑む。
隣で同じくリングの方に視線を固定したレノアが口を開く。
「只の霧ではない。善とも悪ともつかない強大な魔力を帯びている。ある意味であの霧は生きているとも言える」
「霧が生きてる……??」
まったく理解不能な言葉にアキナはただ繰り返す。
だがそう言われてみると不気味に漂う霧は本当に生きているように思える。
「シェーラがコレを……?」
その時、霧が揺らいで奥から人影が現れた。
「た、助けてくれ……!!」
それはハーゲンだった。
しかし先程までの余裕はまるでなく、顔は恐怖に歪み血の気が引き切っている。
謎の霧から逃れようとハーゲンはリングから転げるように落ちて倒れた。
そこへ霧の中から〝何か〟が伸びてきて這い蹲るハーゲンを捕らえる。
そして悲鳴を上げながらハーゲンは再び霧の中へと消えた。
「……よ、ようやく姿を見せたのはハーゲン選手! し、しかし一瞬にしてまた霧の中へと消えてしまいました! 彼女の身に一体何が起きたのでしょうか……? わ、私には何か触手の様なものがハーゲン選手の身体を絡め取った様に見えましたが……?」
目の前で起こった一瞬の出来事に凍り付く観客に向かってロッチは何とか仕事をしようと解説する。
「何……今の……?」
怯えた声でアキナが呟く。
だがレノアもロッチもそれ以上は何も答えられない。
「……………………っ」
やがて霧の向こうから何かが蠢く様なくぐもった音が聞こえてきた。
それは巨大な物が身じろぎする様な低く重い音でシンと静まり返った闘技場全体に響き渡る。
そんな不気味な音を発するものの正体に思い当たる者は誰一人いなかった。
「おーっと! ようやく霧が晴れ出しました! ついに戦況が明らかになります!」
ロッチの言う通りリングに覆い被さっていた霧が徐々に散り始め、やがて完全に消散した。
再び姿を現したリングの中央にはあられもなくボロボロになったハーゲンが白目を剥いて気絶している。
シェーラを嬲っていた大量のグール達は影も形もない。
ただ一人……シェーラだけがしっかりと自身の足でリングの上に立っていた。
「これは何と言う事でしょう……! 恐ろしいグールを従え圧倒的優勢に思えたハーゲン選手ですがどう見てもこれは戦闘不能! と言う事はこの勝負……シェーラ選手の逆転勝利です!!!」
その勝ち名乗りに観客は未だ戸惑いながらも拍手を送る。
特にそれに応える事なくシェーラはゆっくりとリングから下りて来る。
「シェーラ! よかった無事で!」
シェーラが戻ってくるなりアキナはギュッと抱き締めた。
不思議な事に出血は完全に止まっており、折れた腕も治っていた。
「この通りわたくしはなんともありません。でも心配をおかけして申し訳ありません」
「ホントだよ! もうムチャしやがって!」
一頻り喜んだアキナは顔を上げてシェーラを見返すと今度はムッとした表情になる。
傍から見ていたレノアも「無事で何より」とそっけなく言った。
「……お2人に黙っていた事があります。わたくしの身にかつて起きた〝ある出来事〟についてです」
そう切り出したシェーラは戦場で瀕死になった自身に起きた不思議な体験について語り始めた。
アキナもレノアも黙ったまま真剣な顔で耳を傾ける。普通であればとても信じられない話であったがアキナはまったく疑いはしなかった。
自分もまた同じような経験をしていたからだ。
「……つまり今のシェーラの半分はそのよく分かんない謎の声の主ってこと?」
「いいえ、半々と言う訳ではありません。今のわたくしはわたくしでもあり〝彼女〟……声の主でもあるのです」
「うーん……要するにジキルとハイド的な?」
それにはシェーラは首を傾げるだけだったのでレノアが代わりに答える。
「どちらかと言えばシュレーディンガーの猫に近い。現世界におけるシェーラ・メテオラ……今目の前にいる彼女はいわゆる〝シェーラ・メテオラ〟とその〝異相同位体〟が重なり合っている状態。ただ単純な座標軸しか持たないこの世界からでは一方しか観測出来ないだけ」
レノアの言う事は相変わらず難解で今度はアキナが首を捻る番であったがそれ以上の説明は求めなかった。
言うてシェーラはシェーラなのである。
細かい事は気にしない……ギャルの鉄則である。
「でもその〝彼女〟さんって何者なん? 名前は?」
「〝彼女〟に名前はありません。ただこう言っていました……自分は〝あぶく〟のようなものだと」
「ふーん。そのあぶくさんってのがあの青髪キザ野郎をやったってわけ?」
「そうとも言えます。わたくしは〝彼女〟でもありますから。あの霧によって一時的にこの世界と〝向こう〟の世界を繋げる事で〝彼女〟の一部を顕在化し、少々手荒な方法で無力化させて頂きました」
少々手荒な方法とは如何なるものかと気になる所だったが聞かないほうが良さそうなのでアキナは仏になる事にした。
そしてシェーラの手をギュッと握りながらその顔を見上げる。
「シェーラ、2つ約束して。1つは……シェーラがウチらが思ってたよりずっと強いってのは分かった。でも絶対に無茶しないで。ジキルとハイドだろうがシュレ何とかのネコだろうがあぶくだろうがシェーラはちゃんと血が流れる人間なんだからね」
そう言われシェーラは頷く。
「わたくしは強大な生命力を持つ〝彼女〟の影響である程度の自己修復が可能ですので丈夫さには自信がありますが……でも分かりました。お約束致します」
その言葉にアキナも頷く。
それから「もう1つは……」と更に真剣な表情になってシェーラに迫る。
「さっきのやつはもう二度とやらないで」
「さっきのやつ?」
「そう。霧のやつ。完全にミ○トだから。ウチあの映画大嫌いなんだ。それにホラーみたいでぜんっぜん映えねーし」
シェーラにはまったく意味不明だったが「お約束します」とやはり言うとニッコリと微笑むのであった。




