再開の足跡は闇夜を駆けて④
……一体、何なんだろうこの人。
次から次へと投げ掛けられる簡単な質問へ、どもりつつも答えながら私は自分が困惑していくのを感じた。知らない人に、ここまで根掘り葉掘り聞かれたのは初めてだったから。
そんな私には構わず、彼はにまっと笑いながらまだ話かけてくる。まるで、以前から知り合いのような雰囲気で。ちょっと馴れ馴れしいなと思ったけど、単に人見知りをしないタイプなのかもしれない。安易に私はそう考えていた。秋月が戻ってくれば、この人とのやり取りも自然に終わるしね。
「……そういえば、君と一緒にいた人は……彼氏―?」
え? この人、私が秋月と一緒にいる所も見ていたの?
私は虚を突かれた。てっきり、私が一人でいるから話かけてきたと思ったのに。だって、一番最初に彼が言ってきた言葉が「一人?」だったんだから。
「う、うん」
ますます困惑した私は一言でしか返せなかった。頭の中で、この男の子の不可解さがひしめき合っているからです。一人で椅子に座っている私を見て、話しかけてきた。ただ単純に話し相手が欲しく、声をかけてきたのだったら……まぁ、そういう社交的な人もいるかもしれないけど。でも、私には連れがいる事を知っていた。それってつまり、私が一人でいる所を見計らって、話しかけているということでしょ? ……何故?
「そっかー、彼氏かぁー」
今までずっと私に向けられていた彼の顔が正面を向く。相変わらずころころと口を動かしにまっと笑っているけど、まるでその行動が何かを確認したようにも感じられた。声のトーンが少し、低くなったように聞こえたから。
私はといえばもう疑問符だらけ。本当にこの人が、何を目的として私に話しかけてくるのかが全然分からないんだもん。でも、その答えはすぐに訪れた。勢いよく噛み砕かれた音と共に。
――ガリッ
思わず鳥肌がたってしまう程、彼の口から痛々しい音がする。同時に、再びこちらを見た彼は私に実にあっさりした声でこう告げてきた。
「君、邪魔―。だから消えてね?」
一瞬、聞き間違えたのかと思った。言っている意味も、すぐに理解は出来なかった。だって、発せられた言葉と彼の表情は、凄く相反しているものだから。
ニーッと端がつり上げられた口からは、白い歯が見える。それとは逆に目尻は下がり、彼は笑顔の表情を浮かべながら私を見ていた。とても無邪気で、満面な笑顔を。
でも、そんな彼の口から出た言葉は、私を排除しようとするもの。
「……え……っ」
思わず口から声を漏らす私。頭が真っ白になり、すぐに状況を掴めることが出来なかった。一瞬が何十秒にも長く感じられ、身動き一つ出来ずに硬直する。腕を振り上げ始めた彼を見ても、私の時は止まったまま。自分の身に何が起きようとしているのか、咄嗟に判断することが出来なかった。ただ、見知らぬ男の子が発した声だけが、私の耳に木霊している。
“消えて?”
瞬き二つ分か、そうでないかの僅かな時間。私の顔の横に、振り上げられた男の子の拳が迫ってきていた。横を一直線に描くよう、迷いも躊躇いもない一閃。確実に私のこめかみへ一撃しようとしている、無慈悲の拳。すれすれの所に来ても、未だ身動き一つ出来ない私。殴りかかられているのにも関わらず、まるで暗示をかけられたように見ていたんです。満面な笑顔を絶やさない、彼の表情に。
そんな私が次に意識をはっきりとさせたのが、よく聞きなれた声と共にだった。
「……何してんだ……テメー」
気が付けば、私の顔のそばで拳が止まっていた。当たるか当たらないかの僅かな隙間を残して。
目前に迫っていた拳を目の前にようやく思考を再開させた私。自分が今、どういう状況に立たされているのかはっきりと分かった私は、一気に体感が極限にまで冷えていくのを感じた。同時に、自然と手のひらに汗も滲み出てくる。突然降りかかってきた身の危険に、思考も含め、やっと体がついてきたんです。そして、何故殴られずに済んだのかもこの時、確認することが出来た。
「……さっさとこの手……どけろ……」
地の底を這うような声音が辺りに響く。いつもより数段下がったトーンが、私を殴ろうとしていた男の子へ容赦なく浴びせられていた。冷たく、ドスを効かせた声が。
でも、例えそんな声音でも、私にとっては何よりも安心する声。
「あ、秋月……」
震えだした体を両腕で抱え込みながら、私は声の主――秋月へと顔を向け、その姿を確認する。売店から戻って来た秋月が寸での所で男の子の腕を掴み、拳を止めてくれたんです。まさに、間一髪の状況。
みしみしと圧迫された音が男の子の腕から聞こえる。秋月に、かなりの握力で握り締められているらしい男の子の腕。未だ拳を作ったままの手の甲から、血管が浮かび上がってきている様子さえ見て取れた。
そんなことを秋月にされても、まだ彼の表情は変わらない。満面な笑顔を絶やさない。
逆に、嬉しそうな表情さえ滲み出させていた。
「あはっ、秋月くん久しぶりー」
「黙れ、神澤」
え? 神澤……?
