再開の足跡は闇夜を駆けて⑥
神澤くんは勿論のこと。秋月は私の身だけじゃなく、私の『全て』を守ってくれた。
きょとんとし始めた秋月。まだ私の言葉をよく掴めていないのか、少し困惑した表情も見せる。
でもそのおかげで、すっかり彼の表情はいつもの状態に戻りつつあった。
「ん? 何かよく分かんねーけど、先輩は俺のもんだかんな。守んのは当然だろっ」
片眉を少し上がらせ、秋月は頭に疑問符が浮かばせているような顔をする。物凄く当たり前なことみたいに彼は私へ返してきたけれど、それは簡単には思えないし、言えることじゃない。
ましてや哲平くんが危惧していた神澤くんとの再会のあとだし……。
友人である哲平くんが言っていた通り、秋月は神澤くんとの接触で文字通り『戻りそう』になった。でも完全にそうならなかったのは、ひとえに彼自身がそれを自分で留めたからです。私への気遣いと共に。
秋月の変化。それははたから見れば些細なことかもしれないけど、とても大切なこと。
私は未だきょとんとしている秋月を見ながら、思い返していた。同時に、彼に対し思いも馳せる。
前の時にはそれ、なかったんだよ秋月。怒りが込み上げてきたらあんたはずっと、そのままだったんだから。まるで、遠くへ行っちゃったみたいに……。
思い返されるのはあの日の帰り道。哲平くんが仕掛けた策によって秋月がいつもの秋月じゃなく、私の知らない秋月になってしまったあの日。それはすぐそばにいるのに、遠くに行ってしまったような感覚を私に与えた。ひたすら眼光鋭く、前だけしか見なかった秋月に私の胸はざわついた。凄く不安に感じた。一緒にいるのに、一緒にいない。
でも今は。
「それより帰ろ? 流香先輩疲れてっし。……半分は俺のせいだけど。……ちげー……。ほとんどか?」
ちょっとばつが悪そうに、最後は少し声のトーンを下げた秋月が自問自答している。
そんな秋月に、すっかり心の緊張が解けていった私は彼に向かって答えた。
「私は大丈夫だよ。でも、つ、次はもっと場所を選んでね? 帰ろっか」
絶対、させない。
私は秋月の制服を更に強く掴んだ。そして彼に笑顔をむけながら決意する。
させないから。
胸に宿ってきたのは熱い気持ち。神澤くんから受けた恐怖をまるで消し去るかのように、秋月がくれた暖かい気持ちが私の中でその恐怖を変化させていった。
それはこれからを戦う意思。もう神澤くんは怖くない。私の身と心。全てを守ってくれた秋月は、哲平くんが言うように『変わって』いってるんだから。昔の彼とは違う、明らかな変化。
“俺はもう楓には戻って欲しくない。今のままでこれからもいて欲しい。変わってくれて嬉しいから。でも万が一もあるからさ……。お願い、これからも楓のそばにいてやってくれないかな?”
秋月が元に戻らないように。
変わっていった秋月のままでいられるように。
哲平くんにそう求められた私は、神澤くんと真っ向から立ち向かおうと思った。
絶対、秋月を昔の彼へと戻させたりしない。守られているばかりじゃ駄目です。きっとまた神澤くんは私たちの元へ来る。私も秋月と一緒に頑張らないと。
「え? 場所選んだら、もっとしていいの?」
「ち、違う―――――――っっ!」
私の返した言葉に、何故かキラキラと目を輝かせた秋月が私を見つめてきた。慌てた私だけど、そんな彼とはこれからも一緒にいたいから。
非常階段内にいた私たちは、そのまま階下に向かって進む。そして、裏口から映画館を抜け出すことにした。
ちょっと騒ぎを起こしちゃったから館内へと戻るのはとても気が引けたし、秋月が下手に神澤くんとは違う道を行くより、同じ道を辿った方が鉢合わせなくて済む、と言ったから。
実際にその通りで、もしかしたら感付かれて待ち伏せされてるかも、と思ったけど、つい先ほどあった事態を感じさせないぐらい何事もなく、普通に動くことが出来た。
逃げた時といい、何気に秋月は神澤くんの行動パターンを把握しているなぁ……。
ちょっとそう思いながら、とりあえず何の障害もなく帰路に着くことが出来そうな私たちは、そのまま歩みを進める。
でも、あの後映画館がどうなったのかは……凄く気になる。ふ、深く考えない方がいいのかな?
