消えた背中を探し求めて③
九月に入ったばかりだけれど、残暑がまだまだ続く夕暮れの帰り道。
それでも多少陽が傾くのが早くなってきたのか、人や建物から長い影が伸びてきている。
そこへとぼとぼと一人、住宅街を重い足取りで私は進んで行った。
顔は常に下を向き、視界に入ってくる影たちを一つ一つ見つめながら、静寂過ぎる下校をひしひしと味わう。
所々、通りすがって行く人の足音や会話。自動車の走行音。民家や街路樹に植えられた木から蝉の鳴き声も聞こえてくるけれど、私の耳に入ってきてはそのまま通り過ぎていくのが関の山だった。
ははっ。こんな帰り道、いつぶりだっけ。
思わず皮肉にも似た笑いが込み上げてきてしまう。
ここ数ヶ月は、こんな時間を感じる日なんてありませんでした。
当然と言えば当然ですね。
だっていつも秋月と一緒に帰っていたから、こうやって公共の音を聞く暇なんてなかったもん。
次から次へと話題が飛び込んでくる楽しい会話。
かと思えば、隙があればセクハラされるので、おちおち気も抜けない。
本当に賑やかな帰り道。
それが私の中で、真実偽りなく存在するもの。
だけど……。
「………………っ」
じわりと目に涙が浮かんでくる。
そんな光景が当たり前になっていた分、どうしようもなく今の状況が耐えられません。
一言で表すのなら寂しい。
だけど根底にあるのは、秋月に向けられた恋しさ。
寂しくて寂しくて。彼に会いたくて会いたくて仕方が無い。
でも今の私にとって、秋月に会える機会は限りなくゼロ。
それが現実。
あの後――部長との会話を終えた後に知った事だけど、秋月は今、学校にすらほぼ来ていないらしい。
一年の部員が、私にそっとその事を教えてくれたので判明した内容です。
信じられなかった。演劇部を退部したのは、まだ些細な事に過ぎなかったんです。
それを聞いた瞬間、私が果てしなく打ちのめされたのは言うまでもありません。
学校に来ていないという話は、秋月の友人である哲平くんからは何も聞いていなかったので、私の動揺は更に揺さぶられた。
すぐさま、当の本人である哲平くんに連絡を取り、確認をしようとした私。
けれど、彼自身も今は秋月と会えてない状態だと、逆に知らされる事になった。
秋月がどこで何をしているのか全く分からない。
それが、スマホ越しで珍しくも弱々しく聞こえてきた、哲平くんからの回答でした。
まだ私が入院していた時、わざわざお見舞いに来てくれた彼からでは想像出来ない展開。
私のみならず、哲平くんすらも秋月と連絡が取れなくなるなんて、誰も予想していません。
哲平くんも、この事態に凄く困惑しているみたいです。
いつもはっきりと、的確な意見を述べていたその声音が、心元ないものになっていたのがその証拠。
嘘だろ……といった心情が、痛切に伝わってきさえもしました。
当たり前かもしれない。秋月にとって、唯一信頼のおける友人が哲平くんなのだから。
それは哲平くん自身も自負していたはずです。
だけど、そんな間柄であるにも関わらず、行動が掴めない、読めない。
一応知る限り、把握している限りの秋月の行く先を哲平くんは探してみるとは言っていたけれど、自信を喪失させているらしく、確約は出来そうにない、と。
そう最後に彼は溢していた。
まさか、今のままでも十分非常事態なのに、これがもっと悪い方向へと繋がっていくなんて。
哲平くんも私も。
思ってもみなかったけど。
その日、私は慌しくも校舎の中を駆け巡っていた。
まだ左腕にはギプスが着けられたままだったけど、そんなのには構っていられない程ひっ迫している。
「る、流香! ちょっと待って! まだそんなに走っちゃ駄目!」
後ろから私を必死に止めようとする沙希の声。
それを筆頭に、智花や柚子。友人たちがこちらへと追いかけてくる足音も同時にしたけれど、私は振り返る余裕がなかったため、駆けたまま彼女たちに向かって返事をした。
「ごめん! どうしても……どうしても確かめなきゃならないの!」
正直、走るたびに左腕が響いて痛かったけど、そんな私の事なんてどうでもいいです。
今は兎にも角にも、優先すべき事柄が私にはあったから。
そんな……っ! そんな事って……っ!
