過去と現在(いま)に決別を⑤
「ほんとだ。お前、チビのくせにかなりあんじゃん」
「っ!? 何してるの! 触らないでよ!」
いきなり何!? ちょっ、ちょっと待って! まさか……。
スマホをしまった彼は、自分の下でもがいている私を見て何を思ったのか、おもむろに手を伸ばしてきた。同時に、私の体感温度がこれまでよりも一気に下がる。どくどくと心臓が激しく鼓動し始めたのは、過ぎ去ったはずの恐怖が再び、私の身に訪れようとしているから。
逃げられなかったのみならず、まさか……『これ』も!? じょ、冗談じゃない!
驚いた私は言葉で噛み付き返し、唯一動かせる足で蹴りも入れてやろうとする。自分が何をされそうになっているのか、瞬時に理解したので。
だけど振り切るために上げられた足は上手く上がらず、膝が彼の背中をかすめる程度でしか衝撃を与えられなかった。
そんな私を嘲笑う声が、頭上から落ちてくる。
「無駄無駄。もう逃がしてやらねーからな」
にやにやとにやついている顔が、本当に厭らしく私の瞳に映った。こちらを見下ろす彼の目は、私を捕まえられた事に安堵しているのか、すっかり好機と言わんばかりの色。未だ私に触れてきており、まるで物色しているかのような目配せもしてきて更に言い放つ。手前勝手な主観論を。
「あいつじゃねーけど、これはこれで燃えそうだな。どうせお前も、とっくに秋月に手ぇ出されてんだろ? だったら嫌がんなよ」
何を言い出してるのこの人……。信じられないとばかりに、自分の目が見開かれたのを感じた。
それもそのはず。だって、明らかに検討違いの事をこの人は言ってるんだもん。今更、私を捕まえた人物が三人のうちの誰かなんてどうでもいい。この状況で言える事はただ一つ。
秋月を、あんたたちなんかと一緒にしないで!
真剣な瞳からまっすぐこちらを見る視線。触れてくる手はいつだって温かく、そして優しい。投げ掛けてくれる言葉は、心の奥底より出され、こちらに染み渡ってくるもの。
いつだって私の事を気遣ってくれて……。
そんな秋月を、あたかも自分たちと同類みたいな言い方しないで! 性懲りもないあんたと彼は、違うんだから!
「嫌がるにきまってんでしょ!? これが犯罪だって事、あんた分かってんの!? それに秋月は絶対、こんな卑劣な事はしない!」
秋月を話に出された私は、憤然と反論した。とても遺憾です。ずっと一緒にいて、側で感じ取っていた秋月の本質が、貶されたように思えたから。努気を含ませた言葉を思い付く限り、相手に叩きつける私。だけどそれは相手に通じず、今の状況がさも楽しそうに尚も言われた。
「嘘つけ。あいつがそれで済ませるもんかよ。喧嘩の時はいつだって容赦しねー奴だったんだからな。女に対しても同じなんだろ?」
違う! そりゃあ過去。中学時代や高校に入った当初はそうだったかもしれないけど、今はもう……違う! 徐々に変わっていった秋月を、私は間近で見てきたんだから! あんたが言ってる事は大きな間違い!
私は少しずつのしかかり始めた相手へと睨みつける。でも、そんな私をさして気にもしていない様子の彼は、そのままこちらに体重をかけてきた。
「いやぁぁあああ!」
想像を絶するほどの悪寒が私を襲う。寒気というよりかはまるで、全身に針が差し込んできているかのような錯覚を引き起こして。その悪寒は恐怖へと移り変わり、私に張り裂けんばかりの絶叫を出させた。
気持ち悪いし、気色も悪い。秋月以外の人に触れられるのが、こんなに嫌なものだなんて!
私は必死に抵抗した。力では当然敵わないけど、万が一、億が一にでも相手に隙が出来れば、また逃げられるチャンスが出来るかもしれない。そう思い、最後まで諦めず、渾身の一撃をお見舞いするぐらいの気迫で抗う。
全てがこの人たちの思い通りになんて、絶対にしたくなかったから。
でも、事態は更に悪い方向へ。
「お? 何だよ~、こんな所にいたのかよ」
「代わりに押さえててやろうか~?」
さっきまでの私の運なんて、本当に大した代物じゃあなかったみたいです。新たに現れた二つの声に、もう絶望の言葉しか私の脳裏にはよぎらなかった。
嘘でしょう? 私に覆い被さってきているこの人がスマホで連絡していた他の二人も、この場に来てしまった。これじゃあ、万が一も億が一も、チャンスなんて生じるわけがありません。一対三。今、私の事を助けてくれる人は誰もいない。
もう……駄目かもしれない……。完全に絶望的な状況の中、じわりと滲み出てきた涙が頬を伝う。これから自分の身に訪れるだろう苦痛から目を背けるため、強く閉じた瞳から流れ出してきた涙。無意識に溢れ出してきた涙だったけど、そこには秋月への想いも込められていた。
ごめん。ごめんね……秋月。私……。
「…………え?」
だけど予想に反し、私に苦痛が訪れる事はなかった。突然体の自由がきくようになり、思わず口から疑問符が出る。同時に、すぐ側から苦悶に呻く声も聞こえ、一瞬、何が起きたのか分からなかった。
一体全体、何が?
