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過去と現在(いま)に決別を②


「せ、先輩……、ご、ごめん……なさい」


いつも見せない。というより、初めて見せる弱々しい声が、彼の口から零れた。かたかたと、怯えからくる全身の震えは、私が怒りの頂点へと達していくのを感じ取ったのかもしれない。まるで、きゅううぅっと子犬が尻尾を丸めるみたいに体をすぼめる秋月。立場が逆転しました。

って、違う! 今はそんな事を言っている場合じゃあないです。

油断大敵。あばたもえくぼなんて言語道断。危うきこと累卵いらんの如し。

皆の前でキスの回数を言っちゃう? そんなの、秋月が最初示した通り、本当に大した事ありませんでした。ていうか、単刀直入になんて聞かなければ良かった! 知らないままの方が、ある意味良かったかもしれない。

いえ、知らないままでいたら逆に、色んな意味で危なかったかもしれませんが。

まさか、本当に知らない内に秋月から手を出されてたなんて……。しかも、寝ている時に、です。

もしかして、もしかしなくとも。今まで彼が泊まっていってた日は……。ぎゃぁぁあああぁぁああぁぁあっ! 

颯太が何で毎回、秋月がうちに泊まった時に憤慨していたのか、ようやく分かってきました。そして、秋月が何で毎回、鼻血を出しているのかも。

そういう……事ですか。ムチャクチャにも限度がある! 結論づけさせていただいても宜しいでしょうか? 今後、秋月をうちに泊めても、絶対一緒には寝ません! 予測不能。回避困難。まさかのまさか。『白雪姫』の時に、秋月は何をしでかすか分からないって言いましたが、本当に何をしでかすか分かったもんじゃあありませんよこの人! 

怒涛のように繰り広げられた私と秋月による質疑応答は、思わぬ結果を私にもたらした。言い訳をしているようでいて、言い訳になってない。寧ろ、自分で自分の行いを暴露した感じの秋月。顔面蒼白になりながらも必死に謝ってきましたが、私の怒りはそれだけでは治まらなかった。ぷるぷると体を怒りで震わせ、思いっきり張り手をくらわしたのは言うまでもなく、です。


「さいって――っ! 人が寝てる隙に、何してんのあんたはぁぁあああ!」

「いっで――――っ!」


高速に繰り出された私の張り手は見事、秋月の頬に命中。軽快な音が辺りに鳴り響き、その威力をまざまざと示してくれた。今日という今日は、何が何でも説教! 自分がやった事に対して、反省して貰わないと! 

私は度々引き起こす秋月のムチャクチャさ加減を、これから必死に予想していくと共に、先日湧き上がった使命感も再び奮い起こした。確かに、秋月が私にもたらしてくれる日々はとても居心地がよく、守りたいものではありますが、こういうのは別です! ていうか、可及的速やかに改善の余地あり! やっていい事と、悪い事の判別ぐらいしなさい!


ただ、予測がつかない彼の行動はこういった事だけではないのを私はまだ知らなかった。この後、本当に誰もが予想もしえない事を、彼は引き起こす。

『私』は、そんな秋月を……止められなかった。それが事実。


私が自分の家に入るまで、あと数歩という玄関手前。閑静な住宅街に、網目のように広がっている道中で憤然と佇む私。そして、目の前にはすっかり沈んでいる秋月が、私と向かい合う形で立っていた。ちゃんと話を聞いてみれば、間違いを犯してしまったのは一度きりで、後はただ思い出し鼻血をしただけとの事。それはそれでどうかと思うけど、とりあえずうちに泊まる度に毎回事に及んでないというのは分かったので、私はとくとくと長時間の間、秋月に説教をしていた。

