消えた背中を探し求めて④
悔しいけど、これが現実。
彼に課せられていた状況と環境。
いくら私が声を張り上げて主張しようとも、崩れそうにない確固たる土台が最初からあったんです。
じゃあそんな中で、私はどうすればいいの……?
あの日、私が掴み損ねた背中は、あまりにも遠すぎる位置に立たされている。
必死になって追いつこうにも、秋月の周囲に点在する畏怖の念がそれを跳ね返す。
それはまるで、有無を言わさない圧力を宿した城壁。
何人たりとも寄せ付けない堅固な要塞。
立て続けにそびえる高い塀が行く手を阻み、その中にいる彼を窮地へと追いやるために建てられたもののように思えた。
「何だか超難解なダンジョンを目の前にしているみたいだよね?」
哲平くんも私と似たようなイメージを抱いたのか、冷静になった私に向けてそう言い放つ。
そして、問いかけるような視線を投げ掛けてきた。
「それで? 真山先輩は何をする?」と、聞いてくるような感じで。
正直、今の段階で私に何が出来るのか分からない。
だけど、ただ黙って大人しくしているわけにはいきません。
すぐさま私は哲平くんにこう答えた。
「少しでも秋月の事……みんなに分かってもらえるようにする」
「へぇ?」
興味深いとでも言いたげに、哲平くんから声が漏れた。
それに構わず、尚も私は言葉を続ける。
「一人一人に回って、秋月の事話すの」
今まで彼が私にしてくれたことを全部。
例え昔は粗暴が悪く、危険視される程他人に迷惑をかけていたとしても、そんな彼がかけがえのない気持ちを私に届けてくれたのは、変えようのない事実なんだから。
「それが真山先輩の答えなんだ? さっきも言ったと思うけど、簡単な事じゃないよ? 他人が他人を理解するってのはさ」
哲平くんから発せられる真剣な眼差しが、私を貫かんばかりに煌く。
でも、そんな目を向けられても私は怯む事はなかった。
確かに哲平くんの言っている事はもっともだけど、これもまた真理。
「やってみなくちゃ分からないでしょ? 何もしないよりはましだもの」
「ぷっ」
え?
発言を終えた後、それまでの雰囲気に相応しくない、気が抜けるような声が私の耳に入った。
どうやらそれは、哲平くんよりもたらされたものらしい。
私の言葉を聞き、しばらくこちらを凝視していた哲平くんはふと笑みを溢したかと思ったら、途端、盛大に笑い始める。
「あははははっ!」
「な、何がおかしいの!?」
慌てた私は哲平くんに突っ込みを入れた。
彼にとって、自分がとんでもなく途方もない事を口にしてしまったのかと思ったので。
だけど違うみたい。
哲平くんは「ごめんね?」と片手を上げると、釈明をし出した。
「緻密な戦略じゃなく、古風な人海戦術を選ぶとは思わなかったからさ。いや、どちらかといえば調略か。でもそれって真山先輩らしいよね。いいんじゃないの?」
にっこりと笑顔を向けてきた哲平くんは、得心めいた頷きを何度も繰り返す。
そして、自らも名乗りを挙げてくれた。
「俺もそれに乗った。こういうのは人出が多い方が効率いいしね。そちらさんは……?」
ついっと、これまで黙って私たちのやり取りを聞いていた沙希たちの方に視線を向ける哲平くん。
それを認めた沙希は、溜息まじりに返した。
「あんた私をなめてんの? 流香に協力するに決まってんでしょーが」
いささか心外とばかりに目を据わらせている沙希。
整った顔立ちを省みず、鼻息荒くそう述べた彼女に対して、ついつい私は圧倒されつつも聞き返してしまった。
「え、いいの沙希? なんだか凄く申し訳ないんだけど……」
かなり個人的なものなのに……。
でも彼女にとって、そんなの大した事ではないらしい。
可愛くウインクをすると、遠慮がちに問いかけた私に対して、優しい言葉をかけてくれた。
「私たち親友でしょ? だったら地の果て、海の底へだって付き合うよ」
さ……沙希……。
満面の笑顔でそう答えた沙希は、至極当前とでも言いたげに、柔らかい視線をそのまま私に送ってきてくれた。
そんな彼女を見た私は、じわりと涙で瞳を潤ませる。
嬉しさと共に、有難い気持ちで胸が一杯になっていくのを感じたから。
そこへ便乗するかのように、智花や柚子も次々と挙手をし始める。
「私もやるよ。今までずっとあんたらを見てきたわけだからね。ここで放り出す訳にはいかないよ」
「そうそう~。これからも楽しませて貰いたいしね~」
「ねー」とお互いに顔を合わせて相槌を打った後、二人は沙希と同様、私に向かって優しい笑顔を向けてくれた。
途端、ますます涙腺が緩む私。
どうしてこんなにも私は、周囲の人に恵まれているんだろう。
感激過ぎて、思うように口が開きません。
神澤くんの一件を含め、皆にはこれまで散々助力し続けて貰ってたのにも関わらず、ここでも更に力を貸してくれるだなんて……。
