迷走の果てに木魂する叫び⑦
「ばかー! ばかー! どうしてこんな無茶するの!? 一言……せめて一言、私に言ってくれたっていいじゃない!!」
「え!? いやっ、だって、その、いてて!」
だってじゃないでしょ! さんざん人に心配かけておいて、当の自分は他人の心配ですか!
哲平くんにより神澤くんからの接触を知らされた秋月は、私の事が心配で、全速力で来てくれたみたい。でも私は今日まで何も知らなかった。哲平くんに会うまで私の身に起きている事を。
そんな私のために秋月が動いてくれてて、その結果、彼自身がとても危険な状況に置かれてしまった事を。
全く! 誰が一番大変な目に遭ってると思ってんの!
秋月の返事を待たずして、更に私は彼へ向かって声を張り上げる。
「どうして何も言ってくれなかったの!? 言ってよ! 私はあんたの先輩だけど、彼女でもあるんだよ!?」
「んな事言っても、せ、先輩を危ない目に遭わせたくねー、って、いてっ!」
どんっ! と、思いっきり秋月の胸を叩いた私は、一旦手を止めて彼を睨む。そんな私に身じろぎしながらも、秋月は必死になって弁解をしてきた。ただそれは、私が納得できない内容である事は言わずもがなです。再び彼の胸を強く叩いた私は、更に捲くし立てつつ秋月に詰め寄る。
「だからって! あんたが私の代わりになる事ないでしょう!? あんたの方が危ない目に遭ってるんじゃない! そんなの駄目!! こんな事されても嬉しくないよ! 心配したんだから――っ!」
最初はぽかぽかと単調だった私の拳。でも強く叩いてから一転、感情の波と共に、私は怒涛の連打を繰り出し始めていた。極めつけに秋月から突拍子もない発言を聞いてしまったから余計、もう自分で自分を止める事が出来ません!
「いてててっ! べ、別に俺は平気だっつーの! 先輩の方が……てかっ、彼女って言ってくれた!? 今!?」
はぁ!? 本当に全くもって、何を言ってんのあんたはぁ! 『彼女』で反応しないで! ていうかこの期に及んで、あんたの頭はそっちの方に行っちゃうの!?
「今話しているのは、それじゃあないでしょう――――――っっ!?」
私の大絶叫が教室中に響き渡る。こっちの気持ちが全く分かっていないと言わんばかりの秋月の発言に対し、久々の突っ込みを全力で入れさせていただきました。演劇部で鍛えた声量が友人である三人、沙希、智花、柚子の耳を塞ぎ。慣れていなかったためか、出遅れた哲平くんの鼓膜に衝撃を与え。矛先である張本人には脳震盪を起こさせているんじゃないかと思う程の破壊力を披露。頭がくらくらしているらしい秋月は少し体がよろめいている。
何なら渾身の一撃もお見舞いしましょうか!?
すっかり自分を抑えられなくなってしまった私は引き続き、追加攻撃の体勢をとった。当然です。だって、今自分が置かれている現状に全く持って秋月は無頓着なんだもん! 危機管理ゼロ。自己防衛意識皆無。果ては脳内にお花が……って! あんたもうちょっとぐらい、自分の事も考えなさいよ!
