危険な夏は期末試験より⑩
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「先輩、寝ちゃった? ……ま、いっか」
規則正しく寝息をたて始めた流香。その穏やかで、幸せそうな寝顔をうっとりと見つめながら楓は自分もベッドへと寝転がると、流香を引き寄せ、再び彼女の頬に唇を落とした。
彼にとってはずっと待ちわびていた光景。待ち焦がれていた光景。それはただ単純に、流香と気持ちが通じ合えたから、というわけではない。流香からじんわりと伝わってくる温もり。体のみならず、心まで暖かくしてくれる温もり。ずっと前から。物心ついた時から。その温もりを、彼は『欲しかった』のだ。
「大好き。……ねぇ、流香先輩……」
首を上げ、流香の顔を少し覗き込みながら、楓は眠りについている彼女へと尋ねる。自分が何より欲しいものを、流香に望む。いや、流香だからこそ望んでいる。
「俺の……『かぞく』になって……?」
中学時代、荒れていた自分。それを省みてくれる人間など、今まで楓にはいなかった。見た目がいいばかりに目立ち、周囲からはこちらが意図せぬ視線をいつも彼は投げ掛けられていた。
本当の自分を知らないくせに……! どいつもこいつも……外づらばかり見やがって……!
楓の中にある、そんな『人々』への反感。それが今まで彼を荒れさせていた原因である。
苛立って仕方がなかった。問題行動ばかり見る大人たち。見た目ばかりで寄ってくる女子たち。哲平など例外の人物もいるが、喧嘩の強さだけで近付いてきた同性たちも、楓にとっては苛立つ対象だった。
そして、そんな自分へ何一つ心を砕いてくれなかった、己の家族すらも……。
しかし、東楠高校に入ってからは違った。流香に初めて出会った時、楓は彼女が発した一言に心を奪われた。それまでの自分を救ってくれる、たった一言に。
今でも思い出す。部活勧誘中の流香が、楓へ最初に言った言葉。
“辛いの?”
何となくで言ったかもしれない。もう流香は覚えていないかもしれない。でも、楓にとっては何物にも変えがたい言葉だった。
辛かった。誰も本当の自分を見てくれないことが、とても辛かった。だからその時、流香から発せられた言葉がとても嬉しかったのだ。
「ずっと、先輩と一緒にいたい」
流香の頬を優しく撫でながら、楓はぽつりと呟く。心から願う。これからも、流香のそばにいられることを。
あの一言で、楓の心は感じたのだ。この人なら、自分を見てくれるかもしれない、と。
それは間違ってなどはいなかった。現に流香は今、自分のそばにいてくれている。あの日。あの時。彼女と初めて出会った、あの瞬間から楓は――。
「う~~~~ん……」
寝返りを打つ流香。楓がいる方向へとは逆に向く。それを慌てて引き戻そうとする楓。寝返りを打ったあとの流香を、また自分の方へと再び寄せた。そして抱き締め直す。なるべく離れたくなかったからだ。流香から伝わる温もりを、もっと感じたかった。
暖かい。瞳を閉じ、楓の意識は流香へと集中する。呼吸一つ、身動き一つを取っても、全てが愛おしく感じられた。暖かく柔らかい流香の感触は、殺伐としていたそれまでの自分の心を解きほぐしてくれるかのように、彼自身へと伝わる。
「気持ちいい……あったかいし……柔らけー」
流香に触れて感じたことを思わず口に出してしまう楓。顔もおのずと笑みがこぼれる。幸せだ。彼女が、流香という存在が、自分にはいてくれているということを。
「……ん?」
でも、自分で言ってて気付いた。柔らかい……?
