危険な夏は期末試験より⑨
「軽くだかんな! 別に本気だしてねーから! ……先輩とどーしても一緒にいたかったんだよ、俺」
軽くって何? 本気って何? もう冷や汗が止まりません。でも、最後の一言が……。
私は突っ込みたい衝動に駆られていたけど、あえなく断念です。秋月の口から発せられた言葉と、ちょっと寂しそうな視線が、私の心臓を捉えたから。
ドキドキ……。
そ、そんな顔しないでよ。可愛く思っちゃうじゃない。いつもみんなの前では態度が大きいのに、私の前では……あれ? 私の前だけ? やだ! 何か恥ずかしいんですけど!
まるで子犬のような潤んだ瞳で見てくる秋月。うるうるとこちらに向かい、視線を投げ掛けてきた。先輩と一緒に寝たいんですけどー。そんな声が聞こえてきそうな感じ。いや、実際にそう聞こえてきた気がしないでもないけど。
一体いつ、どこで、そんな技を身につけたのか。私はうっかり、その幻覚に惑わされそうだった。そしてつい、秋月を自分の部屋に招き入れそうになる。
しょ、しょうがないなぁ。何か颯太も寝ちゃったみたいだし。まだ起きてる私が秋月の……って、あれ? 颯太?
………………。
あ!
すぐに正気に戻ったのは、弟の安否が気遣われたから。ちょっと待って私。ときめいている場合じゃあないでしょ私。秋月はまた何かメチャクチャなことをしたみたいなんだから、まずはそう、お、怒らなきゃ!
「あ、秋月? 颯太に何をしたか知らないけど、ダメでしょ!」
危うく外れる所でした。人としてというか、姉としての道を外しそうになりました。弟を見捨てる所でした。秋月に対してではなく、自分へと突っ込みを入れながら、私は秋月に向き合う。でも、また聞こえてきた気がした。
「………………っち」
秋月の舌打ちが。
どうやら秋月、演技をしていたみたいです。誤魔化そうとしていたみたいです。颯太が一体彼にどんな目に遭わせられたのかを反らせようと、子犬に扮して。
「あ、あんたねぇ」
呆れてものも言えません。それで誤魔化そうとするなんて! まぁ、私も人のことを言えた義理ではありませんが。
そんな秋月の意図を察した私は、そこまでして私と寝たいのかとやや冷ややかな視線を彼に向けた。けど、相手は秋月。バレてしまった自分の行動をそのままにするはずもなく、遂には強行手段に打って出た。力強く、私の体が秋月に引き寄せられる。腕を引っ張られた私はそのまま、勢いよく秋月の腕の中に納まる形となった。え。あれ?
「こうなりゃあ力ずくで先輩と寝る!」
抱きしめられた私はそのあと、軽々と秋月に持ち上げられ自分の部屋へと運ばれていく。え? え? あれ? 何でいきなり私、秋月にお姫様抱っこされてるの? ていうか、何で私ベッドに……秋月と一緒にいるの? 一連の行動があまりにも早すぎたため、反応が遅れている私。ベッドに仰向けに下ろされ、遠慮無しに覆いかぶさってきた秋月を思わず、きょとんと見てしまった。
「先輩……だめ?」
「何が?」
私の顔の両隣には、秋月の腕が肘をついている。それを支えにし、上半身をやや浮かせた秋月は、私の顔を覗き込んできた。
「だめ?」
まだ事態が読み込めておらずぼうっとしている私へ、再び聞いてきた彼。間近に迫っている秋月の顔が少し赤くなっているのを見て取れた私は、その時、自分が置かれている状況をようやく理解した。
あれ。これってもしかして、もしかしなくとも、私……秋月に、襲われてる? なぁっ!? き、きゃああぁぁぁ~~~~~~!
道を外そうとしているのは秋月の方!? 何!? この構図は! ち、近すぎる!
呼吸する度、お互いの吐息が相手に伝わるのを感じ取れるぐらい、私と秋月は急接近していた。というよりも、一方的に私が秋月にのしかかられているんだけど。
ひゃああぁぁ~~~~~~! そ、そんな! てっきり回避したと思ったのに、いきなりこんな状況。ム、ムチャクチャです! もっと、もっと……段階を! って、それ以前に私たち、まだちゃんと付き合い始めてないじゃない! だ、だめだめだめだめだめ!
「ちょ、ちょっと秋月~~」
なるべく秋月から顔を背けるようにし、じたばたと私は必死に体をよじらせて逃れようとする。とんでもない事態の訪れに、どくどくと心臓も鼓動をし始めた。私の頭の中にあるのは、つい最近話題に出たこと。沙希たちが固まり、颯太が絶叫を上げた『あの話題』が、脳裏をかすめる。
いや、違う。それどころか徐々に鮮明になって、甦ってきさえも感じた。え、うそ!? 本当にこのまま私、秋月と……? いやああぁぁぁ~~~~~~っっ。
「ちょ、先輩!?」
私があまりにも暴れるものだから、秋月も慌て始めたようです。
無理もないでしょ。暴れざるを得ない体勢なんですから!