本当に、私には勿体なさ過ぎる友人たちです。
感謝の言葉を上手く言い現せない自分が凄くもどかしかったけど、ようやく「ありがとう」と一言だけ述べられた私は、再び哲平くんに向き合った。
そして、あたかも宣誓しているかのように、改めて決意した自分の意思を彼に告げる。
「絶対、秋月を救うから」
今度こそ、本当に救ってみせる。
例え今は会えなくても、次は私の番です。
これまで彼が私を守ってきてくれたように。
ピンチの時には駆けつけて、救ってくれたように。
皆の力を借りて、今度こそ、窮地に立たされた秋月を助けてみせる。
「まずは全てここからだからね。このまま楓を退学させられたとあっちゃあ敵わない。急がなきゃならないけど慎重に。確実にやっていこう」
私の意志を汲み取ってくれた哲平くんが、自らの気持ちも吐露しつつ。
今後、私たちが行う事への的確な道を示してくれた。
そうだね。時間は待ってはくれないのだから、早急に対処しなくちゃ。
でも、それを確かなものへとするためには、堅実さも求められるね。
こくこくと首を縦に振って同意をした私。
そんな私を認めた哲平くんは、まるで合戦に赴くような目つきで更に続けた。
「篭城には包囲戦、か。……いいね」
キラリと瞳が煌いたような気がする。
哲平くんにとって、これは挑戦にも等しい感覚なのかもしれない。
今まで何かと秋月をフォローしてきてくれた彼は、ずっと違う方法でやってきたわけですから。
そこへ沙希も割り込む。
「はっ! どんなにガードが固くったって粉砕してやるわ!」
ぺきぺきと両手の間接を鳴らし、かなり好戦的に意気込む彼女は、哲平くんとはまた違った表情をしていた。
静かに、だけど確かな光を宿らせていた哲平くんと比べ、その瞳には猛々しいまでの炎を灯らす。
まるで喧嘩相手の喧嘩相手に、戦いを挑むみたいな感じ。
それと似たような形で、智花もやる気を奮い起こしているようだった。
「上にいる人間を屈させる程、面白いもんはないしね」
自然と口角を吊り上げさせ、笑みを作る智花。
実行した後の想像をしているのか、自らが思い描いた未来予想を待ちわびてる様子。
多少キツイ言動と受け取られがちだけど、いつも正義感に満ち溢れた発言をする、彼女らしい態度です。
そんな三人とは打って変わり、柚子は鼻歌交じりにこう告げてきた。
「捕らわれの王子様を助けるお姫様みたい~。流香姫~? 何なりとお申し付け下さいね~?」
はたから聞けば、随分能天気に思える柚子の言葉。
だけどそんな口調とは裏腹に、時にはこちらが驚くような事をするのが柚子。
彼女はいつだって、有言実行をしようとするタイプ。
優しくこちらに向けてくる瞳にも、揺るぎなどありません。
本当に頼もしい仲間たち。
立て続けに発せられた台詞の数々。
皆それぞれ、秋月を助けるために紡いだ言葉。
浮かべた表情。
それらを締めるかのように、私も口を開いた。
「うん、……行こう! 行って、秋月の退学を止めよう!」
私は静かに立ち上がると、そのまま皆と一緒に、誰も来ない階段を後にした。
何としてでも、秋月の退学処分を阻止する。
その気持ちだけを引き連れて。
「なー、ねーふぁん。沙希ふぁんたひと何やってふんだほー?」
だいぶ遅くまでサッカー部の練習をしていた弟の颯太が、夕飯のハンバーグを口いっぱいに頬張りながら、今、私たちがやっている事を聞いてくる。
それを受けた私は、お箸にご飯を乗せた状態で止まった。
人づてを頼りに今回は動いているから、どうやら颯太の耳にも入ったみたいです。
あれから数日。
自分たちが為すべき事をするために、別行動を取る事にした私たち。
各々が各々、秋月に関して話を聞いてくれそうな方面へ、毎日赴く日々を送っていた。
皆がどこに、誰に向かって話をしているのか私には皆目検討もつかないけど……一先ず、私は正面突破――即ち、職員室への直談判をする事に決めました。
いくら周囲を固めても、大元である学校側が事実を知らなければ話になりませんから。
だけど……。
ふぅっと溜息をつきつつ、弟に対して注意しながら、私は問いかけられた内容に答えた。
「颯太、口に物が入ったまま喋らないの。……う~ん、ちょっと秋月の事で……」
「はぁー!? だからねーちゃんもこんな時間まで飯食ってなかったのかよー!?」
案の定。
私に窘められた颯太がごくんと口に含んでいたものを喉の奥に流すと、信じられないといった面持ちで盛大に声を荒げる。
何となくその反応を予想していたから言葉を濁していたけど、意味はなかったみたいです。
秋月の名前を聞いて、何かがピンときたらしい弟。
そして次の一口を運ぶ前に、私に向かって非難の言葉を投げ掛けてきた。
「ってか秋月!? もう関わんなって俺が言ったの忘れたのかよねーちゃん! 庇う必要ねーって! あいつのは自業自得だ!」