「ぬぁ! うっ、え……あ……っ!」
それまでの雰囲気から一変。一度閉じられてた瞼を再び勢いよく開け、急に焦り始めた楓。徐々に顔も熱くなり始めた。湯気が立ち上っているかと思われる程、彼の顔面は紅潮する。全身が電流を流したような錯覚さえも覚える。というより、自分のとある一箇所から電流が全身へと流れてきているというか。
それは無理もないことだった。まさかのまさかの非常事態。無意識に流香を抱き寄せていた楓は、別段、故意でやったわけではなかったのだが、知らずうちに掴んでいたのだ。流香の胸を。
「あっ、うっ……や、やべー……」
どうりで柔らかいと思った。などと今の楓にとって、そんなことを冷静に思える状態ではない。掴んでいる手から相も変わらず電流が流れている。それが楓の思考をぐちゃぐちゃに混乱させていた。通常であれば直ぐに手を離せるかもしれない。彼自身も、それは良く分かっているつもりだった。でも離せない。むしろ離したくない。何故なら。
「せ、先輩……つけて、ねー」
多くは就寝する時、つけない。時にはつけたまま寝る人もいるが、流香の場合前者だ。
彼女は、ブラジャーをつけたまま寝ない。
「……~~~~~~っっ!?」
その事実に気付いた楓。途端、脳裏にはそれまで押さえ込んできたものが甦ってくる。風呂上りの流香。部屋着姿の流香。颯太が常に自分を見張っていたため、辛うじて押さえ込んでいたものの、でも、一気にここで溢れ出してくる。襲いたいという欲望が。
「やべー……やべ~~っ。……が、我慢しろ俺!」
ギリギリ残されている理性をフルに呼び起こし、楓は必死になって欲望と戦う。未だ流香の胸を鷲掴みしたままだが、それでも、これ以上の行動を起こさないように懸命になる。流香をもう、怖がらせたくなかったからだ。
最初楓は流香の家に泊まることに対し、危機感を覚えて断っていた。こんな無防備な姿の彼女を見て、耐える自信がなかったから。彼は自分のことを、とりわけ流香に関わることに対し、よく知っている。哲平に指摘されずとも、一度、流香に怖がられてからはひしひしと痛感さえしている。自分は、流香を目の前にすると何をしでかすか分からない、と。
「ぐっ……! うぅ~~~~……!」
でも流香自身から泊まればと聞かれれば、答えは即イエスだ。断れるわけがない。いつでも、どんな時でも流香のそばにいたい。彼女から送られる、暖かな温もりを常に感じていたい楓にとって、断る理由がない。逆に、いつも流香から離れざるを得ない状況を理不尽にさえ思っている程だ。
だからこそ、折角の機会を彼が逃すはずもなく。流香を怖がらせないように、なるべく行動を慎む事を自身へと言い聞かせた上で、絶好の機会を手に入れた。だが今となっては、最大の事態に陥っているが。
「耐えろ俺。耐え抜け俺! 先輩と一緒に寝るだけで……十分だろーが! …………彼女にもなってくれたんだし!」
必死に葛藤を続ける楓。今ここで理性を崩壊させては、そんなささやかな願いや望んでいた関係を早急に壊しかねない。楓は全力で己の欲望に抗った。流香の。とある行動が、自分へとされるまでは。
「うぅ~~ん……」
再び寝返りを打ち始めた流香。もぞもぞと楓の腕の中で体を動かし、方向転換する。それは先ほどのような楓がいる方向とは逆向きにではなく、今度は彼の方へと体を向けてきたのだ。そんな流香に、楓は仰天とした。
「な、な……」
ひたすら自分と戦っていたため半ば硬直状態だった楓は、更に固まらざるを得ない状況に追い込まれる。何故なら、すりすりと楓の温もりを味わうかのように流香が擦り寄ってきたからだ。彼女の胸から手は離れた。非常に惜しい事を逃したが、でも、今はそんなことを思っている場合じゃない。考えている暇もない。楓にとっては、更に非常事態なのだ。流香自らが自分の胸へと摺り寄せてきている。日常ではあり得ない。真面目で、恥ずかしがりやな流香からのアクション。既に限界を超えそうになっている楓にとってはまさしく、極限中の極限における大パニックな状況。
