第十一話 聡太との外出②
『お爺ちゃんもう辞めてッ!! 私が全部悪いの、疾風を殴らないであげてッ!!』
『其処を退け凪咲ァ!! この呪いには言葉程度では足りんのだ、痛みでもって心を折らねば取り返しの付かない事に成るッ。ワシの目が間違っていた、父の血で薄まったと思っていたがやはり鬼の孫は鬼であった! 普通の人生など送れる筈も無かったのだッ!!』
床に、自分の鼻と口と頭から漏れた血が赤々と広がってゆく。顔全体が燃えている様に熱い、顔全体が高電圧を流される様に痛い。
だがその苦が今は救いであった。決して許される事はないが、罰を与えられている間は自分がまだ正しい方向へ向かえている気がして少し気が楽だったのである。
ズキンッ…
頭が痛い、一昨日意識を取り戻してからずっと脳の内側が痛いのだ。
そしてまるで頭蓋骨の内側に煙りが充満しているかの様に、思考へ霞が掛かって上手く考える事が出来ない。
『お願い、疾風をッお兄ちゃんを許して上げて…ッ。私を助けてくれようとしただけなの。お兄ちゃんは、お兄ちゃんは悪い人なんかじゃない”ッ!!』
あぁ、凪咲が泣いている。オレの可愛い妹が泣いている、オレのせいで。
妹がもう泣かないで良いようオレが全部を背負った筈なのに、何故今日もまた凪咲はオレの為に泣いているのだろう? 分からない、如何すれば良かったのだろうか。
考えようにも靄が邪魔をして考える事を許してくれない。
昨日目が覚めてからずっと分からないままなのだ。
右も左も、家への帰り方さえも分からなく成ってしまったのである。
『動機など関係ない。悪人とは、理由さえあれば人を殺せる人間の事だッ!! 人の為ッ、家族の為ッ、愛の為ッ、その様な理由で人を傷つけて良いのならこの先この男は数えきれない程の人間を殺す事に成るッ!! 良いかよく聞け疾風ッ!! 貴様は呪われている、ワシと同じ呪われた才能を持って生まれてしまったのだッ。もう一度罪を犯してしまった以上、真っ当な人生など送れると思うでないぞ! 貴様は血に塗れた人に呪われる人生を歩むッ、全ての他人から忘れられた孤独の中で生きるッ、既にこの二つに一つしか道はないのだッ!!』
そう、爺ちゃんはまるでこの先に起こる未来を知っているみたいに断言した。そしてオレも、自分にこの先待ち受けている未来がその二つ以外に有りはしないと確信していた。
あの時あの場あの瞬間、あの男を殴りつけた時感じてしまったのである、楽しいって。
『ごめんッ………なさい」
「どッ、如何したんだい疾風? 急に謝って…ッ」
「…ッ!? うお”ッ! そッ、聡太!? こッこ、此処は?」
夢と現実の境界線もおぼつかないまま意識を取り戻した疾風は、ぼやけた視界の向こう側へ見えて来たオシャレ坊主に短い悲鳴を上げる。
そして一瞬自分が何処に居るのかを忘れ身体を跳ね起こし、周囲を見渡して此処が聡太と一緒に来たジムである事を思い出し漸く焦りが消えた。
そう言えば、自分は確かランニングマシンからカタパルトの如く打ち出されのだ。そして如何やら今の今まで気絶し、今ケツを乗せている長椅子に寝かされていたらしい。
「ここは僕が今日疾風を連れて来たジムなんだけど、思い出せる?」
「ああ…今全部思い出した。ランニングマシンから転落して気絶、で有ってるか?」
「うん、落ちた先の床に軽く頭を打って十分くらい気絶してたんだ」
その聡太の説明を受け、疾風は妙に合点のいった顔と成る。どうやら走っている時に爺ちゃんの事を思い出し、頭を打った事で状況が重なったのがあの光景を夢に見た原因であろう。
「だから疾風、身体に違和感とか無い? 一応スタッフの人から保冷剤借りて患部に当ててはおいたけど、頭痛が酷かったり吐き気がしたら病院に行かないと。それにほら、良く分かんないけど凄い量の涙も出てるし…」
「涙?」
聡太に言われるまで気付かなかった、顔が知らぬ間に涙でぐっしょりと濡れていたのだ。どうやら恥ずかしい事に昔の夢を見て泣いてしまったらしい。
疾風は慌ててそれを腕で拭い去り、赤く腫れた頬でこう言った。
「頭痛も吐き気もないから大丈夫ッ。ぶつけた所は、ちょっとコブに成ってるけどそんなに大きくない。涙は…昔の記憶を夢で見ただけだから怪我とは関係ないよ」
「本当? でも、取り合えず今日のトレーニングはもう此処までにしておこうか」
「……悪いな聡太、変に中断させちゃって」
「良いよ良いよ、そんな家からも離れてないし来たい時に何時でも来れるから。疾風もまた今度気が向いたら付き合ってよッ」
「ああ、次こそはこんな情けないザマ見せない様にしないとな」
「いやッ、最近碌に運動してなかったのに2分もあのルームランナーで保ったのは普通に凄いよ。若しかして昔スポーツとかしてたの?」
聡太から振られた又もや夢と通じる様な話に、疾風の顔を一瞬で複雑な表情が覆った。
「…………昔、空手みたいな物を爺ちゃんに教わってた時期がある。もう三年近く昔の話だけどなッ」
「そっか。じゃあ若しかして、疾風って唯身体鍛えるのより何か競技をやる方が好きなのかな?」
「う〜ん。まあ、どちらかと言えばそうかな?」
「成程……あッ、それなら!」
その疾風の返答を聞いた聡太が、ピカンッ!と豆電球に光が灯るエフェクトが出そうなほど分かりやすい表情を浮べた。
そして一指し指をピンと上に立て、こう言ったのである。
「此処の二階にはまた別のジムが入ってて、キックボクシングの練習ができる施設が有るんだ。其処なら若しかして疾風ももっと楽しく運動出来るんじゃないかな?」
「キックボクシング? やった事無いしルールも良く分かんねえな……」
「大丈夫ッ、僕も昔一時期通ってたんだけどトレーナーも初心者に優しくて丁寧に教えてくれるよ。飛び込みで見学とかも出来るし、今からちょっとだけ覗いていこう!」
「けッ、見学……まあ覗く位なら」
社交性がこの二年間で腐り落ちてしまった疾風は、新しい場所へ行くことに若干の抵抗を覚えてしまう。
しかし聡太やチームの皆が自分の為に色々と動いているにも拘わらず消極的な意見を言うのは憚られ、取り敢えず見学だけはしてみる事としたのだ。
そして疾風は聡太に連れられ、建物の二階にあるキックボクシングジムへと向ったのであった。




