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天狗と娘  作者: 加藤羊大
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高利貸しの話

 人も寝静まる丑三つ時。一人の細い男が静かな道をひた走っていた。

髷は傾き額には汗が流れ、木綿の着物がはだけるのも気にも留めずただ前を向く。

多くの家は戸を閉ざし、辺りには誰もいない。

男の足音だけが夜空に響く。

男の目指す方向には、月を背景に愛宕山がそびえたっていた。

季節は間もなく秋になろうとしている。




 ある日の事である。若い男が高利貸しの元へ連れてこられた。

男の名は久次郎。仕事もせずに酒を飲んだくれる生活を送っていた。

利息がとんでもなく高額になった為、踏み倒そうと逃げ出したのだがそれがばれて捕まったようである。

恰幅の良い高利貸しの主人が猫なで声で問いかける。

「おや、久次郎殿どうなさったのかな」

久次郎は冷や汗を流し、目を合わせぬように畳を見た。

汗がぽたぽたと畳に染み込んでゆく。

久次郎が何も言わないのを横目に高利貸しは話し続ける。

「お前さん、金を借りておいて踏み倒そうとしたんだって?それはいけないねぇ」

「このまま返さないのなら、体で返してもらわんと。どこぞへ売っ払う事になるけどねぇ」

高利貸しの主人は、声を落とし脅すようににたりと笑った。

高利貸しは返金できない者は、女なら遊郭、男なら陰間茶屋へ売り飛ばしているという噂だ。久次郎は畳に頭を擦り付けて懇願した。声が震え、体も情けなく震えている。

「申し訳ない、旦那。もうしばらく待ってはくれねえか」

「逃げるような男の言葉は信じられんね」

久次郎はがくりと項垂れ、おいおいと泣き始めた。

面倒くさそうに高利貸しは、傍に控えていた大きいな奉公人に命令した。

「銀治よ、これを例の所に売っておいで」

「承知しました」

銀治は何処から出したのか久次郎を縄で縛り上げ、抱え上げたまま大股で店を出て行く。久次郎は声にならない叫び声を上げながら高利貸しの男を睨んでいる。

その姿が消えると高利貸しの主人はふん、と鼻で笑った。

そしてもう一人の細い奉公人を呼ぶ。

「お前さんは酒屋で酒を買って来い」

「はい旦那様」

この細い奉公人の男こそが、夜道を走っていた男である。

奉公人の名前を佐助と言った。

佐助はそそくさと店を後にし、清々しい外の空気を思い切り吸い込んだ。

「はぁ、朝からとんでもない物を見た」

幼いころに店に奉公に出され、主人にはよくして貰っていたが、いかんせん裏の世界は怖すぎた。

「おっかさんも、もっと明るい店にしてくれれば良かったのに」

ぶつくさ言いながら、佐助は用事を片付けるため歩き出した。


 その晩から高利貸しは眠っていると魘される様になる。起き上がったかと思えば、徘徊しながら怪しげな踊りをするようになった。高利貸しの妻は夜中に起きる夫に困っている様子だったと、銀治に聞かされた佐助は不思議に思ったが特に気に留めなかった。昼間の高利貸しの主人は普段通りの様子なのである。

 それから四日目の晩のことである。

眠っていたはずの高利貸しの男がむくりと起き上がった。

そこまでは前の三日間と同じである。妻はもう放っておくことにしていた。

しかし高利貸しは台所で何かをごそごそと漁り出し、包丁を手に持つと突然ぶつぶつと呟きだした。

そしてそのまま怪しげな踊りをしはじめる。

ちょうど厠に行こうと起きていた佐助はその様子を初めて目撃した。

「何だい旦那様のあの様子は」

そしてそのまま高利貸しは揺れるような足取りで奉公人の眠る部屋へ向かう。

恐々とその後をつけた佐助は忍び足で部屋へ近づく。

障子の隙間から見えたその光景は恐ろしいものであった。

高利貸しの男が銀治の胸を何度も包丁で刺していたのだ。

銀治の口からはごぽごぽと赤い血が流れている。

佐助は腰を抜かしてしまい、口から悲鳴が漏れた。

ぐぐぐぐぐ、と男の首がこちらを向く。

その目は赤く光っているように見える。

慌てた佐助は脱兎のごとく店から飛び出し、走り出す。

そのままどこへ向かえば良いのかも分からず逃げ続けた。


 はあはあと荒い息を吐く佐助はようやく立ち止まり後ろを振り返る。幸い高利貸しは追ってはこないようであった。ぶるりと体を震わせ、天を見上げれば雲の影から満月が顔を出す。ふと、こんな噂を思い出した。