本当だったら家の中に入って、落ち着いた環境でやれば良かったのかもしれない。この時の私は、秋月の行いに怒り心頭だったけれども、自分が置かれている状況を忘れてなどいませんでした。ただ、内容が内容なだけに、こんな事を家族に聞かれたりでもしたらまずい、という考えだけ。折角うちに馴染んでくれているのだから、秋月の立場を悪くしたくない。後輩でもあるけど、秋月はれっきとした私の彼氏だもん。この事は、私たちの間で話し合うべき事。それが、私なりの彼への配慮でした。

だけど、後にして考えてみれば確実に家の中に入っていた方が良かった。今日という日が始まり、たったこれだけの事で、私と秋月は……。


「ちゃんと分かった?」


腕を組みながら秋月を睨み据える私は、彼に返答を促した。それを力なく頷き、秋月は答えてくれる。


「……うん。ごめん、先輩。もうぜってーしねーから。……だから、その……俺と別れないで?」


ばつの悪さを通り過ぎ、すっかり意気消沈ぎみの秋月は、たどたどしい口調で私に聞き返してきた。それに対し、私も口を再び開く。


「約束だからね? ていうか、何を言ってるの! 私はお説教しただけでしょ? こんな事じゃあ別れないよ」


度が行き過ぎてると言えば行き過ぎてるけど、これまでにあんたがしてきた事を思い返してみれば、ほんの一部と言えば一部ですから。いくら私でも、それだけを理由に別れたりはしないです。寧ろ、とことん直させていただきます。

私がそう告げると、沈んでいた秋月の表情が少しずつ明るさを取り戻していった。秋月からすると、今回の事は致命的だと思っていたのかもしれない。この世の終わりとでも言いたげな雰囲気が、明らかに出ていましたので。まぁ。先ほどの、怯えにも似た秋月の様子から察するに、私はきっと般若のような形相で彼に説教をしていたんだろうなぁ、と思われます。

「本当?」って、こちらの顔を覗いてくる秋月を見ても、あながち外れていないはず。だから私は彼に向かって、小指を立てた拳を突き出した。指きりげんまん。約束……というより、お互いの気持ちを違えない意味を込めて。

秋月は打って変わり、嬉しそうに自分の手も差し出す。私の伝えたい事が言葉を発せずとも、彼に伝わったみたいです。私たちはまだ始まったばかりなんだから、これから少しずつ、共に歩んで行けばいい……って。

今度はちゃんと、声に出して表そうと思った私は、秋月に向かって口を開こうとした。

その時。


「あはっ。目障りー」


聞いた事のある声音が、私と秋月の耳に入ってくる。言葉の最後は間延びする、特徴のある口調と共に。どんな顔をして口ずさんでいるのか決して見てはいないのに、無邪気な笑顔を彷彿させるかのような明るい声が自然と周囲に溶け込んでいくのを感じた。

だけど実際に私たちへと放たれた内容は、それに相反するもの。

急に割って入ってきた声に、私は一瞬、自分の時が止まったような気がした。突如として現れた来訪者に、虚を突かれたのが原因なのかもしれない。

決して忘れてなどいなかった。今もだって、頭の隅には浮かんでいたんだから。ただ、敢えて言うならば。『今』は起きないんじゃないかという、安直な感覚が、私の中に去来していたという事。何事もなく、今日という日を過ごせそうだった私たち。そんな雰囲気の中、私たちはいたので。

でも、だからこその隙だったのかもしれない。瞬きに近い、時間の流れ。私は開こうとしていた口の形そのままに、目の前に立っていた秋月が崩れ落ちる様をゆっくりと見ていた。一コマ一コマがまるで、スクリーンに映し出されたかのような光景。何が起きたのか分からなかった私はそのまま、秋月の背後に立つ人物と目が合う。


「……あ」


間の抜けたを発する私。そんな私に、目が合った人物――神澤くんは、にまっと愛嬌のある笑顔で告げてきた。


「さ、遊ぼー?」


彼の左手には、何か棒のような物が握り締められていた。よくよく見てみれば、それはでこぼこと波打つ鉄パイプ。通常思い描く鉄パイプとはかけ離れ、原型を留めていない形から連想されるのは、それが既に『使用済み』であるという事。金属特有の光沢はなく、うっすらと所々に点在している汚れも、幾度となく使ってきた経緯を更に物語らせていた。

