再開の足跡は闇夜を駆けて③
「夏休み中も部活あんだ。知んなかった」
売店で買ってきたポップコーンを頬張りながら、秋月がぼそっと呟く。そんな彼へ、同じようにポップコーンを口に運びながら私は答えた。
「うん。夏休みが終ったあと、文化祭があるから……って、試験前に部長が言ってたじゃないの……」
「え、あんま聞いてなかった」
何の悪びれもなくシレッと返してきた秋月。どうやら彼は、このデートのことで既に頭がいっぱいだったみたいです。それを私は冷や汗をだらだらにしながら返した。
「あ、あんたね~」
映画を観に来る前。
ついさっき。
そのことで部室に寄って来たのに、聞いてなかったんですか!?
目的の映画館に着き、上映開始までの合間、私たちは他愛もないもないと言えば他愛もないやり取りをしている。席は生憎と後ろの方で端っこ。スクリーンを見るにはちょっとばかり見えずらい位置だけど、秋月の希望通りに、丁度今話題になっている初恋ものの映画を私たちは観ることにした。
と言っても、私たちはいつの間にか、恋人らしからぬ会話をしていますが。
「そういや~俺、いい役を貰えるって言われた気がする。……台本とか、やっぱ今から覚えといた方がいいの?」
まるで、今思い出したかのような秋月の発言。それに対し、私はしばし答えを巡らせたあと、仰天とした。
「文化祭は十月だし、その前に衣装合わせもあるからそっちが先だけど……って、ちょっと待って! あんた役を貰えたのに忘れてたの!?」
危うく秋月が買ってくれたこの映画館で一番大きいサイズのポップコーンを溢しそうになりました。そんな私へ、慌てるかのように秋月が弁解をし始める。
「ち、違げーって! ちゃんと思い出したから……大丈夫!」
いや、微妙に汗が流れているよ秋月。思い出したのは『今』でしょ。
軽快なテンポで合いの手を入れ、それを更に自己弁論。突っ込みを入れて、突っ込まれて。
初のデートらしきデートをしている私たちだけれど、付き合いたての雰囲気は本当に疎らです。
まぁ、当初から色々と順番が違っている私たちからすれば『らしい』かもしれない。秋月との他愛ない会話も一緒に過ごしている時間も、私にとってはそれが『普段通り』になってきているから。そういう付き合い方もあるかも、って感じられる。
「あ、そうだ。流香先輩、食べさせてやるよ! はい、あ~んして?」
「え?」
私の口元に、ポップコーンを持った秋月の指が寄せられた。きっと話題をすり替えるつもりの秋月。にこにこと満面の笑顔で、私にそう告げてくる。
うぅっ。何かまた急に流れが変わってきたけど、でもそれも普段通り?
沙希たちに後押しを受けたのはつい先ほどのこと。いつもだったら直ぐに恥ずかしくなっちゃう私だけど、今はちょっと流れに乗ることが出来る。せっかく皆が色々と応援してくれているんだから……。
顔を少し火照らせ、私は促されるままにポップコーンを食べた。
「……話を逸らさないの」
「へへっ、いいじゃん」
また突っ込みを入れつつ、だけど口に含まれたポップコーンを味わいながら、私は秋月に返した。それを嬉しそうに秋月もまた返す。
「ねー、今度は先輩も俺にしてよ」
え、私も!? 何か凄く恥ずかしいんですけど! あ、でも付き合ってるんだからこれも……普通?
食べさせ合いって凄く照れるな~。何か、もぞもぞと胸の奥深くがくすぐられているような感じ。誰も見ていないかちょっと気になる所だけど……既に秋月が口を開けてスタンバイしてるし。び、微妙に顔を引きつらせちゃったけど、それでも私は緊張気味に自分がしてもらったのと同じことをした。
「はい、あ、あ~ん」
途中でどもったのは、見逃して欲しいです。何せこういうことをするのもされるのも、恋愛経験が少ない私にとってはドキドキするものだから。でも、こういうのも悪くないかも。どことなく新鮮さと、付き合ってるんだな~という実感がやっと……。
「先輩の指も舐めていい?」
はい!? 私は秋月の口から発せられた言葉で止まってしまった。ちょっ、今何て言ったのあんた!