一言だけ取り交わされた言葉に私は思わず目を見開く。
二人――秋月と、今日ここで初めて会った男の子は、顔見知りであることを知ったから。そしてしばらくの間、会っていなかったことも。同時に、この見知らぬ男の子に対する疑問が私の中でますます濃くなる。一時は止まってしまった私の時が、反動で一気に押し寄せて来たかのように、ドクドクと物凄い勢いで、心臓が波打ち始めるのを感じた。
何処かで聞いた事がある名前……。
未だ私の顔の横には彼の拳がある。少し小刻みに震えているのは、拮抗された力が衝突しているから。動かそうとする力と、止めようとする力。お互いの思惑に相違が生じてるために、起こる現象。
つまり、秋月が手を離すと拳はまだ私に目掛けて飛んでくるということ。
どうして彼が、私に……?
二人が顔見知りだったら、秋月がいない時にわざわざ話し掛けてくる必要はない。そして、いきなり私へ殴りかかってくる理由にもならない。でも、今はそれについて深く考えている場合じゃあない。きっとこのあとすぐ、思い知ることになるだろうから。まず最初に思いつくべきなのは……。
「先輩、こっち」
まだ、彼――神澤という人の腕を握り締めながら、空いている方の手で私に手を差し伸べる秋月。今度は恐怖で動く事が出来なかった私は、秋月に無理やり引っ張られる形で何とか立ち上がった。そんな私を庇うようにして、秋月は握り締めていた彼の腕を乱暴に打ち払ったあと、私の前に立つ。まるで、私を隠すかのように。同時に、私もようやく思い出す。『彼』が、哲平くんが言っていた人なんだと。秋月と同じ中学で、同じぐらい『問題児』だった……『神澤』。
“実はさ、俺たちと同じ中学出身の奴がね、楓に会いたがっててもう抑えられそうにないんだよ”
体育倉庫の中で秋月の友人である哲平くんが私に助けを求めたのはつい最近のこと。哲平くんによる、数多く仕掛けられた私への嫌がらせは私と秋月の距離を縮めるものでもあったけど、もう一つの理由もあった。
“普通の同級生だったらね。でもそいつ、楓並に『超問題児』だったから、大変な事になりそうなんだよなぁ。二人が会ったら間違いなく、血の海決定だからさ”
記憶が徐々に甦ってくる。
哲平くんが必死に私へ訴えてきていた内容を。
わざわざ秋月の本性を出させてまで私に手を出してきたのは全て、目の前にいる『彼』の存在があったからこそ。
“だから、アイツ……神澤にぶち壊されたくないんだ。やっと楓は本当の笑顔を手に入れたんだからね。でもアイツだったら、やりかねない。相当危ない奴だからさ”
ガリガリと噛み砕かれた音が、秋月の背後にいる私の元へと届く。震える体が、それ以上の行動に警鐘を鳴らしていたけれどそれを無視し、私は無理にでも動かした。秋月の背中越しからそっと、『彼』へと視線を向ける。激しく脈打つ心臓が更に私へ危険を訴え出し始めたけれど、それでも確かめなきゃいけないと思った。『神澤』という人を。哲平くんに名前を聞いたあの日から、避けては通れない人物であるとどこか頭の片隅で感じていたのかもしれない。
私は神澤くんの見ながらひしひしと感じていた。
ついに訪れました。
秋月と神澤くんの『再会』が。
でもまさか、こんなに早くその日が訪れるとは思ってもみなかったけど。
「秋月くんっぽくなーい。でも、健在だねー。良かったぁー」
自分の腕を打ち払われたのにも関わらず、神澤くんは溢れるばかりの満面な笑顔を維持していた。血の巡りを回復させようとしているのか、秋月に掴まれていた腕をプラプラと振りつつ、でも、どこか満足気な表情。普通だったら怒るか、やり返すか。はたまた怯えるか、逃げるかのどれかなのに。
彼はどの感情にも当てはまらない、楽しそうな雰囲気を出している。普通の子ではないと、すぐに感じ取ることが出来た。今までの経緯を考えてみても、秋月と対等して『怖がらない人』はいなかったんだから。
この人が……哲平くんが危惧していた神澤くん。庇われている私は秋月の背後で、一向に収まりそうにない心臓の早鐘と体の震えを何とか落ち着かせようとしていた。冷静に今の状況を整理しなくちゃいけないからです。哲平くんが言うには、神澤くんは秋月に前から会いたがっていた。でも二人が再会してしまうととんでもないことになってしまうから、哲平くんは今まで何とかこの人を抑えてくれていたんだっけ。
だから分からない。どうやって神澤くんは私たち――正確には秋月を、見つけることが出来たんだろう?
