第十三話 優奈との外出③
「遅えよ、痴漢」
「本当に置いてく奴が有るか……深夜の山道に明り1つ無く放置された恐怖がお前には分からないんだろうな。熊とかイノシシに襲われたら如何すんだよ……」
「アタシの胸はそんだけ価値が有るって事だ」
「んな大層なもんでもねえだろ、減るもんじゃねッ……!?」
ガシッ!!
「は、はいッ!! 家に戻ったら一万円払わせて頂きたいと思います!!」
20分掛けて降ろされた場所から此処まで歩き、漸く合流した優奈に文句の1つでも言ってやろうとした疾風。しかしその反抗心は胸倉を掴まれた瞬間ポキリと折れる。
そしてその一件は取り敢えず置いておくという事にして、疾風は優奈の目的地であるその建物を見上げたのであった。
「これが、お前の来たかった場所か? 建物っつうか廃墟?」
「ああ、十年前に廃業した山奥のホテルだ」
「こんな所で何すんの? 盗み??」
「んな事するかッ!! いい加減アタシを半グレ扱いすんのは辞めろッ! 此処に来たのは……この為だ」
『優奈』+『廃墟』の加法で即座に『盗み』という和を求めた疾風の回答を否定し、優奈はバイクの荷物入れから何か黒い物体を取り出した。
始めは夜闇のせいで何か分からなかったが、注視しているとそれが立派な一眼レフカメラであるという事に気付く。
「カメラって事は、この建物を撮影しに来たのか」
「ああ、アタシもお前と同じで昔海斗にゲーム以外の趣味を持てって言われてな。それで始めたこの新しい趣味に思いの他のめり込んで、ネットで見付けた近場の良い写真を真似して夜な夜な撮りに来てるんだよ」
「盗りに?」
「撮りにだッ!! いい加減殴るぞッ」
疾風の執拗な揚げ足取りに等々武力をちらつかせながら、彼女は説明を続ける。
「んで此処のある場所で撮られた凄え綺麗な写真があってさ、其れを自分でも撮りたくて態々真夜中に高速まで乗ってこんな所へ来たって訳」
「ふ~ん………じゃあなんでオレは連れて来られたんだ?」
「えッ? 何で、って?」
しかし其処で突然疾風が放ってきた鋭い質問に、優奈の表情筋とがギクッと引き攣る。何か突かれたくない所を突かれた様な表情だ。
「何でって……そりゃあお前が暇そうにしてたから? ちょっと暇つぶしに付き合ってやろうと思っただけだよッ」
「ああ、そー。親切なんだね、態々オレが山道歩いてくるのを待っててくれる位だし」
「それはまあ当たり前だろ? お前がちゃんと此処まで来れるか心配だったし、ほらお前と始めて会ったときだって迷子に成ってたじゃねえか。迷子ならともかく遭難されたら流石に不味いと思ってな」
「……お前ってこんな喋るキャラだっけ?」
「べッ、別にアタシだって喋る時は喋るよ! 唯人数が多いときは態々自分から口開こうとしないだけでッ」
「ふ~ん……」
優奈のその反応で、疾風は何となく彼女が隠している事を察した。しかし彼は敢えて気付いていないふりをして、その建物の入り口前に立つ。
そして建物中を手で指しながらこう言ったのである。
「じゃあこんな所で時間使ってても勿体無いし、さっさと行こうか。レディーファーストで」
「…………え?」
「いや、え?じゃなくて。来たかったんでしょ、此処? ならお先にどうぞッ」
「…ん、ああッまあ来たかったんだけど、こいうのって普通男が前を進んでか弱い女を守るのが普通なんじゃねえのッ? なッ、そうだろッ!!」
「いや、か弱い女は一蹴りで成人男性をダウンさせられねえんだよ。間違い無くお前の方が強い。守ってくれよ、か弱いオレをあの蹴りで」
「……………………」
「………………なにッ? 若しかしてッ、恐いの?」
顔を引き攣らせて固まった優奈に、疾風は目一杯間を作った後口元へ笑みを浮べてそう尋ねた。
