迷走の果てに木魂する叫び⑤
私の方?
哲平くんの言葉を聞き意表を突かれた私は、つい、間抜けな声を出してしまった。それもそのはず。だって、思いもよらない内容が哲平くんの口から発せられたんだもん。
「は?」
「何で?」
「どういうこと~?」
友人三人も私と同様、目が点となっている。秋月が休んでいる理由がどうして私になるのか? 皆それぞれ、皆目検討もつかないといった表情で哲平くんを見ています。
でも、次に彼が口にした言葉で私はあることに気付いた。それは今日、中々哲平くんを捕まえられなかったのにも関わらず、秋月からメッセージがきたことにより、あっさりと彼が私たちの前に現れた経緯。それらは全て、『あの人』が関係しているということを。
哲平くんは、私の所へ来ざるを得なかったんです。
「真山先輩はもう、知っているよね? とういうより、会ってるよね? …………神澤だよ」
「!?」
一度呼吸し、間を開けて告げられた名前。微かに私の肩が上下したのを哲平くんは見逃さなかったみたい。「もう分かった?」みたいな目配せを私にしてくる彼は、すかさずそのあと、はっきりと言ってくれた。
「神澤が、真山先輩を狙ってるんだよ」
え……。
一気に私の脳裏には初めて『彼』と出会った時の光景が甦ってきた。
無邪気な笑顔で私に声をかけてきた『彼』。
そしてそのまま、有無を言わさず拳を振り上げてきた『彼』。
哲平くんによると、中学時代は秋月と肩を並べる程の問題児だったらしい神澤くん。私はそれを身をもってつい最近、体験したばかりです。
彼――神澤くんが今、私を狙っているという事実に衝撃を覚える。
いや、違う。当初から神澤くんの目的は『私』だったんだから、よくよく考えてみれば当然の成り行きなんです。あの神澤くんを考えると……やりかねない。
私は自分が置かれている状況に、一粒の氷が落ちてきたような感覚で包まれた。
「え? 誰そいつ」
私の隣にいた沙希が哲平くんに聞き返す。智花と柚子も、当然のことながら哲平くんの顔を伺った。
それもそのはずです。私はまだ皆に神澤くんについて話をしていないんだから。彼と出会った後すぐに秋月が学校を休み始めたから、話題はそればっかりで……。
「あ!」
突如として声を上げた私に皆が一斉に振り返ってきた。それには構わず、私はただただ急に思い浮かんだ考えに、顔面を蒼白させる。
「も、もしかして……」
口元に手をあて、もしそうなら、っと思うと、中々言葉を出せずにいた。それを察してくれたのか、代わりに哲平くんが答えてくれる。
「そう。楓が今、あいつを止めているんだよ真山先輩。本当だったら先輩に知らせることなく、俺と楓は終わらせるつもりだったんだけど……そうも言ってられなくなった」
何のことだか分からずにいる智花と柚子の腕を振りほどき、哲平くんは私の目の前まで近寄って来ると少し身を屈め、自らのスマホを取り出して私に見せてきた。
「これがね、元西楠中の奴らと、昔、楓にぼこぼこにされた奴らにばらまかれている」
哲平くんが見せてくれたスマホの画面には私がいた。どこで撮られたのか分からない、自宅前にいる私の画像。そして、スクロールしていく哲平くんの指につられたかのようにその写メが使われている理由も、私の目の中に飛び込んできた。
ぞっとする。ガクガクと体が震え出したのを私はもう、止めることが出来ないでいた。
『ゲーム開始。このチビを先に殺った奴はもれなく景品を進呈。秋月くんに恨みがある奴どんとこーい! 楽しいものが見れるから、皆で参加してね』
明るい調子で書かれている文章。だけど中身はとんでもない。普通では考えられない殺伐とした内容が、私の視界に入った。
「これ……が、ばらまかれて……いる……の?」
震える体に呼応して声が上手くだせない。それでも必死に、私は哲平くんに聞いた。
「色んな……人に……?」
「そうだよ。真山先輩には知らせない方がいいって楓は言ってたけど、神澤が直接、先輩にコンタクトを取り始めたから、もうそうは言ってられない。真山先輩にも知っておいて貰わないと、無闇に動かれちゃあ困るからね」
え、いつ神澤くんが私と接触を……? そう疑問に思った私はふと、今日、秋月から送られてきたメッセージを思い起こす。よく思い出してみれば、彼らしからぬ口調の文面。そして、今まで私が彼へと送った内容とはかけ離れた返答。
まさか!
