消えた背中を探し求めて①
新章開始です。
「最終的に現行犯で神澤は捕まったよ。まぁ、あいつも原付ごと派手に吹っ飛んだからここで治療中だけど、監視されているから真山先輩の所には来れない。だから安心して?」
何人もの患者が入院生活を送っている大部屋。
その一角で、私は哲平くんからその後の報告を受けていた。
病院に搬送された直後は個室に入れられていたけれど、意識を取り戻した私はもう大丈夫とのことですぐさまここに移送。
個室に比べると面会もしやすくなったということもあり、夏休みなのにも関わらず律儀な哲平くんは、颯太と一緒にわざわざお見舞いに来てくれて今に至る。
私が『色々』と知りたいと思ってるのを察してくれてたみたいです。
外はまだまだ真夏真っ盛り。激しい紫外線が道路を叩き、陽炎が地面に漂う。
だけど空調が効いている病室は、それを微塵も感じさせないぐらい涼しい。
お見舞いの花束を颯太に預けたあとほっと一息ついていた哲平くんは、まずは先に神澤くんについて教えてくれた。
「退院した後はそのまま連行されるらしいよ。もうきっと会うこともなくなる。それだけのことを大勢の前でやらかしたわけだからね。あ、榊さんがあとで真山先輩に謝罪しに来るって。ご両親には先に頭を下げてたみたいだけど、本人である先輩にも詫びを入れたいみたいだから……」
「え? あれは私が勝手にやったことだから、別にそこまでしてくれなくても……」
思いがけない申し出に慌てた私は、少しだけベッドから身を乗り出そうとする。
それを哲平くんがぴしゃりと制してきた。
「いいんだよ真山先輩。例え神澤が常人外の思考の持ち主で、何をしでかそうとも。あの現場は既に警察が仕切り始めてたんだから、過失になる。だから素直に受け取ってくれる? 俺も、人のことは言えないけどね。結局は最後までフォロー出来なかったからさ」
最後は「あはは」と苦笑いしている哲平くんを見た私は、そういうことならと了承した。
私が眠っている間、ごたごたと色んなことがあったみたい。
哲平くんの話しぶりからすると、要は責任の追及ですね。
だけど私はもとより、お父さんとお母さんも私から事の顛末を聞いていたから、何も思うことなど一切ありません。
無茶とも無謀とも言える行動を引き起こしたのは、間違いなく、私自身の咄嗟の判断だもん。全部、自己責任によるもの。
誰かを責めるなんてことはあり得ないです。
でもそんな私と両親の考えは当然哲平くんたち第三者からしてみれば、すんなりと納得出来るものではないことも分かる。ここは哲平くんの言う通り、素直に受け入れた方が丸く収まるというものです。
私は神澤くんについて一通り説明し終えた哲平くんが、改めて頭を下げてきたのを黙って頷き返した。
言いたいことは無いからね。どちらかというと今の私は、哲平くんに対して聞きたいことが山ほどあります。
もう、そっちに話を移してもいいかな?
ずっと確かめたく確かめたくて仕方が無いことが一つだけ、私の中にある。
誰も教えてくれないことが一つだけ。
きっと哲平くんなら答えてくれるかもしれない。
だって彼は一番。『あいつ』に近い人だから……。
「あ、あのね哲平くん、あき……」
「そういえば真山先輩。随分とお見舞いの品が沢山あるね。良かった。俺は花束にしておいて」
「え?」
話を持ち出そうとして逆に振られました。
それまで説明していた様子から打って変わり、ふいにベッドの横にある棚へと視線を注いでいる哲平くん。
「わー」とでも言いたげに目は見開かれ、微妙に冷や汗も垂らしています。
ちょっと意表をつかれたけど、それでも更に何か言いたげな彼に習い、私もそちらへ向けて首を動かしてみた。
あぁ、これね。哲平くんが驚くのも無理ないかも。
それは沙希を初めとした皆が、お見舞いがてらに持ってきてくれたもの。
入院患者一人一人に割り当てられている簡易棚の上には、実に様々な品々がところ狭しと置かれている。
というより寧ろ、隙間すら無い状態です。
沙希や智花、柚子より贈られたぬいぐるみとお菓子が山のようにそびえ立ち。
あっくんが持ってきてくれた漫画や小説も平積みに置かれ。
颯太なんかは家にある携帯ゲーム機を片っ端から持って来てくれたから、本体とソフトが入り乱れている。
演劇部部長の藤堂先輩がお見舞いに持ってきてくれたのは、それ以上に圧巻。部員全員から……ってことで。身分不相応な程の豪華なフルーツの盛り合わせが、数あるお見舞いの品々の中で一際異彩を放つ。