「本当に……っ!」
だけど、そんないきり立つ私を止めたのは、第三者の介入。哲平くんだった。
「ちょっとストップ! 真山先輩、そのくらいにしてあげて。楓、痛がってる」
状況を見かねたのか哲平くんが私の両肩を掴むと、秋月から無理矢理私を引き離す。まだ耳に残った雑音を払拭させようとしているのか頭を左右に振りつつ、でもしっかりと両手で私を押さえ込む形で。それがきっかけと言えば本当に恥ずかしい事なんだけど、私はここでようやく、ある事に気付いたんです。
「いてて……」
「……え?」
秋月が現れてから直ぐ側に駆け寄ったのであんまりよく見てなかった。でも哲平くんに止められ、改めてまじまじと彼の姿を見た私はようやく、それまでの秋月の身に起きていた一端を垣間見たんです。
学校を休んでいたはものの、一応、ずっと制服を着ていたらしい秋月。そして、その制服からすらっと伸びている腕には、無数の傷と痣。見れば分かったはずなのに、端正に整えられた秋月の顔には少し腫れている箇所。口の端を切っているのか、血で滲んだ痕も僅かばかりだけどもあった。
「あ……」
目が見開かれたのは自分でも分かった。視界が大きく広がり、秋月の体の端々にあるものがよく見える。普通の生活を送っていたのだったら、決して出来るわけない傷跡が今、私の眼前に。途端、一気に全身の血が消えうせたような錯覚を私は覚えた。
「その傷、もしかし……て?」
「んぁ? あぁ、大したことねーよ、こんぐらい」
先ほどの大絶叫とは裏腹に、自分でも出しているのか出していないかの声が私の口から零れ出た。それを気にした様子もない秋月がしれっと答える。中学までは日常茶飯事だったらしいから、彼的には問題なかったみたい。でも、私的には大問題です。
「殴られた……の?」
誰が見てもきっと一目瞭然。殺伐とした、争いの痕跡。赤と青によるコントラスト。それが秋月の身に所々刻まれていて、倒れそうになった。
「喧嘩……した……の?」
言葉に出す事さえ私にとっては避けたい事実。がくがくと震えだす体が思い起こすのは、無邪気に笑いながら殴りかかろうとする神澤くんに対峙した秋月。
もしかして、もしかしなくとも、既に遅かったの? 危険な状況に陥っている秋月を助けるどころか、完全に私は出遅れてしまった? もうとっくに、彼は昔の環境へと引き込まれちゃっているの? いつでも側にいてくれ、何かしらあれば彼は私を助けてくれていたのにも関わらず、自分を変えたいと言っていた秋月に対し何も出来ないまま、私は心を砕く事ぐらいしか結局、してあげられなかったの? そんな……っ!
「ち、ちげーかんな!」
愕然としている私を見て、何やら慌てた様子の秋月が声を張り上げた。私が思い巡らせている事を、表情から読み取ったらしい。悲愴にも似た顔を私はしていたのか、弁解と共に、安心させようとする秋月の言葉が続いて耳に入ってきた。
「俺、喧嘩なんてしてねーよ!? 向かってきた奴らを、適当に避けただけだかんな! そりゃあちょっとだけ、当てられちまったけど……。でも大抵は転ばした隙に、逃げただけ! 殴り合ってないから! ホントだから!」
「つまり詰めが甘かったんだね楓。当てられるなんてみっともない。肝心の真山先輩の前で取り繕えないなんて、ださいよ」
「るせーっ! 二言多いぞ哲平!」
懸命に話している秋月に、突っ込みを入れた哲平くん。果ては、呆れたように嘆息しながら秋月を見ている。まるで不甲斐ないと言いたげな表情です。そんな哲平くんに対し、秋月は負けじと両腕で拳を作り、睨みを利かせ、彼に向かって言い返し始めた。
「大体なぁ、相手してやっただけ有難く思えっつーのアイツら! この俺が! 先輩との貴重な時間を割いてやったんだかんな! てかテメー、いつまで俺の流香先輩に触ってんだ! おらぁ、離れろっ!」
最後にはびしぃっと、人差し指をこちらへ向けてきた秋月。哲平くんが未だに私の肩へ両手を添えているのが気にくわなかったみたいで、眉間に皺を寄せながら憤慨までし始めました。突っ込まれたのを、突っ込み返しするという余裕ぶり。体中にある傷を本当にものともしていない感じの秋月に、私は唖然とさせられた。激怒している彼に合わせて「はいはい」と答える哲平くんの様子からしてみても、この二人にとって傷だらけの秋月は『まだ』深刻な事態には陥っていない。許容範囲内であるという事を少なからず、私は感じ取った。
ていうか哲平くん、あなたも秋月の事、心配してたんじゃあなかったっけ? その反応でいいの? 突っ込みを入れる所が違うと思うんですけど。お、温度差が……。私たちと、秋月たちの間にある温度差が著しいような気がします。
「何か、取り立てて心配してやる必要もないってやつ?」
ずっと傍観していた智花が冷や汗を垂らしながら言葉を発した。それに続くかのように、同じく傍観していた柚子もぽかんとした顔で口を開く。
「だね~。慣れてるみたいだしね~。それはそれでどうかと思うけど、今の所、大丈夫みたいな感じ~? 流香、とりあえず良かったね~?」
友人二人の発言を聞き、どっと全身の力が私から抜け落ちたような気がする。数日に及ぶ不安と、短時間の間に膨れ上がった感情が、音を立てずして体から離脱していく感覚がそれに近いかも。一言で言えば拍子抜け。私の口から魂が出ていきそうになっているのも……うん、きっと気のせいだと思いたいです。
こんな事ってありですか? ずっと深刻だった雰囲気が一転。当の中心人物である秋月によって見事、一気に払拭させられてしまいました。
「せんぱ~い! そんなに俺の事心配してくれてたんだ!? やべ、すっげー嬉しい!」
「きゃあああ! ちょっ、ちょっと秋月!」
ひとしきり哲平くんへと文句を言い終えたらしい秋月が、私に飛びついてきた。私の側にいた哲平くんを邪魔だと言わんばかりに思いっきり突き飛ばし、いつものようにすりすりと私に絡みつく。って! いきなり何してくるのあんたは!? 本当に、何事もなかったようにしがみついてこないでよ!