「うぅ……あっ! や、やべー。マジで……やべー!」
体温が一気に上昇し、脈打つ心臓が未だかつてない程鼓動し始める。微妙に冷や汗も流れてきた。紛らわすかのように生唾を飲み込むが、全然効果がない。息づかいも荒くなってくる。はたから見て、今の楓は確実に危なかった。擦り寄ってくる流香が、堪らなく可愛い。
まさに、理性が吹き飛ぶまであとわずか。楓は自分の中で、何かのカウントダウンが始まったような気がした。
秋月楓。生まれてから史上初の、大ピンチ到来。
10……9……
頭の中に、突如として数字が浮かぶ。しかもそれが減少していくのを、楓は無意識ながらも感じ取った。これが、この数字が無くなったら……。
必死に自分の中で始まったカウントダウンを止めようとする楓。しかし、擦り寄ってくる流香を止めようと思わない。そちらの方がより早くより確実に、今の危険な状態から脱出出来る手段なのに、それを選べない所がもう既に彼が冷静さを失わせている証拠だった。
「早まんな俺! ……早まんじゃねー俺! うおっ、せ、先輩……そ、それ以上は……」
擦り寄っただけでは飽き足らず、流香は楓の背中に腕を回し始めた。よほど彼に触れるのが気持ちいいらしい。ばくばくと鼓動を打っている楓の心臓を物ともせず、更にすりすりと寄る。必然的に、楓のカウントダウンも加速した。
8……7……6……
「や、やべー……だ、誰か助けろ! ……この際、弟でもいい!」
あまりにもパニックに陥っているためか、流香と一緒に寝るために自分が気絶させたのにも係わらず、楓はつい、颯太に助けを求めてしまった。それだけの非常事態に面しているので、致し方ないことなのだが。でも、かなり間抜けだ。
そんな楓をよそに、未だ擦り寄る流香。
すりすりすりすりすりすりすり。
「うぅっ……、ぐあぁ~~~~……っ」
5……4……3……
あと、二つしかない。ゼロへのカウントダウンが告げる、楓の限界。
でもまだ二つある。僅かな希望を託し、楓は全身全霊の気力を振り絞り、己の理性に訴えかけた。今ここで流香を襲ったら、全てが終わってしまう、と。
でも、楓の努力は流香が発した寝言によってあっさり打ち砕かれてしまった。
「………………あき……づ……き」
ゼロ
チ―――――――ン。
2と1をすっ飛ばし。楓のカウントダウンは、一気に無くなった。
「ん、……あきづ……き」
一度ならず二度までも、楓を寝言で呼ぶ流香。それを聞いた楓は、一瞬で時間が止まったような錯覚を覚える。その一瞬の間に、流香が自分の名前を呼ぶ意味を考えていた。それが意味するのは、一気にカウントがゼロになった理由。彼女は、自分の夢を見ている……? 擦り寄って来ているのも、夢の中の自分に向かって……? そう考えるべきだろう、この状況は。いや、間違いなく。流香は自分の夢を見て、そして……。
――ドッカァアアァァアンッッ
「~~~~~~……流香先輩!」
何かが楓の中で一気にはじけ飛んだ。堪らず動き出す。擦り寄ってくる流香を一度仰向きにさせ、同時に、自分は隣で寝転がっていた状態から、再び流香の上へと覆いかぶさった。そして彼女の唇へと深く口付ける。彼女がどんな夢を見ているのか、それを考えただけでもう止められない。溢れ出す気持ちがどんどんと加速する。流香は、自分を想って、夢を見てくれてるのだから。
「……流香せんっ……ぱい」
流香の口を無理矢理こじ開け、自分の舌を入れる楓。いつもよりも激しく、濃厚に。何よりも初めてのディープキスに楓は、流香が苦しそうにし始めたのにも関わらず無我夢中でし続けた。それでも物足りない。もっと流香が欲しい。
「先輩……好き、大好き」
抑えられない感情の赴くまま、溢れ出してくる気持ちを流香へと向ける楓。それは、彼女を抱き締めていた力を更に強めていった。
「うぅ~ん……」
あまりにも楓が抱き付いてくるので、寝心地悪そうに呻き出す流香。それに気付かない楓は、まだ執拗に彼女を攻め続ける。