「ゆ~び」
目が点になっている私に、ニヤッと不敵に笑いながら再度言う秋月。そして、しみじみと今の状況に浸っていた私の答えを聞かないまま、彼はポップコーンを持っていた私の指をいきなりくわえだした。すぐさま対応出来なかった私が慌てだしたのは……言うまでもありませんね。
「え!? な、なな、何で指……って! ひゃああぁぁ~~~~~~っっ」
映画館にいるから必死に絶叫は抑えましたけど、私の頭の中は一気にパニック。当然ですよ! だってこの人、本当に人の指舐めてるんですよ!? それもくわえたまま。セクハラ!? こんな所でいきなりセクハラですか! あ、でも。付き合っているんだからセクハラじゃあないのか、な? いやいやいやいやいや! 明らかに秋月、暴走をし始めましたよ!
「先輩、もっとこっち来いよ」
私の指を舌でなぞったあと、秋月はいつの間にか私の腕を掴んでおり、ゆっくりと引き寄せてきた。
流れって、なんでしたっけ?
「これ、うぜーな。ねー、俺いつもみたいに先輩とくっつきたい」
本当に邪魔だと言わんばかりに、私たちの間を遮る肘掛に悪態つきながら、秋月は自分の体も無理やり私の方へ近付けさせてくる。
普段通りって、何語ですか?
「こういう場所でいちゃつくのもよくね? すっげー新鮮な気がする」
空いている方の手をそっと私の頬に添えて、潤ませた瞳を真っ直ぐ私に向けると、秋月は甘い声音で囁いてきた。
そもそも私たちにとって、何が新鮮なのかな?
「やっと先輩が俺の彼女になった。……付き合ってんだしさ、だめ?」
近日公開する映画のCMなんてまるで見ていない。ほんのりと頬を赤く染めた秋月の顔が、どんどんと私に近づく。
付き合ってる感じって、何処から来ます?
「流香先輩、チューしよ?」
全て。前言撤回させていただきます!
「い、いやあ……っっむぐぅ~~~~!」
迫ってきた秋月を全力で拒否しようとして私はあえなく失敗した。叫びだす直前、秋月によって口を塞がれたので。
ちょ、ちょっとぉぉおおお! 本当にキスしてくる人が何処にいるんですか!? あ、ここにいた。って! ひゃあああぁぁ~~~~~~っっ!
「大声出すなよ先輩。周りの奴らに気付かれっだろ」
「だからって……だからって~」
煌々とスクリーンから出る光のみの館内には、顔を真っ赤にさせている私と、何処へ行ってもムチャクチャな秋月。じたばたさせながら逃げようとする私に何のその。迫ってくる秋月の行動は、留まる所を知りません。
「ねー、今度は舌だして?」
「な、何でよっ」
うっとりとこちらを見つめてくる秋月が、必死に顔を背けようとしている私へねだる。一体、何をしようとしてるのか分からなかった私は思わず聞き返しちゃったんだけど、聞かなければ良かったと後悔した。
「え、んなのディープに決まってんじゃん。せんぱ~い、俺、ちょっとやべー」
はい!? ディ、ディープって……ディープキスのこと? またぁ! 何を言ってんのあんたはぁぁあああ! ちょっとどころじゃない! 完全にやばいスイッチが入ってます! こうなったら最後の抵抗。い、いかさせていただきます!
最早すがりついてきている秋月へ、私が思いっきり彼の頬を叩いたのは仕方がないこと。CMも終わり、いよいよ本編が始まろうとしている館内で軽快な音が辺りへ響く。何の音だろうと、一斉に周りの人たちから視線を浴びせられたけど気にしてられません! 逆に皆こっちを見て、この人を止めて下さいって感じです!