私は秋月の隣を歩きながら冷や汗が止めどなく流れてくるのを感じた。
だってもしかしたら……うん。やっぱり考えるのは辞めておこう。もう今日はこれ以上、何も起こらないで欲しいのが正直な所です。一先ず! 一旦落ち着いて、これからのことをよく考えなきゃ。
そんなことを頭の中で展開していた私をよそに、秋月がおもむろに違う話題を振ってきた。
「っち。神澤のくそ野郎のせいで折角のデートが台無しじゃねーか。せんぱ~い、次どこいくー? 海は? 海!」
軽く舌打ちをし、ぶつくさと呟いている秋月。そしてどういう切り返しの仕方なのか、いきなり道端にも関らず私に抱きついて……きた!? って! 舌打ちのあとに、抱き着いてくるってどういうこと!? さっき私が言った台詞は、無かったことになってるんですか!? ていうか、今その話題になるの!? 違うでしょ!
完全にいつも通りの状態になった秋月は、私を上から覆い被さるように抱き着いてくるとすかさず次のデートの予定を聞いてきた。というより、聞いてきたのは何だかんだで保留になっていた夏休みの予定。神澤くんはもういいんですか! って、突っ込みたかったけど、当の私もそれ所じゃあなくなってきました。
「ちょ、ちょっと~。だからそういうことは場所を選んでって言ったでしょ! ていうか重い~~」
全体重をかけてこないで~~。
映画館があった賑わう場所から離れ、住宅街に差し掛かっている私たち。そんな道端で私は危うく、秋月に潰されそうになった。それに慌てた秋月はすぐさま退いて謝ってくれたけど、何故かそのままぴたりと寄り添う。
ん? 何かやけに秋月、くっついてくる。
しっかりと秋月によって握られた私の手。だから私たちの距離はとても近いんだけど、それにしては隙間が無い。腕と腕は完全に密着。押しつ押されつといった感じ。お互いの足が踏みそうになる程の幅しか、私と秋月の間には無かった。
別にくっついているのが嫌な訳じゃなく、ただ歩きにくいだけでむしろドキドキしたけど……。
でも彼の行動に何かが引っ掛かった私。普段から散々抱きつかれたり頬擦りされたり、周りに人がいようがいまいがお構いなくベタベタされている私ですが、無理矢理自分を押し付けてくるような秋月にちょっと違和感を覚えた。
でも、それが何か分からない私はとりあえず顔を赤くさせながら秋月へと返事をする。秋月に抱きつかれたのもあるけど。道行く人にね、思いっきりその光景を見られ、笑われてしまったので……。うぅ……恥ずかしい。
私としては秋月と神澤くんについて少し話したかったんだけど、秋月が更に「ねー、海は?」って聞いてくるから上手く切り出せず仕舞い。話が反れそうな予感はしたけど、でもこのあと話せばいいや。
「そ、そんなに海へ行きたいの?」
まだ通りすがりの人がくすくすとこちらを見ているのに気付いた私は、少し声をどもらせながら首をなるべく動かし、同時に視線も上げた。
だって身長差と近さで、秋月の顔が見えないんだもん。でもその私の行動が見事、予感を的中させることになっただなんて思わなかった。私は自分で、秋月のよく分からないスイッチを押してしまったみたいです。
「ぬぁっ!」
次に私へ訪れたのは、さっきまでの雰囲気とは全く逆の方向。私が返した途端、秋月は突然変な呻き声を出し始めた。
「……うっ、うう、上目遣い……」
は? どうして秋月、顔が赤くなってきてるの?
目が点です私。今ので何故、彼が顔を赤らめているのか分からなかった私は、その後聞こえてきた「先輩の萌え技」という言葉にも首を傾げる。
も、もえわざ? ……って、何それ? 何か私、秋月にしました? ただ見ただけなんですけど。
不思議そうにしてる私の反応を見た秋月はどこかに飛んでいってしまった思考を引き戻すみたいに、一旦顔を思いっきり左右に震わせると、やっとのことで返事をしてくれた。
「な、なんでもねー! いや、海じゃなくてもいいんだけどさ。プールとかでも……」
頭に疑問符を浮かべている私へ、まるで誤魔化すように早口になった秋月。同時に、空いている方の手で頭を掻きつつ、ちらちらとこちらを見てくる。
ん? 今度は頭のてっぺんから爪先まで、見られたような気がする……。何だろう。もう怒ってないみたいだけど、別の思考が彼の中で占拠し始めたみたいに感じるのは、私だけですか?