休み時間。
クラスメートから聞かされたものが、私の頭を占領している。
ぐわんぐわんと、まるで脳髄まで殴打されたような衝撃から目覚めるのに、かなりの時間を有す程。
最初聞いた時、あまりにも信じられない話で冗談かと思いました。
そして、それはあり得ないと、真っ向から否定もしました。
だけど、教えてくれたクラスメートがたまたま職員室を通りがかって聞いた話との事で、その信憑性は著しく、確固たる情報だと分かった時は私はいてもたってもいられなくなり、教室を飛び出してしまっていた。
目指す場所は秋月のクラス。
本人である秋月はいないけれど、でも友人である哲平くんはいるので、彼に会うために全速力で向かって行く。
一段一段、階段を上って行くのもわずらわしいと、思わず感じてしまう。
それぐらい一刻も早く、一年の教室まで行きたかった。
前に一度彼らの教室に訪れて、奇異の目で見られた私だけれど、それも最早どうでもいいです。
秋月の事を考えれば、瑣末なものに過ぎません。
それだけ急を要する内容を聞いてしまったから、考えている場合じゃあない。
事態はかなりの深刻。
持てる体力を短時間で一気に放出させた私は、秋月のクラスに来た時点ですっかり息が上がった状態。
だけれども、最後には駆けて来た勢いのまま、哲平くんに向かって声を張り上げる事が出来た。
悲鳴にも似た、鎮痛な叫びを。
「哲平くん、どういう事なの!? 秋月が……秋月が……っ!」
教室に入る直前にそう口を開く私。
更にはそのまま、中に向かって駆け込みそうなぐらい、勢いは止まらなかった。
だけどその一歩手前で、私の存在に気付いたらしい哲平くんが、急いでこちらに来てくれたので何とか思い留める事が出来た。
哲平くんはどうして私が自分たちのクラスに来たのか、一瞬で覚ってくれたみたい。
一先ず、私の呼吸を整えさせようとしているらしく、それ以上私が発言する前に自らが言葉を発する事によって制してきた。
でも。
「真山先輩、そんなに走ってきちゃあ治りかけの傷に障るよ。落ち着いて?」
「だって……っ! だって……っ!」
気遣いの声をかけられたけど、当の私によってあっけなく打ち砕かれる。
哲平くんを前にして落ち着くどころか、ますます勢いを加速させていく私。
そして、かつてこれまでに出した事があったのだろうかと自分でも思う程、絶望的な声を彼に向かって解き放つ。
「秋月が……秋月が……っ! た、『退学処分』って……!」
私がクラスメートから聞いた話は、こういう内容でした。
先日、神澤くんとその仲間たちとの間で起きた私たちの出来事は、警察を通じ、学校側にも知らされていたらしい。
流石の私でも、こればかりは事が公になるのを避けられないと思っていました。
パトカー数台が出動。そして、神澤くんを含めた数名の男子生徒の身柄を確保という、あれだけの大騒動が巻き起こってしまったわけですからね。
舞台が西楠中学校だったということもあって、同様の近隣各教育機関――学校へ、これらが伝わるのは必然でもあり、想定内。
だから学校側に知られる事は、半ば覚悟もしていました。
彼らの思惑に無理矢理巻き込まれたとは言え、その渦中に私たちもいたわけですから。
とりわけ私と秋月は、そのど真ん中のど真ん中。
学校側から何らかの処罰が下るんじゃないかと、一応、考えてはいたわけです。
だけど、実際に私は被害を受けた張本人。
最後には大怪我を負ってしまったため、事情を聞かれただけで一切お咎めは無し。
哲平くんを初めとした颯太やあっくん。沙希や智花、柚子に至っては、途中、乱闘に加担したという見方もされそうになったけど、私を助けるためであった事から担当刑事である榊さんの計らいにより、軽い注意を受けるだけで済みました。
かなり大規模な騒ぎであったにも関わらず、幸運にも、それだけで済んだ私たち。
唯一、秋月以外は、です。
彼だけが何故か検討。
これは絶対におかしい。
秋月だって、私を助けるために皆と同様、危険を顧みず来てくれたんですよ?
それがどうして数ある処罰の中でも、退学処分という、一番重い形になってしまうの!?