恐る恐る目を開けてみると、私の上にいた先ほどの男子はいなく、少し離れた箇所でこめかみに手を当てて転がっている。じわりと滲み出し始めた血が、何か硬い凶器で殴られたのだと私に思わせた。
足や腕を押さえつけてきていた他の二人も同じように、各々腹部や腕を押さえながら、のたうち回る姿が視界の隅に映る。
何? どういう事?
状況が読めていない私は、すぐに動き出す事が出来ずにただ呆然としていた。だって、ここで私を助けてくれる人なんて誰もいないもん。言うなればここは彼らのテリトリーで、どこへ行っても敵だらけの場所なんだから。
にも関わらず、卑劣な行為から私が救われたのは一体……。
もしかして。
私の頭に一瞬、今一番会いたい人の顔がよぎる。出来るのであれば、絶対に来て欲しくはなかった。だけど実際に来てくれたのなら、これほど嬉しい事はないです。
秋月が……来てくれたの?
でも、それは甚だ検討違いでした。私を助けてくれたのは、最も可能性が低く、最もあり得ない。『あの』人物だったから。
「僕、そういうの嫌いなんだよねー」
まさか……っ!?
思いがけない出来事に、私はすっかり言葉を失っている。幻覚でも見ているんじゃないかと何度も瞬きをし、状況を確かめるけど、どうやらこれは現実らしいです。倒された状態から体を起こす。眼前には、無残な姿で床に転がっている三人。その中央には、一人の男の子が立っていた。それを私はつい、ぽかんと間抜けにも口を開け、呆然と見てしまった。
それもそのはず。私を助けた人物がまさかのまさか、この一連の首謀者である、神澤くんだったんだから。
「ど……して……、神澤……」
三人のうちの一人が苦悶の表情を浮かべながら、問いただす言葉を神澤くんへと投げかける。結果として私を体育倉庫外に出す事にはなったものの、それは神澤くんの思惑を阻害するものではないから。よりにもよって自分たちの『遊び』に割って入り、私を助けるだなんて、彼らにとっても予想外だったらしい。どうして自分たちの『遊び』に手が下されたのか、理解が出来ないって言いたげな様子。でも、当の神澤くんはその問いに対し、実に不愉快そうな顔で返した。
「もう一度、言わなきゃいけないのー? 馬鹿な奴嫌いー」
「っ!?」
思わず目を覆う私。視界に飛び込んできた映像があまりにも痛々しくて、見ることが出来なかったからです。
微かに鼻孔をかすめる鉄を含んだ臭い。それが月明かりのみの薄暗い廊下で、鮮血が宙を舞う様子だと分かったのはしばらくたってからの事。思い描きたくなんかないのに、次から次へと鳴り響いてくる鈍い音が、無理矢理私に想像をさせる。
「……~~~~っ! っっ!」
声をあげられない程の激痛なのか、顔面を思いっきり蹴られたらしい一人の、のたうちまわる音だけが私の耳に入ってくる。でもそれだけでは飽き足らず、神澤くんは他の二人にも同様の仕打ちを与えると、最期には蔑みの言葉を吐いた。
「低俗―。脳みそが足りないから、すぐ頭がそっちいっちゃのかなー? こういうのは、愛し合う二人がするものでしょー?」
この場に不釣り合いな声音。無邪気にも問いかけるその声は、本当にそう思っているらしい。「違うの?」と答えを求めているけれど、どうやら既に三人の意識はないらしく、神澤くんは今度、私の方へと声をかけてきた。
「おちびちゃんもそう思うでしょー?」
私は何て返せばいいのか分からなかった。言っている事はまともです。実際に襲われたから言うわけじゃあないけど、根本的に私も神澤くんと同意見。
だけど、私はそう簡単には神澤くんが言った言葉に対し、素直に頷く事が出来なかった。寧ろ、疑心に満ちてさえいます。だって意を決して目を開けた先には、あまりにもむごすぎる光景が広がっていたから。ありとあらゆる箇所を殴られ蹴られ、虫の息に等しい三人。そんな血まみれの三人の合間で、にまっと笑って立ち尽くしている神澤くん。
一度、しっかり周りを見ろと突っ込んでやりたいです。あなたが、それを言えた口じゃあないでしょ。
「……助けてくれたお礼は……言わないからね」
乱れてしまった衣服を正しながら、私は神澤くんの問いに別の形で答えた。どちらも暴力には代わりなく、神澤くんが彼らにしたことへの正当付けにはなりません。逆に、異常さを際立たせている。頭の中の警鐘がひっきりなしに鳴っているのは、彼こそが『危険』だと知らせてくれている証拠。
「別にいらないー。おちびちゃんなんてどうでもいいし、誰かを殴れればいいからー。あ~、すっきりさっぱりー!」
