刹那の時を駆け巡れ③
「おい、そこのチビ邪魔」
はっ!
気付いた時にはもう手遅れです。
私の周りには、数人程の人影が点在していた。
途端、自分の顔面が蒼白になるのを覚える。
いえ、辺り構わず項垂れていた私がそもそもいけないんですけどね。それは十分分かっています。
でも、どうしてこういう時に限って、都合の悪い展開ばかり起こるのでしょうか。誰か教えてください。
だらだらと嫌な汗が、全身から噴き出しているのを認めざるを得ない私。
それもそのはず。
悪意は無かったのですが、通行を妨げてしまった事で、良からぬ方々の目に留まってしまったんです。
見渡せば男子高生と思われる数人が、チビの私をきつく睨みつけながら見下ろしていた。
「す、すみませんでした」
緊張感のあまり、弱々しい声しか出なかったけれど、何とか謝罪の言葉を口にした私。
だけど、謝って済むのであれば警察はいらないとよく言いますね。
案の定、私を取り囲んでいる彼らは、謝罪の言葉だけで満足するわけでもなく。
色んな意味でいいカモを見付けたとばかりに、執拗に責めてきた。
「『すみません』? それだけ~? お前、自分の立場分かってんの?」
「ガキがこんな時間に、こんなとこ一人でいるってだけでも目障りなんだけどな~? いいご身分じゃねーか」
うぅっ。
どうやら通路を妨げた以外にも、彼らの癇に障るものがあったらしい。
それと言うのも私がチビで童顔で、同世代に見えないから。
本来なら腹立たしいことこの上ない理由。
小学生か中学生が呑気にもここへ遊びに来てると、彼らの目には映っているらしかった。
いえ、私もあなたたちと同じ、高校生なんですけど。
……という反応は、しない方が身のためですね。
あんまり嬉しくないけど、こういったトラブルは何回か経験しているから、自然に対処法が身に付いている。
ここは無難にやり過ごすのが得策。
私は余計な事を言わないよう、ただただ謝罪の言葉だけ述べて、ここから立ち去ろうとした。
「本当にすみませんでした。もう帰りますので、失礼します」
なるべく冷静に。冷静に。
冷や汗だらだらで、未だ顔面は蒼白状態だけど、これ以上、相手の神経を逆撫でしないよう気を配った私は、そそくさと彼らの間をすり抜けようとした。
がしかし、やっぱり世の中、上手くいかないものです。
「おい待てよ」
いきなり肩を掴まれ、「ひゃあっ」と変な声を出してしまったけど、感覚はデジャブそのもの。
まさか同じ場所で、同じような事が起きるとは思いもしませんでした。
また肩を掴まれて、引き留められる私。
だけど今は、あの時よりも深刻な状況です。
だって今私、一人なんだもん。
助けてくれる人は誰もいない。
いつも私のそばにいて、守ってくれた秋月はいない。
寧ろ、その当人である彼を捜しに来てるわけですから。
ここは一人で何とかしなくちゃいけない。
秋月みたいに、相手を一発ノックアウトさせてから立ち去る芸当なんて、到底私には出来ない所業だけど、ここは……。
焦りと緊張で心臓がばくばくと激しく波を打っていたものの、私は秋月と一緒にいた時とは別のやり方でこの場を切り抜けようと必死に頭をフル回転させ、思考を巡らせた。
なので、即座に感付かなかったんです。
私の身に襲ったデジャブは、本当にデジャブだったという事が。
「あれ?」
思わず溢れた疑問符。
そういえば私、どうして秋月の一発ノックアウトなんてものを、こんな土壇場で思い出したんだろう?
いくら似通った状況とは言え、こうもすんなりと思い起こされるもの?
私は何気なく、取り囲んできている彼らの顔を再び見やった。
途端、「あっ」と声を出す。
そしてそれはやや暫くして、向こうからも聞こえてきた。
「ん?」
一人が首を傾げ、何かを思い出そうとしている様子。
どこかで見た光景だと言わんばかりに、眉を潜めだした。
他の人たちも同様。
私と接した事で違和感が生じたらしく、各々考え始め、仕舞いには私の顔をじっくり見ようと少し屈む始末。
そして。
「あっ」
「あっ」
「あっ」
口々に発せられ言葉は、私のと何ら変わりないもの。
でも、そんな間抜けにも似た「あっ」の応酬は次の瞬間、絶叫へと転じた。
「あ――――っっ!」
「あ――――っっ!」
全く同じ台詞が、私と彼らの口から飛び出した。
それもそのはずです。
だってこの面子は、ここで一度起こしてしまったトラブル。
あの時の顔ぶれ、そのまんまだったんだもん。
唯一、このアミューズメントパークで起こったトラブル。それは決して忘れられない出来事。
秋月と二人でダーツをしていたら、目の前にいるこの人たちが秋月と顔見知りらしく、声をかけられ、会話になったというもの。
いえ、それはちょっと語弊があるかな?