更に私の背筋が凍りつく。
「あいつ……スマホをどっかに落としたって言ってたんだけど、どうやら神澤が拾ってたみたいだね」
私が秋月だと思っていたメールの相手は――神澤くんだったの!?
そう考えれば何もかも辻褄が合ってくる。秋月は返事をしてこなかったんじゃなく、返せなかったんです。それは今、哲平くんが教えてくれたようにスマホを落としていたから。
不運にも神澤くんに拾われ、だけど逆にそれが私へ自分が置かれている状況を知らせてくれる結果にはなったけれど。
私からのショートメールに事態を把握した哲平くんは直ぐに感づいて、私の所へ来た。これはもう哲平くん的に黙ってはいられない状況になってしまったんです。
「ちょっ! な、何なのこれ! どうして流香がこんな……指名手配みたいな感じで晒されているわけ!?」
私があまりにも動揺したため、不振に思った沙希が哲平くんのスマホをむしり取って見る。そして、張り裂けんばかりの声を上げた。すかさず智花と柚子も、沙希の手に納まっているスマホへ我先にと覗き込み、同様の悲鳴を上げた。
「はぁ!? これ、何かの冗談だよね!?」
「うそ、やだぁ~! ねぇ森脇くん、どうして流香が!?」
スマホを沙希たちに奪われた哲平くんは、開いてしまった手を私の方へと伸ばす。ガタガタッと、体のバランスを崩して周囲にある机に、私が寄りかかっていたから。それには沙希たちも気付き、慌てて口をつぐんだ。哲平くんが少しだけ、三人を睨んでいたのもあったけど。
「そんなに騒がないで貰える? 先輩たち。当事者は真山先輩なんだから、落ち着いて」
近場にある椅子を引き、私を座らせてくれた哲平くんは沙希たちをたしなめると、「全部話してもいい?」と私に聞いてくる。私はそれをただ、頷くことだけしか反応が出来なかった。ぐるぐると頭の中に巡っている、初めて知った衝撃の事実。現在進行形で、私の身に起きていること。一から、事の顛末を沙希たちに話している哲平くんの声を聞きながら、私は何とか思考を定めようとした。だって、直ぐにでも考えなきゃいけないことがある。私が今、無事にいるって事は、秋月は……秋月は……。どこにいるの!?
「――神澤っていうのは……」
呆然自失している私の耳に、淡々と説明している哲平くんの声が聞こえる。まるで、それだけしか聞こえてこない世界みたいに。
「――で、そいつがとうとう真山先輩と楓を見つちゃって、行動を起こしている」
「意味分かんないっ!」
「相当『きてる』奴だね」
「遊び半分ででしょ~? やだ……」
時々、沙希たちの声も聞こえてきた気がしたけれど、あまりよく聞き取れなかった。私の脳裏にあるのはまだ一点のみ。先程、彼から見せられた画像。私を狙っているという神澤くんの手口が、哲平くんの声と共に頭の中で繰り返し流されている。
“どっか行っちゃえ”
初めて会った時、彼は私にそう言ってきた。いつかまた神澤くんと向き合う機会が訪れると思っていたけれど、まさかこんな直ぐに、こんな形で、事態が動いているとは思ってもみなかったから。とっくにことが起きているのを、私だけ知らなかったんです……。
どうして私は知らなかったのか? 考えなきゃ。まず、第一に考えることは……。
突如として訪れた戦慄にまだ私の頭はうまく働かない。ついさっきまでは思いついていたはずなのに、再び甦ってきた恐怖が私を蝕み、思考を鈍らす。
考えなきゃ。考えなきゃ。私が今ここで、沙希たちといるのは? いられるのは? 『誰が』、そうさせてくれているの……? たった一人でしょ。
「――そういう訳で、あいつは今スマホ持っていないから、俺が持っているもう一つのやつを貸して、連絡を取り合っているだよね」
「高校生のくせに二個持ち……っ。でもまぁ、これでよぉ~く分かった。あんたたち! 自分らの昔の仲間だか何だか知らないけど、流香を変なことに巻き込まないでよ!」
沙希の怒号が聞こえる。一通り説明を終えた哲平くんの胸倉を掴みながら、更にまくし立てている様子がぼんやりと私の目に映った。怒りが頂点に達しているらしい沙希を、慌てて智花と柚子が止めている。それを遮るかのように哲平くんは手で二人を制すると、沙希の怒りを真っ向から引き受ける態度を見せた。
「分かっているよ。でもこれは、小林先輩が首を突っ込むことじゃないよ。真山先輩自身が、それを受け止めてくれているんだからね。そこは間違えないで」
冷静なまでに告げられる哲平くんの言葉。それは以前、私が彼に告げた事を代弁しているものであり、また、つい先日、私が自分で決めたことです。秋月のそばにいたいと思う、私の決意。
ちらりと、哲平くんの視線が私を捉えているのに気付く。瞬間、私の脳裏には、一気に秋月の姿が思い浮かべられた。
そうだよ。私は決めてたんです。例えこの先何が起ころうと、立ち向かって行くんだって。これからも秋月と、一緒にいるために……。
段々と止まっていた思考が動き出していくのを感じた。私のあの画像はまだ頭に浮かんでくるけれど、それよりも思い起こすべき人物の顔を私は浮かべなきゃ。
「それで納得出来るわけないしょうがぁ! 私は流香が――」
「どこにいるの!?」
叫ぶ沙希の声に被さるかのように、私は椅子から立ち上がり、哲平くんに向かって口を開いた。
「秋月は今、どこにいるの哲平くん!」
呆然と椅子に座っていたなんて……しっかりして私! まさか私の身に、こんな事態が訪れるなんて予想はしていなかったけど、でも、神澤くんに出会ってからこうなることはある意味分かっていたじゃない!