《愛宕山には呪いの類を解決してくれる男がいる。丑三つ時に現れる白く輝く鳥居をくぐるべし____》

そう囁かれる噂は眉唾ものだ。だが、あの高利貸しの主人の様子は尋常ではない。

赤く目を光らせ、怪しく踊る姿は何かに取り憑かれたようであった。

藁にも縋る思いで佐助は走った。




 一人の男が月を見上げていた。

乱雑に結った長い髪は所々絡まっており、その色は老人を思わせる真っ白なものであった。目元を隠すように巻かれた白い布には赤い字で"五色坊"と書かれていた。

人間が持つことのない艶々とした黒い大きな羽を背負っている。

男の名は五色坊、天狗である。五色坊は山に人間が立ち入ったのを感じ取ると、ゆっくりと入り口まで迎えに歩き出した。

「さて、今夜の食事は何であろうか」


 佐助は夜道を息も絶え絶えに走りぬき、ようやく愛宕山のふもとに辿り着いた。

息を整え山の頂上を目指す。石段を一歩一歩踏み締めるように上り、白く光る鳥居を探すが見当たらない。朱色の鳥居があるだけである。噂はやはり噂であったか。

肩を落とし石段にぼんやりと座っていると、ひんやりとした冷たい空気が山を覆う。秋が近いとはいえ、ここまで冷えるものなのか。佐助はぶるりと体を震わせた。

ふと男の声がした。

「そこの者、我を探すものか」

佐助は慌ててて辺りを見渡すが、声の主は見えない。

「鳥居をくぐれ」

声しか聞こえず恐ろしいが、これが噂の男なのやもしれぬと佐助は震える足を鼓舞し歩み始めた。

ぎゅっと目を瞑り、鳥居をくぐる。

そこには神社の境内が広がっているはずだった。

「はて、ここは何処だろう」

辺り一面真っ白な空間に、後ろを振り返れば白く輝く鳥居があった。

白の上に白なのに、そこに鳥居があるのが不思議と分かるのだ。

佐助は導かれるようにその輝く鳥居をくぐりぬけた。


 佐助の目の前に突如として、白い髪をなびかせ人間が現れた。

顔には鴉の面をつけている。これが噂の男であろうと佐助は納得した。

鴉の面越しに男が尋ねる。

「なにか悲しいことでもあったか、それとも憎しみか」

妙な質問だが、佐助は高利貸しの主人の身に起こった事をそのまま伝えた。

すると鴉の面越しにいら立ちが伝わってくる。

「それではすぐに食べられないではないか」

何の事か分からず、首をかしげる佐助に男は一言命じた。

「その主人とやらに恨みを持った者の元へ我を連れて行け」

佐助は困惑した、そんな人物はたくさんいるのだ。

それを伝えるも男は冷たい。

「ならば無理だ。根源を絶たねばそのまま死ぬぞ。それに腹も満たせぬではないか、さっさと案内しろ」

佐助は頭を悩ませ、ふと今朝の事を思い出した。恐ろしい目つきで高利貸しの主人を睨みつけていた男。もしかしたら久次郎ではないか、と。

しかし行先を知る銀治は死んでしまった。

「我がここから出られるのは丑三つ時の間のみ。それまでに分からぬのならば出直してこい」

男はそっぽを向くと、宙に胡坐をかいた。

宙に浮いているというのに佐助は驚かない。

この空間自体がすでに不思議な状態なのだ。

「明日の朝調べに行きますので、どうか一晩ここへ置いてください」

佐助の申し出に男は嫌そうな空気を醸し出した。

「これを持っておれ」

小さな銀色の鈴を佐助に投げてよこした。

よく分からぬまま、佐助が手に取りチリンと一度鳴らしてみる。

その音は儚くも美しい音色であった。居てもよいかと再度佐助が尋ねると、男は勝手にしろとつぶやきそっぽを向いた。

ようやく彼は安心したように、白い空間に横になり目を閉じた。

鴉面の男、五色坊は呆れたようにそれを眺め背を向けた。

「肝が据わってるのか、臆病なのか…」




 佐助が目を覚ますと、そこは神社の境内であった。

あの男の姿は見えない。太陽にに照らされ木々は緑色に美しく輝いていた。

太陽は真上に上がっていた。いつのまにか正午になっていたのだ。