「何でテメーがここにいんだ」
私が疑問に思ったことを代弁するかのように、低い声音のまま、眉間に皺を寄せた秋月が神澤くんを睨みつけながら詰問した。そんな秋月に対して神澤くんは未だ満面な笑みの表情を崩さず、実にあっさりと無邪気に答えてくれた。
「ずっと、あとを着いて来たからー」
え? それは思いもよらない返答だった。私は勿論のことだけど、秋月も神澤くんから返ってきた言葉に少し驚いたみたい。
「ずっとね、あとを着いて来てたのー。秋月くんがさ、どーして僕と遊んでくれないのかな? っと、思ってー」
言葉を足しながら神澤くんは再び同じことを言う。相変わらず無邪気な笑みは崩さないけれど、逆にその笑みが彼の口から発せられた言葉を重々しくさせているように感じた。
ぴくり、と。神澤くんの話を聞き、僅かに秋月の肩が揺れたのを背後にいた私は見る。
「どーゆーことだ?」
再び聞き返す秋月。その声音から、彼が険しいままの表情であると察することが出来る。
当然、だよ。だって神澤くんが今発した言葉は、注視するべき内容なんだから。
ずっとあとを着けてきた。それは今日、偶然にも私たちを見かけた、というものじゃない。たまたま映画館に来たら私たちがいた、という安易なものじゃない。『その前から』を示している言葉。そして、その言葉が意味するのは……。
「決まってるでしょー?」
背中に一粒の氷が落ちてきたのを感じた。悪寒というには生易しい。全身がまるで拘束されたかのように身動き出来ず、ぞわぞわと這い上がってくる何かによって、私は捕らえられてしまったような錯覚を覚えた。秋月に問われた神澤くんが、私を見てきているのは……何故?
「そこのおちびちゃん」
ついっと人差し指を秋月の後ろにいる私へ向け、神澤くんは少し眉尻を下げながら口を開いた。同時に、私の体が彼の動きに反応するかのよう、ビクッと痙攣する。どうして彼が、ここにいる理由を説明するのに私を見てくる必要があるのか? 言い得ぬ予感が私の胸に広がる。
でもこの先、何を言われるのかは薄々、感づいていたりもした。だって既に、神澤くんは私に言ってきていたんだもん。私を殴ろうとする、その前に。ある言葉を。
「僕ね、この前散歩していたら、そこのおちびちゃんと秋月くんが一緒にいる所を見たのー。とっても仲良さそうにしてたよねー?」
一体……いつ?
気になる部分だったけど当の神澤くんはそんなことはどうでもいいらしく、答える雰囲気はない。でも、分かったことはある。哲平くん云々に関わらず、彼自身が自分で動いてたんです。秋月に会うために。
すっかり下がった眉尻。それまでの笑みから一転、神澤くんは少し悲しそうな表情を浮かばせていた。まるで、捨てられた子猫のように。
「ずっと僕は秋月くんに会いたかったのにさー、酷いよ。そんな子と仲良くしてるんだもーん」
言葉を発するごとに、少しずつ小さくなっていく声。人差し指をまだ私に向けたまま、神澤くんはぽそぽそと呟き始めた。私たちに向かって話していたのが、まるで独り言のように聞こえる。途中から自分の世界へ入ってしまったかのように、神澤くんはしばしの間、愚痴を溢していた。
「他の子は構ってくんないし、弱いし、つまんないし。……中学ん時は楽しかったなー」
相変わらず神澤くんの指は私に向けられたまま。でも頭の中で考えていることは、どうやら過去のこと。
「いっぱい殴りあったし、壊したし。……秋月くんとが一番楽しめたー」
話している内容はとても気楽に聞けるものじゃあない。なのにどこか軽い雰囲気なのは、彼が心底楽しかったように話すから。
「秋月くん、また僕と遊ぼうよー。そんなおちびちゃんじゃあ面白くないよー? 話しててつまんなかったもん。ずっと見てても苛々するだけだったしー」
最初、私に話しかけていたのはそういうことだったの? そういうつもりで、話しかけてたの? それに、見てたって……いつから……。
まるで哀れみを持った視線で秋月を見る神澤くんは、一旦、私に向けていた指を下ろして立ち上がった。そしてそのまま、秋月と向かい合う。
やがて結論づけたかのように再び満面な笑顔を私たちに向け、彼は告げて来た。私を見た理由。はたから聞けば、残酷な言葉をあっさりと。
「そのおちびちゃん、邪魔だよねー? その子がいるから、秋月くんは僕に構ってくれない。………………だから、消さないとねー?」
とうとう楓と神澤。
二人の超問題児が対峙しました。
ここから先はラブコメらしからぬ展開になりますが、もう何度も申し上げておりますように、この作品はラブコメです←
明日の更新は都合によりお休みします。
申し訳ありません(>_<)