私は智花と柚子の間をくぐり、沙希から哲平くんを引き剥がすような形で彼に迫った。
「る、流香?」
沙希から驚きに満ちた声をかけられる。でも私は、申し訳ないけれど反応する余裕がないです。一刻も早く哲平くんから秋月が『今』何をしているのか聞く必要があったので。私がこうして無事にいられるのは、先ほど哲平くんが言っていた通り、秋月が神澤くんを止めてくれているということ。じゃあどうやって、止めているのか? 私が置かれている状況を考えてみれば、少なからず、話し合いで解決しようとしている……なんて、生易しいものではありません。
「秋月は何をしているの!?」
再び問いただす私の様子を見た哲平くんは、私が何を考えてそう聞いているのか察してくれたみたい。というより、自分が私たちの前に現れた時点で話そうと決めていたのか。待っていたらしい展開に躊躇することなく、答えてくれた。
「楓は今、あちこち走り回ってるよ。真山先輩の画像を送りつけられた奴らの所を転々とね。先輩の代わりに……あいつらの『相手』をしている」
やっぱり!
哲平くんが言うには、秋月は私が写っている画像を受け取ったとおぼしき人たちを片っ端からあたっているらしい。元々同じ中学だったから、その人たちを探すのは造作もないことだったみたい。一人捕まえては次に心当たりのある人物を聞き出し、そちらへ赴く。そしてまた次の人物を聞き出し、神澤くんが作り出した凶行が私へと及ぶ前に、未然に防ぐ。
……というのが当初、秋月と哲平くんの予定とのことだった。
だけど、思い通りにいかなかったのが現実。その人たちは皆、よくない意味で過去に秋月と関わったことがある人たち。四日間、秋月が学校を休んでいた理由は先ほど哲平くんが言っていた通り、あちこちへ走り回っていたから。同時にそれは、秋月に対して恨みを持つ人たちが再び彼へ注目する結果へと繋がってしまったんです。
「ややこしいことになったな~って思ったんだけど、楓がさ、言ったんだよね」
やれやれと言いたげな表情はまるで、もうすでに諦めているかのような素振り。秋月が言ったことを思い出しているのか、明後日の方向へ視線を向けながら哲平くんは更に言葉を紡ぐ。その内容は私にとって、とても胸が締め付けられるものだった。
「『このまま、俺が的になってりゃあいいんだ。そしたら、流香先輩んとこにアイツらは行かねー』って」
先ほど哲平くんが言った『先輩の代わりに……あいつらの相手をしている』という言葉は文字通り、秋月は今、私の身代わりになってくれているという意味だった。標的とされている私の代わりに、自分がその人たちの前に躍り出て、『目標』を変えるという……。
その事実がまざまざと私に突きつけられる。
嘘でしょ? どうしてそういうことになっちゃの?
薄々、秋月が何をしてくれているのか分かっていた。少しずつ哲平くんの話を聞いていて漠然とだけどでも、頭の中では確実に。
だけどまさか、私の身代わりになっているなんて思いもしませんでしたが。
「それじゃあ駄目でしょ!?」
全てを聞き終えた私は、すかさず、声を荒げた。
「駄目だよ!」
それじゃあ秋月にとって、『昔に逆戻り』じゃない!
まだまだややこしくなりますよ~。