そよそよと優しい風が吹き抜ける。

「はて、あれは夢だったのか」

ふと自分の手の中を見ると小さな銀色が転がった。男に渡された鈴である。

「おや、夢ではない」

とすると高利貸しの主人の身に起きたこともまた夢ではないのだ。

さて、そうなると久次郎の行方を探らねばならない。

佐助は一度店へ戻ることを決意した。そっと外から伺えば問題なかろう。

勢いよく石段を駆け下りて行った。


 店へ戻ると、特に変わった様子はない。

中をそっと伺った佐助は帳簿をつけている主人の姿を見つけた。

いつもの場所にどっしりと座っている。

銀治の姿はない。あれはやはり夢ではなかったのだと佐助の背中に嫌な汗が流れた。

ふと主人が顔を上げ、佐助と目が合った。

「これ佐助、お前さん今までどこにおった」

手招きされれば行かざるを得ない。

佐助は観念したように主人の傍へ寄った。

「お前さん昨日の酒はどこに置いた?」

「え…?」

佐助は耳を疑った。主人はまるで何も無かったかのような態度である。

そこへ高利貸しの妻がやってきた。

「あなた、朝から銀治がおりませんの」

「金の催促に行っているんじゃないのか?」

驚いた風の高利貸しとその妻に続き、佐助は恐る恐る着いて行く。

銀治の布団は乱れた様子であった。ただ死体は無い。

「銀治は何処に行った。佐助、何かしっておるか?」

「わたくしは何も存じません…」

なぜ死体が無いのかも疑問に思ったが佐助は口にしなかった。

高利貸しの主人は困った。銀治が居なくては返金の催促がままならない。

高利貸しは佐助に命じた。

「佐助、銀治を探しておいで」

「旦那様、そういえば昨日売られた久次郎殿は何か知っているのでは。何処に売られたのでしょうか?」

それらしく佐助は尋ねた。高利貸しはなるほど、と呟く。

「伊蔵のところの茶屋に売った」

「では、そちらに確認しに行って参ります」

居場所を聞き抱いた佐助は駆けだした。

《根源を見つけたら、丑三つ時に鈴を鳴らせ》

突然佐助の耳に昨日の男の声が聞こえた。

それは佐助の胸辺りから聞こえるのである。

着物の懐には銀の鈴が入っている。佐助は鈴を耳に近づける。

《…丑三つ時に鳴らせ》

鈴から直接声が聞こえ佐助は飛び上がった。

「ひえぇっ」

道行く人が不審な目で佐助を見て足早に避けて行った。

 高利貸しに言われた通り、久次郎は伊蔵の茶屋で働いていた。

佐助は夜になるまで、茶屋の壁に張り付いていた。

《さぁ鳴らせ》

丑三つ時の事である。再び鈴から声が聞こえた。

チリン鈴を鳴らすと、冷たい煙と共に鴉面の男が佐助の目の前に現れた。

「やれやれ、これでようやく空腹が満たせる」

そう言うと、五色坊はするりと壁を通り抜け、久次郎の枕元へ立った。

「ほうほう、これはまた旨そうな」

そういうと懐から箸を取り出した。久次郎の額にずぶりと箸を沈め、靄のような白いものを引っ張り出す。そしてそれを口の中に放り込んだ。

「まぁまぁ美味い」

久次郎の懐には人を呪う時に使用する札が入っていた。

それをついでに取り出すと五色坊はまた壁を通り抜け、呆然としている佐助の前に姿を現した。

「かかか壁を通り抜け…」

「もうお前の所の主人は元通りであろう、銀治とやらは既にこれに喰われておる」

そう言って佐助に見せたのは先ほど五色坊が久次郎の懐から取り出した札であった。

一見黒く見える札には怪しげな文字が細かく並んでおり、真ん中には大きく"口"と書かれていた。

「これが呪いの元だ、あと少しでお前の主人も喰われていたであろうよ」

佐助はぼうやりとそれを見つめたまま、崩れ落ちるように座り込んだ。

まぁ我には関係のない事だが、と小さく呟いた五色坊は鈴の音と共に消えた。

銀の鈴は、消えていた。

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