ちらちらとこちらを見てきては、気付いたように明後日の方向を向く秋月。
不可解です。
でも、いくら秋月の奇妙な動きについて考えても分からなかった私は、ふと、学校で話した光景が頭の中に浮かんできた。そういえば海かプールに行きたいって言ってたっけ。
私は当初秋月が夏休みの予定について聞いてきた内容を思い出した。
「水がある場所がいいの?」
すかさず聞き返す私。それに対し秋月は、物凄い勢いで首を縦に振った。
え。何かぶんぶんと音まで、聞こえてきた気がするんですけど。
「ぜってー水がある場所! ゆずれねー!」
力一杯答えてくる秋月。それに私はちょっと驚いた。
そ、そこまで力説!? ていうか……。
「そうなの? あんた、何処でもいいとか言ってなかったっけ?」
確かそうも言ってましたよね? 私の聞き間違いだったのかな?
でもそうじゃなかったみたい。何処でもいいと言ったのは建前で、本音は別の所にあったみたいです。どんどんとこの先、肝心の話が出来なさそうな展開になったのは……言うまでもありません。
「だってさ、折角の夏じゃん? 今しか見れない訳じゃん?」
何が見れないって?
頬を染めたまま、秋月はにこにこと満面な笑顔で私に言ってきた。次第にはもじもじと、まるで小さい子がする仕草みたいな、そんな照れ方もし始める。
なんか秋月、完全に違う世界に入っちゃった感じなんですけど……。
このパターンは今までの流れを考えると、冷や汗の準備をしておいた方がいいんですか?
いや、しておいた方がいいんじゃなく、するべきのようです。どうして秋月がそんな状態になってしまったのか? 全く見当もつかなかった私は、このあとに発せられる数々の彼の言葉に度肝を抜かされてしまった。
「る、流香先輩の水着姿。俺…………す、すっげー見たい!」
途中まではどもったものの、最後はきっぱりと断言してきた秋月。きらきらとこちらを見る視線が眩し過ぎて、自分に影の効果線が入ったのを私は認めた。
はい? 私の水着って………………いきなり何で?
面食らった私は、きっと変な顔をしていたと思う。だって秋月が夏休みに水辺へ行きたい理由が、まさかの私の水着姿だったんだから。どうして今までの流れで、この展開になるの? それに、自分で言うのもなんだけど、面白くないですよ? チビで童顔ですから私。
「いや、見たがられる程じゃあないんだけど……」
思わず冷静に突っ込んでしまった私。
そんな私になんのその。秋月はどんどんとテンションが上がってきたみたいで、私が言おうとしていたことをぴしゃりと遮り、まくしたてるかのように語り始めた。
「だぁ――――っ! 全然自分を分かってねーじゃんか先輩! その顔でそのむ……な、なんでもねー。とにかく! 俺は見てーの! すんげー見てーの!」
始めは勢いよかったものの、途中で言葉を濁らせたのは何かを言いかけて、それを慌てて訂正したから。秋月が何を言いそうになったのか物凄く気になる所だったけど、話を振る前に彼が更に話を違う方向へ展開してしまったので、私の突っ込みは完全に出遅れてしまった。
「ちっくしょう~~。同じ学年だったら体育で見れたかもしんねーのに!」
突然、自分が私より年下であることを悔しがる秋月。というより、同学年への切望。その理由はもう、何とも言えません。私は冷や汗をだらだらに、ぽかーんと口が開いたまま、まだ続く秋月の暴走発言を聞くことでしか反応出来なかった。
「覗きに行こーとしても、哲平が止めやがるし! 『それは色んな意味でマズイから! 変態かお前は!』って、ちげーっつーの! 好きな女の水着姿は誰だって! 男だったら見てーもんだろ!? なー、先輩!」
私に同意を求めてこないで! 真剣な表情で何を言ってくるのかと思えば、思いっきり暴露じゃないですか! ていうか、何なんですかそれ! あんた、そんなことしようとしてたの!?
秋月暴走ターイム(笑)