「……ちぇ」
辺りの視線に気付いた秋月が不満げに私から離れた。といっても、ちゃっかり私の手は握っていますが。それを認めながらも、私はこの視線にある意味感謝する。ちょっと注目を浴びちゃったけど、でも、こうでもしないと確実に色々としてきそうだったから。
でもこの時、私と秋月は既に『見つかって』いたみたい。周囲から浴びせられている視線の中に、もう『彼』はいた。
感動のクライマックスを終え、館内の照明が再び灯された時、辺りはすっかり嗚咽と鼻をすする音で響き渡っていた。世間で話題になるだけのことはある、とても良い映画だったからね。観た人誰もが幸せに満ちた涙を流す、そんな感じの。
「……ぜぇ、ぜぇ……」
でも、私の場合は違いますが。
「……ぜぇ、はぁ……ぜぇ、はぁ……はぁ~~~~~~っ」
全身から空気を吐き出すように溜め息をつく私。場の雰囲気にそぐわぬ行動をしています。両肩を上下に動かすほど息が乱れ、映画館の待合所に備え付けてある椅子で脱力中。
「ま、まさか……映画を観るだけで……ぜぇ、ぜぇ……こんなに疲れるなんて……」
上映後、パンフレットを見たりグッズを買ったり、そんなことが出来ないほど疲弊したのは……勿論、秋月のおかげです。
“先輩、隙あり”
幾度となく映画を観ている私に訪れた秋月からの行為。結局、あのあとも続行されてました。
人の髪の毛をくるくると自分の指で絡めてきたり、頬をぷにぷにとつついてきたり。はたまた。突然キスをしてきたり、耳に息を吹きかけてきたり、首筋を舐めてきたり……って! 本当にもう信じられない! どこぞの世界に上映中でもおかまいなく、セクハラしてくる人がいるんですかぁああ! 油断大敵ですよ。気は抜けませんよ。もう誰もこちらを見ていないからって~~!
秋月曰く、感情の高ぶりが収まらなくてどうしても私へちょっかいをかけたくなったって言ってたけど、本当にそういうことはもっと場所を選んで欲しいです。映画が上映されている時、密かに私たちがそんな押し問答をしていたとは誰も露にも思っていないだろうな。
体力を極限までに消耗させる程、そこは気をつけて抵抗させていただきましたから。
一先ず、ちょっと休憩がてら椅子に座っていた私は秋月が帰ってくるのを待っていた。本当だったら映画が終ったあと、二人で売店を覗いてみる予定だったんだけど……。私があまりにも疲弊しちゃってたからね。秋月、ちょっと反省してくれました。動けない私の代わりに、パンフレットを買いに行ってくれている、という訳です。
私は映画を見てからパンフレットを買うタイプだから、始まる前に買っておかなかったし。
そういうことなので、私は今一人。
「ふぅ~~」
ちょっと視線を傾ければ、離れた所に人だかりが出来ている。帰り際の客たちが、売店に詰め寄って出来た人だかり。逆に秋月には申し訳ないと思った。結構な賑わいだから、買ってくるのにも大変そうだもん。
まぁ、映画の内容は凄く良かったから、混んでいるのは無理もないのかもしれないけど。あ~でも、やっぱり結構な人の数だな~。
そんなことを考えつつ、あの人ごみの中に秋月がどこにいるんだろうと思いながら私は売店の方を見ていた。そこへ、知らない声が私の思考に滑りこんでくる。
「ねーねー、一人ー?」
やけに語尾が伸ばされた声が私の頭上から落ちてきた。それに気付いた私は、自分に向かって言われているのだと分かり、声がした方へ顔を向ける。
「え?」
何で声をかけられたのか分からなかったから、思わず素っ頓狂な声を出してしまう私。だって私が向けた視線の先には、全く知らない男の子が笑いながら立っていたんだもん。
「隣、座っていいー?」
いつの間に私の横へ立っていたんだろう。
気配も何も感じなかった私は少し驚いた面持ちでその男の子を見た。身長は秋月よりもやや低い感じ。勿論、私からしてみればそれでも高いけど。高校生なのか、ワイシャツにネクタイ、赤が主体のチェック柄のズボンという制服姿。
私たちと同じように、学校の帰りに映画を観にきた様子が伺える。ころころと口を動かしているのは、飴か何かを含ませているのかな? 絶え間ない笑顔に、絶え間なく口元が動いている。かなり脱色された金髪をつんつんと立たせていて、見た感じは随分と派手な印象を私は受けた。
「よいしょっとー」
座っていいとは言っていない。勿論、私にそう返す権利はないから、遠慮なく座ってきた彼を止める理由もないんだけど。
でも、質問をしてきたのにも関らず、私の返答を待たずして座ってきた男の子を、何となく秋月みたいな人だと思った。遠慮しないというか何というか。
「君はいくつなのー?」
「は?」
本当に遠慮がない。初対面にも係わらず、いきなり話題を振ってきた彼に私はきょとんとしてしまった。
「いくつー?」
もう一度聞いてきた見知らぬ男の子。年齢のことだよね?
「えっと、じゅ、十六だけど……」
「何年生―?」
「に、二年生だけど……」
「どこ校―?」
「と、東楠高校……」
「中学はー?」




