刹那の時を駆け巡れ④
「教えてくれてありがとう」
私はお礼を言うと、早速明日にでも行ってみようと思った。
すでに哲平くんが見て回ってるかもしれないけど、折角教えてもらった秋月の住んでる場所。
善は急げ。当たってみてダメで砕けても後悔なし、ってなもんです。
もしかしたら、本当に彼に会えるかもしれないもんね。
ここに秋月はいなかったけど、何だか希望の光が差し込んできた感じ。
重ね重ね、私は情報をくれた彼らにお礼しようと、何度も頭を下げた。
だけど喜びで気分が高揚しているそんな私に、突如として怒号が舞い込んでくる。
「どうしてここにいるんだよ!」
え?
いきなり背後から聞こえてきた声に、思わず私は頭を下げた状態で止まってしまった。
やっと自分でも掴む事が出来た秋月の手がかり。
これで少しでも彼に近付く事が出来る。
それしか思っていなかったし、他はあまり考えていなかったから、勿論、予期すらしていません。
どうしてここにいるのかって?
そんなの、こっちが聞きたいです。
まさか、こんな所で遭遇するなんて。
「今何時だと思ってんだよ!」
私に向けて放たれた怒号は、叱咤と共にどんどんと近付いて来た。
ようやくそこで頭を上げたものの、私はといえば驚きですぐに言葉が出て来ず。
ただただ酷くうろたえてしまうばかり。
そうなってしまったのは、致し方ない事でした。
だって、話に聞いてた内容とはかなりかけ離れているんだもん。
まさに不意打ち中の不意打ち。高揚していた気分は、一瞬で動揺へと変えさせられてしまった。
今が何時か?
自分にも当てはまる事だって、分かって言ってるの?
「ねーちゃん! こんな所で何やってんだよっ!」
そっくりそのまんまお返しします。
あんたこそ、こんな所でこんな時間に何やってんの。
「颯太……」
搾り出した声で、ようやく弟の名前を呼んだ私。
でも、頭の中は疑問符だらけ。
当然です。ランニングって私は聞いていたんですから。
最近外出が多くなったから、不思議に思った私が尋ねた時、確かに本人の口でそう返されました。
それが何?
本当は嘘だったの?
私の目の前には、本来ここにいるはずのない。
いるべきではない弟の颯太が、憤然とした面持ちで立っていた。
「颯太こそ、どうして……」
私は何とか気持ちを持ち直し、反論しようとした。
完全に怒っている颯太を前にし、自分を棚にあげている事を逆に追及してやろうと思って。
家族である私のみならず、沙希にまで颯太は嘘をついていたわけですからね。
決してここは、ランニングコースになる場所ではありません。
駅から近く、人通りも多い繁華街。
そんな所でどうやって走ると言うの。
けれど、口を開きかけたと同時に颯太の怒号が再び被さってくる。
そして、まるで有無を言わさないかのように私の腕を掴み、強引にこの場から立ち去ろうとした。
「とっとと帰っぞねーちゃん!」
「ちょっ、い、痛いよ颯太! 離して!」
男の子だから握力が強い。
勢いのまま掴んだらしい颯太の手が、私の腕を離すまいと食い込んでくる。
思わず悲鳴をあげてしまった私。
だけど、弟にはあまり聞こえてないようでした。
それよりもここから私を連れ出す方が先決。どことなくそう言っているような雰囲気です。
きつく寄せられた眉間に、真っ直ぐ出口へと向けている視線。
口も一文字にきつく締められた表情が、それを物語っていました。
「へ?」
「え、えっと……」
突然の乱入者に、それまで私と一緒にいた彼らが驚いたのは至極当たり前ですね。
少しばかり雑談したけれど、まだ親しいっていう程の間柄ではないから、私に弟がいるって事を知りません。
どよどよとざわめく彼らの反応が、颯太に無理矢理引っ張られながらも伝わってくる。
やがて「助けた方がいいのか?」と、困惑しつつも目配せをし始めた彼らを認めた私は、「弟だから大丈夫」とだけ告げ、挨拶もままならないまま、ずるずると颯太に引きずられていった。
「………………」
無言の帰宅が続く。
颯太に引っ張られている私は、歩幅が違う弟に合わせるので精一杯。
だからアミューズメントパークを後にするのにも、息も絶え絶えで出る事となった。
当然、秋月の情報について考える余裕なんてないです。
足がもつれて転びそうになったのが、何度か私の身に起きた。
そんな状態ではとてもじゃないけど、おちおち考えていられません。