だからこのあと、流香がとった行動に対応出来るわけがなかった。そもそも楓はこの時、すっかり忘れていたのだ。
流香の。
寝相の悪さを。
「……はっ! ねーちゃん!」
自室へ入った瞬間。楓からいきなり鳩尾を殴られ、ずっと今まで気絶させられていた颯太。ようやく気が付いた時にはもう大分時間がたったあとのことだった。
床に突っ伏していたままだったので、慌てて飛び起き、周囲を確かめてみる。やはり、自分を気絶させた張本人が見当たらない。
「あんのやろ~~~~っ、いねーし!」
まだ微妙に殴られた箇所が痛かったが、そんなの気にしていられない。憤慨と共に、急いで部屋から出る颯太。目指すは姉、流香の部屋。絶対に楓はそこへいるはずだと、分かっていたから。というよりも、人様の家で彼が他に向かう場所などない。たった一箇所しかないのは、もはや明確な事。
「くぅおんの秋月ぃぃ! てんめ~よくもやりやがったな!? ねーちゃんから離れろ!」
真夜中でもお構いなしに声を張り上げ、颯太は勢いよく流香の部屋に乗り込む。本気で一発ぶん殴ってやろうと思った。流香に対する図々しさと、自分がされた卑劣な行為に対し。
でも、そんな颯太を意表をつかせてしまう現状が、内部で起きていた。
「あ? ……何してんだよ、お前」
部屋に入った途端、彼は思わず突っ込む。とういうよりも、突っ込まらざるを得ない。突っ込みたい衝動に駆られてしまう。
何故なら、颯太の目に飛び込んできたのは流香がすやすやと寝ているベッドの……その下で、悶絶しながらうずくまっている奇妙な姿をした楓がいたからだ。
「……~~~~~~っっ!」
声にならない声を出している楓。こめかみと下腹部を手で抑えながら、必死に痛みに耐えている様子。それを見た颯太は、一体彼の身に何が起きたのか全て察した。
どうやら楓、流香によって突き落とされたらしい。楓が押さえている箇所から、その様子も何となくだが思い描ける。あまりにも楓が圧し掛かってくるので重く感じた流香はまず、思いっきり、彼の体の一部に痛恨の蹴りを。そして、ずっと思い通りに寝返りが打てなかった反動からか、寝返りと共にフルスイングのこぶしを楓のこめかみへと叩き込んだのだ。
凄まじいまでの威力を発揮した、流香の寝相。見事、楓の魔の手から自分で身を守っていた。
「……ぐはぁ。こ、これほど……とは……」
「……………………」
声を押し殺しながらも、何とか言葉を発するまでになった楓。それを無視し、颯太は流香の下へと歩み寄る。若干、着衣が乱れているのに気付いたようだ。
「あ~~あ。ねーちゃんまた腹出してる」
いつものことなのだろうか。捲れている部分をさっさと直してあげる颯太。それを、無視された楓が横目で見る。先輩はいつも腹が出ちゃうのか、と痛みに耐えながら思いつつ、でも本当は自分が手を入れたからだと心の片隅で呟いていた。
そんなこととは知らない颯太。流香の世話をし終えると未だうずくまっている楓に向き直り、牽制と忠告を彼に告げた。
「ねーちゃん、寝相が悪いって言ったろー? 自業自得だボケ。ちったぁこれに懲りて、もうねーちゃんと一緒に寝ようと思うんじゃねーぞ!? 次やったらマジでぶっ飛ばすからな!」
両腕を組み、ふんっと鼻を鳴らしながら、颯太は楓を睨み付けた。実際には少々手遅れなのだが、それを颯太が気付くのは朝になってからのこと。
そんな颯太に楓はといえば、逆に颯太が来てくれてある意味助かったと安堵していた。今夜はこれ以上、流香と二人っきりでいるのはとてもではないがきつい。例え自身の体にダメージを負わされても、流香から攻撃を貰うまでは彼女に沢山触れていたので、また我慢が出来なくなると分かっていたから。
子どもがよく寝返りを打つのは体温が高くて暑いため、とどこかで聞いた気がして、小さい流香もそんな原理で寝相が悪いという設定にしてましたが、おかげで自己防衛できましたね(笑)
エロシーンを望んでいた方ごめんなさい!
そして楓どんまい!(笑)




