過去と現在(いま)に決別を⑪
「あはっ! 油断大敵ってこのことでしょー!? 僕だってこのまま終わらないからねー!」
最後の悪あがきとも言います。
秋月に向かって走りながらそう叫ぶ神澤くんを見て、私は彼が秋月に何をしようとしているのかこの時、完全に理解しました。
原付で秋月を轢くつもりなんだよね?
喧嘩じゃあ敵わないから、今までの報復を全部、それで済まそうとしているんでしょ?
そんなこと……させない。
させるもんですか!
その一心で私は躊躇いなく、駆け出した勢いを使って秋月を突き飛ばした。同時に激しい衝撃が自分の身に及んだのを感じる。
視界は上下逆さまに。それがゆっくりと落ちていったかと思ったら、今度は急激に上昇していくような感覚に見舞われる。
あぁ、違う。上下逆さまだから、上に昇ってるんじゃなくて落ちてるんだ……。
そんなことを考えながら、私は自分の視界に秋月の姿が入ってくるのを認めた。
突き飛ばされた拍子からなのか、地面に尻餅をついている。
かなり勢いよく向かって行ったので、さしもの秋月も立ってはいられなかった様子。でも、おかげで彼に被害が及ぶことがなかった。
良かった。間に合ったみたい。
無事……だね秋月。
そう思ったのもつかの間。私の体は秋月とは打って変わり、地面に叩きつけられる。
度重なる衝撃で意識が朦朧としてきたけど、土埃が舞う中、それでも彼の声だけはしっかりと聞こえた気がした。
「先輩っ!」
身が裂けてるんじゃないかと思う程、悲痛な声で私を呼ぶ秋月。
何て声を出してるの。
ばたばたと私に駆け寄り、抱きかかえてきた彼からは尚も同じ声が聞こえる。
「先輩! 先輩!」
重くてうまく開けられない瞼を何とか開かせた私は、まるで全身の血が消え失せてしまったかのように真っ青な顔をしている秋月を見た。
何て顔もしてるの。私は大丈夫。あんたが無事だったから、それだけで安心……。
でも口に出さないと、きっと秋月は不安だよね。
そう思った私は意識が完全に飛ぶ前に、彼に向かって声をかけた。
「あ……きづ……が、無事……良かった……」
その言葉を最後に。
私は重くなってくる瞼に耐えられず、そのまま深い眠りについた。
どのくらい長い間眠っていたんだろう?
まどろむこともなく、ただひたすら眠りについていた私は瞼だけではなく、全身にまで覆い尽くしてきた重みに襲われる。
身動きが取れず、動かしたくても動かせない体。
鉛で手足を拘束されているような感覚じゃあなくて、本当に体に重しを乗せられているような感じ。
苦しい。微妙に息もままならないです。
吐いてはまた空気を吸い込みたいんだけど、それが思うようにいかない。
体のあちこちから生じる痛みも合わさり、一層苦しさが増す。
だけどその苦しさの中、ほっとするような感覚もありました。
指一つも動かせない手に、そっと添えられた温もり。
じんわりと染みてくるようなその温かさに、とても安らぎを覚える。
優しく包み込んでくれるその感覚は、どこかで味わった気もする。
どこだっけ?
すっごく身近にあるものじゃあなかったっけ?
いつでもどこでも、私の近くにいてくれてたんじゃあなかったっけ?
深い眠りの意識に捕らわれていた私だけど、その温もりがとても心地よく、愛しいものだったから、手探りをするかのように求めていった。
温かくて気持ちいいこの感覚は何?
誰が与えてくれるんだろう?
知らないわけがない。
だって、いつも一緒にいてくれてた人と、同じ温もりなんだから……。
ん? ちょっと待って? 一緒にいてくれた人……?
それが常に私のそばにあるものだと気付いたとき、ようやく私は目を覚ました。
ぼんやりと薄暗い天井が見える。
でもそれは普段、私が見ている自分の部屋の天井ではなく、どこなのか分からない天井。
自分がどうしてここにいるんだろうと思ったけど、そういえば原付に引かれて跳ね飛ばされたんだっけ……。と、漠然としながらも考えていた。
「……先輩?」
そんな私に、弱々しい声が聞こえてくる。
ゆっくりと声がした方向へ顔を向けた私は、そこに私の手を握ってこちらの様子を伺う秋月を認めた。
あ、そうか。
ようやく分かった。ここは病院だ。
まだ目覚めたばかりで、意識が混濁していた私。自分がいる場所が分かったあとでも、どうしてここに秋月がいるのかまだ理解が出来なくて、ただただ彼の顔を見つめていた。
でも、私を深い眠りから目覚めさせてくれたあの温もりは、秋月のものだということは理解しました。
ずっと握っててくれたのかな?