まさに千差万別、十人十色。
誰の目から見ても分かる通り、棚の上はある意味カオスと化しています。
うん。とりあえず哲平くんが何を言いたそうなのかは分かります。
でも、敢えて言わないでいてくれるあたり流石だね。
「皆がね、病院生活は退屈だし、ご飯もあんまり美味しくないだろうからって気を利かせてくれたの。……ちょっと凄いけどね」
哲平くんに向かって私も彼と同様、「ははっ」と冷や汗を垂らしながら答えた。
そんな私を見た哲平くんは最初、皆から送られてきたお見舞いの品に目を丸くしていたものの、次第に私へと視線を戻し、にっこりと笑顔を向けてくる。
彼はどうやら自分が持ってきたものに対し、心底安堵しているみたい。
どの品とも見事に被っていないから、当たりくじを引いたような面持ちです。
「実は俺も食べ物にしようかなって迷ってたんだよね。ほら、真山先輩は結構食べるって聞いてたからさ。だけど、綺麗な物を愛でてみるのもまた一興でしょう?」
「あはは」と笑いながら巧みに話題を切り返しつつ、そう言う哲平くんから出される雰囲気は、実に和やかなもの。
無理矢理明るい空気を作り出そうとはせず、ただただ他愛も無い会話でその場を繋ぐ的な感じ。
だから私もつい、それにつられながら笑ってしまったのは致し方ないことでした。
哲平くんは、そんな私を『全部』お見通しだったみたいなので。
尚も哲平くんは会話を続けようとする。
それはあたかも彼とは対照的な雰囲気をずっと出していた私を多少なりとも緩和。且つ、落ち着いた状況で話を聞かせるために仕掛けられた、哲平くんなりの配慮。
「体の調子は思っていたよりも大分いいみたいだね。どう? 新学期までには退院出来るの?」
「え? あ、う~ん……多分……退院は出来ると思う。たた、学校へは少し経ってからになると思う。他の部分は夏休みまでに包帯取れるけど、こっちはちょっと悪化させちゃったからね」
左腕をさすりながら、私は苦笑い調で哲平くんに答える。それを認めた哲平くんは、「そう」と一言呟いたのち、今度は視線を私の左腕へと移した。
「ひび入ってたのが完全に折れたらしいね」
ギプスをはめ、首から吊り下げられている状態をまじまじと見つめてくる哲平くん。その口からもたらされたものは、痛々しいと言わんばかりに歪められた表情を更に誇張させるものでした。
流石の哲平くんでも、自分の目に映る現在の私の姿は、注視せざるを得ないみたいです。
そんな彼に対し、私は慌てて取り繕う。
「あ、でも添え木してもらってたから、逆にこれ以上悪くならないで済んだのかもしれない、って先生に言われたんだよ? だから大丈夫」
跳ね飛ばされた衝撃で、骨が無残にも砕かれていた可能性がある。
当初そう言われた時は、冷や汗だらだらで思わず固まってしまったけどね。でも幸運にもそうはなりませんでした。
私は大したことないと努めて振舞う。もう過ぎ去ったことでもあるから、気にする必要もないです。
だけど哲平くんは、自分の根底にある感情が徐々に湧き上がってきたらしい。
ぽつりと、こちらに聞こえるか聞こえないかぐらいの小さな声を漏らした。
「大丈夫……か。そう言えるのは、先輩が先輩だからこそなのかもしれないね」
「え?」
間抜けな声を出して聞き返した私は、そのまま哲平くんと目があい、息を詰まらせる。
眉尻を下げ、だけど笑顔な哲平くんを見た瞬間、それがどこかで見た覚えのある表情だと思い至ったから。
どこだっけ……何て言わずもがな、です。
「……秋月も、そんな顔をしてた」
微かに震える私の唇。
喉の奥からようやく振り絞って出されたその声に、僅かばかり哲平くんが反応を示すのを認めた。
それに構わず、私はもう一度告げる。
「……秋月もね、最後、そんな顔をしてたの。……笑ってるんだけど……笑ってないような感じ。……見たことなかった」
必ずしも要領を得てるとは言い難く、正直聞き取りずらいはずなのに、途切れ途切れで紡がれた私の言葉を哲平くんは一語一句、聞き漏らさないでいてくれたらしい。そして自分は訊ねられてるんだと受け取った様子。
私が言い終わったあと「ふぅ」と小さく溜息をし、それがどんな意味を含められた笑顔なのか、図らずとも教えてくれた。
「自嘲したんだよ」
「え?」
再び間抜けな声を出しながら聞き返す私。
それは哲平くん自身のこと?