するとその質問に、彼女は躊躇いがちに首を縦へ振ったのである。
「えーッ!! 意外だなー、まさかあの凛堂優奈に恐い物があったなんてぇ!! 暗いのが恐いとか狭いのが恐いとかか??」
「ちげえよッ、暗いとか狭いとかは別に大丈夫。けど此処は…………出るんだッ」
「出るって、何が?」
「ゆ、幽霊だよッ!! 此処の場所調べてる中で幽霊が出るって記事見つけちまったんだよ!! こんな事態々言わせんなッ、余計恐く成るだろうがッ!!」
そう優奈は今までに見た事が無い表情で叫んだ。
その若干涙が浮んだ目、何時ものダウナーな感じは何処へいったのかという声、赤く成った頬、彼女の身体が発する全ての情報が本気で怖がっているのだと教えてくる。
しかしその怖がっている様子が、疾風からすれば愉快極まりなかった。何時も圧倒的な力の前に虐げられてきた市民の怒りを知るが良い。
「ほらッ理由言ったから良いだろ! お前から入ってくれ、アタシは後ろから付いてくから!」
「ふわあ~、何だか急に眠く成ってきたな-。オレ此処で待ってるから優奈さっと写真撮ってきなよ」
「はあッ!? お前急に…卑怯だぞッ! さっきまで全然眠そうじゃなかった癖に!!」
「いや~、誰かさんが親切に夜中の山へ放置してマイナスイオンたっぷりの森林浴をさせてくれたお陰で眠く成ってきたよ。でも仕方ない、優奈がどーしても付いて来て欲しいって頭を下げるんなら、眠い目を擦ってでも付いていってあげようかなッ?」
「てめえッ、人が弱み見せたら直ぐにつけ込んで来やがって!」
「あー眠いッ、眠い眠いなー! そんなに睨まれたら眠くなっちゃうなー」
疾風の思惑を理解した優奈がキィッと鋭い視線で睨んでくる。しかしその何時もは恐ろしくて仕方が無い筈の剣幕も今の状況では何てことは無かった。
恐怖で涙目に成っているだけで人の顔とはこれ程まで変わるのかと疾風は思った。
恐らく優奈がここまでの弱みを見せる事はこの先殆ど無いだろう。だからこの限られたチャンスの内にあの家で最大の権力を持っているこの女の恩と弱みを握っておきたかった。
しかし、優奈はそんな疾風に思わぬ方向から反撃してくる。
「おい疾風……取引だッ」
「取引? おいおい正気かいお嬢さん? 取引なんてもんは対等な立場の人間の間でしかッ……」
「若し今此処でアタシの前を歩いてくれないのなら、凪咲にさっきお前に胸を揉まれた事を教える」
「………はあッ、凪咲!? おッ、お前卑怯だぞ。此処に居ない人間の名前出すなよッ!!」
「うるせえッ!! お前がクソみたいな事してくるからこっちもそれ相応の対応しなくちゃ成らねえんだよ!」
「ふざけんじゃねえ!! こないだお前のせいで変な疑い掛けられて、オレがどれだけ酷い目に遭ったと思ってんだッ。凪咲こういう件に関しては冗談通じねえんだぞ!!」
「それが嫌だったら、大人しくアタシと一緒に来るんだなッ」
「グ、グヌヌヌヌ………ッ」
疾風は優奈と睨み合いながら、此処で首をどの方向へ振るべきか真剣に悩んだ。
前回おやつの時間に優奈の発言が原因で凪咲に勘違いされた時は、誤解を解くのにとんでもない労力を要した。話を聞く理性が戻るまで数時間妹の部屋に監禁され、あれやこれやとやられ続けたのである。
あの時と同じ事、いやあの時以上の事がこの取引を拒めば確実に起る。拒否権は無かった。
「…………分かった、前歩いてやるから絶対凪咲には言うなよッ」
「さあ? それは今後のお前の行動次第だ」
疾風は苦虫を噛みつぶした様な顔と成り、取引を受け入れる事を決める。
そして利害が一応の一致を見せた二人は、互いに引き攣った表情のまま建物の中へと足を踏み入れたのであった。