吐息と共に体温も感じる。密着とはいかないまでも、限りなく近い距離が私に彼の体温を感じさせていた。これから先の出来事を、あたかも彷彿させるかのような体温を。そりゃあ暴れるってなもんです。ていうか、暴れない方がおかしい!
でもすぐに私は動きを止めることになる。秋月の。彼がとった行動によって。
「なんも……しねーから」
え? 瞬き一つし、私は未だ秋月から背けている顔を再び彼へと向ける。同時に、半ばパニックになりかけていた思考も落ち着きを取り戻し始めた。
「なんも……先輩に、なんもしねーから……」
そこには真っ直ぐに私を見つめてくる瞳があった。
私に何もしない。そう、はっきりと意思を宿した瞳が、そこにあるだけ。いつぞやの、私が怖がったあの時の秋月じゃない。しっかりとした視線。
あぁ、そうか。本当に秋月は……。
「一緒に寝るだけ……だめ?」
もう一度聞いてきた秋月。私はここでようやく、彼に誤解を抱いていたことに気付く。本当に秋月はただ私と一緒に寝たいだけなんだと。
「何も……しない?」
何度も尋ねてきた秋月に対し、やっと答えた私。体はまだよじり、いつの間にか縮こまらせてもいたけど、秋月の顔をもっとよく見るために少し元に戻す。そんな私に、優しく目を細めながら秋月は言ってきた。
「しない。先輩に、もう怖い思いはさせねーよ」
瞳だけでなく。言葉でもはっきりと、秋月は示してくれた。私に何もしないと。もう、怖い思いをさせないと。
途端に、私の全身から力が抜けるのを感じる。張り詰めていた緊張感が、秋月の言葉によって解放されたみたいに。
「怖がらせて……本当にごめん、先輩」
私のばか。何勝手に早とちりしてたんだろう。そりゃあ確かに、いままで危ない雰囲気はあったけど。
だからといって、真っ先に疑うなんて失礼にも程があるよ。秋月はちゃんと、私のことを考えていてくれてたんだから。
「わ、私も、ごめんね秋月。その、えっと……」
私は秋月に対して謝ろうとした。だって今まで前科ともいえる行いがあったとはいえ、真っ先に誤解をしたんだもん。秋月は、そんなつもりはなかったのに。一方的に私、彼に襲われると思っちゃってたんだから。
「いいよ、そんぐらい。俺の方が……えっと、先に突っ走っちまったし」
まるで今までの自分の行いを思い出したかのように、秋月はちょっとバツが悪そうな顔をした。少し視線を私からずらし、言葉もどこかどもりがちになっている。でもすぐにまた私を真っ直ぐに見つめて聞いてきた。頬を赤く染め、瞳を揺らしながら。
「一緒に、寝よ? 一緒にいたい。それだけで……今はそれだけでいいから」
――ドクンッ
――ドクンッ
――ドクンッ
今度は決して演技なんかではなく、正真正銘、本心より秋月から一緒に寝よう、とねだられてしまった私。物凄い勢いで全身を血管が駆け巡っているのを感じる。心臓もそれを手伝うかのように、激しくなってきた。間違いなく私はこの時、秋月にときめいている。
も、もしかして私、ねだられるのに弱いのかな? そう思ってしまう程、揺らいだ瞳へと吸い寄せられるように高鳴った鼓動が私を即、彼からの問いに首を縦に振らせた。
「うん、いいよ」
すんなりと私はその言葉を出すことが出来た。私の返答を聞いた途端、にこにこと満面の笑顔で嬉しそうに頬擦りしてきた秋月。仕舞いには、仰向けになっている私を力強く抱き締めてきたけれど、私はもう、慌てることはない。秋月はこういう時、ただ本当に嬉しいだけなんだと分かったから。
「へへっ、やった! 幸せ~~俺~~」
こんな……。こんな彼だからこそ、逆に頷けたのかもしれない。時にはメチャクチャなことをしてくるけど、やっぱり根は素直で、いい子。
「も、もう強引なことは、し、しちゃダメだからね?」
――ドクンッ
――ドクンッ
――ドクンッ
言ってる内容とは逆に私の心臓はずっと高鳴っている。秋月に聞かれてしまうぐらいに脈打つ心臓。もう聞かれてるかもしれないけど。
「しない。今度はちゃんと先輩と寝てーっつーから。…………流香先輩、すんげーいい匂いする」
いや、それだけじゃあまた色々と誤解を招くんですけど。微妙な秋月の返答に冷や汗を垂らしながら、私の肩へと顔を埋めてきた秋月を横目で見る。ほんのりと赤く染まった頬がかろうじて見えるぐらいだけど、彼が今、どんな顔をしているのか何となく想像できてしまった。きっと、にこにこといつものように笑っているんだろうな。哲平くんに言われたっけ。秋月は、本当の笑顔を手に入れたって。それは私のおかげだと言われたけど、正直、実感はしていない。