「は、離れてー! 今はこんな事してる場合じゃあ……き、傷に障るでしょ!」
突然訪れた場面方向転換とも言えるほどの急激な展開。慌てふためいた私は、必死になって秋月から逃れようともがいた。本人は大した事ないって言ってても、端から見て結構多い傷。秋月に無事に会えたから、一先ず、神澤くんの件はおいとく事にして……。さっき、私も思いっきり叩いちゃってたのもあるし、今は何よりも! 早く手当てした方がいいはずなのに!
にも関わらず、秋月は更にべたべたと私に纏わりついてくる。おまけに何故か、拒否までされてしまいました。
「無理無理。やなこった。四日も会えなかったんだぜ? 先輩不足だっつーの! 今日はもう離れねーかんな!」
え、何それ。私不足って何ですか!? 無頓着も甚だしいです。違うでしょ! まずは先に傷を……って、ひゃあ~~。頬ずりまでしてこないで! 皆がいるのに!
そんな秋月に、私とは別の方向から声が被さってきた。
「違う違う。そういう事を真山先輩は言ってるんじゃないんだよ楓。お前ボロボロだから先輩が汚れるでしょ? だから離れてあげないと」
「それも違う――――っ!」
先ほど秋月に突き飛ばされて尻餅をついてしまったらしい哲平くんが、ひょいと立ち上がるのと同時に再び彼へと突っ込みをいれた。でもその突っ込み内容が、またしても私が思っている事とは全く違う方向。なので、思わず突っ込みに突っ込みを入れたのは当然の結果です。
全く何なんですかこの二人は。どうして傷の手当てがまっ先に頭へよぎらないの!?
私は二人に向かって、しこたま抗議する。でも、そんな私の言い分は通用しなかった。秋月と哲平くんにとって、どうやら傷は放置するものらしい。例え手当てしたとしても、すぐに次の傷が出来るから意味がないとか何とか。
消毒って何? それ食えんの? みたいな顔を二人からされた日にはもう、うな垂れるしかありません。彼らの、中学時代の様子が伺えます。根本的に、私たちと感覚が違うんだ……。
まぁそれは今までの事を考えると、容易に納得出来てしまうのが悲しい所ですが。
この瞬間、私は自分の役割を明確に見出した。確かに秋月は大丈夫そう。でもそれは、必ずしも穏便に済んでいるとは言い難く、未だ危険と隣り合わせ。だから歯止めをかける意味でも、一般常識的な事は私が率先して促していかなくちゃ! 目下! 手当てとか手当てとか手当てとか! じゃないとこの先、彼ら特有のムチャクチャさが続きそうな気がするのは否めません。
普通の生活を秋月に送ってもらうためにも、彼女というより先輩として。
いえ、人として諸々のことを導いてあげなきゃいけないです。私は、それまでの不安な気持ちから一転し、ある意味、使命感にも似た感情を身に宿し始めていた。
ただそれは無謀にも等しく、秋月の反応からしてみても、容易でない事はご覧の通りですが。
「こ、これからはちゃんと私に言ってね秋月。無理は本当に駄目だから! 我慢できても、ちゃんと処置はしなきゃ。ほら、早く保健室に行こ? 先生、まだいるかな?」
私は早速、自分の役目を実行させようと秋月の腕を傷が差し支えない程度に掴み、引っ張った。でも、当の本人からの返答は完全に違う方向によるもの。
「え、保健室ってもしかして先輩……いいの!? お、俺、心の準備が! …………センコーがいても、ぜってー追い出してやる!」
はい? 私の目が点になったのは、言うまでもありません。どうしてあんた、顔を真っ赤にさせながらこっちを見ているの? それにやけに、嬉しそうな表情もしてるし。微妙に、体もそわそわしてる。かと思えば、両拳を胸の位置で固め、何やら意気込む動作までし出す始末。