確かに帰りは遅い。
それは私が全面的に悪いです。
本来なら一言、家に連絡をいれるべきでした。
しかも秋月を捜していたとは言え、うろうろと一人、アミューズメントパークを徘徊していたわけですからね。
家族だったら勿論心配する。
怒られて当然の行為。
だけど、そんな私を差し引いても、どうして颯太があんな所にいたのかがそもそもの疑問です。
全く腑に落ちません。
「ねぇ颯太、お願いだからそんなに強く引っ張らないでよ」
駅周辺の繁華街を通り過ぎ、いつも見慣れてる住宅街まで連れて来られた私は、再び颯太に向かって声をかけた。
でも、ここに来ても弟の反応はない。
未だ私の腕を強く握り締めたまま、真っ直ぐ前だけを見て歩みを進めている。
……いい加減にしてもらえないでしょうか。
流石の私も、問答無用でずっと無理矢理歩かされ続けていれば、堪忍袋の緒が切れるというものです。
途中にある公園まで来た時、場所も場所なので私は思いっきりその場に踏みとどまり、颯太に向かって声を荒げた。
「私の話を聞きなさい颯太! 何なの!? 訳も聞かず人をこんなに引っ張ってきて! 理不尽というものでしょう!? それにあんた、自分が今どこにいたのか分かってる!? ランニングはどうしたの!?」
はっきりと不満も疑問も言わさせていただきました。
さしもの颯太もこれには応じ、しどろもどろになるはず。
だけど弟から返ってきたのは、私の予想に反するもの。
「分かってねーのはねーちゃんの方だろうがぁ!」
勢いよく振り返ってきた颯太は、これまでよりも激しい口調で私を攻め立てた。
俗に言う、逆ギレですね。
でも、その言葉の端々から感じるのは、私を慮っての事。
「自分が今まで、どんな目に遭ってきたのか忘れたのか!? 一人でのこのこほっつき歩いて、また危ねー連中にでも出くわしたらどーすんだよっ!?」
すっかり夜の帳が訪れた公園の空に、颯太の絶叫が突き刺さっていく。
植えられた花も、草も、木々も、緩やかな風と共に流れ込んできたその声で揺らぎ、ざわざわとざわめいているように見えた。
あちこち設置されてる遊具にも弟の苛立ちが反響しているのか、子どもが遊んだ後の面影は掻き消え、重たい空気がその場を包み込む。
そんな中にあっても私は迷わず、厳しい眼差しでこちらを見つめてくる颯太に向かい、口を開いた。
「颯太、聞いてくれる?」
弟の気持ちは凄く伝わってきました。
ここまで颯太が憤慨している理由。
どうしてあの場に颯太がいたのかはとりあえず置いといて、心底私を心配してくれてるからなんです。
それが事実。
こんなに激しい口調なのも、先ほどのアミューズメントパークにて「ねーちゃんが知らない連中といた」と、目の当たりにしてしまったからに他なりません。
弟なりに焦っていたのかもしれない。不安に思ったのかもしれない。
それというのも私がこれまで、颯太が言うように狙われたり、連れ去られたり、怪我を負ったりなどの経緯があるからです。
今にして思えば、強引なまでの弟の行動は当然の所業と言えます。
それらは全て、私の不徳の致す所。
だから私は颯太に、ちゃんと事情を聞いてもらおうと思った。
幼馴染や友人より、最も近い存在である家族だからこそ、しっかり私の真意を聞いてもらう必要があると分かったので。
「あのね、颯太にとってはあんまり聞きたくないかもしれないけど、私、誰が何て言おうと秋月の事が好きなの」
私が何故、こんな遅くまで外に出ていたのか。
それは、心から秋月を想っているから。
「これからもずっと、秋月と一緒にいたいの」
私の腕を強く握り締めたままの状態である颯太の手。
それを覆うかのように、自らの手を私は添えた。
言葉と一緒に、私の気持ちが伝わるよう。
「そのためには秋月と会って、話す必要があるの」
公園に設置してある、僅かばかりの外灯。
その光によって照らし出された弟の顔を真摯に見つめながら、私はとくとくと言い聞かせるかのように続けた。
「だから私は、こうやって彼を捜している。秋月とちゃんと向き合って、話をしたいから。お願い颯太。このまま秋月を捜させて? 颯太が私をすっごく心配してくれてるのは分かったから、気をつけるし」
「ね?」と、まるで小さい子を諭すかのように最後閉じた私は、そっと颯太の瞳を下から覗き込んだ。
瞳が揺らいでいる。
少しは私の気持ちが伝わったのかな?