ただ、分かっていることは今この瞬間。私自身が、秋月と一緒にいるのが何よりも嬉しいということ。彼を好きっていうこと。片思いの頃からでは想像出来ないくらい、幸せを感じているということ。……両思いって、こんなにいいものなんだって。
「……秋月もいい匂いがする」
夏が来ているというのにちっとも苦しくなく。むしろ、心地いい温かさにつれられて私は思わずそう言ってしまった。それを聞いた秋月はゆっくりと顔を上げ、私の頬に唇を落とす。
「先輩の方がいい匂いだって。……流香先輩、好き」
また真っ直ぐに秋月は私を見つめてきた。そしてそのまま、今度は静かに私の唇へと自分の唇を重ねてきた。
自然と瞼が閉じられる。まるでそのキスが合図となっているかのように、いつの間にか背中に腕も回していた。まるでお互いの体温を確かめるかのよう、吐息が混ざり合うと同時に、私の中でどんどんと温かい感情も満ち始めていく。秋月から発せられた、私への好きという言葉。ずっと今まで、彼から送られてきた言葉。
「秋月……」
名残惜しむかのように私の唇を軽くついばんだ秋月。唇が開放された共に、高まった感情の赴くまま、私は彼の名前を呼んだ。
それをちょっと照れくさそうにしながら、秋月は言葉を繋いでくる。私が今までずっと、気がかりだったあのことを、秋月が……彼から言ってくれた。
「色々、順番間違えちまったけど……。俺、先輩のこと好き。すんげぇ好き。大好き。だから先輩、付き合お? 俺の……彼女になって?」
ちょっと最後はどもりがちになったけど、ほんのり赤く染まった頬と優しい声音。そして、潤みながらも真剣に見つめてくる瞳。
秋月が私へと再度告げてきた告白は、私が答える前に私の首を縦に振らせた。彼の、私に向けてきた『想い』が、自然とそう導いてくれたかのように。
それを秋月も分かったみたい。私が彼に向けている『想い』が導きと共に、そうさせていることを。
「へへっ」
嬉しそうに小さい子どもみたいに破顔しながら、再び私を抱き締めてくる秋月。
「やべぇ。すっげーやべぇ。マジで嬉しい……先輩が俺の彼女……?」
「うん」
最後は声を震わせながら言ってきた彼に対し、私は一言だけ返した。それをまた秋月は聞き返す。
「で、俺が先輩の……彼氏?」
「……うん」
もうお互いに胸が一杯過ぎて、それ以上、言葉を続けることが出来なかった。
私たち、恋人同士になったんだね。秋月に抱き締められたまま、私はぼうっとしてきた頭の中でそんなことを思っていた。
本当だったら秋月が再び告白してくれなくても、とっくに私たちははた目から見て、先輩と後輩以上の関係に見えていたと思う。普通に付き合っている、男女のように見えていたと思う。
でも、なかなかそれ以上に進めなかったのは、単に私の中で恋愛に対する消極的な部分があったから。
十二年間ずっと、たった一人の人を想い続けていた私。想い続けるだけで来てしまった私。その状態にある意味、慣れてしまっていた私。
だから最初、秋月から告白されても上手く応えてあげることが出来なかった。そんな私へ、秋月はひたすら想いを届けてくれた。
今となってよく考えてみると、彼は正攻法で私に想いを伝え続けてくれていたんです。時にはメチャクチャな行動に出るけど、真正面から私にぶつかって来てくれてたんだ。
今更ながらに気付く、秋月の真っ直ぐな心。そんな彼を、好きにならない方がおかしい。恋人同士になれて、嬉しく思わないはずがない。
「……あれ、先輩?」
心地よい眠気に誘われて、私はどんどんと瞼が重くなってきた。遠くから秋月の声が聞こえてきた気がしたけれど私はそれに答えることが出来ず、ただ秋月から伝わる温もりに意識を委ねる。
次第に秋月に抱きしめられたまま。その温もりを感じたまま。
私はいつの間にか、眠りについていた。
はい、とうとうというよりやっとこさ二人は付き合うことになりました。
良かったね楓!
頑張ったね楓!
が、しかし次はもっと頑張ることになるよ楓!
というわけで、次はお待ちかねいただけてるかどうかわかりませんが、楓の暴走パートです。