頭に包帯を巻き、所々あった傷にも治療された痕がある。
でもそこにある表情は私とは違い、長いこと眠れていなかったような様子が映し出されていた。
かなり長い間、私に付き添ってくれていたらしい秋月。憔悴しきっているのは、目に見えて明らかでした。
だけどそんなのは彼にとって、最早どうでもいいみたいです。
私が目を覚ましたのを確認した秋月は感情が込み上げてきたらしく、涙を流しながら私の手を強く握りしめてくる。
そして声を殺しながら、私に向かって言葉を発した。
「良かった……良かった……気が付いて、本当に……良かった……。このまま先輩の目が覚めなかったらと思うと……俺……生きた心地がしねぇ」
嗚咽交じりにそう告げてくる秋月。私に自分の声が届いてると感じた彼は、更に言葉を紡ぐ。
「ごめん先輩……巻き込んじまって、本当に……ごめん……ごめん……」
秋月、大げさだよ。私は大丈夫。チビで童顔で、高校生に見えないけど。これでも結構頑丈に出来てるんだから。そんなに謝らなくてもいいんだよ?
泣きながら詫びてくる秋月を見て、私はそう言おうとした。
でも、なかなか言葉にすることが出来ません。
まだ朦朧としていたから、伝えたいことが上手く纏められないためです。
そんな私にずっと謝罪し続けた秋月は、しばらくして涙を拭いたあと、静かに私を見てきた。
「……もう、先輩には迷惑かけない。傷つかせないから」
ん? どういうこと?
いまいち彼の言ってることが分からなかった私。
何を言ってるの? 神澤くんとはあれでもう解決したじゃない。最後にあんたを狙ってきたけど、未然に防げたでしょう?
これからは何も起きないよ。
上手く言葉に出来ないけど、でも何とか目線で伝えられるよう試みる。
だけど断念。私がそう思ってても、当の秋月はそんな風に考えていないみたいです。
尚も彼は私に向かって言う。
「……最初っから、先輩のそばにいる資格。俺にはなかったんだよな」
は? 資格って? 本当に何を言い出してるの?
私を見ながら言う秋月は、ちょっと淋しそうな笑顔も向けてきた。
それを察しようとして、にわかに私の胸がざわめく。とても嫌な予感がしてくるのを感じました。こんな秋月、見たことがないです。
何なの? どうしてそんな顔をするの秋月。無事に解決出来たんだから、もう何も気にかけることないんだよ?
うぅっ。また瞼が重くなってきた。こんな時に……。
「先輩……」
体力の限界だったらしい私は、次第にまた夢うつつ状態になる。
そんな私を認めてか、秋月はそっと私の頬に優しく触れてくると静かになぞると同時に、ゆっくりと唇を重ねてきた。
柔らかく、包み込んでくるようなキス。それは私の手を握っててくれたのと変わらない、温かいもの。
しばらくそうしていた秋月につられ、更にまどろんできた私。眠気が増し、もうこれ以上、何も考えることが出来なくなっていった。
そんな私の唇からまるで名残惜しむかのようについばみ、やがて秋月は自分の唇を離す。
そしてそのまま、ゆっくりと私から秋月は遠ざかっていった。
表情は、これも今まで見たことがないような笑顔。その笑顔の秋月が口を開く。
今までで、最も思いがけない言葉を。
「先輩、愛してる………………だから、ばいばい」
秋月からの別れの言葉。
それが夢に落ちる前に私が知っている彼の。
最後の姿と言葉でした。
はい、決別したのは過去(神澤)と現在(流香)。
というのがサブタイトルに込めた意味です。
これまでの過程において、楓は流香のそばにずっといるような形を描いてきましたが、ここにてき最終的な決断を彼はくだしたわけです。
『流香との別れ』を。
神澤を退けたはいいものの、このままじゃあハッピーではありませんねー。
ボロボロの流香ですけど、主人公なので間もなく迎えるラストに向け、もうちょい頑張ってもらいます。
次からの新章をどうぞお楽しみください。