さっきまできつく結ばれた眉間は今はもう解け、幾分、颯太の表情が和らいだように見えた。
「……本当にねーちゃん、あのくそ野郎の事が好きなのか」
ぼそっと、こちらが聞き耳をたてないと聞こえないぐらいの声音で弟は呟く。
でもそれは、ちゃんと私に向けて放たれたもの。
そう受け取った私は、覗き込む私を真っ直ぐ見返してくる颯太に小さく頷き返した。
静寂となった雰囲気の中で交錯する視線。
私と颯太の間に流れている時間は、草や木々が擦れ合う音しか聞こえない。
それと言うのも、お互いがお互いの胸中を推し量っているから。
片や徐々に募っていった恋心。
片や身内として譲れない矜持。
今まで何度も噛み合ってこなかった、私たち姉弟の思惑。
それがこの短時間に、視線を介して語り合う。
本来、私の帰りが遅くなったのは秋月を捜していたためによるもの。
だけど実際この日に起きた事は、全く別のものになった。
決して避けて通る事など出来ない。
避けてはいけない、私と颯太の、家族の対話。
「…………分かった」
しばらくして、颯太は重たそうに口を開く。
認めたくないけど認めざるを得ない。
例え幾度となく危険な目に遭ったとしても、私の気持ちは変わらない。
どんなに自分があれこれ言っても、私の気持ちを変える事が出来ない。
悔しそうに歪み始めた颯太の表情。
けれど弟は、私の視線からちゃんと気持ちを感じ取ってくれたようで、苦虫を噛み締めつつも納得したようだった。
「颯太……」
分かってくれたの? 私の気持ち。
ずっと頭ごなしに私と秋月の仲を反対し続けてきた颯太。
そんな弟の口から出た言葉は、よもや肯定ともとれる意思表示。
いえ、よもやではありませんね。
しっかりと颯太の言葉を耳にした私は、ようやくここで、弟が私と秋月を認めてくれたんだと察した。
「ありがとう」
すかさずお礼を言う。
私の気持ちは変わらないと言っても、やっぱり家族に認めてもらうのは嬉しかったから、自然と口に出す事が出来ました。
やっと、やっと、認めてくれたんだね颯太。
私が秋月をどんなに好きかって。
一緒にいたいのかって。
あんたなりに、理解を示してくれたんだ。とっても嬉しいよ。
何と言っても、これまでで一番の気掛かりは弟でした。
秋月との事で、真っ先に断固拒否を取ってきた唯一の人物が弟の颯太だから。
なので、そんな弟が肯定してくれた事により、私の憂いはほとんど消えたと言っても過言ではありません。
これで何も気に負う事なく、秋月を捜しに行ける。
この時、私は安堵の気持ちで胸がいっぱいだった。
今日は思いがけず懐かしい人たちと再会したけど、そのおかげで秋月に関する情報を得る事が出来たし、その後、颯太とも分かりえる事が出来たんですから。
明日からまた頑張れる。
私は喜び勇みながら、そのまま颯太と一緒に帰宅する事にした。
肯定の意思表示をした後すっかり颯太は黙り込んでしまったので、今度は逆に私の方が弟の手を取り、道を先導していく形で。
「………………」
まぁ、心の整理をつけるのに、少しばかり時間がかかるといった所でしょうか。
帰宅途中、度々弟の様子を伺ってみたけれど、顔は俯き、影がかかって表情があまりよく読み取れない。
でも素直に手を引かれている所を見ると、気持ちを打ち明けた私自身を否定はしていないみたい。
今はこんな状態だけど、きっと近い内に元の颯太に戻ってくれるよね?
私はそう願うと共に言い聞かせ、辿り着いた自宅の玄関扉を開き、颯太へ中に入るよう促した。
だけど弟が口にしたのは、肯定の意思表示だけに留まらなかった。
次の瞬間、衝撃が私を襲う。
「……けど、それとこれとは話が別なんだよ」
え?
玄関へ入る直前。
切り替えされた颯太の思わぬ発言に、私の瞳は大きく瞬いた。
途端、勢いよく家の中へと押し込まれ、扉を閉じられてしまう。
これには驚きを隠せない。
まだ自分が外にいるのにも関わらず、颯太が私を家に入れた後、玄関を閉めてしまったわけですからね。
弟の取った行動が理解不能です。
「え、ちょっと颯太待って! どうして!?」
扉越しで私は弟に向かい、声を張り上げた。
それを聞きつけたのか、奥からお父さんとお母さんが顔を出してくる。
「ん? どうした?」
「あらお帰り……って、流香だけ? 颯太はどうしたの?」
「お父さん、お母さん! 颯太が変なの!」
玄関扉をだんだんと両手で打ちつけながら悲鳴をあげる私に対し、まずお母さんが近付いてきた。
何か様子がおかしいと気付いてくれたみたいです。
自らも玄関に降りてきて、私と同様、扉越しで颯太に声をかける。
颯太はシスコンではなく、あくまでも姉思いの弟なだけです←