うぅっ。
颯太も先生と同じ事を言う……。
だからなるべくこの件は、弟の耳に入れる事すらしなかったのですが……。
私と秋月の仲を付き合ってからも中々認めようとしなかった颯太は、神澤くんとの一件以来、更に断固拒否の態度を取る姿勢になってしまった。
それこそ、存在すら認めないみたいな感じで。
ちょっと秋月の話題を出そうものなら、今みたいに叱り飛ばしてくる。
まぁそれは全て、私を思っての事だとは分かっているのだけれど……。
実の弟にすら、今日まで会ってきた先生みたいな態度を取られると、私は何とも言えず、物悲しい気持ちになった。
“お前は何を言ってるんだ真山。奴がこれまでに行ってきた事を考えれば、当然の処置なんだぞ? 庇う必要はない。前にも言ったと思うが、もうこれ以上、奴と関わるのは止めておきなさい”
学校の中で一番秋月の退学処分を推し進めているのは、生徒指導を兼ねている体育の先生だった。
そう。以前、秋月と衝突したあの先生です。
今日でもう何回目の挫折だろう。
何度も私はこの先生に対して秋月の潔白を説明したけれど、「過去に起こった出来事は事実」と一刀両断され、絶対取り合ってはくれない。
颯太みたいに、存在そのものが疎ましいと先生自身が思っているからなのか、話は平行線。聞く耳持たず。
あまり時間はないというのに……。
焦燥に見舞われた私は、おもむろにお箸をテーブルに置くと、そのまま食器を片付け始める。
それに気付いた颯太は、驚いた面持ちで聞いてきた。
「え!? ねーちゃん、もう食わねーの!?」
「……うん、食欲なくて……」
いくら沙希たちの助けがあるとはいえ、ここは私の踏ん張り所。
でも全く進展がないから、次の手を考えなければなりません。
秋月はもう昔みたいな問題児じゃあなく、普通の生徒になろうとしている。
……と、先生に説明しても。窓ガラスを割ったり、空き教室でめちゃくちゃに暴れた事。体育祭では自分がいるべき一年生のスペースにいなかった事。
そして、まだ授業中にも関わらず、教室を抜け出してきた事などを挙げられてしまい、軽く論破されてしまいましたから。
先生に言われた事は確かに真実で、この時は返す言葉がなかった私。
だけど、それが全てだと言われるのもまた違うと思った。
いえ、確実に違います。
断言出来ます。
本当に秋月を理解しているとは、全くもって言えません。
もっと別の視点で話さなくちゃいけない。
真実秋月の事を分かってもらうためには、規定事項のみじゃない、けれども確かな内容を、あの生徒指導の先生に話す必要がある。
それをどうやって伝えたらいいのか、まだ分からないけど……。
考えなければならない事が複雑過ぎて、私の喉がご飯を通らなくさせてしまったのは必然でした。
颯太に驚かれるのも無理ないですね。
いつもは弟に負けじとあっさり二人前をおかわりするところを、一人前にも満たない量で終わらせてしまったから。
でもそれだけ、今の私にとって大事な局面なのだから、ゆっくりご飯を食べている場合じゃないです。
早く自分の部屋に戻って、じっくり考えを巡らせなくちゃ。
リビングと隣り合っている台所へ、食器を運びながらそう思っていた私。
でもそんな私に、眉をひそめた弟が更に問うてきた。
「なー、ねーちゃん。まじで食わなくなってきてね?」
「そう? 最近はずっとこんな感じだったでしょ?」
実際、私の食欲は新学期が始まってからここ数日と言わず、それ以前より減退している。
だから私は適当にはぐらかす形で弟に返事をした。今に始まった事ではないと言った風情で。
だけど、弟はまだ気になっている様子。
「朝も昼も。母さんが弁当の残り見て呟いてたぜ?」
あ~……。それは流石に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
秋月の事――というより、自分ですね。
頭の中がどう先生に説明するかでひしめき合っているから、ご飯を作ってくれてる人の事を考え及ばずでした。
「これからは、もうちょっと食べるようにするよ」
眉を下げながら無理矢理笑顔を作った私は、台所で片付け真っ最中のお母さんに「ごめんなさい」とそう一言だけ告げた。
蛇口から出る水の音で私たちの会話を聞いてなかったらしいお母さんは、特に何も不審に思わず、「あらあら」と言っただけで済ませてくれる。
それにはちょっと安堵したけれど、次からは気をつけよう。
食欲がないのは正直なところだけど、お母さんや弟にあまり心配かけさせるのは、私の本意ではないので。
そのまま何事もなかったように台所から出て、リビングを抜けようとした私。
でも最後に颯太からまた一言、言葉を貰った。
「……一ヶ月前からだよな?」
「…………」