そんな鉄パイプを用いられ、神澤くんから背後より頭と肩を強打されたらしい秋月。辛うじて倒れこむ事はなかったものの、地面に膝をつき、苦痛に顔を歪ませているのが私の目に映った。


「…………っ……!」


それだけじゃあない。殴られた箇所を押さえる彼の手に、じんわりと滲み伝っていく血も、私の視界を捉える。


「あ、……あっ…き…づ、きっ」


声を出そうと思っても、喉がちっとも言う事を聞いてくれない。今すぐにでも秋月の安否を確かめたいのに、まるで金縛りにでもあったかのよう。背中に一粒の氷が滑っているような感覚が私を襲っているせいなのか、体中が強張り、身動き一つ取れず。

そんな私の様子を気にも留めていない神澤くんは、再び明るい口調で言葉を発した。


「ねー、立ってよー秋月くん。これで終わりだなんて、言わせないよー?」


神澤くんが意識しているのは秋月だけなんだ。悪寒が全身を蝕んでいても、私はそれに気付いた。

確かに私と目が合ったはずなのに存在を無視。秋月がどう反応するのかを心待ちにしているような面持ちで、神澤くんは実に楽しそうに笑っている。

でも、秋月の方はと言えば、一向に立ち上がる気配なし。待っているのがすぐに飽きたらしい神澤くんは、すかさず次へと自らを進めた。

どうしてここに神澤くんがいるかなんて、もう、今はそれどころではないです。意識がまだ定まっていない秋月を見ながら、神澤くんは片手を上げると、更に彼に向かって告げる。


「じゃあ鬼ごっこでもしようか? 僕とおちびちゃんを捕まえられたら、秋月くんの勝ちねー?」


いつの間に潜んでいたのかまるで気付かなかった。片手を上げた神澤くんの合図に応じて、数人の人影が私たちを取り囲む。年の頃はほぼ、私と同じぐらいの男子たち。神澤くんの仲間なのか、それとも、秋月に恨みを抱いている人たちが集っているのか。ぱらぱらとわき道や、塀に囲まれた民家の入り口より出てきて、その中の二人に私は両腕を拘束される。


「っな、何するの!? 離して!」


異様な雰囲気に我を取り戻した私は、必死に抵抗した。何とか掴まれてしまっている両腕を振りほどき、未だうずくまっている秋月の元へ。

だけどそれは叶わず。力の差もさることながら、抵抗した拍子に神澤くんより頬を叩かれ、行く道を遮られてしまったから。


「君はただの餌なんだから、ちゃんと言う事聞かないと駄目だよー?」

「……ってめぇ、神澤っっ! 先輩に……何しやがる!」


無邪気な笑顔で私にそう言ってきた神澤くんに対し、ようやく声を発せられるまで痛みが和らいだのか、秋月が呻きつつも吠えた。それを、神澤くんは無慈悲にも返す。


「何って、言ったでしょー? このおちびちゃんは、君と遊ぶための餌だってー。遊んでくれるよね? じゃないと、おちびちゃんがどうなるか、僕知らないからー」


脅迫も脅迫。地面にひれ伏したままの秋月に、自らも屈んで目線を合わせた神澤くんは、冷酷にも告げる。それが逆鱗に触れたのか、秋月は鉄パイプで殴られたのにも関わらず、目の前に鎮座している神澤くんを思いっきり横殴りにした。その拍子に、屈んでいたため、頭から滲み出している彼の血が、顔にも流れ出す。