私は秋月の言っている事と、行動の意味がよく分からなかった。何よりも、手当てしてもらうのに先生がいても追い出すって……何で? 誰か解説をお願い致します。
「うん、流石にそれは俺も違うと思うよ楓。そっちの無理でも我慢でもないから」
「バッカじゃないのあんた。お生憎、私もついて行くからね。……全く、男って奴はどうーしてすぐに……」
仕方がない奴だなぁ、っと言わんばかりの表情をした哲平くんが秋月に向かってにこやかに嗜める。同時に、目を据わらせながら沙希も横槍を入れてきた。何だか最後はぶつぶつと独り言を言っているみたいだけど、その視線はとてつもなく冷たいです。それに相反して、智花と柚子が笑いを噛み殺している。
「ぶふっ! け、健在で何より……っ!」
「うぐぐっ! やっぱりそうこなくっちゃ……っ!」
しきりに口元と、お腹を押さえている様子が見て取れた。まるで、「あんたたちにはそんな感じがお似合い」とでも言いたげな友人二人に、私の頭の中は更に疑問符で埋め尽くされる。
?? どうして保健室に行こうって私が言っただけで、いつも通りの空気になっているんだろう。
この時の私には皆が思いついている事に対し、何も考えが及ばなかった。だけど、発している雰囲気から察すれば、答えはおのずと見出せる。それらは全て、秋月がもたらしているという事を。
ほんの少し前までは決してこんな空気じゃあありませんでした。私たちのいつもの時間が動き出したのは、秋月が姿を現した時から。
あぁ、やっぱりそうだ。この雰囲気が今一番、居心地がいい。数日間、秋月に会えなかったから一層、私はそう感じていた。そして顕著にも。今の私の日々にとって、秋月はなくてはならない存在。かけがえのないもの。たまに……いえ、よくムチャクチャな行動をするけれども、ある意味そんな彼だからこそ、私の日々は彩られていく。
守らなくちゃ。この大切な『普通』の日々を。
そのためにも、私が出来る精一杯の事をやっていかなくちゃいけない。秋月たちが行っているのとは別の道で、別の方法で。
今、私たちの周りに起きている状況を、打開しなくては。
「よし! 傷の手当が終わったら、これからの事話そうね」
「え、将来の事? せ、先輩もその気になってくれたの!? マジで!? やべー! もう準備した方がいいよな!? あ、でも、先輩はもうオッケーだけど、俺、後三年かかる! くっそ~~、ここにきて年の差かよ!」
「……えっと、何の話?」
どうしよう。早速、躓いてしまった感が否めません。保健室へと向かおうとしている私たちの足取りが急に止まる。大興奮の後に大悶絶。何やら一人で違う世界に行ってしまったらしい秋月に、私は冷や汗がだらだら垂れました。こんな彼の、反れた思考と行動の修正を施すのは私の役目だと先ほど認識しましたが、いささか不安にもなってきました。大丈夫かな私、……って。
でもそれは瑣末な事で、単なる私の思い上がりだったんです。
本当に最後の最後で別の道を見出したのは、他ならぬ秋月だったんだから。
『その時』はこの後、すぐに訪れた。
「いやぁあああ! 秋月! 秋月―!」
夏休みの開始と共に、私と秋月を分け隔てたもの。それは照りつける真夏の日差しが、西へと傾く夕刻と共にやって来た。
「せ、せん……ぱいっ!」
長く作り出された二つの影が、閑静な住宅街の歩道に映し出される。
倒れこむ秋月と、彼から引き離された私。その合間を縫うように、私の張り裂けんばかりの絶叫が辺りに鳴り響く。
無邪気な笑顔に翻弄された私たちの行く末は、この瞬間。
もう、決まっていたのかもしれない。
はい、今回でこの章は終了です。
次はいよいよこの小説の山場に入りますので、どうかお付き合いいただけたら幸いです。