もう夜だけど、まるで清々しい朝が来たと言わんばかりに、爽快そうな伸びをしている神澤くん。
善悪の分別がない。歪んでいるその思考へはきっと、誰もついて行く事が出来ないと思う。私に訪れようとしていたものは、確かに卑劣で最悪。決して許される事ではありません。でもだからって、相手に対して笑いながら意識がなくなるまで殴り、血まみれにしていいという訳でもない。
自分の考えにそぐわず、気にいらないからって……。残酷で残虐。この二つの言葉が、私の脳裏に浮かんだ。最悪な事態を免れた私だけれど、もう一つの『最悪』へはどう対応していけばいいのか、正直な所、分かりません。動こうにも動けず、ただその場にいるだけしか出来ない私。だけど、それじゃあ何も進展しないから思い切って神澤くんに聞いてみる。
「もっと他の手段とか……思いつこうとはしなかったわけ?」
でもこの質問は、甚だ愚問でした。次に私へと訪れたものは衝撃。
「…………っ!? ……っっ!」
自分の身に何が起きたのか、一瞬分からなかった。全身を貫いてきたかのような感覚が私を支配し、思考を停止させる。ただそれは僅かな時間で、次第に帯びてきた痛みに、私はそれだけしか考える事が出来なくなった。
痛い。左腕が物凄く痛い。息が上手く吐き出せない。呼吸が……ままならない。一体私、どう、なったの?
「何言ってるのー? こっちの方が、楽しいからに決まってるでしょー?」
あまりにもの激痛に声を発する事が出来ない私を見下ろしながら、先ほどの問いに、神澤くんはあたかも当然とばかりに答えてきた。
あくまでも相手を殴るのが楽しく、それは自分にとって最高の娯楽。それ以外、何ものでもない。それしか、理由はないとでも言いたげな口調。いびつな形の鉄パイプを無造作にぷらぷらと振り回し、満面な笑みを携えている神澤くん。その様子を見た私はそこでようやく、自分が彼に鉄パイプで思いっきり左側から殴られたのだと察した。
「……~~っつ! あ、っう……」
「あは。もしかして骨にひびでも入ったー? それとも、折れちゃったー? どっちでもいっか。だって両方共、骨折の部類に入るみたいだしー」
そんなトリビアを披露されても私にそれを聞く余裕があるはずもなく、ただただ痛みを堪える事だけしか、彼に反応出来なかった。
信じられない。力の差は誰の目から見ても歴然。にも関わらず、ましてや無抵抗の人間に、ここまでする普通?
哲平くんが言っていた『あいつは本当にヤバい』の意味を文字通り、私は身をもって体験した。既に与えられていた頬の痛みとは比べものにもならない程、激痛が生じている左腕からは熱も帯び始めている。それが血液の流れを加速させ、更なる痛みを私に及ぼす。
そんな中で、私は最早神澤くんにはこちらの意思どころか、言葉すらも通じないのだとはっきりと理解した。完全に狂ってるこの人。こんな痛みを平気で他人に与え、それを是非としてるなんて正気の沙汰じゃあありません。正々堂々、真っ向から決着をつけるなんて、夢、幻。遥か彼方。所詮、絵空事。そんなもの、最初っから無理だったんだ。
神澤くん自らに自分の状態を教えられた私。そんな彼の本質に、愕然とさせられたのは当然の結果でした。こんな人相手に、どうやって対抗すればいいの……。
「さってと、そろそろ来たかなー? メインイベントはこっからだよーおチビちゃん。いい感じに、秋月くんを釣ってねー」
思案にくれる暇も、痛みに慣れる時間も、返す言葉も与えられないまま。神澤くんによって、無造作に襟足を掴まれた私は、無理矢理引きずられていく。負傷した左腕を庇うのがやっとなのに、無慈悲にも連れて行かれた場所は校庭が一望出来る、校舎の正面昇降口だった。そこには、無数に辺りへと散らばるバイクの光と、十数人ぐらいの人影が点在していた。
そして、その間に立つ、よく見知った人物も。
「いらっしゃい、秋月くん。……違ったー。『お帰り』、秋月くん」
眼鏡のレンズをブルーライト対策してあるものに変えてみました。
……まぁだからと言って、更新速度が上がりませんが(´;ω;`)
眼鏡屋で視力を測ってもらったら、今使っているコンタクトがなぜか度が強すぎるらしいです。
どうりで違和感があるな~って思いました。
ていうか、なぜに度が強いの出されてた⁉
謎。
え、これコンタクト買う場所変えた方がいいのかしらん。
とりあえずGW明けにでも眼科行ってこようと思いますー。