秋月、話しかけられているのに無視してたもんね。
しかも話の途中でその場から立ち去ろうともしていたし、何より一人を殴り飛ばすという事までしてしまいましたから。
初めて伺い知れた秋月の奇妙な交友関係に、私は不思議で仕方がなかったのを記憶しています。
その彼らがここにいる。
偶然とはいえ、まさかその時の人たちと再びここで鉢合わせるとは思いもしませんでした。
まだ冷や汗は流れていたものの、私は余りにも驚いていたため、この人たちから逃げようとする考えがすっぽ抜け。
ただ呆然と、その場に立ち尽くしてしまった。
普通ならこうはなりません。
何故なら、例え彼らが秋月の知り合いなのだとしても、私とは全く関係ないんですから。
癇にも障らせているし、事態はあまり変わらないはず。
だけど相手が私だと気付いた彼らの態度は、それまでのとは一転し、更に私を呆然とさせるものへと変貌した。
「す、すみませんでしたぁ!」
一斉に私へと頭を下げる彼ら。
その行動に、ぱちくりと目をしばたかせた私は呆気にとられる。
だって、ここまで頭を下げられた事ないですからね。
ぶんぶんと音が聞こえてきそうな程、物凄い勢いで上げ下げを繰り返す上半身。
そのため、角度は直角を楽に突破。
彼らの振り子の幅が、どれだけ凄まじいのかそれを証明している。
それを一斉にやられてしまった私は、「いやいやそこまでしなくても!」と、止めたい衝動が否応無しにも湧き上がってきた。
当然ですね。はたから見たら異様な光景ですから。
女子高生一人相手に男子数人がへこへことしているなんて、あまり類を見ません。
大体、通行を遮ってしまったのはそもそもこちらの方で、言うなれば悪いのは私。
だから、彼らにここまで謝られる筋合いなど元々ないんです。
にも関わらず、延々と頭を下げてくる彼ら。
「すみません! すみません!」
「あなただとは気付きませんでした! 許してください!」
………………。
ぽかーん。
既に開いた口が塞がりません。
何なのこの態度は!?
例え少し見知っている人物へついつい絡んでしまったとしても、普通、ここまでやりませんよね!?
いくら何でも、行き過ぎやしませんか!?
次第に混乱し始めた私は、あわあわと彼らの過剰な謝罪に慌てふためくしか対応が出来なかった。
先ほどとは打って変わった私の立場。
もう、訳が分からないです。
でも、彼らがどうしてそんな態度を私にとったのか、話を聞いていくうちに段々と判明してきました。
そして、ある意味納得してしまう。
「今一人なんですよね!? どうか! どうか! 秋月にだけは言わないでください!」
「ほんっっっとーに気付かなかっただけなんです!」
「俺たち、まじで奴に殺されるー!」
あぁ、なるほどね。
彼らは私の背後にある、秋月の存在に怯えているわけです。
別に私としてはそんなつもりないから、ちょっと使い方が違うかもしれないけど、例えるならば虎の威を借る狐。
あのトラブルで、彼らがどれだけ秋月に対し畏怖の念を感じているかを知っている私は、自分が彼らにとって、その狐だと認識した。
だけど、どうやらそれだけじゃあないみたいです。
これは私が与り知れなかった部分。
「森脇にも言わないで下さいね!? あいつにも俺ら、あなたに手は出さないよう言われてて……っ!」
「てゆーか、あなたの画像は削除してありますから!」
「つーか俺ら、あのゲームに一つも関わってないですから!」
ん? それって……。
私は脳に揺さぶりをかけ、記憶を呼び起こそうとした。
いえ。そんな事しなくても、あんな衝撃的な出来事は一生忘れられない。
秋月を呼び寄せるために仕掛けられた、神澤くんの企み。
その事を彼らが言ってるのだと、私は理解した。
口々に発する彼らの言葉を聞いて、初めて私はその全容を知り得る事が出来ました。
それは期末試験の後、一時的に秋月が姿を消し、哲平くんが私を誤魔化そうとしていた四日間にまつわるもの。
私を取り囲んでいる男子高生。
その彼ら曰く、私と秋月に会ったその日、彼らは神澤くんにも会っていた。
更には私たちの情報を引き出したその神澤くんにより、最後はぼこぼこに殴られ、病院送りにされるという。
そこまでは知っています。
神澤くんとの一件で判明しましたからね。
そしてそれを、哲平くんが利用したという事も。
駅の近くにある駐車場で起きた傷害事件。
それを知った哲平くんが、神澤くんを追い詰めるために被害者である彼らから状況と証拠、証言を掴んで、刑事の榊さんを動かしたんですから。
ただ、哲平くんが行ったのはそれだけじゃないみたい。
あちこちにばらまかれた私の画像。
それの後処理も含んでました。
情報を得るために彼らへ接触し、ついでに牽制と忠告をしてくれていたんですね。
まぁ、この人たち自身が神澤くんの被害者なので、すんなりと快諾してくれたみたいですが。
