第十一話 聡太との外出④
「OK,ハッティー。先ずはミット打ちをやってみるッテバヨ! ミット打ちはやった事ありますカ?」
「いや、そういう練習はやった事が無いです」
「All right、問題ないデス。それじゃあッ最初は何んにも考えずこのミットを一回ずつパンチしてみて下サイッ」
そう言って、ケビンは右手のミットを顔の横に上げた。
疾風はまだ目を白黒させたままだが、取り敢えず言われた通りそのミット目掛けパンチを放ってみる事とする。
拳を軽く握り、僅かに半身を作る様に構え、右拳を脇下まで引き絞り、出足と共に重心を一気に前へ傾け足から手首まで全身の回転運動と共に拳を突き出した。
ボスッ
小さな濁点の付いた音がした。
何年も現実での格闘技から離れていた疾風でも分かる、上手く力が伝わっていない。
パンチ自体はバーチャル世界の戦いで、ほぼ毎日武器として使用してきた。
しかし現実とバーチャルではやはり勝手が違う。暫く碌ろくに運動をしていなかった身体は反応が鈍く、頭で思い描いた動きと現実に反映される動きに明らかな誤差が有った。
「もう一回ッ」
ボスンッ
再度上げられたミットへ向け疾風はパンチを放つ。
今度は前回よりも大きな音を出す事が出来た。だが未だ音に濁点が残っている。
人指し指と中指の付け根をミットの中心に当てる、その力を伝えるコツを意識し過ぎた結果腕に不要な力が入ってしまったのだ。
「One more」
パァン!
漸く気持ちの良い破裂音をミットで鳴らすことが出来た。
肩の力を抜いて、命中する瞬間にグッと力を込めスピードを上げる。そんな昔であれば当然だった事を今まで出来なく成っていた自分の身体に疾風は驚く。
しかしそれでも、身体は全てを完全に忘れ去ってしまった訳では無かった。パンチ一発ごとに、まるで人が変わるかの如く細胞は記憶を取り戻していったのである。
「OK、じゃあ連続でパンチしてみようカ」
パァン! パァン! ッパァン! ッパァン! ッパァン!!
今の快音はまぐれで無いと示す様に、パンチの発する音は回数を重ねるごとに鋭く大きく成ってゆく。
更にパンチの引きも速くなり、一発一発の間隔も短く早く成る。
「Fooo~!! ナイスパンチだねッ!! ビックリしたヨ!!」
「ハハッ、ありがとうございます。なんかちょっと楽しく成ってきた」
「良いね良いね、楽しい大事ヨ~! オラもワクワクしてきたゾ! じゃあ次は右と左のワンツーねッ!」
スパンッ、パンッ!!
ケビンの上げた右ミットにパンチを当てた瞬間左ミットが上がり、即座にその左ミットにもパンチを放つ。
爺ちゃんに教わっていた武術では一発で相手を倒すのが基本。それ故この様に複数発を打つ前提のパンチには奇妙な違和感を覚えた。
しかしその違和感も回数を重ねる毎に薄まり、身体に自然と馴染んでいく。
スパンッ、パンッ!! スパンッ、パァンッ!! スパンッ、パァンッ!! スパンッ、パァンッ!!
気持ちの良い快音を狙って出せる様に成ってきた。
ゲーム世界での武器メインで打撃がサブプランの技術とは異なる、肉体が唯一の武器で全神経を打撃に注ぐ技術。それが想像以上に興味深く面白い。
これなら趣味に出来るかも知れない。自分でも運動を続けられるかも知れない。
そう疾風が思った時であった、ケビンがその予期せぬ質問を投げて来たのは。
「ハッティーは、ケンカファイターですカ?」
「…けッ、けんかふぁいたー??」
「アーー……ハッティーはぁ、路上で人様をッ良く殴りますカ?」
「ろッ、路上で人様を殴るッ!? ノー! ノー! アイムノット路上で人様を殴る!!」
その恐らくケビンの持ち得るjapanese語彙力を搾り尽くした結果途轍もなく物騒な話と成った質問に、疾風は正しく目玉が飛び出そうな表情となった。
何がどう成ってそう思われたのかは分からないが、とにかく疾風もまた英語語彙力を振り搾って否定文を提出する。
「Oh, really? それはごめんなさいデース。ハッティーがパンチし慣れてたからそうかも知れないと考えましタ」
「パンチし慣れてる?」
「YES。実はさっきッ、何回かハッティーがパンチ打った後にちょっとミット動かした。でもちゃんと軸に当ててきたネ? これ結構難しい事、動いてる人にパンチ当てるの慣れてるいう事ヨッ」
始めにその事を言われた時は一体自分はどんな風に思われているのかと思ったが、しかし話を聞くとケビンの言わんとしている事が分かってきた。
ミットをギリギリで動かしても軸を捉えてくるから、実戦で人を殴り慣れていると思ったのだろう。
そしてそれはあながち間違いという訳でもない。
疾風はバンクエットオブレジェンズで毎日の様に攻撃の中で打撃を使用し、実戦と殆ど変わらない状況で動く敵の急所をパンチで捉えている。それでいつの間にか動いたり避けてくる目標相手でも軸を捉えられる様に成っていたのだろう。
「そっか~なんで何だろうな? 自分でも如何して出来るのか分かんないやッ」
しかし、その自分の中での解釈を疾風はケビンに伝える事は無かった。何となくゲームで培った技術ですっていうのが恥ずかしかったからだ。
カラオケで点数が高いから歌手に成れるとか、野球ゲームで10年連続優勝したから監督に成れるとか、そういうのと同じ部類だと疾風は思ったのである。
「Wow、疾風自分でも分かんないですか…。でもまあ良いデス! 動く人にパンチ当てられるのキックボクシングでとっても重要ねッ、だからもう少しミット打ちのレベル上げられるヨ!! 今度ワタシ動くから、疾風追いかけてパンチしてきてネ!」
そう言ってケビンは先ほどまでの距離から一歩下がり、其処で右ミットを上げた。
スパァンッ!!