クラスメートが職員室で聞いたのはまさにその部分。
秋月を、退学にするべきではないかという話で持ちきりだった、と。
「考えられる理由はただ一つ。学校側による楓への印象が、未だ最悪って事。それだけだね」
哲平くんはそう簡潔に述べてくれた。
ここは校舎の片隅にある、滅多な事では人が訪れない階段の最上階部分。
校舎内のどこへ行こうにも、わざわざこの階段を使う必要がないので、目下、サボり目的の生徒たちが使う場所として知られている場所だった。
窓があまりないため薄暗く、陰湿な雰囲気も醸し出しているから、極力近付きたくない所でもあります。
でも話の内容が内容なだけに、今の私たちにとって好都合な場所。
追いついてきた沙希たちと共に、秋月たちのクラスから一旦離れて別の場所に移ろうとした私たちは、哲平くんの案内の元、ここへ訪れた。
そして、今に至る。
「バッカじゃないの!? あいつがどうしようもないアホだって事はもう皆知ってるけど、それは流香といちゃついてる時にそう思うぐらいで、害なんて無いにも等しいじゃない!」
一番上の段に座っていた私に寄り添うよう、一つ下の段に座っていた沙希が、反対側の壁に寄りかかっている哲平くんに向かって鼻息混じりに告げた。
それに便乗して、更に下の段で足を組みながら座っていた智花も同じように、憤りを隠せないといった面持ちで口を開く。
「同感。問題を起こしていたのは中学までなわけだから、ここでそれを持ち出してくるなんて馬鹿以外何者でもないね。学校も知っているはずだよね? 秋月楓が、流香を守ろうとしてた事ぐらいはさ」
「それは勿論。榊さんがその点を間違えなく伝えたはずだよ。ただ……」
「な~に~? 他に何か理由でもあるの~?」
最後言い淀んだ哲平くんに対し、一人最上階の踊り場で腰を下ろしていた柚子が、私の背後から声をかける。
それを哲平くんは「いや……」と訂正しようとしたけれど、やはり考えがあるのか、言葉を続けた。
「楓の悪評ってのは、本当に半端じゃないんだよ。先輩たちは知らないだろうけど、俺たちは今までそれは悪逆の限りを尽くしてたからね。『今は何事もなくても、これから起きるかもしれない。だったらこの機会に、その不安要素を取り除く』っていうのも確かに定石ではあるんだよ」
あながち学校側の判断は間違ってないとでも言いたげに、苦々しくそう告げる哲平くん。
何それ。
つまり、哲平くんが言ってたのを更に要約すると、『危険分子は排除』って事?
今後、何かしら起きるって保証はないのにも関わらず、秋月を退学扱いするというの?
哲平くんの発言を聞いた私は、直後、思わず声を荒げてしまった。
「そんなのってないじゃない! あんまりだよ! 何も……。秋月の事……何も分かってないくせにっ!」
「る、流香~? お、落ち着いて~!」
憤慨した私を宥めるよう、慌てた柚子が肩に手を置いてきたのが分かったけどそれに構わず、私は尚も張り上げる。
「誰も彼も、理不尽な事を秋月に押し付けて! 酷いにも程があるよ! 秋月が変わろうとしているのは簡単に分かる事じゃない! どうしてそれに気付けないの!?」
次々と捲くし立てた私は、自分が肩で息をしているのに気付きもしなかった。
それだけ、荒ぶる感情が私の身の内に渦巻いていたので。
だけど、それは哲平くんによって諭される形となる。
「真山先輩、勘違いしちゃあいけないよ。これは彼女である真山先輩だから言える事であって、他の人間に求めるのは筋違い」
「!? どうして……っ!」
「所詮、赤の他人だから」
きっぱりとそう最後に断言した哲平くんに対し、私は開いた口が塞がらなかった。
哲平くんだって、秋月の友だちでしょ!?
いくら秋月の友人だからって、ここまで温かみのない発言をしてもいいの!?
そんな私に向かって、哲平くんの冷酷とも捉えられるが言葉が更に続く。
「それが現実。個人の事情なんて、そうそう考慮されるものじゃないからね。学校みたいに、何人もの人間が集う場所なんかは特に全体を重んじるから、通常より逸脱した存在がいたなら淘汰されるのが世の常だし」
顕著に出ているのが今……と、締めた哲平くん。
それを聞いた私は愕然とする。
完全に否定する事が出来ません。
哲平くんが言っている内容を、私は実際に間近で体験した時があったのを思い出したから。
それは初夏に近付いていた体育の授業での出来事。
まだ授業が終わっていないのに、校舎から出てきた秋月。
それを体育の先生が荒っぽい注意した事で、ちょっとした騒動になりかけた日に気付いたんでした。
揉める先生と秋月を見る人たちの中に、好奇以外の視線があったのを……。
「そう……いう事……」
神妙な面持ちで秋月を見ていた先生たちの顔を思い浮かべながら、私はぽつりと、言葉を洩らす。
「元から秋月は、排他されそうになる立場にあったんだね……」
どんどん楓の状況が悪くなっております。
さぁ、どうする流香。