「寧ろ神澤の方に恨みあったし、俺らが付き合う義理はないからなー」
一人の男子校生が呟く。それへ便乗するかのように、他の一人も合わせて吐露していた。
「代わりに神澤をぶちのめしてくれるわけだしな」
「ざまぁみろ」とでも言いたげに、次々と彼らの口から本音が溢される。
だけど、次第に内容は暴露へと移り変わっていった。
「でももし、誘いに乗ってあんたに危害を加えたら、神澤と一緒に葬り去るって言われた」
「あんたは秋月と密接な関係。んで、自分もあんたの後輩にあたるから、情報はすぐに飛び込んでくるって言われた」
……それって思いっきり脅しじゃないの。
にっこりと笑顔を振りまきながらそう言う哲平くんが、容易に想像出来てしまいました。
本人に言わせれば「抜かりない方がいいからね」って返ってきそうだけど、それにしては発言が露骨過ぎ。
うっかり違う印象を持たれちゃうよ。
いえ、もう時既に遅しですね。
「あいつにはむかったら、ある意味社会から抹殺されかねねーわ」
「どんな手を使ってくるのか、秋月や神澤以上に分かんねー。分かりたくもねー」
「気付いたらとんでもなく追い詰められてそう」
「……てゆーか秋月も怖ぇーけど、森脇もある意味怖ぇー」
「……つーかあの二人に目ぇつけられたら、間違いなく人生終わる」
途中まで事情を説明してくれたものの、最後は恐怖でガタガタに震えだした彼ら。
うん。言いたい事はよく分かりました。
というよりも、実際に間近で彼らが思う秋月と哲平くんを見ましたから私。
その二人によって、見事打ち負かされた神澤くんを。
「あは、ははは……」
思わず苦笑いが出てしまう。
要するに、彼らは自分たちも神澤くんの二の舞になるのを避けたいんですね。
だからこうやって、過度の謝罪を私にしてきたわけです。
まぁ、それは無理もないかもしれませんが。
確かに秋月と哲平くんは、稀に見るとんでもない後輩なので。
とりあえず大体を把握した私は、彼らが無事、退院した事へのお見舞いの言葉を送った。
知らなかったとは言え、彼らにはとんだとばっちりを受けさせてしまったから、誠意を尽くさないと。
そんな私の態度に少々恐怖感が和らいだのか、彼らと少し話す事が出来た。
中学時代、どんな風に秋月や哲平くんと関わっていたのとか、当時の彼らの様子とか。
はたまたよくここに遊びに来るのとか、他愛もない会話もやり取りしました。
最初はどうなるかと思ったけど、思いがけず深める事が出来た交流。
おかげで、私は秋月に関しての確かな情報を得る事が出来ました。
これから先、どこで秋月を捜そうが悩んでいた私。
でも、彼らの中に秋月が住んでいる場所を知っている人がいて、その人が教えてくれたんです。
「あー、秋月は確か西楠中の8ブロック先にある高層マンションに住んでますよ。東楠高校からするとずっと西。西楠中との間にある川を渡って、ここら辺じゃあかなり整備された地区があるのを知ってます? そこで並んでる縦も値段も一番高いマンションの……八階だか十一階に住んでたような?」
なんとぉ。
私は彼からもたらされた情報を聞いて、驚愕を隠せなかった。
何故なら、そこはここ一帯でも有名な高級居住区であるのもさる事ながら、私の家から全く逆の方向にある場所だったんだから。
「……と、遠かったんだ」
毎日毎日私を自宅まで送り迎えしてくれた秋月は、いつも徒歩でした。
というのも、私が東楠高校の徒歩圏内に住んでいるので、よくよく考えてみれば彼が私に合わせてくれてたという事なんです。
実際は秋月が住んでいる場所から東楠高校、しいては私の家まで、自転車を必要とする距離に相当しますからね。
まさか、そんな場所からいつも来てくれてたなんて、思ってもみなかった。
「はよっす!」と、にこにこしながらいつも玄関の前で私を待っている秋月。
その様子からでは、全く予想する事が出来ません。
驚きで一瞬、思考を停止させてしまったけど、私はこれまで彼がどんな思いで私の家と自分の家を行き来していたのか考え始めた。
同時に、そんな秋月に対して想いも馳せる。
多分……いえ、きっと自転車を必要とするような距離でも、秋月にとっては苦じゃあなかったんだよね。
だから毎日繰り返す事が出来たわけですから。
そしてその理由は……言わずもがな、です。
“先輩と一緒にいたいからに決まってんじゃん”
一番最初、学校から送ってくれた時に秋月から言われた言葉。
つくづく、私は秋月に大事にされていたんだと思える。
そりゃあ時にはメチャクチャな事をしてくる彼だけど、真っ直ぐにこちらへと向けてくる心はひたむき。何者にも変えがたいもの。
だからこそ、そんな彼にまた会いたい。大好きって、私の気持ちを伝えたい。
少しだけ楓の気配が見えて良かったね流香!