だけどその顔に映し出されているのは憤怒の表情。目がナイフのように細められ、鋭い眼光が神澤くんへと向けられている。


「あはっ。怒ったー? そうこなくっちゃ! じゃあ今から鬼ごっこ開始ねー」


そんな秋月の視線を受けても恐れるどころか逆に嬉しそうにした神澤くんは、殴られてよろめいた体を立ち上がらせると秋月を見下ろし、挑戦的に言い放った。でも、それには乗らない様子の秋月。鋭い視線そのままに、口角を吊り上げ……笑う。


「黙れ神澤。テメーは今ここで、ぶっ殺してやる」


どうしよう。秋月がまた、あの顔をした。心の奥底から冷えわたるような、冷たい笑顔。

それに気付いた私は再び、掴まれた状態から逃れ、秋月の元へ行こうと必死にもがいた。昔に戻りかけている彼を止めようと、声を張り上げながら。それが逆に、仇となってしまいましたが。


「駄目、秋月! 戻らないで!」

「先輩? ――ぐっ!」


一瞬、私に気を取られた秋月が再び、神澤くんによって殴りつけられた。今度は咄嗟に避けようとしたものの体勢が整っていなかったのか上手く避ける事が出来ず、横に向かって振り下ろされた鉄パイプをもろに胸部へと受けた秋月。口から空気が漏れ出す音を出し、また、地面へと崩れ落ちる。


「遊ぶのはこれからでしょー? はい、今からスタート。じゃーねー!」


秋月に一撃を浴びせた神澤くんは、それが合図とばかりに駆け出して行く。本当に鬼ごっこを楽しむかのような雰囲気で、軽やかに足を弾ませながら。神澤くんが連れてきた人たちも、私を連れて彼に続く。追い討ちをかけるかのように、数人が地面に伏している秋月へ何発か蹴りを入れ、すぐに後を追わせなくしてからだけど。

それを見た私は、引きずられながらも絶叫をあげた。


「いやぁあああ! 秋月! 秋月―!」


嗚咽をあげる秋月の姿が、どんどん遠ざけられていく。私は何とか、その場に踏みとどまろうと、足掻きに足掻いた。だけど、チビである私は体の大きい一人の男子に容易に担がれてしまいなす術がなく、結局、秋月から引き離されてしまった。


「せ、せん……ぱいっ!」


遠目で、秋月がそう私に呼びかけているような気がする。でも、そんな秋月の声も次第に聞こえなくなり。姿も見えなくなった。


秋月があの後、どうなったのか分からない。とめどなく私の目から溢れる涙が神澤くんの勘に触ったらしく、今度は思いっきり顔を殴られ、私は気絶させられてしまったから。

だけど意識が途切れる瞬間まで、私は秋月の名前を心の中で叫び続けた。

秋月……秋月……。どうか。どうか、無事でいて! 

頭にちらついて離れない。引き離される前に見た彼の姿が、瞼の裏側にまで映りこんでいる。神澤くんによる暴行と、何人もの人間に蹴られた光景。そして、秋月の冷たく、壮絶に笑ったあの表情。

ついさっきまではいつも通り、にこにこと嬉しそうな笑顔を浮かべ、私へと手を差し伸べてくれていたのに。神澤くんが私たちの前に現れた途端、一気に殺伐とした雰囲気へと変えられ、今まで想像でしか思い浮かばなかった場面の中へと彼を投じさせてしまった。

こんなはずじゃあなかったのに……。

乱暴に担がれ、揺さぶられ、運ばれながら、私は後悔や自責の念といった様々な感情に苛まれた。その胸中に最も渦巻いているのは、神澤くんに隙を与えてしまった自分に対する叱咤。さっさと家の中に入っていれば良かった。ちゃんと、万が一の事も考え、用心しておけば良かった。

甘かったんだ。私の考えは、とても甘かったんだ。神澤くんの思考と、その行動力を。情け容赦ない要求と仕打ちは、私の推測を遥かに超えていた。

ごめんね、秋月。折角。ずっと……守ってくれてたのに。台無しにしちゃったよ……。


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