「良いよ~、足使って動いてどんどん追いかけて来てネー!」
疾風は一歩前に出ると同時に右ミットへとパンチを当てる。するとケビンは右斜め後ろへと更に移動して左ミットを構えた。
そして疾風はその動きを追って自らも移動しその左ミットへとパンチを打ち込む。
ボスッ……
しかしそのパンチは上手く力を伝える事が出来ず、気の抜けた音を放った。
「腕だけじゃ駄目ヨー! 足動かし始めたら気にする事沢山。腕が一番伸びる位置、身体回転してパンチ打てる位置、足置く位置を気を付けるヨー!! そしたらもっと腕も輝くネッ」
ケビンからその指示を受けて、疾風はこの人物が既に自分の弱点に気付き強化しようと努めてくれている事に気付き唖然とした。
疾風の多少的が動いても軸を捉えられる技術は、言ってしまえば誤魔化しだ。足を使って確実に力を伝えられる場所に移動するのが苦手だから、小手先で相手の動きに対応し最低限の威力は出せる様にしている。
だが誤魔化しは誤魔化し、小手先は小手先なのだ。足でしっかりと敵の動いた先を追い、回り込み、力の100%乗ったパンチを当てるのが理想なのである。
そしてそれが出来る様に成れば間違い無くゲームの世界でも自分は一段上の強さへと至れる筈。
この現実でのトレーニングが仮想現実内の強さに繋がるかも知れない、そう疾風は可能性を感じたのであった。
スパァン……ボスッ!! スパァン……スパンッ!! スパァン……ボスッ!! スパァン………スパンッ!! スパァン……スパンッ!! スパァン……スパンッ!! スパァン……スパァンッ!!
「良いネ良いネ~、どんどん上手く成ってきてるヨ!! 次は避ける動きも加えていくヨ、2回パンチしたら私ミットで叩き行くからステップで逃げるネッ!!」
そう言ってケビンは更にミット打ちの難易度を上げてきた。
スパァン…スパァンッ……ブオンッ!!
右左のワンツーを放った後、ケビンは右手のミットを大きく横振りに動かしてくる。それを疾風はバックステップで背後へ移動する事により回避するのだ。
そして直ぐに又飛び込み、ケビンの上げるミットへとワンツーを打ち込む。
ヒットアンドアウェイ、攻撃する為に踏み込んだ危険な間合いからいち早く撤退する為のより実践的なミット打ちだ。
「ワン、ツー……ステップ!」
スパァン…スパァン……ブオンッ!!
「Nice!! 良いパンチだよッ、ワン、ツー…ステップ!!」
スパァン…スパァン、ブオンッ!!
始めは当たらない様ゆっくりだったケビンの反撃も、回数を重ねる毎にその速度はどんどん上昇していった。そして次第にパンチを放った後、即座に引かなければ回避が間に合わないレベルにまでキレを増していく。
更にその反撃の速さに比例するようにして、ケビンが発する言葉の熱量も上昇していくのであった。
「ワンッツー…ステップ!!」
スパァン、スパァン、ブオンッ!!
「YESッ”!! one more,ワンッツー…ステップ!!」
スパァン、スパァン、ブオン”ッ!!
「Excellentッ!!」
そしてそんな状況でケビンの反撃を貰わないよう必死に留まる事なく動き続ける疾風。そのここ何年もまともに運動していなかった身体は直ぐに悲鳴を上げ始め、息は乱れ、腕と足は重く成り始める。
しかしにも関わらず、疾風の身体はその疲労蓄積に比例するかの如く動きの精度を上げていったのであった。
脳が、身体が、細胞が、その苦しさを糸口として思い出していったのである。嘗てこの幾倍の苦しみの中で藻掻き苦しみながらも只管更なる強さを求め続けた日々を。
それは守ってくれる親を失い武器が欲しかったとか、妹を安心させてあげたかったとか、強く成って何かに復讐したかったとか、理由を挙げようと思えば無数に浮かび上がってくる日々。とにかく当時は、あらゆる感情が全て強く成るという事に結び付き帰結していたのだ。
だがそれでも、それらの感情の最も奥深くにあったのは……
スパァァンッ”!!!!
「ッ!?」
数年前の記憶が濁流の如く押寄せる中、疾風の放った一発の拳がケビンの目の色を変えさせた。
異様にパンチが重かったのだ。物理的な意味だけでなく、受けた者の心に響きその闘志を折るようなそんな『重さ』があったのである。
そしてそのパンチを放った直後の薄笑いを浮べ此方を見詰める疾風の顔を見たとき、もう気が付けばケビンの身体は動いていた。
ッバア″ァン”!!!!
本能に従って横殴りに振るわれたケビンのミットが、凄まじい勢いで疾風の側頭部に命中。
「はッ、疾風ッ!?」
「……ッ!? Oh,no!! I'm sorry、大丈夫ですかッ”!!」
元とは言え世界チャンピオンの一撃を頭に受けた疾風はそのまま崩れ落ちる様に転倒。
そしてその光景を見て慌てて駆け寄って来た聡太の声と、我に返った瞬間顔を青ざめさせたケビンの声も届かぬまま、疾風の意識は再び暗闇の中へと落ちていったのであった。