それとも……秋月について?
両方ともとれる発言をした哲平くんに、私は疑問符を投げ掛ける。
そんな私を見た哲平くんは、それこそ自嘲ぎみに自分を叱咤し始めた。
「俺もまだまだだね。どうにかして真山先輩の気を紛らそうと思ってたけど、無理みたいだ。情けない。……ま、分かってたけど」
ツイッと伸ばされた哲平くんの腕が、私の横へと向けられる。
そこにあるのは、先ほど話題に出たお見舞い品の数々。それを指し示しながら、哲平くんは思いがけないことを言ってきた。
「先輩方から贈られたもの。どれ一つも、手を付けてないんでしょう? ……違うね。付けられなかったんだよね?」
あ……。当たり……。
確信に満ちている哲平くんの声が、耳の中へ木霊してくる。
その声音は決して厳しいものではなく、どちらかというと優しいもの。
だけど痛く響いてくるのは何故だろう。
考えるまでもありませんね。哲平くんが言ったのは、紛れもない事実だから。
そう。私はまだ、皆から贈られたお見舞いの品々を『ちゃんと手に取っていない』んです。
「……どうして分かったの?」
事実を突きつけられて驚愕したものの、私はその理由を哲平くんに聞き返してみた。
そうしたら、彼から至極簡単な答えが返ってくる。
「一目瞭然だよ。そんなに積み重なってちゃあ取るのは決して容易くない。にも関わらず、じゃあ何でそこまで積み上げられているのか? ……って考えれば妥当でしょ?」
哲平くんの洞察力には脱帽です。その場にあるものを見ただけで、私の心理状態が分かっちゃうんだから。
山のように積み上げられたお見舞い品。それを見た哲平くんはどうやら、塞ぎこんでいる私の心を適切に読み取ってくれてたらしい。
せっかく皆がわざわざ持ってきてくれたのに、手が付けられない、私の心を。
だから彼はなるべく自然な形で和やかな空気を作り出してくれてたんだと、この時、ようやく私は悟った。
そしてそれが、当の私によってなす術もなく、崩されたことも。
自嘲の笑みを浮かべた哲平くんを見て、秋月を思い出した私。
それは彼にとって、失敗以外何者でもないみたい。
だから哲平くんは自分に叱咤した。
結局の所、私が『これ』を越えないことには何もかも進まない。いくら話を逸らそうとも、私がそれを望まない。
寧ろ、強く切望しているのを彼自身も悟ったみたいなので。
『これ』っていうのは勿論……秋月のことです。
「……誰も、教えてくれないの」
ようやく得られた機会。
私はぽつりと呟いた。
自嘲と称した哲平くんの笑顔を見た私は、あの日、夢うつつ状態の最中でぼんやりと見た秋月の笑顔を思い出す。
今まで見たことがない、あの笑顔を。
その時の光景を思い浮かべながら、私は再び口を開く。
「……あれから秋月がどうしているのか、誰も教えてくれないの。……どうして?」
皆、お見舞いには来てくれる。
けれど誰一人として、秋月の話題を出す人はいなかった。
きっと皆言えなかったんだと、哲平くんを目前にした今ならそう思えます。
だって私がこれを口にした途端、皆固まったから。
それは哲平くんも例外ではありませんでした。
「……最後に言っていた……『ばいばい』って……どういう意味なの?」
秋月と同じ表情を浮かべている哲平くんに、皆にも聞いてみた彼の最後の言葉をもう一度告げる私。
哲平くんなら、私が求める質問に応えてくれそうな気がする。
こんなことを秋月の友人である彼に聞くのは、十分酷だと分かってるけど……。でもお願い。教えて……。
実際、哲平くんには他の皆と違い、思い当たる節があるらしい。
それというのも自分が秋月と同じ表情をしているからなのか、彼の心中を的確に汲み取っている様子が見てとれる。
意を決したのか、哲平くんがゆっくりと口を開こうとした。
だけどそんな彼を遮るかのように、花束を花瓶に移してきた颯太が病室にも関わらず、怒声を張り上げて制止してくる。
「言うな森脇! もうねーちゃんは関係ねーんだ! ねーちゃんも、あの野郎のことなんかどうでもいいだろー!? 忘れろよ!」
険混じりの弟の声が耳をつんざく。
こちらの鼓膜を打ち破ってくるんじゃないかと思う程、その勢いに私は圧倒させられた。
でも哲平くんはそんな颯太を物ともせず、給湯室から戻ってきたばかりの弟に対し、非難の目線を投げ掛ける。




